日本である種まがいもの的な脳科学、大脳生理学、ニューロサイエンスが広まっている理由について(考察)



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Sterling Memorial Library, Yale University


この間からのquartaさんのディープな投げ込みに対して、色々コメント欄に書かせていただきましたが、(これとかこれ)、その延長で、ここいらでなんで日本にはこういうまがいもの的な思想が広まりすぎているのかについて、ちょっと考察しておきたいと思います。(何で旅行中にこんなものを書いているのか、といわれそうですが、まあ時差のせいです。笑)

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僕はこの問題は表面的には単純ですが、結構根深いと思います。表面的には、まずそもそも大学院レベルのまともな体系的にこのinterdisciplinaryな学問を教えるneuroscienceのプログラムがないことが一番大きな原因だと思います。アカデミアの世界で、学問というものを体系的にハンズオンで叩き込む場所がここですから、これなしでは話が始まらない。特に自然科学は、実際に先端で研究している人から学ばない限り、本当のことは理解することは不可能に近く、独学で学ぶことはかなり難しいためこれはマストです。なおかつちゃんとした人のつながりがないと学位取得後の弟子入りすら困難です。


次に問題なのが、上のリンクしたコメントにも書きましたが、その結果、生半可な本が広まりすぎていて、なおかつ、一般人が基礎知識なしにそれを読むので更に振り回されて、その中の言葉を何でも信じてしまい更に混乱するというもの。例えば、僕が最近本屋でこの関連で売れている本をぱらぱらめくってみると、「神経は音速で情報を伝える」とか「ミラーニューロンがあるから何かやるとまねできる」というようなある種デマ的な話が平然と載っていました。これらの本がある種のベストセラーとして広まるということは信じている人も広まるということですので、ある種恐ろしいことです。


(注:ちなみに神経の伝達スピードについては、神経はほとんどかなり遅くて秒速数十センチから10メートルぐらいが大半で、一部の例外的に早いものでも100メートルに行くかどうか。後者については、単なる知覚あるいは行動の表象をする神経があるからといって、それができるというのとは全く違う、ということを無視しています。)


私はこれもほとんどが第一の問題の結果、すなわち真正のニューロサイエンティストの厚みが非常に薄いところに由来していると思います。そういう人たちが厳然と存在しているとなると、そのような本を安易に書くことはかなり困難になりますし、書いたそばから叩かれることになります。Natureなどは書く人の権威に関わらずよくそういう話題本を罵倒しています。(笑)

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このいかにも根深い研究者の層の薄さ、育成し、鍛える仕組みがない課題についてもう少し考察してみたいと思います。


例えば、日本の分子生物学は、米国から見たらある種、弱小国のように見えるかもしれませんが(アメリカを基準に考えると米国以外のすべての国がそうなってしまう)、世界的に見ると、僕はかなりレベルが高いと思います。これは京大の生物物理、さらに東大の生物化学科という渡辺格先生がこの分野の草創期に立ち上げた二つの中核プログラムの存在が非常に大きい。これらのプログラムは、原則として欧米の主戦場で一流の研究をしていた人を中心に作っているので、ある程度以上にまとも。(ただし、関係者各位にはご案内の通り、院試が不必要に難しく本来の大学院教育の代替となっているとか、ローテーション、TAプログラムがないなどの問題は相変わらずある。)


一方、ニューロサイエンスではどうかというと、前にもどこかで書いたと思いますが、いまだにまともな体系的かつ総合的なプログラムが日本にはない。少なくとも日本の研究の中心を担う、東大、京大のいずれかにはあるべきなのですが、ない。だからどうしても分子生物学とか心理学からの流入でがんばるしかない。


