今日、何人かの中学生たちに送った言葉


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII

本日午後、とある奨学財団の率いる長野の中学生の皆さん、約15人と約3時間語り合った。

はじめに僕の年齢を聞いて、彼らの親とさして変わらないので、ほとんどの彼らが驚いていた。どうも10才は若く見られたようだ。人は好きなこと、自分が意味があると思うことを追求していれば歳をとらないんだと伝えることから始まった。笑

頂いた質問表を踏まえ「これからの未来をどう考えどう生きていくか?」をテーマに、簡単な自己紹介、なんでこんな人生になったのかから始まり、頂いたお題に応えるべく、1時間あまりやり取りをしつつお話しをした。その後さらに幅広くこってり質問に答えたり、ディスカッションした。

大人相手の講演は割としょっちゅうしているが、これらの未来を担う世代と話すのは、僕としてはなかなかめずらしい機会なので、伝えたこと*1をここに残しておこうと思う。(ちなみに、来た中学生のどの一人も僕のことを事前に知っている人はいなかったことを付け加えておく。笑)

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  1. みなさんが生きているのは本当に確変モードの面白い時代、、、技術革新の重なり合い、Exponentialな変化がいたるところで起きている
  2. 単なる大量生産の時代は終わり、ワクワクをカタチにすることが富を生み出す時代になった、、、あらゆる分野のアップデートを掲げ、形にすることで、モノをただ作っても決して生まれない規模の巨大な富が生まれる
  3. おそらく今ある大きな会社の1/3以上は20年後には消えているか全く違う形になる
  4. ここからは素直にただ話を聞いて走ればいい時代(既存のルールでのサバイバル)とはかなり異なるモード(ジャングルを切り開きサバイバルするようなスキル)が必要になる、、、お父さんやお母さんの世代にとっての成功像をそのまま目指すとダメな人になる可能性が高い。時代の空気を吸った自分たちの感性をある程度以上に信じる必要がある
  5. 誰もが目指す姿というより、なるべく普通にいない人間を目指さないと価値がなくなってしまう、、、とても詳しいか得意なもの(であまり多くの人が目指さないもの)をいくつか身につける
  6. 自分がなんでも出来るすごい人になるよりも、どんな話題でもそれぞれ自分が頼れるすごい人を知っている方がはるかに大切
  7. いままでのリベラルアーツ(母国語、世界語、問題解決能力)に加え、データの持つ力を解き放つ力(データリテラシー)が必須になる、、、リベラルアーツの本来の(ギリシア、ローマ時代からの)意味は使われる側と使う側を切り分けるもの。自律的に生きる市民としての条件として考える
  8. データやAIの力を解き放ったあと、最終的には人間は感じる力、決める力、伝える力こそが必要になる
  9. 英語や中国語を学ぶことは必須、、、日本の人口が減ることは当面止まらず、世界を相手に生きていくしかない。リーダー層であればなおさら。人間の脳は言葉を理解できるように出来ているので心配する必要はない。どんな人もやれば出来る
  10. 現在の日本の教育だけをやっているとみなさんは持つべき武器を持たず戦場に出てしまう可能性が高い。自衛の必要がある、、、コミュニケーションとエンジニアリング、データリテラシー。これらは専門を問わず世界の高等教育の標準になりつつある
  11. 言語やデータリテラシーは読み書き算盤のたぐいの問題であり、単なるサバイバルスキルとして考えるべき
  12. 技術革新が世の中をこれ程変えている時代局面において、科学や技術、ベースになっている数学に対する理解は重要、、、ベクトルなどの数学、分子レベルの物理現象などの理解がある程度ないといま起こっている技術進展の多くは理解できない。これらが産業を革新するのだから嫌悪感、恐怖感だけは持たないようにする
  13. 理数系が苦手とか嫌い、そういうクラスや、受験科目を取りたくないからという理由で文系を選ぶのは避ける、、、理文なる概念は日本特有のものであり、日本では文系(理数不要)と考えられているような分野であろうと世界では数学や情報科学は酷使され、分野間の壁は低い。それが理由だとその分野でも世界を目指せなくなる*2
  14. 理数系が苦手だと思っている人は、自分たちが全世界の人でかなり上の方だということをよくわかったほうがいい、、、日本の中学生の数学の平均値は世界的に見れば極めて高い。自信を持つべき
  15. とはいうもののリベラルアーツ(基礎リテラシー)を身に着けた上では、自分が面白くて熱狂できることを追求すべき、、、何であれ食べていくためには一人前、一流の人を目指すべきだが、圧倒的に頑張れないことでそうなることは難しい
  16. 読み書き算盤的なリベラルアーツ(基礎リテラシー)以外の専門性は、ICTそのもののど真ん中というより、境界領域にこそ重要性が激増する、、、マーケティング、医療、社会問題など普通の生活課題を新たな技術をつかって刷新するところに産業が生まれる
  17. 今の段階で「仕事」であり「世の中に出るとは何か」についてそれなりの考えを持つべき、、、この50年ぐらいを除く、15万年間の現生人類(ホモ・サピエンス)史のほぼ全ての期間において人は15歳になったら世の中に出てきた
  18. 努力することやお金をもらうことが「仕事」の本質ではなく、世の中(なるべく質量が大きいもの)の勢いを変え、変化させることが「仕事」の本質、、、ただ頑張ったとかということには何の価値もない
  19. スキルとは変化を引き起こすための能力、、、よく思われるような専門スキルというより、もっとベースの基礎スキルやリーダーシップのほうが大切
  20. 極限的な意思決定はそれほど起こらない、、、それよりもちゃんと現実を直視し、分析した上で判断すれば、ほとんどの意思決定はバクチを打つことなく終了する。感覚で判断することなく、とにかくまず現実をしっかり見つめてフラットに判断しよう
  21. 日本が豊かさを保とうとするならば、我々は(カメラや、時計、クルマ、電機、石油化学、鉄などで行ったように)再度世界をとる、世界規模で何かを良くする必要がある
  22. 日本はあと数十年、人口縮小、人口調整局面が続くが、日本から世界をとるもの、世界を刷新するものやサービスが生まれないという話は全く別、、、十分生み出しうる
  23. ある事業が成長するかどうかは選んだ市場で7割が決まる、、、どれほどリーダー、戦略、実行力が優れていても流れにだけは逆行してはいけない。どこで商売するのかを決めるのが最も大切な判断。人生もまた同じ
  24. 日本や他の先進国の人口はおそらくいまの2/3か半分ぐらいに減ることになる。また環境問題はおそらく続く、、、この結果色々しばらくいろんな事が起きるが、それらはすべてある種のチャンスとして捉えるべき。氷河期時代も含め、人類は何度となく絶滅の危機に瀕してきたが全て乗り越えてきた
  25. 技術的な方向性はザックリ分かっても、未来を予測することは不可能(初期値が同じでも多様な可能性がありすぎる)というのが科学的な結論、、、未来は目指すものであり創るもの
  26. 評論家とかシニアな人や(君らから見ると)なんでも知ってそうな人がどう思うかとかはどうでも良いし愚問である、、、自分がどう思うかのほうが遥かに大切
  27. このような変革の時代で革新を起こすのは常に若者、、、それは10代、20代、30代前半までの人が中心。皆さんのチャンスの窓はいつまでも開いているわけではない。学校はいつでも戻ってこれる。何かやるべきものが見つかったらすぐにやるべき
  28. じゃまなおじさん、周りのグダグダ言う人とか、みなさんを変だ呼ばわりする人のことを一切、気にすべきではない、、、ただし仲間は必要。一人だけでは大きなことは生み出せない
  29. むしろ変でワイルドで未来に向けて希望を持っている人と極力付き合うべき、、、悲観論もエネルギーも伝染する
  30. 世の中だとか周りの人を一斉に変えようなんてことは一切思うべきでない、、、維新はわずか数十人の人間によって起きた。勝っていれば、そしてそれが正しければ勝手に人はついてくる
  31. 未来は変えうるし、実際、社会は皆さんが思っているよりも遥かに激しく変わってきた、、、ある種のティッピングポイントを超えれば一気に変わる
  32. 昔から殆どの人は頭なんて使っておらず、スマホで子供が馬鹿になったというのは単なるデマである、、、そんなことより自分でモノを考えられる人になろう
  33. ダーウィンが言ったとおり、最も強い種ではなく最も変化に対応できる種が生き残る、、、一番いいのは新しい変化を自ら引き起こすこと。振り回されるより振り回す側のほうが面白いに決まっている
  34. 世の中にはどうでも良い質問と意味のある質問がある、、、自分が考えるべきことを人に聞く質問や、他の人はどう思っているんだろう系の質問、それが分かっても何にもならない質問ではなく、それを聞かないと前に進まない質問、本質的に変化のある質問をしよう
  35. なによりも君らこそが我々の未来である。ガンガン仕掛けよう!

