ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

AIはproblem solvingマシンではない



Leica M7, 50mm/F1.4 Summilux, RDPIII @UC Berkeley


この夏の研究のように書いていたDiamondハーバードビジネスレビュー(DHBR)2015年 11 月号への寄稿論文がようやく昨日発売になった。「人工知能はビジネスをどう変えるか」というタイトルだ。

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NewsPicksのコメント欄*1にも書いたが、この論文のきっかけは7月末のバケーション前日に編集長の岩佐氏が突然相談があると言っていらしたことから始まっている。「いまディープラーニングなどAI周りで起こっている本当のこと、そしてそのビジネスとマネジメントについての意味合いについてまとめてもらえないか」という話だった。


実はその1-2カ月前に、私の前職の恩師の一人であり、東大EMP(executive management program)の責任者でもある横山禎徳さんにもAIという言葉がなんというかhypeになっているが、本当のところAIは何ができて何ができないのか、ということについて数時間、うまいワイン数本とともにガン詰めされたこともあった。


その後に、陸上の為末大さんと対談することがあり*2、そこでもAIには何ができて、何ができないのかという話が大きな話題の一つになった。仕事がAIによってなくなるとかなくならないという話が随分と話題に上がっているせいもあったと思う。


そういう前置きがあったこともあり、お話が来た時は、とんでもないテーマだと思う一方、これは自分が書かなければ、誰も書かないない内容なんだろうなとも思った。(実際、発売前日の金曜日に編集長にお聞きしたのは、僕が受けなければ、この内容は代替の人が全く見当たらず落とすつもりであったということだった。)

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とんでもないと思ったのは、このテーマはそもそも(1)編集長も含めた、ほとんどの世の中の人が誤解していること、ディープラーニング(深層学習/DL)への幻想を紐解くところから始まる必要がある。なおかつ(2)今起こっている変化のすさまじさとAIがおこなっている取り組みの本当の広がりを整理しなければいけない。それでありながら、(3)AIと我々の知覚そして知性との対比を行うという荒業が必要。その上で、(4)ビジネス全体、マネジメント全体に対して意味合いを考える、という深淵かつ広大なものであったからだ。


(1)自体が誤解に満ちて整理されておらず(業界の人はわからない人は流石にいないと思ってか、あるいは確信犯的に説明しない)、(2)もガサツでほとんどまともに整理されていない(業界の人は自分の取り組みには詳しいが、俯瞰して一般人に分かる言葉で話してくれない)。


(3)に至っては、世にあるのは、機械学習(Machine learning: ML)およびその一種のDL、人工知能(AI)側からの知見のみが広がっていて、ほとんどの人には全く手がかりがない。本来、脳神経科学、認知科学も分かる人が知覚と知性の広がりとの対比をしなければいけないが、そちら側の人はML/AIがよくわからないのでコメントしない。また、「知覚と知性についての広がり」についてそもそも体系的に整理した人などそもそもいない。


いわんや(4)については、そもそもビジネスやマネジメントを俯瞰するような能力を持った人が、AI・脳神経科学を合わせた意味合いを議論することなど普通不可能で(そもそも議論できるほどよくわかっていない)、部分的に仕事がなくなるんだろう的な論説があるだけ、というのがこれまでだったからだ。


正直、編集長自身もこのテーマの本当の奥深さを僕に相談された時は理解されていなかったと思う。あいにく、自分はこれらのすべての領域にそれなり以上に深く関わってきたために、瞬時に上の広がりを認識し、やりますともやりませんとも言わず、持ち帰りそのままバケーションに入った。

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僕はもともと知覚(perception)に興味があり、脳神経科学全般の体系的な訓練を受け、研究し、かたやビジネスではある種 perception technologyというべき消費者マーケティングに出会い、人のものの感じ方とニーズの生まれ方について長年取り組んできた。現職に来てからは、もともとの市場インサイト、インテリジェンス的な活動に加えて、直接的にもマネジメントとしてもビッグデータやデータを利活用したR&D的な取り組みに深く関わってきた。(実は社内で基礎研究を行う研究所長を担っていた時期もある。)


なんというか、そういう経験の集大成的な論考になるんだなと直感した。

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このテーマはそもそもAIと騒がれている現在のブームの本質が単に機械学習だとか深層学習(ディープラーニング)といった情報科学(データサイエンス)の話ではないことから始まる。これらのキカイに学習させるための手法は、たしかに大切だが、データが大量にないとそもそも始まらない。(上の1の話だ)


僕の周りでも笑い話が一つある。ディープラーニングについての話を耳にした人が、あるこういうデータサイエンス系の人のところに来て、「鳥の鳴き声をディープラーニングを使ってどの鳥なのかわかるようにしたいんですが」といって来たという。


「了解です。ではまずは各鳥の鳴き声をとりあえず五万回ずつ録音したものを用意してください。オスメスだとか、状況などの属性データも一緒に。そうすれば手伝いますよ」


こう答えたら、その相談にやってきた人はディープラーニングが魔法の箱か何かだと思っていたらしく、うなだれて帰っていったらしい。


より深くはDHBRの論考を見てもらえればと思うが、軽く数万のパラメータを扱う深層学習は当然の事ながら数百、数千のデータでは教育できない。膨大なデータ(ビッグデータ)があることによって初めてファンクションする。そしてそのためには、極めて高速な計算環境が必要だ。この3つを分けて考えているあたりに現在の世の中の危なっかしさがある。*3


しかもこのことから分かる通り、どんな用途に対しても動くAIなるものは普通存在しえない。十分に速い計算環境に対し、特定の用途に合わせて、必要な情報科学*4を実装し、大量のデータで教育をすることで特定用途のために使えるAIになるからだ。このことぐらいはもう高校生以上の人たちには教える時代になったのではないかと思う。(p.46 図表1)