アメリカはというと、10~15年余り前までは割とそうでした。が、パパブッシュのDecade of the Brainの話に始まり、DNA、細胞と来た研究が、ついに系としての脳に向かい始めてから、主たるResearch Universities(特にmed schoolを持つところ)はあわてて単なる一分野ではなく、独立したニューロサイエンスプログラムの強化を始めます。そこで必要なのは、単にプログラム、プログラムオフィスだけではなく、当然一流の研究者で、そのような人たちを世界中から、札束と、研究環境で引き寄せるわけです。


私が米国にいた当時、私のいた大学一つを例にとっても、私が記憶しているだけでも、Harvard, MIT, UC Irvine, U of Texas Med Centerと錚々たるところにかなりの数の教授が、聞き及ぶ限り殆どがある種破格の条件で、ラボごと流出しました。もちろん他からも含め、幅広い人集めを続けた結果、それぞれのプログラムはかなり強化されました。この人集めは名の通った人と、その分野で注目を浴びつつある今現役バリバリの人の両方がいます。


例えば、今のMITの史上初の女性総長(ニューロサイエンティスト)は私が学位を取ったときのDean(大学院長)でした。Irvineにプログラムのchairとして行ったCarew教授は、移ってから07年ニューロサイエンス学会で会長をやっています。そういう人が取れた場合、当然プログラム強化のインパクトは大きい。


なお、これはたまたま脳神経科学での例ですが、かつてボンボン大学であったStanfordがbiologyを核にてこ入れしていったとき、あるいはRockefellerが巨万の富でU of Chicagoを唐突に100年余り前につくり、economicsをぴかぴかにしていったときも非常に似た話だと理解しています。強い核になる人を相当数連れてきて、研究環境と共にてこ入れする。


現在、ニューロサイエンス学会が四万人(!)ぐらい集まる世界最大級の学会であるほど大きな分野だということを考えると(←これ自体がほとんど知られていない事実)、ここに多少なりとも楔を打ち込むには、こういうことを明治に大学を作ったときのような感じでやらないといけないと思うのですが、単に札束がないだけでなく、魅力的な研究環境ではない限り、このようなことは無理です。上のように名を成した人だけでなく、今バリバリの人を持ってくるということは、ここからの10年でその人たちは一生分の自分の名の付いた仕事をしないといけないということなのですから。


一つ一流の研究機関かどうかという指標になるのが、そういう人を採れるのかに加えて、交流がどの程度あるのかですが、私が米国にいた当時、東大も京大も驚くほどニューロサイエンスではプレゼンスが低かった。明らかに幅広く認知され、教授や友人たちが行っているのは、RIKEN(理化学研究所)のみでした。これは上の話に近いか同根でしょう。


ということで、大学院教育をてこ入れしないといけないが、人を集めるだけの構想力も、集めるだけの資本力も、集まろうと思えるだけのエキサイティングな研究環境も足りていない、そのことが大きな問題であると思います。これは講座制、日本のグラント環境、システムも含めた課題であり、研究者、研究の数、質というアウトプットにつなげるための投資、マネジメントシステムが回っていないための問題でもある、というのが私の理解です。


余談ではありますが、今、それに向けて、一番筋が良さそうな打ち手の一つは、RIKENにPh.D.プログラムを作るというやり方でしょう。(もう実は私の気付いていないだけで、やっていたり、プラン中であるのかもしれません。)分子生物学のメッカであるCold Spring Harborも、Ph.D.プログラムを比較的最近に立ち上げている(←少数精鋭でありめちゃめちゃかっこよい)ので十分可能性はあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。(大学の格がないとだめだとか、馬鹿なことを文部科学省が言い出さないことを前提。もっとわけの分からない大学はいくらでも最近できているはず。)


以上、ちょっと長くなってしまいましたが、これが陰ながら日本のニューロサイエンスのてこ入れにつながる起爆の動きの一つとなることを願いつつ。

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「個」はどこから発生するのか?脳だけあればその人といえるのか?

quartaさんのディープな投げ込みに対するエントリー2です。:)