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といった内容を力強く話しました。

最後に、生まれて初めてサインのリクエスト攻めにあい、集合写真をとって解散しました。

多少なりとも意味があったのであればいいなと思う。

*1:3時間のインタラクティブセッションなのでこれでもほんのダイジェストです。また、内容がこれだけ広範なのは、半分以上が彼らのコメントや質問、疑問に答える形で話した内容だからです。

*2:そうでなくちゃんと数学や科学を避けず、素養として学んだ上で選ぶならもちろんかまわない。ちなみに理工系の大卒が2割強しかいないのは日本の国としての大きなハンデになっている。一歩日本を出れば、理文を分けずに大学に入り、大学に入ってから経済なり物理、哲学、心理学などの専攻を選ぶのが世界の標準。アメリカでは医学や法律など実学は学部卒業後にさらに別途学校(professional schools)に行って学ぶもの

シゴトの未来


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Shelburne museum, VT, USA

さすがに人生の半分ぐらいまできたと思われるkaz_atakaです。

表題のテーマでもうこの3年ぐらい食傷するぐらいの数のインタビューや取材を受けてきました。正直、僕の周りでは完全にdone issue(ケリが付いた話)なのですが、今キャズムを超えたと思われる一般メディアから急に色んな話が来るようになっています。

以下は、これでこの話題についてはもう打ち止めにしようと思って受けたリクルートワークス研究所のインタビュー記事です。これほどシゴトというものに正面から向かい合った議論をした記憶があまりないのと、限定版的な冊子で送られてきたこと、ウェブに上がっていないことを踏まえ、ここに手持ち原稿から転記して上げておこうと思います。ウェブ掲載が始まったら下ろす可能性があります。FYI(太字は筆者)

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Q1. 人工知能の進化などにより、仕事がなくなるといわれています。どうご覧になっていますか。

A1. 仕事はなくならないですよ。

データやAIの力を活用して、いろいろな業務が自動化されることは幅広く大量に起きますが、それと仕事がまるごと消えることとが混同されています。「あらゆる仕事でデータやAIの持つ力を使わない人と解き放つ人に二極化する」、これが本当のところ起きることです。むしろ自動走行車の利活用やメンテナンスのように、更に新しい仕事が数多く生まれる可能性が高い。AIが仕事を奪うと思っている人はAIとは単にイデアにすぎないこと、どのように作られるのか、その結果起きること、そして我々の仕事の本質をちゃんと理解したほうが良いです。