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(2)もちゃんとやる必要があった。人工知能は万能みたいに思われている人たちに対して、いま、最先端の世界で何が起きていて、どういう広がりで急速に用途が広がっていっているのか、その整理をする必要があるとかねがね考えていたからだ。(p.47 図表2)


僕の周りには幸い詳しい人、専門家が多いが、彼らは頭が良すぎて普通の人に自分たちが思っていることをうまく伝えられない。その橋渡しも含めて、自分が俯瞰して感じている広がりと、その意味合いをなんとか伝えようと努力した。これまでにないすっきりとした整理を行ったので、一定の成功をしたように思うが、判断は読者の皆様に任せたいと思う。

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(3)は真のチャレンジの一つだった。そもそもAIについて僕ら(この領域の内側にいる人)からすると当たり前、空気のように思っているが、一般の人(外の人)がわかっていないことを整理する必要がある。これを課題解決プロセスの全体に置くとどのような意味合いがあるか、それをさらに俯瞰すると、どういうことが浮かび上がるかをそこでは議論している。(p.50 図表3)


これを見ると明らかにわかるのは、AIはproblem solving machineではないということだ。AIが広がると仕事がなくなるとか、仕事が劇的に楽になると思って期待している人がこの世に多くいるが、残念ながらそんな都合のいい話はない。なにしろ、AIは課題解決において最も大切な能力であるイシューを見極める力、構造化する力がないのだ。課題をフレームする力も、人に伝える力もない。実際にはAIは人間を代替するのではなく、人間を幅広くアシストする存在になる。


ここではさらに、知覚と知性の広がりをフレームワーク化する、その中でAIの現状を人間と対比するという大きなチャレンジに取り組んだ(p.52 図表4)。もしかすると世界初かもしれない。


神経科学をおこなっている人であれば自明で、それ以外の人にとってはほぼ全く認識されていないことだが、我々の脳神経系のほとんどは実は思考とか高度な知性というより、知覚そのものと体を動かすことに使われている。そもそも1000億と言われる脳の神経細胞ニューロン)の8割は小脳に存在する。大脳皮質もほとんどが感覚処理と運動に使われている。その下の視床(thalamus)は知覚のゲートウェイだ。


そういうことも踏まえ、知覚についても脳神経科学的にもほぼ正しく、それでいて、人間の知的活動の本質的なポイントも外さないようなフレームワーク化と、その上での評価を試みた。実はこの図表づくりに最も時間をかけたが、一定の成功を収めたことを祈る。

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(4)はチャレンジ以上のチャレンジというか、(3)までの議論自体がないないづくしで大変だったが、もう二踏ん張りした。編集長からはビジネス自体がどう変わるか、あと、ハーバード・ビジネス・レビューなのでマネジメントへの意味合いを是非書いて欲しいと言われたからだ。


ビジネスの方の意味合い自体がかなり興味深いものであるとは思っていたが、世の中的には上の感情的、妄想的な仕事の喪失論(本質的には間違っている)以上の議論が殆ど行われていない。そこに何らかの知的な楔を打ち込めればと思って努力した。なんとなく感覚で思われていることの中で本当に起きると思われることをかなりストレッチして書いた。


マネジメントについて書くのは、更に無謀感があったが、長年トップマネジメントコンサルタントとして働き、自分自身がそれなりの規模の会社の経営に関わっている以上、逃げられないと思って踏ん張って書いた。かなり大胆だと思うことも書いたが、今の主要なmarket cap上位の会社がどのような位置づけにあってどのような方向性を目指していこうとしているのか、我々の社会がどのような方向に進もうとしているのかについても一定の方向性を打ち出せたのではないかと思う。

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以上、長くなったが、このDHBRでの論考発表にあたってのあとがきとして書いてみた。


本当に文字通り、仕事の合間を縫って、渾身で書きおろしました。ご興味を持っていただいた方は、ぜひ手にとって読んでいただければ幸いです。そしてブログでもFacebookでもTwitterでも良いので、ご感想などお聞かせいただければ本当にうれしいです。


これほどの充実感のある仕事を依頼していただいた岩佐編集長に感謝をささげつつ。


良い夏でした。


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★本エントリに関連する書物

ご紹介した論文はここに掲載されています。


こちらには昨年ビッグデータとマーケットリサーチとの使い分けについてまとめた論文を寄稿しました。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号[雑誌]

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号[雑誌]

*1:https://newspicks.com/news/1197124/

*2:NewsPicks上の関連記事は、https://newspicks.com/news/1137152/body/

*3:ブクマコメントを見て誤解がないように補足。Pre-trainしているのであればその事前訓練に必要なデータ量も含めて考える必要がある。

*4:機械学習や深層学習以外にもコンピュータに言語を扱わせるための自然言語処理、あるいは画像処理するためのコンピュータビジョンなど

対象に肉薄したい



GXR, 35mm Nokton Classic F1.4, 気仙沼


行動を伴わないと何事もただしく理解できない。アタマはあくまで身体に付き添うもの、ということを最近しみじみ実感する。


脳と神経の側から見ると当たり前のことなんだけれど、身体と脳は全く切り離せない。このように世界を感じる自分の身体があって、このように考える自分の脳がいる。身体と脳は1セットだ。


例えば、色の三原色という言葉があるが、これは人間の色覚にとって三原色なんであって、鳥にとっては違う。あまり聞いたことがないかもしれないけれど、鳥には4つの異なる色覚があり(これをテトラクロマティックという)、ハトは恐らく五色、つまりペンタクロマティックだと推測されている。