個うんぬんについては、僕が北米で研究していた当時、「くちコミの研究」で有名な森俊範氏が来訪され、同様の質問をされ、そのとき、僕の考えを話して盛り上がったことがあります。結論から言うと、僕はあまり深く考えても意味のない考えではないかと思います。


というのは脳というのはもともとパラレルプロセシングで出来上がっており、たとえ片側の脳しかないとしても、その人はその人だし、二つくっつけばそれはそれでその人。(しゃべれなくなったり色々ありますが、その人であることには変わりないという意味で。)どこか脳の一部が壊死することはstrokeなどでよくあることですが、だからといって別の人になったとは誰も考えません。それだけのことだと思っています。たまたま一つの頭蓋骨に入っているものを一セット持ったときに、その現在のその人になったということだと思うわけで、結構これについてはあまり反論というか、それ以上考えてもしょうがないと思っているわけです。ちょっと観念論過ぎる考えが広まりすぎていると思います。


この件については僕はMarvin Minskyの考えにかなり近いです。かれのSociety of Mind、、、つまり「心が集まって脳が出来ている」という考えそのものです。(今たまたまMITの近くにいますが、これもなんらかのsynchronicityかも知れませんね!)


あと、これまでのニューロサイエンスの研究上極めて大切な発見の一つは、つながれていない神経は死ぬというもの。つまり単独の脳は存在として余り意味がない上、完結した存在ですらない。あくまで身体を支えるようにして脳は出来ています。体が大きな動物の脳がおおむね大きいのはまさにその証左。ある程度以上に(入力の基である)皮膚面積が大きい動物は大きな脳を求めるのだと思います。


先ほどのエントリと密接に関係していますが、脳を取り出してその人はその人だ、というのは一見正しいですがあまり正しくない。その入力が体中に張り巡らされた神経から、そのように入ってきて、また筋肉、それこそさまざまな臓器(皮膚なども含め)などにそのような反応するから、その脳はそのような脳なのです。


ですから脳を別の身体に入れ替えたときに、同じ動きや反応をするとは僕は思いませんし(これは素朴にそうでしょう)、その脳はその人の大切な部分だが、その人そのものではないと思います。これは上の脳のどの部分が自分なのか、の議論よりも本質的だと思います。身体や入出力先、情報インターフェースと切り出した形で情報処理、蓄積系である脳を考えてもしょうがないと思うわけです。


いかがでしょうか?


(旅行中で、ブログはあまり見たり書いたりしないつもりなのですが、時差であまり眠れないので、、、。)


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脳は臓器なのか?

これは、先ほど(?)quartaさんより頂いたdeepな投げ込み、ご質問に対してのエントリーです。


僕は脳が臓器かどうかということにはほとんど関心がありませんし考えたこともありません。明らかに独立した特定の機能を持つ一塊の存在があるというだけの理解です。胴体の中にあるものが臓器だと考える人には臓器ではないと思うし、それはそれで好きにしてくださいという感じです。:)


あまりにも素朴に考えすぎなのかもしれませんが、そこに研究の対象とすべき大きな存在がある、ということで十分ではないかと思っています。いかがでしょうか。


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アメリカはやっぱり味盲の国、、、?

先ほど面白いウォールストリートジャーナルの記事を見つけました。英語が得意な人はご覧になってはいかがでしょうか?


Americans are taught from an early age that there are four basic tastes -- sweet, salty, sour and bitter. . .