この変化の第一フェーズ段階にある現在では、データやAIの力を解き放つための能力を持つ人が大きく不足しています。また、目指す人はどこから手を付けたらいいのかわからないのが日本の現状です。ここに一石を投じようと、データサイエンス協会を何人かで立ち上げ、これまで必要なスキルを整理し、発表してきました。

この変化は、多くの方の想定よりも早く進展し、指数関数的に起こります。1900年のニューヨークで撮られた写真には多くの馬車が写っていますが、1913年にはほぼすべて自動車に置き換わっています。1908年にT型フォードが発明されてからわずか5年の間に実際に一気に変わったのです。よく馬車に乗っていた人はどうなったんだという話がありますが、簡単です。クルマに乗ったんです。(笑)そして、人間はそれに対応できてしまうのです。社会は人間が対応できるように変わるので心配はいりません。*1

全体観をいえば、仕事がなくなるのではなく、データやAIの力を使う人と使わない人に二極分化する、それは予想以上のスピードで進むが、人間はそれに対応できる、そういうことです。

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Q2. 想定以上の速さで変化する世界において、我々はどのように仕事をすればよいのでしょうか。

A2. 仕事というのは楽しいものです。世の中を変えること、役に立つことそのものですから。しかもお金をもらえる。人間が生み出した最大の「虚構」は仕事です。普通に生きていれば、少しは仕事したい、つまり世の中で意味のある存在でありたい、と思うでしょうし、仕事の喜びは残り続けると思います。それを追求する中で、データやAIを使い倒すべきです。

仕事の価値を労働時間で測る習慣は是正されるでしょう。肉体労働まで含めても投下時間と生み出す変化量、バリューが合致しない仕事がすでに大半だからです。ここで言っている仕事のバリューとはむかし物理で習った「力×距離」そのものです。力は「質量×加速度」。つまりどれだけ重いものをどれだけ勢い良く変化させたかです。どれだけ頑張ったかではありません。もちろんその場にいること自体が価値がある仕事は時間ベースの仕事として残りますが、経済原理でみて意味をなさないものは淘汰される、それだけです。

AI×データのように技術的な革新による変化は自然とそうなるし、そこでビジネスをするならば、それに合わせざるを得ないのです。変化するかどうかはイシューではないのです。変化は必然なのですから。本当のイシューは、その変化をどうやったら早く起こせるのか、だと思いますね。

Work Model 2030を、2030年の完成形ととらえ、現在起こっていることから推定しようとするのはほとんど無意味です。変化を楽しむ中で、この世の中がどういうフェーズで変わっていくのか、それをどれくらいのスピードで起こせるのかを考えるべきです。

大きな果実をつかもうと思うなら、その変化に先駆けて動き、イノベーションを起こさないといけません。しかし、現行の日本の仕組みは、基本的にホワイトリスト方式です。出てくるものをリスト化して、それぞれに法律で対応する。これでは新しいものは生まれません。前例がないからイノベーションなのですから。(笑)新しいものはルールのないところから生まれてくる。たとえば、検索です。つい最近まで法律的にはかなりグレーな存在でした。

グレーゾーンを突破する力は、ユーザーにあります。ユーザーが価値を見出せば、社会は勝手に変わるのです。社会は適応するように作られた虚構の塊です。現実の前にはルールは変わるのです。例えば、いまそこにゴジラが現れたら我々は対応するじゃないですか。必要に応じてどんどん変わっていくのです。検索の価値は誰にも止められないくらい強くなった。著作権等の問題は山のようにありますが、すべての人が検索に依存するようになったとき、この問題を議論することの価値がなくなったのです。そうやって世の中は変わります。

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Q3. その変化を起こすにはどうすればよいでしょうか。誰が変化を牽引するのでしょうか。

A3. 新しい変革は、明治維新終戦後のときもそうですが、10代と20代、30代前半までの人が起こします。世界の歴史上革命的な変化を40以上の人が引き起こしたり、やり遂げたことはほとんどありません。

年配者のできることは、規制なども含め彼らのじゃまをせず、何か面白いことをしている若者に、信用を与えて、お金を出し、良い人を紹介する、この3つに尽きます。勝海舟みたいな仕事をしてほしいのです。維新後の開国のときや、終戦直後にはそういう人が山のようにいました。新しい変化は年配者が起こせる代物ではないのです。時代の空気を吸った人がやるしかないのです。

この社会がどうやったら生き延びられるかを考えなくてはいけません。どうやって経済を伸ばすか、社会を良くできるか。現在の日本の社会は(略)推進するエンジンを失いつつあるのです。漫然と2030年を迎えるのでは遠すぎるのです。

あらゆることを提言して、仕掛け、考えた人が実行する。こういう取り組みを激増させる必要があります。この中で自然に生き延びた人がまた未来を拓いていきます。どんどんやって、当たったものが巨大進化をするだけなのです。どれが当たるかなんて誰にもわかりません。だからいろんなトライをしたほうがいいのです。

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Q4. テクロノジーの大きな変化に向けて、何をすべきでしょうか。また、変化を起こすときに指針となるものはありますか。

A4. 社会全体としてみれば、データの持つ力を解き放つ、これがまず第一です。そのためにはデータサイエンティスト協会でまとめているとおり、情報科学(データサイエンス)、それを実装し運用する力(データエンジニアリング)、実課題につなげて解決する力(ビジネス力)の3つが必要です。

さらに二つ、一つは、エンジニアリング層のスキルの根本的なリニューアル、具体的には、SIerエンジニアからビッグデータソリューション系エンジニアへの転換、もう一つは、ミドル層・マネジメント層のスキル刷新です。

指針、、、世の中全体の大きな課題をAIやデータの力を使いつつ自分ならではの方法で解決する、あるいは役立てるようなことを考えるのが王道だと思います。幸い現在の社会は問題には事欠きません。温暖化、エネルギー不足、少子化、巨額の年金と医療費、過疎、時代に即していない教育、グローバル社会の分断などなど。

仕事の選び方としては、みんな、生命の原点に戻ればいいと思います。危ないところから逃げて、自分らしく自分がユニークに生きていけるニッチ、生活空間、に行く、この繰り返し。失敗したら滅びる、それが生命の原点ですよね。経済原理ももとを辿れば、自然淘汰の世界です。

人間は生命がかかれば頑張る生き物です。そういう風にできているのです。変化に臆するのではなく、生命の力を信じるのです。人間はいざという時にはできるのです。我々は生命ですから、大丈夫です。

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以上です。

悲観論はどうでもいいので、ぜひ未来を揺り動かしていきましょう!