彼らの感じる世界なんて僕らには理解できない。彼らの目を僕らの脳に直接つなげば何か分かるのかもしれないけれど、この実験をしようと思えば、脳の構造に影響を与える必要があるので(つまり四色なり五色を理解できる脳の側の構造にする必要がある)Critical periodとよばれる脳の対応力(可塑性という)が非常に高い時期*1につなぎ直してそのままにしておかないといけない。


けれど、色覚というのは、物理現象ではなくて、あくまで脳の中での合成物だから*2そのような異様な手術を受けた個体があったとして(別にヒトである必要はないです。笑)、その個体がどう感じるかなんて、理解はやっぱり全く出来ないということになる。


かなり極端に思われるかもしれないけれど、結局僕らはヒトに限らず、感じる内容から自分のやっていることを理解するということを繰り返しているので、直接的に感じることがないと、なにもちゃんと理解した気がしない。夢の中では脳が外からの刺激をほとんど遮断しているので、何かほんとにしているように感じるけれど、起きていて、歩くことを想像する、というのと、実際に歩いている、ということの違いは明確で、これは足や身体が受ける振動から感じることが僕らの実感そのものを作っていることを示している。

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これは毎日の日常で、同じような苦痛を感じたことがない人の話は理解できないとか、その仕事をしていない人にはその仕事をしている人の話はやっぱりいくら聞いても理解できない、というのと同じだ。失恋した人が、同じような大変な目にあった人によく相談する、というのがドラマでよく出てくるけれど、あれも同じだ。年末伺った気仙沼陸前高田も全くその通りだった。


この意味において、「書を捨てよ、町へ出よう」と言った寺山修司に僕は心から賛同する。


また、これは、僕みたいな人間がしているような知的生産的な仕事においても全く同じで、実際に身体を動かして、その場の人と直接向かい合い、あるいは課題に向かい合い、直接イシューを拾い出し、直接、手を動かして、分析的なアプローチを設計する。それを更に直接、実行して、意味合いをひろい、それをベースに直接、自分でイシューにそった表現をする。そのようなことを実際に繰り返して体験しないと、何も理解なんて出来ない。*3


この間も、僕の近くで働く人たちを集めて、ちょっと分析だとか、イシュー出しをやってみる、あるいはチャートを書き直す、というセッションをやった。これまでさんざんレクチャーを色んなところでやって、座学がほとんど何も産み出さないことを実感しているので*4、実践を繰り返して、その場でぼこぼこにフィードバックするブートキャンプ方式(笑)でやってみた。


すると、みんな自分が驚くほどなにもできないこと、そして僕が話していることの殆どを理解できていなかったことを痛感し、なのに喜んで帰っていった。(人間って結局、マゾなのかも。笑)


僕が今やっている仕事もそうだ。仕事なんて毎回新しい問題に立ち向かうものなのだから、毎回フレッシュな自分がいる。そして、自分が何も分かっていなかったことを実感する。アタマって、何かを理解するにはあまり向いていない。ただ、理解した体験を積み重ねて、保存する、それが僕らのアタマとカラダなんだと思う。


なんてことを、土曜の朝の寝起きのアタマでふと思う。


よし、ということで、今日も対象に肉薄だ!

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*1:生まれてすぐから人間だったら5−6歳まで

*2:かなり納得感ないですが、受け入れるしかないかなと

*3:だから、本筋ではないですが、こういうテクニック本なんて一冊だけいいものを読めば十分なので、本当に理解し身につけたかったら、スポーツと同じように、あとは少しでも多く、実践し考えた方がいいです。

*4:どんなにそのトレーニングの評価が高くても、その人たちが僕のチームに来ると何も出来ないことが普通。苦笑

考えるということの本質



Leica M7, 50/1.5 C-Sonnar, RDPIII @Oxford, UK


この間、少々驚くべきことに、僕に本の推薦文を書いてもらえないかという話があり、パワーブロガーのちきりんさんの新刊を読んだ。「自分のアタマで考えよう」という本だ。


これが大当りで、引き受けて良かったと思う、とても素晴らしい本だった。


そこいらのPOPで使われることになると思われるその推薦文にも書いたとおり、これまで何度これと同じことを人に言ってきたかという内容が、彼女のしなやかで自由な、そして実に平易な文体で無数に書いてあるのだが、これがもうなんとも言えず、コクがあり面白い。


僕が何年か前に自分でも調べて、いつかブログに書こうと思ってたが放置していた、少子化問題についての彼女ならではの考察などは、そうなんだよ、と思うとともに、とても楽しめた。一言で言って、いくら生みやすくして一人一人が頑張っても、親の数を増やさないとダメという話なのだが、こういう検討を、彼女だとか僕が考える際に、当たり前のように行っていることが、考えるためのアプローチとして実に平易に書いてある。


それが素晴らしいと思った。何らかの量的な原因が明らかにされないといけないような時には、必須の技で、言われてみれば実にあたりまえのことなのだが、これが空気のようにできる人は非常に少ない。これまで随分多くの、一流と言われる会社で、教育レベルや事業経験的にも大変優秀な方々とお会いしてきたが、こと目の前のことになると、勝手に思考の幅が狭くなって、少子化の話のように、全体感を失った片手落ちの話になってしまうケースを多くみてきた。三月に書いた震災対応のための課題整理も同じ話だ。*1 こう言った技を意識的に肉化させたい人には稀有でとても有効な本だとおもう。