(我々アメリカ人は、小さい頃から、味覚には四つの種類があると習ってきた、、、)


これを天下のWSJが議論してしまうほどにこの国ではやっぱり、、、。ちなみにこの間紹介した論文の研究のあとに、ぞくぞくと異なるアミノ酸味覚レセプターが見つかり、いまや最も複雑で多様な味覚こそが「うまみ」であるということが分かりつつあります。


しかし、こんなことをまじめに議論してしまうなんて、あさってからのアメリカ横断旅行が楽しみです。


久しぶりだー。


一方、今日行きつけのジムで、いつもご指導して頂いているキン肉マンに「全米横断するなら立ち寄る州すべてでジムによってきてください。そうすればここではスターになれますよ、ワハハハ」とちょっと意味不明系の強烈な激励を受けてきました。どうなることやら。



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食べ物を科学的に理解したいという人にはコレ!英語しかないのが残念ですがものすごく良い本です。翻訳しようカナ、と思うぐらい(書店の方、興味をお持ちでしたら僕に声をかけてください!当方、こういう分野の言葉には割合精通しております。笑)。こういうちゃんとした科学の実用的啓蒙書?がかけるような人がいないのが日本の問題。

UMAMI、うまみ、旨味(続編)、、、化学調味料、味の素は身体に悪いのか?あるいは味盲になる?

こんにちは。


前回の「UMAMI、うまみ、旨味」では、随分沢山の方からお返事を頂きありがとうございました。テーマがテーマだったせいか、それとも私がリストの整理をすると書いたせいか、かなり多くの意見を頂いたので、代表的なもの三つにお応えしたものをお送りします。

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さて本編です。

質問1:「辛味」は味覚の要素の一つではないのでしょうか?(DKさん他数名)


答え:Good questionです。辛みは、普通の言葉における味覚については、たしかに第六の味の軸と言っていいと思います。ただ辛みは舌の上と言うより、口内の痛覚神経(pain nerve)から生じていること、激しい辛みというのはその神経の末端が辛み物質によって死ぬ(退縮する)苦しみであることが分かっており、嗅覚と合わせてchemical sense(つまり化学物質を判別する感覚)と呼ばれる味覚の分類には科学上は含まれません。

これは余談ですが、カプサイシンという赤唐辛子の主要成分は実際に神経の再生の研究の際に、部分的に神経を殺すために使われるほどの物質です。みなさん辛いものをとりすぎないように気を付けましょう。(自重を含めて)

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質問2:味の素は合成物質であり、身体に悪いのではないか?(女性を中心に多数)「味の素、あれはいけません。人工的に作られており、体に毒と読んでから、私は一切使いません」「子供の頃から味の素は人工のものだからあんまり摂取すると体に悪い、いや、頭が良くなるいいものだ、それは天然のグルタミン酸ナトリウムの話だ、とかなんとかいろいろ聞いて実際のところどっちなのかよくわからなくなってしまいました」


答え:本題から離れていますが、非科学的な迷信がはびこっているようなので、お応えします。

味の素はなんらかの食い物、生物から抽出、精製したグルタミン酸のナトリウム塩であって、化学合成したものではありません。尚、負の電荷を持つ酸は固形物として精製するためにはどうしても何らかの正電荷を持つイオンと合わせて塩(えん; salt)にする必要があります。そのため体の中で最も多く害のない正イオンであるナトリウムの塩にしてあると思われます。

アミノ酸有機(炭素)化合物であり、最も簡単な構造を持つグリシンを除き、化学的に合成すると、必ず右手に対する左手のような鏡像異性体が半分生じます。しかしながら、どういう理由か地球上の全ての生命は植物も、動物も、細菌も同じ片方しか使っていないのです。そして使っていない側のものを取り込むと身体に大変な異常が生じる場合が多い。

しかしながら、密度、反応性など物理化学的な性質が、水溶液中で光を旋回させる性質(旋光性)を除いて全く同じのため、我々は長時間かけて結晶化するなどの方法を採らない限り、「右手」と「左手」を分離することが出来ません(つまり単なる化学合成法ではマス製造は不可能)。実際、まだ私が日本にいた頃(1996-97年頃)、昭和??とかという日本の電気会社が合成アミノ酸を分離しないままアメリカで売って大量の身体障害者を生み出し、アメリカで訴えられて1000億だかの支払い命令を受け大きな話題になりました。その会社は倒産したかもしれません。あまりにも愚かな過ちでした。