Let's rock the world together!!

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ps. ご参考までに比較的最近のものを中心に代表的な関連掲載記事(自分が受けたもの)へのリンクを載せておきますね。

“シン・ニホン” AI×データ時代における日本の再⽣と人材育成 (2017/2)
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/013_06_00.pdf

AIで仕事はなくならない ―― なぜか過剰被害妄想の日本の本当の危機 (2017/2)
https://www.businessinsider.jp/post-827

経験値だけで飯を食べている人は 人工知能によって出番がなくなる(2017/1)
http://www.dhbr.net/articles/-/4630

ヤフーCSO安宅氏が解説する「AIの正しい理解」(2017/1)
https://industry-co-creation.com/special/8175

人工知能はビジネスをどう変えるか」(2015/11) > 以下のDHBRの一章

人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

AI×データはビジネスをどう変えるか (2015/10)
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/002_06_00.pdf

*1:言うまでもありませんが、同じことをただ続けたい人、文明の恩恵を受けたくない人、たとえば電卓やコンピュータが生まれても使いたくなかったような人の仕事がなくなるのは当然です。

 『第六の波』、、、大量絶滅からの回復はどの程度時間がかかるのか?


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII, VT, USA

皆さんお元気ですか?だんだんと春めいてきましたね。

現在、知覚と知性についてのとあるまとまった論考を書いているのですが(まとまったところでまたお知らせします)、そのからみで古いメールをひっくり返していると、まだアメリカで研究していた当時(17年前)のサイエンス・ニュースが出てきて、これはこれで面白く今もrelevantだと思うので再掲したいと思います。ブログのなかった当時、こうやってメールで友人、知人に数百名程度、発信していました。なつかしいなぁ。また何かいまでも面白いもの、価値のありそうなものを発見したら載せますね。

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2000-03-22

春が来ました。辺りの木々が芽を出し、黄金色に輝くまであと少しです。

さて本題です。

地球上に我々や、辺りの草木の先祖である細胞核を持つ最初の生命が現れてから約六億年。その間、少なくとも五度、地球上の生命は大規模な絶滅の波に襲われてきた。 原因は依然よく分かっていないが、いずれもいわゆる天災であったことだけは間違いがない。例えば、六千万年前の恐竜の消滅は天体の衝突によるものだったというのが現在の定説である。そして今、第六の波が来ている。この波はホモ・サピエンスと呼ばれるただ一つの種が起こしている点で過去に例を見ない。

良いニュースは、地球上の生態系にはある種の自己回復能力があり、滅んだ種は二度と帰っては来ないものの、種の数 -- 多様性 -- 自体は、常に回復してきたことである。しかしながら現在、我々、ヒト、の存在のためにあらゆる種の絶滅が地球上の至る所で起こっている以上、この回復に一体どの程度の時間がかかるかは極めて重要な 問題である。

しかしながら、これまで絶滅の研究は多くされてきたものの、種の創造についての研究は殆どされておらず、この課題の検証はいわばないがしろにされてきた。尚、新しい種の創造は全滅のあとすぐに始まり、大体1~2百万年程度で回復が可能であるというのがこれまでの学説である。

このイシューにけりを付けるべく、BerkeleyのKirchnerはDukeのWeilと共に、種の絶滅率と種の生まれる率との相関を調べたところ、彼らは驚くべき、そして悲しい関係を発見した。種の創造は、絶滅のあとすぐには始まらず、絶滅を埋め合わせるピークはなんと一千万年後にならないと来ないというのだ。更に、この時間的な遅れは絶滅のスピードや規模にもよらないという。たとえ、人類が今後数百万年、生きながらえたとしても、我々の種の誰かが、今日の絶滅から多様性が回復するのを見ることは恐らくないのである。

子供の頃、あれだけ楽しんで読んだ動物、植物図鑑が、過去五十年で滅んだ動物、植物図鑑とならないことを祈らざるを得ない。

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Nature 404, 177 - 180 (09 March 2000) Macmillan Publishers Ltd.
Delayed biological recovery from extinctions throughout the fossil recordJAMES W. KIRCHNER* AND ANNE WEIL†
 * Department of Geology and Geophysics, University of California, Berkeley, California, 94720-4767, USA
 † Department of Biological Anthropology and Anatomy, Duke University, Durham, North Carolina 27708-0383, USA

Correspondence and requests for materials should be addressed to J.W.K. (e-mail: kirchner@seismo.berkeley.edu)

How quickly does biodiversity rebound after extinctions? Palaeobiologists have examined the temporal, taxonomic and geographic patterns of recovery following individual mass extinctions in detail, but have not analysed recoveries from extinctions throughout the fossil record as a whole. Here, we measure how fast biodiversity rebounds after extinctions in general, rather than after individual mass extinctions, by calculating the cross-correlation between extinction and origination rates across the entire Phanerozoic marine fossil record. Our results show that extinction rates are not significantly correlated with contemporaneous origination rates, but instead are correlated with origination rates roughly 10 million years later. This lagged correlation persists when we remove the 'Big Five' major mass extinctions, indicating that recovery times following mass extinctions and background extinctions are similar. Our results suggest that there are intrinsic limits to how quickly global biodiversity can recover after extinction events, regardless of their magnitude. They also imply that today's anthropogenic extinctions will diminish biodiversity for millions of years to come.