余談になるが、少子化については、僕的にはもう一つあそこに書いてあること以外に大きな課題があると思っている。それは晩婚化の生物学的な意味合いなのだが、何故か触れられていなかった。*2 それがこの聡明なちきりん女史の考察に含まれていないのは、編集的に話をスッキリさせるためなのか、そもそも社会的なタブーとして触れにくくなっているのか、などと考察するのもなかなかたのしかった。

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考えるということの本質に関する彼女の考察に一つ至言があり、それも紹介しておきたい。今、出先のため手元に原稿(ゲラ)がないので正確には覚えていないが、「考えるとはインプットをアウトプットにつなげること」という内容だった。


これはもうまったくその通りで、僕らの脳や神経の構造の理解からも正しく、自分がこれをまったくgiven(当然のこと)としておきながら、どこにも触れてこなかったことに驚いた。そう、アウトプット、何らかの考えなり行動につながらないただの入力では考えたことにならないのだ。


詳しくはこの道の泰斗であるGordon Shepherd博士による名著The Synaptic Organization of the Brain (Oxford) をご覧いただきたいが、このような専門書を英語で読む人がそれほどいるとは思えないので*3、簡単に書いておくと、僕らを含む脊椎動物の中枢神経系は、基本的に三種類の神経でできている。

1) input fiber 入力ニューロン
2) interneuron インターニューロン(直訳すると介在ニューロン
3) principal neuron 出力ニューロン


で、脳とは何か、といえば、この三つの揃った場所だ。*4 入力ニューロンが様々なインターニューロンにつながるであるとか、インターニューロンどうしがつながりあっていたりするが、この基本構造は同じだ。


というのをぐっと眺めると、結局考えるというのは、入力をアウトプットにつなげることだという結論に達せざるを得ない。意味合いとして、どのようなアウトプットになるのかに繋がって、はじめて入力が生きる。考えた瞬間になる。そういう意味でいえば、腱反射のような「考える」というのもなくはないのだが、僕らの場合、インターニューロンが多いのだから(脳のニューロンの大多数はコレ)、できれば、もうちょっと意味合いを付加したいものだ。


なんてことも考察できる素敵な本だ。オススメです。


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今日ご紹介した本と関連本

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

The Synaptic Organization of the Brain

The Synaptic Organization of the Brain

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法


*1:こちらに至っては、今だに全体感を語られないのは驚くばかりだ。

*2:と記憶、、、もう一度読むと書いてある可能性もあり、、

*3:any serious neuroscientist must have this on desktopとまで言われる本なので、読むべき人は持っていると想定

*4:正確には脊髄も含む中枢神経系はこの構造をしている

虫の記憶はさなぎを経ても残るのか?


Leica M7, 50mm Planar F2.0 @Meguro


たまにはサイエンスのことを


ちょっとニューロサイエンスカルト化しないようにと思って(笑)しばらく話題を一般的な方に振ってきたのですが、もうそろそろ良いかなと思うので、たまにはニューロした(?!)話題を。

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僕が一つ非常に面白いなと思っているが、恐らく誰も研究していないし、従って、どうやってやったらいいかすら考えていないのではないかと思う問題の一つに、昆虫における生涯の記憶がある。


昆虫は、小学校か中学校のどこかでみなさんも習ったと思いますが、卵から幼虫の形で生まれ、これが何度も変態(metamorphosis)を繰り返して成虫になります。蝶のように途中で蛹(さなぎ)という抜本的な変身過程を経るものと、バッタのようにほとんど親と同じような格好で生まれて脱皮を繰り返しながら、さなぎを経ずに親になるものがいます。(みなさん、覚えていますかー?)


前者がいわゆる完全変態というもので、後者がいわゆる不完全変態です。まあこんな言葉は自然の共通ルールを解き明かすという科学の本質からすればどうでも良いのですが(こういうくだらない言葉ばかり覚えさせるのが、今の科学教育の問題、、、もっと本質的なことを考えさせるべき!)、anyhow(=とにかく)、この蛹を経るタイプの虫に僕は非常に興味を持っています。



というのは、僕も虫の専門家ではないので大雑把にしか知らないのですが、なんとこの幼虫から蛹、そして成体に至る過程において、大量に予定された細胞の死(programmed cell deathと言います)が起こるのですが、芋虫から蝶、あるいはカブトムシというような、身体の形だけでなく、なんと「神経系」に至るまで再構成されると聞いているからです。?!?!


ちょっとかなりWOWじゃないですか?


これが本当のことであれば、うーん成長の一ステップにおいて、自分のこれまでの経験も何もかもが組み込まれた大きな系が再構成されるということで、

  • 何か記憶が残るのであろうか、
  • 残るとしたらいったい何がどうやって残るのか、
  • その際に、記憶の本体である神経のつながり方(association)のパタンはいったいどのように保持されるのか、
  • 残らないとすると、いったいこの幼虫とこの成虫は同じアイデンティティを持つ個体と呼べるものなのか、
  • むしろ虫というのは、一度完全にリセットされるという凄ーいステップを持つものなのか、

などあまりにも興味津々な訳です。


我々、なんというか身体の外に殻(外骨格)を持たない、無変態型の生き物には全く想像もつかない世界がそこにはあるのではないかと思う訳です。そもそも昆虫には複眼と単眼が両方あるとか、足の上に我々で言うところの嗅覚と味覚を足し合わせたいわゆるchemical senseがあるとか、ほとんど感覚的にも想像を絶する世界があるのですが、これが一度本当にリシャッフルされるっていったいなに?と思う。



全然何の糸口もないし、僕がこれまで部分部分で聞いてきた話が間違っていたらそれまでなのですが、仮に変態の過程において、神経系が再構成されているというのが本当だとしたら、少なくとも目の作りなどは幼虫と成虫で全く変わるので、これは実に面白い課題だと思う訳です。