ということで味の素は精製砂糖と同じく天然のはずです。ご安心を。グルタミン酸は通常必須アミノ酸とはされていませんが、ヒトでは恐らく限りなく必須アミノ酸に近いか必須アミノ酸といってもよいものだと思います。必須アミノ酸の研究は基本的にはアミノ酸を完全に抜くという非常に厳しい実験に耐えうると言うことで、マウスかラットで行われた結果をベースにしており、ヒトの必須アミノ酸というのは実は誰も知りません。明らかに言えるのは、我々をヒトにしている脳内の100兆を軽く越すと思われるシナプス(神経間の接合)の大半が、今このメールを読む瞬間にもグルタミン酸を情報の伝達に必要としていると言うことです。

恐らく問題は次の質問の方です。

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質問3:化学調味料をとりすぎると味盲になるのではないか?(HSさん)「ダシの素が進歩したせいで楽においしい味噌汁ができるようになった反面、そういう味でないと満足できない人達が多くなっているそうです。私の友人の多くは特に「そばつゆ」は自分でがんばって作るより出来合いのほうが「旨味」があって美味しいと言い張ります。(私はそうは思わないのです)特に子供達が加工品でないと「おいしい」と感じなくなっている、とニュース特集でやっていました」


答え:非常に大量にグルタミン酸の入ったものばかり食べていると、恐らく舌の上のリセプターが反応するために必要な閾値が上がり、よほどアミノ酸の量が多くないと神経が興奮しなくなる、つまり感じなくなるのではないかと思います。多くの神経で見られるdesensitizationと呼ばれる現象です。(マクロ的にどんどん強い刺激を求めるようになるのとも同根の現象。)それでは微妙な差が検出できないわけで、このような事態が生じるのではないかと思います。化学調味料はいいけれど、使いすぎるのはこれはこれで大きな問題だ、ということになります。本当はほっておけば、感度は元に戻るのでしょうが(神経は元のままなので)、かつての強烈な味の記憶が脳に残って、なかなかリセットできないのでしょう。

あと、これは質問ではありませんが、化学調味料を使わずちゃんと作った方がうまい、という意見を多くの方から頂きました。当然です。ちゃんと料理すれば、グルタミン酸以外のアミノ酸も色々外に出てくるだろうし、他の雑多なものも色々混じるし、水の分子の集合のあり方も変わるに違いないし、それは味が豊かになるに決まっています。

既成のだしの元、つゆの類については、何から出来ているのかさえ知らない(原料・成分表を見たことがない)のでコメントを差し控えます。もしみなさんが各自で御覧になって、化学調味料グルタミン酸塩などとかいてあったら、一回辺りの量は控えめにしましょう。

(なお、この件につきましては本稿のコメント欄↓に更に補足しました。)

それではまた。ごきげんよう

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UMAMI、うまみ、旨味 (Science News 2/11/2000より)

米国研究当時、ニューロサイエンス以外の世界の友人にも分かってもらえそうな話があれば、Science Newsというメールコラムで時折発信していました。これはそんな中の一つです。その中でも思い出深いものをちょっとずつ載せていけたらと思います。

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二月になりました。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

こちらは先日まで非常識に寒かったのですが、それも落ち着き(昼間が氷点下を越えるかどうか)過ごしやすくなってきました。

そのころは、華氏で一桁(singlesという)、摂氏で言えば氷点下15~20度ぐらいの寒さでした。こちらの予報では風の中を歩くときの体感温度がでるのですが(windchill)、それがなんと-40F。南極並です。その中を朝、駅からラボまで十五分間歩くというのはtortureとしか言いようがないもので、普通のコートは全く役に立たず(風を完全に遮ることが出来ない)目以外は完全に防御した上半身はいいのですが、ズボンしかはいていない下半身は寒いではなく、痛い。皮膚が引きつって、ラボに着くまでに割けるんじゃないかという位のものでした。この歳になってようやく真冬の旅順で203高地を決死の行進し、ロシア軍と戦った日本兵士の大変さが少し分かりました。彼らの場合、ゴアテックスも何もなく、本当に大変だったんだろな、などと思いながら歩いてました。(笑)