(書評)『真理の探究 - 仏教と宇宙物理学の対話』


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Flagstaff, AZ


これ以上、ディープなテーマの本を探すのは困難だろうと思われる一冊。世界的な理論物理学者である大栗博司先生と、仏教学の泰斗である佐々木閑(しずか)先生の対話。

年末ぐらいから少しずつ読んできて、途中で全く関係のない『サピエンス全史』とか再度読み始めてしまったり*1、全く別のことにハマってしまったりしたためにようやく読了。

『真理の探求』というタイトルがやばすぎて、机の上をふらっと見た人に「遂にその道に、、、(絶句)」的な反応を示されることが多い本でもありました*2。そういう意味で魔除け的な効果があるのがオススメポイントその一です。笑

対話形式なので、双方の先生の質問がまた理解をぐっと深めてくれます。

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比較的冒頭に、双方から突き詰めた結果、どちらの立場からも「人生の目的はあらかじめ与えられているものではなく、そもそも生きることに意味はない」という衝撃的な結果が語られる。

科学の方法が、宇宙に意味がなく、人間にはあらかじめ目的が与えられていないことを明らかにした(p.33)

僕も心の底からそう思うので、全く同感であるが、このことを受け入れられる人はかなり少ないとは思う。とは言うものの、「そんなgivenな意味はないのだから、意味を与えるのは自分だ」と思って生きることは大切で、このことを若くして気づくかどうかで人生の重さは遥かに変わると思う。

いま手元にないので、30年ほど前に読んだ記憶だけで書くが、アウシュビッツを生き延びた心理学者 ヴィクトル・フランクル博士の手記である『夜と霧』のなかでも、「生きる意味がはじめからあるのではなく、生きる意味はお前が与えるようにお前の生命が求めているのだ」「生きる意味はあるのではなく自らが自分の意志で与えるものなのだ」という気づきがあったとおぼろげに記憶しているが(涙を流しながら読んだのにこの程度しか覚えていないのが私の情けないところ)、、これと全く同じ結論だ。

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今やかなりの数のベストセラーを書かれている大栗先生のことを知っているこのブログの読者は多いと思うので簡単に書いておくととにかくすごい人です。どんなハイエンドの物理のことも大栗先生にかかるとまるで絵本のような容易な文章で語られる(大栗先生自ら描かれるイラストがまたすばらしい)。2012年にTEDxUTokyoの一回目が行われた時に一緒にスピーカーとして立たせていただいた時以来のご縁で親しくさせていただいている。これ以上ないほど明晰。明るく、パワフルで元気で、子供のような純粋さを持たれているステキすぎる方です。

間違いなく、世界を代表する理論物理学者の一人。科学の聖地Caltech*3の理論物理のヘッドでもあり、我々のような門外漢への現代最高の物理世界の啓蒙者の一人でもあります。いつもは一テーマで一冊、それでも平易でよくこんなスペースに収められたなと感嘆しますが、この本では各章がもうその一冊分の世界。ちなみに第一部のタイトルは「宇宙の姿はどこまでわかったか」。ホーキング放射と因果律の破綻などシンプルで深い話も盛り沢山。

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佐々木先生は不勉強ながらこの本で知りましたが、なんと京大工学部のご出身(!)。理屈で仏教を突き詰めて仏教徒ではなく仏教を信奉されている(仏教の信奉者)というお立場。このようなバックグラウンドで研究されてきた話が面白くないわけがなく、ヤバイです。

一例を上げると佐々木先生は輪廻なんてないというか信じていないという衝撃的なことがサラリと語られる。

二千五百年前のインドでは当然の社会理念であった輪廻も、現在の日本人にとっては社会通念ではないので、私たちはそれを土台にすることはできません。私自身、輪廻は信じておりませんから。(p.93)

科学的に考えればたしかに物質は体になったり空気になったり石になったりと色々変転しているものの、それらは一旦ばらばらになって別の物体だとか数多くの個体に分かれてしまうわけで、たしかにです。

このあたりから始まり、いまの仏教と日本で信じられているものはそもそもブッダ仏陀)が教えたものとはかけ離れており、我々が仏典のつもりでお経として日本で読んでいるものはブッダその人の教えでもなんでもないこと、大乗仏教はどこから出てきたのか自体が実は謎であること、大乗仏教はかなり一神教に近づいた考えであることなどが読んでいるうちにどんどんわかります。

最後の最後には、大乗仏教の起源まで解明された話が出てきます。(このテーマ自体がハア?それってイシューなの?と思われる人が多いかと思いますが、これ自体がとんでもなく興味深いテーマだということが分かることもこの本の面白さの一つです。)

これまで大栗先生のご本は大部分目を通してきたこともあり、今回驚いた話はかなりが仏教絡みでした。大栗先生がいつもの明晰さでズバリと聞きづらいこともきっちりと切り込まれていくだけにその見え方がより明瞭になっている効果は絶大。

深層心理学とか宗教について色々興味を持って調べたり考えたりした若かった時以来、久しぶりにストレートに向かいあいました。

  • 仏法の基本原理、三法印
  • 四諦とはなにか
  • 三蔵とは?(そうあの三蔵法師の三蔵です!)
  • グローバルスタンダードとしての三宝
  • 釈迦オリジナルな仏教の本質

など面白すぎる話題が盛り沢山。三宝周りの話など面白すぎて、この間、政府系のある委員会でもついこの本でお聞きした話をお話したら委員の皆さんもばかうけ

「意識を失った人」は実は「意識だけがある」人(p.121)