昆虫などは比較的単純な神経系をしているので、いくつかの匂いや化学物質と電気ショック辺りを組み合わせた記憶学習を幼虫のときにさせておいて、その反応がどの程度さなぎのステップを経て残っているのか、どういうタイプの記憶であれば残りやすく、どういうものであればないのか、など簡単に実験できることはいくらでもあり、今の分子生物学的な手法を、電気生理学的な方法と組み合わせて用いれば、それはいったいどの神経群の働きによるものなのか、ぐらいは丁寧に実験すれば分かるのではないかと思うのですが、こういうことに関心を持つ人っていないのでしょうか。


という具合に実に面白い課題だと思うのですが、なんて思っていて、長年の疑問なので、こんなところでちょっとつぶやいてみたりする。


とりあえず昆虫では面白くないのであれば、オタマジャクシとカエル辺りからでも良いのですが、やっぱりここはサナギ過程を経るムシで知りたいです。


だれが取り上げて頂けないでしょうか? 記憶保存の仕組みなどが有りそうであれば、それ自体がそこからの研究の対象としてかなり面白いし*1、いい論文になると思います(結構マジ)。


ではでは!


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*1:うまく作るとneuro-degenerationのグラントぐらいは着想も面白いし取れそう

噛みしめることを大切にしよう


この何年か、頭は良いのだが、反応が極めてデジタルで、深みがないというか、心にしみる感じのない人(特に若い人)にときたま出会う。全てのことを単なる表層的な情報としてそのまま処理しているというか、とにかく恐ろしく厚みのない判断をしている感じを与える人だ。以前も少しいたが、有意に増えているように感じる。


サクサク物事はこなすし、一見、明快な部分は気持ちもいいのだが、一方で、極度に表層的な印象を受け、これで良いと思っていること自体に対する気持ち悪さもある。そのためにこの人と本当に会話しているのか、ちゃんと会話出来ているのか、ということについて、不安を感じる。もっとやっかいなのは、話をしているとしても、そもそも何も伝わっていないのではないか、理解、共感のベースが低すぎるのではないか、と思ってしまうことだ。


そのことを、僕が指摘すると、真顔で「何を言っているのか分からないので説明してください」というようなことを言う人間も何人かいる(もちろんこの人には悪意も邪気もない)。その度に僕はこんな"馬鹿"*1と話してもしょうがないと思うのだが、なぜかつい丁寧に説明してしまう(苦笑)。無意味かもしれないが、こんなことを千回繰り返せばその中の何回かは、実際に意味のある変化につながるかもしれないと思ってだ。


ちょっと不安である。



Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @Grand Canyon, AZ

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自分の頭でモノを考えることは、ここは多少疑義があるかもしれないが、ある程度の知性がある人であれば、正しい訓練さえすれば、それほど難しいことではない。何事もgivenとせず、確かに自分の目で確かめたことをベースに世界観を作り上げていけさえすれば、それほど筋の悪い見立てになることもない。


ただ、その際に、情報の一つ一つの重さや重層性、関連性を認識することなく、考えを進めていけば、必ず短絡的な困難に陥るはずだ。この点で問題を感じるのだ。


この辺りの短絡的でうすっぺらい表層的な論理的のみの思考をする人間は危険*2と言わざるを得ない。世の中にロジカルシンキングなるものが出回っているが、聡明な読者諸兄姉のお気づきの通り、これだけでは、ほとんどの問題は解決しない。だから世の中の問題解決本がいくら出回っても、あまり何の進化も起きず、使えない、あるいはない方が良いぐらいのパワーポイントばかりがあふれることになる*3

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実際には一つ一つの情報の重さや関係性、その複合的な意味合いを考え抜く必要があり、それらをしっかりと掴むためには、どうしても人が言う話ではなく、自分でファーストハンドの情報をつかむ必要がある。そう言う意味で、むしろ難しいのは、「自分なりに感じること」なのだが、このことの重要性について、いわゆる上記の問題解決本などはほとんど触れていないのではないかと思う*4


「一次情報を死守せよ」というのは、私の大先輩であり、師匠の一人が私にかつて授けてくれた教えの一つだが、これは実に正しく、真実にたどり着くための道の入り口であり、出口でもある。


その時に、どこまで深みのある情報をつかむことが出来るのか、がその人のベースの力そのものであるのだが、これはその人の中の判断する尺度、Frame of reference、あるいは判断のメタフレームワークの充実度の問題であり、一朝一夕で身に付くものではない。知能や学歴は高いかもしれないが、こいつは馬鹿だ、と思う人間が妙にあふれているのはかなりがこの問題ではないかと、僕は考えている。

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脳は自分で(脳自身が)意味があると思うことしか認知できない。そしてその意味があるかどうかは、これまでそのような入力が意味があると言う場面にいくら遭遇してきたかによって決まる。この辺りは、わたしの認知に関する稿をコレまで読んできて頂いた人には良く分かって頂けるだろう。


例えば、有名な実験で、猫が生まれてから縦縞しかない空間で育てると、その猫は、横の線が見えなくなる。結果、例えば、四角いテーブルに載せると、そのかわいそうな猫はエッジが見えなく、落ちる。コレがものすごく簡単に、上の話を裏付ける奥深い話である。これは回路(Wiring)そのものの形成に影響が出たケースであるが、そもそも脳にとって特定の情報処理が出来るということは、特定の記憶が起きることに本質的に近く(知覚と記憶の稿を参照)、特定のことについての意識が起きるということは、その特定のことに関する情報処理(歴のある)回路がある程度活性化していることに近いことなので、まさにかなり近いことであると言える。よくある話で、日本に来て日本語を覚えてから急に「肩が凝る」ようになった外国人、というのも似た話だ。