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さて本題です。

日本人のみなさんには信じられない話かもしれませんが、少なくともアメリカ人の大半は「うまみ(umami)」という味覚の存在を信じていない。sweet(甘い), bitter(苦い), salty(塩っぱい), sour(酸っぱい)の四つだけで味は構成されていると信じている。

ある味覚の権威の授業で、彼女は「味には四つの基本要素がある。東洋人、特に日本人は「うまみ」というものがあると主張しているが、そんなものは存在しない」と言い放った。彼女の目の前に座っていた僕はその発言に非常に憤り、「あなたは味盲(taste-blind)ではないのか。では、なぜあなた達はなぜステーキの肉を寝かせ、フォンドボーを作るために肉を煮込むのか。それらはタンパクを分解させたいからではないか。そしてそれはアミノ酸の味が知覚できるからに他ならないからではないか。現実に我々は精製物のグルタミン酸に独自の味を知覚できる。それはあなたのいう四つの感覚のどれとも異なり、混合でもない。」と言った。彼女はsuper-taster, non-taster(taste blindに相当)という人たちがいること発見した人で(注:この記事のあとこの功績により米国科学アカデミー会員に選出される)、確かに私はnon-tasterである。しかしうまみというものが確かにあるという証拠は全くない。たぶん私は話す相手を間違えたようだ(I have a wrong audience)、と言った。

しかし、東京帝国大学の池田菊苗教授が1908年にうまみを発見して以来九十年あまり、我々日本人が遂に快哉を叫ぶ時が来た。うまみ(グルタミン酸)のリセプターが発見されたのである。これで多くの教科書は書き変わるだろう。しかし、このことは多少なりとも脳神経系というものを知っていいれば、ほとんど当然のことである。脳神経系の神経管の接続部分(シナプス)では、大半が(部位によるが、興奮性の場合ほぼすべて)グルタミン酸を伝達物質として使っている。グルタミン酸なしには、ものを見ることもできないし、呼吸することも、体温を調節することも、何かを思うことも、人を愛することもできない。当然脳神経内には、膨大な量と種類のグルタミン酸のリセプターが存在する(最初に発見したのは京大の沼教授。彼はほとんどNobel prizeが確定していたが、受賞の前に死んでしまった)。味覚というものが、食物の中にある、我々の身体にとって最も大切なもの、危険なものを感じるためにあることを考えれば、当然リセプターがあってしかるべきなのである。

そう思って味の素をひと振りほうれん草のおひたしにかけてみる。格別の味と思いがする人も多いだろう。

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現在の脳科学、脳神経科学で脳の活動はどこまで分かるのか (最終回) 、、、および現在のニューロマーケティングについての個人的所見

前項より続く)



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Paris


まとめ


以上、駆け足で脳活動の把握について現在利用可能な技、方法論を一通り見てきた。いずれのアプローチも脳の実活動を見るにはかなり限界があり、従っていったいどのような脳の活動パタンがどのような情報処理をしているのかは殆ど分かっていないのが現在の我々の脳理解の実情だ。昔良く漫画であったみたいな、頭に何かをかぶせたら、脳を直接見ないでも、考えたことが見えるなんてことは夢のまた夢。恐らくそのような日はかなり当面来ないと思われる。何しろ、もっとも研究が進んでいる視覚ですら、例えば「何かを見る」ということ自体が、脳神経の活動上、本当のところいったい何を意味しているのかすらまだ良く分かっていないのだから。 現在の最先端としては、見ているものごとの興奮パタンを何度も見ていると、いくつかの既知の選択肢のものであれば、どれを見ているか分かることもある、という程度。