という話も面白すぎますし、これに続く自由意志についてのお二人の対話も実に深妙。

時間とは「刹那」の単位で変化する現象の積み重ね(p.124)

という話を読んだときは、ユクスキュルの名著『生物から見た世界』の話に思いを馳せ、頭がグルングルンともう大興奮。(この本には生物によって時間の流れや世の中のみえ方が全く違うことが具体的な事例から出てきます。)

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人が世の中、生の意味に向かい合うということは何を意味しているのか、そして生きるということについて思い悩むことのくだらなさというか本質についてガツンと向かい合いたい、そんな方は手にとって頂ければかならず何らかの気付きがあると思います。

この本が生まれた瞬間に日本に生きていることを感謝したくなる、そんな本でした。


*1:話はずれますが、先日とある対談でも触れたとおり、これも絶対に読むべき名著です!

*2:僕は全く読んでる本にカバーとかかけないので

*3:California Institute of Technology,カリフォルニア工科大学学部入学生の数は一学年でわずか235人程度。卒業するのはその3分の2。世界で最も賢い人の集まる大学と言われる。世界の大学ランキングでもよくHarvard、Oxfordを抑えて一位になっています。

棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII, Manchester Village, VT, U.S.A.

人の功績は死んだあとに初めて正しく判断される、人の本当の価値は死んだあとにはっきりする、との意。

先程、この数週間、たまった新聞をざっとみていたのだが、2016.11.29の日経「春秋」欄で久しぶりにこの言葉を見て本当に心に染みた。キューバカストロ議長の死を受けたコラム記事だった。

この1〜2年、突然、国だとか、大学、学会などのパブリックな仕事が増えて、本当にこれが価値がある時間の使い方なのか、このまま生きつづけることが自分にとって正しい人生といえるのか、をこれまで以上に考えることが増えてきたからかもしれない。*1

「晋書」劉毅伝の言葉という。人生の後半に差し掛かり、この言葉を思う。

このところ大学で講座を持つようになって、人生の様々なことに立ち向かう実に真摯な学生の皆さんの思いに直接触れることが増えた。

僕の講座は他の先生達とは多分ちょっと違って、理解度と満足度、そして質問とコメントを毎回アンケート的に尋ねている。そしてそれをもとに次週の講義を組み立てる。ほぼ必ず冒頭に本日のpick up questions/commentsという形で、これはこのまとまった数の学生に伝えるに値すると思うものを拾って答えている。

質問やコメントの多くはもちろん、授業で触れた話であるとか、それについて感じたことが大半なのだが、1割程度は世の中や人生についての悩みというかコメントだ。

曰く

  • 未だにデータに理解を示さず、感覚やカンでビジネスをする人は愚かだと思いますか?
  • データに逆らうことは愚かですか?厖大なデータに基づく適性検査をしたところ、志望している職業が不向きであると診断されました
  • 経営人材とはどのような素養を持つ人物ですか?
  • 今、転職しなければならないとなった時、どんな基準を大切にしますか?
  • 力の差を感じるようなすごい人にあったときに、努力という名の自助論で克服できるものなのでしょうか?

などだ。

これはこれで、僕に人として向かい合ってくれているという意味でとてもうれしく、ありがたい。頂く質問は膨大で、必ずしも対応できないが、できるだけストレートに向かい合うようにしている。

大学に限らず教育というのはスキルを教える前に、人を育てるものだ。僕はたまたまデータドリブン社会で生き延びるためのスキル教育をしながら、「どのように生きるのか」の一つのすがたを伝えているのだと思う。

自分自身、何人かの恩師に本当に大切に育ててもらったが、思い出すのはもちろんサイエンスの教えもあるが、先生の生き方であり、先生と話したやり取りから自分が気づいたことばかりだ。

その中で最近、聞かれた質問の中にこういうものがあった。

  • 先生に宿る超強力なエンジンパワーの源泉を教えて下さい。何がモチベーションになって、弱気になったときのリカバリーが出来るのでしょうか?

という内容だ。

僕の答えは、

  • 投下しているリソース(時間、エネルギー)に見合った変化、バリューを生み出さないと気持ち悪い、、、毎日を勝ち抜く、いいものにする
  • 未来の自分から見た時にあとあと悔いのないように生きる
  • 本当にやりたいことをやる
  • 意義を感じることからやる
  • 疲れたら休む
  • メリハリを大切にする
  • 色んな人と合う
  • バディを増やす

というものだった。実際その通りに思って毎日生きているのだが、このことは今、晋書の言葉を見て、さらにもっとちゃんと生きたいとそう強く思った。

つい目先の名誉とかお金とかそういうものに流されそうになるのが人間だが、そうではなく(それもある程度は大切なものではあるが、、)、もっと大きな目で今何が意味のあることなのかという視点を持って常に考えなければ、そんなことを思った夜でした。



ps. LINEをここまでの存在にし、そして今はC-channelを率いられている森川さんと先日対談した内容が含まれた本が出ました。僕のはともかく、森川さんと予防医学者の石川善樹さんや、ペッパーの開発者である林要さんとの対談はもう必読。僕に印税が来るわけではありませんが(笑)、よかったら手にとって頂ければうれしいです。

ダントツにすごい人になる  日本が生き残るための人材論

ダントツにすごい人になる 日本が生き残るための人材論

*1:余談だが、かなり以前もこの言葉をはっと思ってメモをしたことがある。その時も変換で苦しんだが、今回もちょっとした大変さだった。笑

AIはイデアである


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Putney,VT, USA

ほとんど毎日のようにAIに関する委員会であるとか講演であるとか討論会に出て、繰り返しAIと呼ばれているものの実態について議論してきたがなかなかうまく多くの人に落ちない。