同様に、例えば、ある商品の戦略作りであれば、単に市場への洞察や、競合視点での狙いどころだけでなく、もの作りの行程、調達のこと、生産工程、技術的な他力の活用、また、物流におけるDCの動き方、また販社の役割、などについてかなりの具体性を持ってイメージでき、そこである変化が起きたときに何がおこるのか、推定する力がなければ、到底正しい判断は出来ない。また実行に向けた解決に当たっては、歴史的な経緯、組織力学的なことへの理解は常に不可欠だ。(一方知りすぎていては「知恵」がでないのも事実であるが、このことに付いてはまた別途どこかでチャンスがあれば考察したい。)


またいちいちこれらを理解していくにはそれなりの年月が必要であり、問題に立ち向かってから調べるのでは到底間に合わないケースがほとんど。これは科学研究においても同じだ。どこまで現在分かっていること、あるいは最近の発見のその意味合い、課題を深く筋の良いコンテキストに沿って理解できるかが第一の勝負なのだから。

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危なっかしいのは、とにかく表面的なロジックとイシューのみで議論する輩である。分かっていてやっているのであれば良いが、それが本当にそれだけでいいと考えているのであれば、そのような人間と話したくはないし、そのような人間は、その案件には関わらない方が良い。これは企業が、社内の事業部、あるいは統括的な企画部門におくべき人間を考えるときはまさにそうであるべきであり、外部のコンサルタントのような人間を使うときはよりいっそうそうでなければいけない。


そう言う視点で考えると、若干本稿のオリジナルの議論から外れるが、世の中で一見、problem solverとして存在している人のどれだけ多くが、フリーの人であれ、組織内に属している人であれ、本質から外れた危険な輩かということが良く分かる。


私がコンサルタントをやめてからも、何人かの元々のクライアントの方のご相談を受けた。多くが「使える、あるいは真に相談に足る人がいないのだが、どうしたら良いと思うか」という話であった。


僕も同じ立場にたって考えると、それは本当に悩ましい問題だと思う。確かに組織の担保する力はかなり組織により差があると思うが、どんな名門のファームであろうと、会社の名前と組織力ではある程度のクオリティしか担保できない。本当のところ、人による部分が大きいからだ。頭だけで歩いている輩をうまく嗅ぎ分け避けることが出来るか、また、何もかも分かってもらえなくても良い、と割り切ることが出来るか、そこが肝心だ。

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ということで、僕として今望むことは、少なくともこのブログを読むような人(特に若者、青年)であれば、そういう情報を噛みしめる人、様々な意味合いをappreciate*5できる人であってほしいということだ。そして表面的なロジックで考えた振りをするような人間にならないでほしいな、ということだ。


コレが本当に大切なことなのだが、どうも逆ぶれしている人が増えている気がしてならない、というのがこのエントリの趣旨だったりする。


読者諸兄姉(みなさん)、どう思われますか?


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ps. 本エントリをさらにぐっと深めた知覚と知性についての論考を、8年余り経ってハーバード・ビジネス・レビューに書きました。書籍ではなく売り切れる可能性が大いにあるため、ご関心のある方はどうぞお早めに入手してご覧頂ければ幸いです。


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*1:もちろん頭そのものの意味ではない

*2:関西弁でいう"アホ"

*3:別にこのような本を出している人を攻めているわけではありません。彼らの多くは半ば確信犯なのですから。一部、分からないまま書いている人がいるだろうことは否めませんが。

*4:私自身は読まないので、もしかしたら誤解があるかもしれない

*5:価値や重さを正しく理解できるというような意味の言葉

Roger Tsienと今回のGFPのはなし


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, PN400N @Caltech


GFP、クラゲの蛍光タンパク、なんでそんなものでノーベル賞、なんて思っている人は多いだろうなと思う。


でちょっとだけ。ちなみに今日は熱が出て早引け(といっても会社を出たのは五時過ぎ、、、)。お昼に医者で診てもらってもらった薬を飲んだら少しだけ良くなったので。


最近は経営の世界でもはやり言葉だけれども、サイエンスの世界ではなんでも可視化するというのはかなりの決まり手だ。目で見えるとどんなことでも「分かった」気がする。


例えば、ちょっと前 (2004) にニューロサイエンス関連でノーベル賞をもらったコロンビアのAxel、彼は匂いのリセプターと「思われる」タンパクを一網打尽的に「クローンして」(要はその遺伝子を単離して配列を決定すること)その功績でもらった*1


それで、そのAxelのリセプターを使って行われた最も記憶に残る研究の一つは、ある一つの種類のリセプターをもつ神経細胞を染め上げるというもの*2。その結果、ずっと良く分かんなかった、「匂い」って脳にとってどういう情報?というのが急にクリアに分かるようになった。(このScienceの表紙にまでなった有名な写真が見つけられないのでリンク張れません,ごめんなさい.かなり美しいです。)


この結果分かったのはこんなこと。、、、おんなじレセプターを持つ神経は全部、なぜだか良く分かんない理由で、脳の特定の場所に伸びてつながっている。違うリセプターはまた違うところに。結果、脳の匂いの神経がつながっている場所(olfactory bulb、通称bulbと呼ばれる場所)の興奮パタンこそが、我々が「匂い」とか「香り」と思われている情報の基礎骨格だと言うことが分かった。