これが、何をやったとき、何を体験したときにに脳のどこが活性化するとかしないとかという程度の、ある種、過去のファインディングの追認的な研究ばかりが行われてしまいがちな一つの理由である。通常、過去のある程度の知見がないと活動部位パタンの解釈すら出来ず、ペーパになるのはそういう解釈可能なタイプのものが殆どだ。分子生物学的な手法を使って、ある細胞やあるタンパクの機能を止めた状態で合わせてみないと、今ひとつ何も分かった気がしない理由でもある。


なお、ここまで個人的に読み込んだ限り、現在ニューロマーケティングと呼ばれる分野は大半がこの程度の議論をしているように見える。何が本当のところ消費者に刺さるのかどうなのかという、ウソ発見機的に使うのであれば多少は効果的だろうが、プロのマーケターとして(またニューロサイエンティストとして)言わせて頂ければ、消費者インサイトのためにこの程度のデータがいるのかといえばかなり怪しい。ちなみに「基本的な」消費者インサイトとは、例えばこういうものだ(通常はこれより遥かにディープな議論をファクトベースで行う):

  • 本当に何が購買のドライバーになり、何がボトルネックになっているのか?
  • 誰が買い、誰が本当に使っているのか?それはどうしてなのか?
  • そもそもどういう切り口で見るとニーズをうまく捉えることが出来るのか?
  • また階層的なニーズはどうつなげて考えたら良いのか?


プロモーションとマーケティングの違いが分からない(あるいはあえて無視する)ような人ではなく、本物のマーケターが入り、もう一、二段、真正の発展がいるだろう。ニューロサイエンティストたちも、自分たちが脳神経科学を知っているというだけの理由で、事業に関わる多くの人の生活に影響を与え、億円単位の損失が簡単に生じるこのような分野に安易に立ち入らない方が良い。またマーケターの側もこういう一見見たことのない情報をみたぐらいで圧倒されるということのないようにしないといけない。いかにも代理店、あるいは言葉は悪いがマーケティングゴロ的な人たちが好きそうなギミックだ。例えば全く意味のない脳の写真を合わせて見せただけで、広告の信頼性が上がるというデータも見たことがあるが、これは脳神経科学のインサイトに基づくマーケティングでもなんでもなく、ベネトンの裸の広告と同じくプロモーション上で視覚的インパクトを上げるだけのギミックにすぎない。


我々は恐らく脳の情報処理の実態、仕組み、それをもたらす脳内の背後の構造についてまだ1%も理解などしておらず、今のような研究を続けてもそれほど急速な進歩は見込めないことはこれで分かって頂けただろうか。例えば、恐怖を伴う記憶に関して、amygdala(扁桃体)という部位が絡んでいることはそこの活動を局部的に止めることですぐに示せても(これ自体がテクニカルには意外と大変)、そのamygdalaの中でどのような情報処理がどの神経間でなされて、どういうときにどのようなアウトプットをどの部位にどのような時間的なタイミングで行うのか、それは電気信号だけなのか、(情報処理パタンに大幅な影響を与える)化学的なホルモン様なものをいかに伴うのか、など到底クリアには分かっていないのが実情なのである。


簡単に脳科学?だとか脳神経学者と称する人の言うことを鵜呑みにしてはいけない理由はここにある。系としてそれほど分かっていないものを、光のあたっている部分だけをベースに、ある種、空想的に引き延ばして語っているだけのことがあまりにも多いのである。


一方、本物のニューロサイエンティスト(特にphysiologist)たちのロマンの一つはこの謎の大きさにあることも分かって頂けたのではないだろうか。



(関連エントリ)

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(#) マーケティングという名の下に、本物のビジネス、消費者ベネフィットの最適化ではなく、実事業者に付加的にまとわりついて金を儲けることを考える人たち、ビジネス関連者を、Star Warsのアナロジーから私は個人的に「マーケティングのダークサイドに立つ者」 (darkside people of marketing) と読んでいる。


(本稿了)

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