なぜだろうと思ってきたが遂にわかった気がする。

AIなんて具体的に確定したものはないんだ、AIはイデアなんだ、ということが多くの人に理解されていないのだ。AIは「ルビー」と言うような石であるとか、「東京」のようなわかりやすい確定的な実体を伴う概念とは違う。人の心の中にしかない概念だ。技術革新でAI的に実現しようとしてきたものの多くが急に可能になっているということと、確定的な実体を伴うものであるということが混同されているのだ。

AI(Artificial intelligence : キカイやソフトウェアによる知覚や知性の実現。Machine intelligenceとも言う)は人間が目指している一つの目標であり、そこにおける計算機や自然言語処理機械学習、音声処理などのアルゴリズム、それを実現するための膨大なデータは手段である。方法は問わないから、目指す機能を実現しようとしているというのが技術側から見ている実態であり、こちら側(作る側、構想する側、サービスを提供する側)からしてみると自明なことである。

この最も本質的な部分が何度話しても理解されず、そのような実態だということが受け入れられないところに多くの人の理解の困難があるように見受けられる。

今となればクルマ(自動車)というのはほとんど自明的にシャシーがあり、そこにガソリンか電気で動く駆動装置(エンジン、モーターシステム)が乗っていて、そこの上に座席、包み込むアウター(普通に見えるデザイン部分)があるものと多くの人が理解しているが、これとてもつい150年前に遡ればほとんど単なる概念であり、それが何を意味しているのかよくわからなかったのと同じだ。

飛行機もそのとおりであり、コンピュータなんてまさにそうだ。なので米軍機のオスプレイのように飛行機における新しい浮上、離陸のあり方は常に研究され、計算機の世界でも量子コンピュータ、Neural network*1のようなノイマン型ではない情報処理のあり方も常に研究される。

あくまでAIはイデアだということを理解しない限り、日本のこの議論の方向性はおかしなところに行ってしまうと思うのは僕だけだろうか?


(参考文献)
以下の本では松尾先生の論文に加え、AIの限界について整理してしている拙稿も紹介されています。

人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

松尾先生の名著

*1:とは言うものの、現在のところ、実態としてはノイマン型の計算機で動くソフトウェア上で強引にエミュレートしていることはご案内の通り。これを石(半導体)に変えようという研究、開発はかなり熱くされている。

知らず知らず僕らのエゴと気配りがこの国をbehindにしている


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII
Shelburne Museum, VT, U.S.A.

アメリカやヨーロッパの街に旅行にいくたびに思うことがある。それは彼の国々の街の多くは美しく、東京や日本の地方の街の多くは見苦しいか、味気がなく、乱雑ということだ。以前話題になった「世界の都市を東京ぽくしたら、、」も引きつりそうな黄色い笑いを生むようなところがあった。今日はそこの深因の一つが、我々の未来にも影響をもたらしているのではないかという話。

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先日、ドローンだとか自動走行についてのブレストを知り合いの某中央省庁の方々としている時にちょっとした気付きがあった。

これらの時代に向けて一体どんな整備が必要かみたいな話をしていたのだが、その時に「なぜ世界に冠たるはずの日本のクルマメーカーの自動走行のロードマップがグローバルの競合メーカーに比べてこんなに足が長いのか?」(つまり完全自動走行になる予定のタイミングがどうしてこんなに遠いのか?)という話がでた。具体的に言えば、だいたいドイツや北米の会社は2018や2020までに実現するといっているのに、日本のメーカーは少し前は2028、いまプッシュしても2025ぐらいだというのだ。

で、僕が言ったのは、「これはちょっと誤解があると思う。日本のメーカーの技術力は高く、独米に並ぶか優っているとしても負けているわけではない。これは前提になっている道が違うんだ」、と。

僕の向かいの方ははじめきょとんとしていたので、次のような話をした。

トヨタやホンダ、あるいは日産だってアメリカの高速道路をただ自動走行すればいいだけなら、今だっておそらく可能だろう。そしてアメリカの下の道やドイツのアウトバーン、英国のM(高速道路)を走るだけであれば、おそらく独米のメーカーよりも早く実現が可能だろう。でも、こと日本の道を想定すると2025とかになってしまうんだと思う」、と。

あまり知られていないが、自動運転車にはかなり苦手というか今のところ答えがうまく見つかっていないことがある。それは道が狭すぎるようなところでのすれ違いだとか、やり取りの仕方だ。

よく世田谷の方とかに、本来、双方向通行することが物理的に不可能なのに、標識上は双方向可能な道がある。こんな道を向かい合うクルマで通り過ぎるときは、向かいのクルマに乗っている人との表情や身振りによるやり取りで、本来クルマが通ってはいけない人の家の敷地とかに乗り上げたり、場合によっては5メートルとか10メートルバックしたりしてこれまた本来道ではないところ(人の所有地)を活用したりという、かなり難しい譲り合いをしながら通り過ぎる。僕もよくクルマを運転するが、前から来ているクルマのドライバーが肝っ玉母さんみたいな女性とかだと、手であっちに寄れとかと言われて、もうこちらが気迫に負けて、なぜか一方的に頭を下げて道をゆずることはよくある。(笑)

しかし、こういうことは自動運転車にとって極めて難しい。何しろ人の家の敷地を走るというのはそもそも正しくなく、自動運転車は相手の人の表情だとか気迫を読むのもかなり困難だからだ。なので、今のところそういう状況になったら自動運転車は止まってしまう。判断できなくなってしまうのだ。