すなわち脳の中のデジタル画像的な二次元の興奮パタンが「香り」「匂い」の基本情報だということをこの上もなく明確に示した(多少語弊があるが省く)。大体1000種類ぐらいその種類が(マウスの場合)あるので、千ピクセルの白黒(本当はデジタルではないので少なくとも5段階の1000乗ぐらいのパタンがあるはず)パタンのようなものをイメージしてもらえればいい。


実はこの辺のことはものすごーく達人の技で森憲作先生(http://morilab.m.u-tokyo.ac.jp/)がアメリカにいた頃、徹底的に生理学的な手法(要は膜電位のレコーディング)で調べて証明していたのだけれど、この論文を見るまで多くの人は良く分からなかった。こんなことはいくらでもある。

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で、今回の話。(前振りが長くてごめんなさい)


いくら遺伝子工学だとか、細胞工学的な手法が進歩したといえども、結局、上みたいな話で、あるタンパクの位置だとか、ある細胞を染め上げないと何がなんだか分からないことが多い。で、それをタンパクだとか、細胞レベルで指定して染め上げようとすると、どうしてもDNAから何か光学的な信号を送り込みたいということになることが多い。うまいこと特定のタンパクにのみ効果的かつ選択的にくっつく抗体を作る方法もあるけれど、なかなか大変。またタンパクが細胞の中にあると多少打ち手はあるけれど、もう殆どどうしようもないことが多い。


では光の信号につながるタンパク、となると、正直殆どない*3。光を出すのはルシフェラーゼという蛍の例の発光を導くものがあるが、これは弱いし、かなりのエネルギー源が必要。従って、光の強さは何を意味しているのかかなり理解が困難。では他から光を与えると、別の波長で光ったように見えるもの(これが蛍光)では、となると初めて応用されて,未だに最も使われているのがGFP


正直今でもこれの変異体とか友達しかほとんど使い物になっているものはない。最近といっても10年ほど前、類縁のタンパクはないかと、分類的にはクラゲの友達であるサンゴでがさがさ調べていると赤とかいろんな色のものが見つかったけれど、それもGFPがあったから。黄色のものはYFP(Yellow Fluorescent Protein)なんていわれているけれど、あくまでGFPのミュータント。


これが思いつく限りの応用を生んで、あるタンパクの細胞内の所在から、ある細胞の染め分け、あるタンパクがある細胞のマップに至るまで広範に使われ、ついにほぼ一般化したというのが、この度の受賞のかいつまんだ理由。

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ちなみに、「蛍光」って何?と聞かれると殆どの人は良く答えられないかもしれないけれど、同じ波長の光を跳ね返す反射と異なって、光を吸収するとより長い波長をある物質が発する時、それは「蛍光」と言われる。(波長とエネルギー量は逆関係にあるので、よりエネルギーの弱い光として出すということ。)GFPの場合は、青い光を吸収して緑を出す。


こんな感じできれいな写真を撮っているのをよく見るかもしれないけれど、これは青い光を通らないフィルターを使って、緑の光だけを撮っているからこんな風に見える。フィルターなしでは真っ青。何色もある写真、例えばこれは、何度も異なるフィルターで撮った写真を重ね合わせたもの。(同時にこう見えることはない!)

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めちゃめちゃにミュータントを作り出して、その上、応用事例を大量に生んだRoger Tsien(今回の共同受賞者)のホームページにある通り、このGFPというタンパクは、本当に美しい形をしている。しかもとてもコンパクト。この「筒」の真ん中にある色素の固まりのところが、形態(化学構造)の非常に面白いシフトがありつつ蛍光を生んでいることが分かっている。β-barrelと言われるこの筒に守られているおかげで、この蛍光は非常に安定でもある。僕はちなみにこの非常に面白いタンパクを、神経にとって根源的なあるタンパクにくっつけて、蛍光のレベルをミリ秒レベルのタンパクの動きに連動させるという研究をやっていたのでとっても思い入れがある。


Rogerのような人が生まれなければ、この賞はなかったけれど、下村先生のように、死にものぐるいで何トンものクラゲからタンパクをついでに単離した奇人?や、そのタンパクのDNAをつないで実際に大腸菌で発光させるという歴史的一歩を踏み出したChalfieの熱狂がなければ、その物語も生まれなかった。


人生七転び八起き。何がどう広がって展開するのかなんて、全て読もうなんて思わない方がいい。それよりも興味があるものを突き進め、それが今回の発表からの僕のtake away。


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*1:なんで「思われる」で貰えたかというと、後々、まあそれがリセプターだと思わざるを得ない結果が次から次へとでたから。それと匂いなんて言う味と並んで殆ど手のつけようもない感じの情報処理のやり方をものすごく手堅い方法で研究できる手がかりをつかんだことが大きい。

で、そのクローニング、つまり匂い(嗅覚/olfactory)リセプターの同定は本当に驚くほどうまいやり方で、その論文がCellというトップジャーナル(科学の世界の専門誌はジャーナル/journalと言われる)に載ったときは衝撃だった。僕は確かまだM1(修士の一年)かなんかで、みんなで随分興奮して読んだのを良く覚えている。そのロジックとか説明しても良いけれど、まあここでは割愛。

ただ,単に情報の脳内での現れ方ということであれば、聴覚に関するCaltech [上の写真はたまたまそう] にいるMark Konishi先生の仕事の方が遥かに美しく感動的だ。

*2:実験したのは、ながらくRockefeller(大学)にいたPeter Mombaerts(今調べてみるとMax Planckに移った様子)という達人的な実験スキルを持つ人(実は僕はもう少しでYaleではなくて彼のところで学生をやるところだった)。Peterは利根川先生の弟子で、そのあとAxel研でポスドクをやっている。