またアメリカなどでさんざんドライブした旅行から東京に戻ってきて気づくこととしては、東京の道の白線を完全に守ると事故しそうになることが多いことだ。道幅が狭すぎるところに無理してギリギリで線を引いているために、自転車がいたり、いわんや路駐などが行われていたらすぐに機能しなくなるのだ。これも自動運転にたいする潜在的な阻害要因の一つであり、同根の問題といえる。

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ここまで考えると、日本のクルマメーカーのロードマップの足が長いのは、よく考えると当然のことで、これはクルマメーカーの問題では無い。我々の国の道の問題なのだ。そしてこれを更に掘り下げて考えると、その土地の利権者とかがいるというだけの理由で、公共の道なのに非合法な通行をしなければ通れないような道幅の道が多く出来てしまっていることにある。本来、双方向通行を安全に行うために必要な道幅を確保できないのに、住民の声で道を通す。なのに住民は自分の利権は守ろうとする、そして国や自治体はそれに気配りして変な道ができる、、、この繰り返しがこのような道を大量に生み出してきた。

その道を通した頃は自動車があまり走っていなかったからという屁理屈は、道幅に手を入れると価値を失うようなヨーロッパの古い町並みでもない限り通らない。それは世界中そうなのだから。それでも1000年近い歴史を誇る大学町Oxfordのようなところに行ってもそんな細い道は少ない。2000年以上前から続く街のRomaだって、そんな道は少ない。クルマが通るようになったら利権者も本来手放さなければいけない利権があるのだ。そう日本の自動車メーカーの自動運転ロードマップを阻害しているのは実は日本の個人のエゴの集積なのだ。知らず知らず僕らのエゴとそれに対する気配り、対応がこの国をbehindにしている。

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これと同じような話がドローンでもある。

僕の会社のオフィスはたまたま港区の割と中心的な場所にあるが、窓から外を見ると驚くような風景が広がっている。そこは日本で指折りの土地の価値を持つエリアと思われるのだが*1、なんと平屋だとか、わずか数階しか高さがない建物がかなりの数存在し、それ以外の鉄筋の建物も、高さがマチマチで、しかも幾何図形のように変に辺が切り取られた建物が多い。その中で群を抜いて高い建物が時折にょきにょきと立っていたりする。しかもそこら中に電信柱と電線があるという、、。

このような状況の街で自動運転のドローンを飛ばそうとすると、平面地図だけではダメで、少なくともどこまでの高さの建物がそこに立っているのか、どこに人が住んでおり注意を払うべきとかという3D的な地図、実際にはビル風の強さの情報だとか、時間帯による違いを含め、4D、5D的なデジタル情報地図の整備が必要になる。大変だ。

これがパリだと中心部の建物の最上階に上がったことがある人はわかっていただけると思うが、高さがほぼ完全にフラット。エッフェル塔ぐらいしか高い建物がないので、ある所定の高さをドローン用(自動運転版の『魔女の宅急便』のイメージ)に指定して、ただ飛ばせばいいだけだ。ニューヨークのマンハッタンでも、だいたい地域によって高さが揃っているのでこの問題は少ない。でも東京の場合はもうめちゃめちゃなので実に厳しい。これも街の利権者とか、建ぺい率だのみでまちづくり規制がうまくできていない問題だ。もちろん東京も銀座の中央通りのように31mの高さの制限がもともときっちりあってものすごく揃っている場所もあるが、銀座自体が運用がゆるくなっているぐらいで極めて例外的だ。


Contax T2, negative film, Paris

これらの問題を解決するのはある種、気合の問題であり少々時間はかかるが簡単に思える。もう30〜50年かけて東京を綺麗にするつもりで(2020の次のオリンピックを目指し)高さ制限をきっちりかけてしまうのだ。よほどの商業地区以外、高さ制限は昔の銀座のように基本31メートル(百尺)にするとかで。建て替えは容積率に関係なくその高さまでで行うことにする。以上。笑

道も一方通行なら3メートル、双方向だったら6メートルの幅がなければクルマを通さない、通すときは利権者は土地を吐き出すことにしてしまう。国や自治体は、個別の事情に対して、過度の気配りを止める。これをやれば道の刷新自体が自動運転時代に向けた新しい公共事業にもなる。ついでに雪の時などのために道のヘリに電子的なシグナル源でも埋めておけばいい。

このように過度のおもてなし(慮り、気配り、配慮)が日本の未来を阻害している。個々の人たちのニーズに耳を傾けすぎて美しくなくなってしまった日本に江戸時代級のdisciplineを埋め込むことで、ビシっとすることができれば冒頭のパロディも起きなくなる。

いかがだろうか?

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と、こんなことをこれまた別の集まりで雑談的に話をしていたら、それ笑いごとじゃないですよ、と日本屈指の重電会社の方が僕に言った。聞くとその会社の風力発電の設計はクライアント、案件(!)ごとに個別にこまごま仕様を作っているので、一斉に手を入れたり、メンテをすること、データの取り込みを一気に触ることができないというのだ(?!)。一方、彼らの競合のGEの仕組みだと世界中のどの風力発電の同じ仕様をベースにしており、データの取り込みなども一律で手を入れられるのだと、、。となるとこのように個別の事情に対する気配りのために、共通の枠組みを作れないことは、もう国民性の問題と言える。

戦後、日本はこのように顧客だとかユーザの声をひたすら聞き続けることで発展してきた。ただ、この態度によるover customization、過度のおもてなしが見苦しい街を作り、自動運転やドローンを阻害している。世界標準的に「この街に住むならこれを受け入れよう」というルールを利権ではなく、筋ベースで作り、徹底する時が来ているのではないかなと思うが、みなさまいかがだろうか?


*1:実際に僕の働くビルは50階ぐらいの高さがあり、上層階には海外からの超高級ホテルが入っている。噂では同じ敷地の居住用の建物には有名タレントが多く住んでいるという