*3:上のPeterが匂いのリセプターでやっていたのはある特定の科学物質の色を変えるという酵素タンパク(lac Z)を使う方法

アテンションプリーズ!、、、「気を向けるとき」「ながら行動」の脳神経科学

コレもまた、umamiの話と同じくアメリカ研究時代のメール配信ですが、今もニューロサイエンス的にも実はマーケティング上も様々な意味があると思うので、また個人的な記録をかねて再掲します。(Science News 11/7/2000より)


最近話題がニューロサイエンスに偏りすぎているので(これは現役の人に本来お願いしたいテーマ)、またおいおいと現在の本業であるマーケティングの方に近い話題も展開していけたらと思います。


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みなさんこんにちは、


好評を頂いたBrazil以来、御無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか?私の方は、御察しいただける通り、かなり忙しい毎日を過ごしております。研究の最初のステップがついにものになりそうで論文書きとデータの収集に忙しいということと、Ph.D.のトレーニングの一貫としてTA(teaching assistant)をしているためundergraduateたちの相手に厖大な時間をとられているのが主たる要因です。


気がついたら秋も深まり、こちらNew Englandでは紅葉もすでに終盤と言う感じで、日々冬が近付いているのを感じます。ただ、毎日青空が広がっているので、それはとてもうれしく、爽快な毎日です。今日もお昼、このNew Havenを見下ろす、East Rockという高台の上に行ってきたのですが、紅葉と青空で実に美しい眺めでした。もし機会があれば、今度写真をとって添付します。


今日は、かつての同僚の方から頂いた御質問に答えたものを、許可を頂き配信することにいたしました。楽しんでいただけると幸いです。

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(以下が頂いた御質問です。)


お元気ですか?
最近メールがないので、お忙しいのかしら、とも思ったりしています。
今日はちょっと質問させていただきたくてメールしています。


すごく初歩的というか、つまらない質問なのかもしれないですが、先日ある人と話していて「音楽をかけながら、考えるということはできないのではないか。音楽をかけていても、考えているときは要するに聞いていなくて、聞いているときには考えられないのではないか」とその方がおっしゃるのですが、脳の働きってやっぱりそういうものなのでしょうか。


私としては、音楽が好きだから、いつも何かかけて新聞よんだり、家族と話したりしているのですが、その時は実は音楽は聞こえていないのか?・・音楽が聞こえているときは、実は集中して考えていないのか?・・・


この私の子供みたいな質問に答えてくれるのはatakaさんしかいない、と思い、メールしました。どうぞ、お忙しければ無視してください。お時間があってもし、気がむいたらお答えくだされば幸いです

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(以下、お答え)


御質問の件は、とても深い問題だと思います。これを読んで、かつて十代の頃、ある友人が、ウォークマンを聞きながら勉強していると頭に入らないから、僕はしない、と言っていたのを思い出しました。


脳の情報処理の特徴は平行処理で、それだからこそわずか1kHz程度の処理スピードでありながら、コンピュータを凌駕する情報処理が可能になっています。同じ視覚情報にしても、形、色、輪郭、等多くの属性に別れて同時に処理されていることが分かっています。当然、聴覚と視覚、等と言った異なる情報も平行に処理されているわけで、だからこそ運転しているとき、当然のようにまわりの音も(なんとなく)聞こえていると言うことが可能になるわけです。従って、御質問のように音楽を聞きながら、何かモノを読んでいたり、人と話をしているのは普通のことであると言えます。


一方、脳にはattentionとして知られる現象があり、人が何かに対してattend(気を向けている)状況の時は、それ以外の情報に対する情報処理を大幅に犠牲し、その気を向けている対象の情報処理を最優先することが知られています。だから人と話を熱中している余り、気が回らなくて車で事故を起こすなどということがおこるわけです。従って、音楽を聞きながら何かをするというのも、音楽を聞いていたらモノを考えられないという御友人の方の意見もどちらもそれはそれでただしいということになります。音楽に集中してしか聴かないのであれば、確かにモノは考えられないけれど、それをただのバックグラウンドとして気を向けず処理できるのであれば、十分ふつうの活動は可能であるだろうということです。


どうして平行処理系の脳において、attentionが可能になるのかということについては、未だに良く分かっていません。脳内の活動が同期(synchronize)することとどうも関連がある様です。これが正しいとすると、synchronizeすれば、おそらくその局所的な情報処理が他の情報処理にoverrideされるという風に解釈できます。それについて比較的最近Natureに載った論文の要旨を添付します。


何かに集中すると言うことは、何かを犠牲にしているということなんですね。


(November 2000)

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Nature 404, 187 - 190 (09 March 2000)

Attention modulates synchronized neuronal firing in primate somatosensory cortex


Correspondence and requests for materials should be addressed to E.N. (e-mail: niebur@jhu.edu).

A potentially powerful information processing strategy in the brain is to take advantage of the temporal structure of neuronal spike trains. An increase in synchrony within the neural representation of an object or location increases the efficacy of that neural representation at the next synaptic stage in the brain; thus, increasing synchrony is a candidate for the neural correlate of attentional selection1. We investigated the synchronous firing of pairs of neurons in the secondary somatosensory cortex (SII) of three monkeys trained to switch attention between a visual task and a tactile discrimination task. We found that most neuron pairs in SII cortex fired synchronously and, furthermore, that the degree of synchrony was affected by the monkey's attentional state. In the monkey performing the most difficult task, 35% of neuron pairs that fired synchronously changed their degree of synchrony when the monkey switched attention between the tactile and visual tasks. Synchrony increased in 80% and decreased in 20% of neuron pairs affected by attention.


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