ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

シゴトの未来


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Shelburne museum, VT, USA

さすがに人生の半分ぐらいまできたと思われるkaz_atakaです。

表題のテーマでもうこの3年ぐらい食傷するぐらいの数のインタビューや取材を受けてきました。正直、僕の周りでは完全にdone issue(ケリが付いた話)なのですが、今キャズムを超えたと思われる一般メディアから急に色んな話が来るようになっています。

以下は、これでこの話題についてはもう打ち止めにしようと思って受けたリクルートワークス研究所のインタビュー記事です。これほどシゴトというものに正面から向かい合った議論をした記憶があまりないのと、限定版的な冊子で送られてきたこと、ウェブに上がっていないことを踏まえ、ここに手持ち原稿から転記して上げておこうと思います。ウェブ掲載が始まったら下ろす可能性があります。FYI(太字は筆者)

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Q1. 人工知能の進化などにより、仕事がなくなるといわれています。どうご覧になっていますか。

A1. 仕事はなくならないですよ。

データやAIの力を活用して、いろいろな業務が自動化されることは幅広く大量に起きますが、それと仕事がまるごと消えることとが混同されています。「あらゆる仕事でデータやAIの持つ力を使わない人と解き放つ人に二極化する」、これが本当のところ起きることです。むしろ自動走行車の利活用やメンテナンスのように、更に新しい仕事が数多く生まれる可能性が高い。AIが仕事を奪うと思っている人はAIとは単にイデアにすぎないこと、どのように作られるのか、その結果起きること、そして我々の仕事の本質をちゃんと理解したほうが良いです。

この変化の第一フェーズ段階にある現在では、データやAIの力を解き放つための能力を持つ人が大きく不足しています。また、目指す人はどこから手を付けたらいいのかわからないのが日本の現状です。ここに一石を投じようと、データサイエンス協会を何人かで立ち上げ、これまで必要なスキルを整理し、発表してきました。

この変化は、多くの方の想定よりも早く進展し、指数関数的に起こります。1900年のニューヨークで撮られた写真には多くの馬車が写っていますが、1913年にはほぼすべて自動車に置き換わっています。1908年にT型フォードが発明されてからわずか5年の間に実際に一気に変わったのです。よく馬車に乗っていた人はどうなったんだという話がありますが、簡単です。クルマに乗ったんです。(笑)そして、人間はそれに対応できてしまうのです。社会は人間が対応できるように変わるので心配はいりません。*1

全体観をいえば、仕事がなくなるのではなく、データやAIの力を使う人と使わない人に二極分化する、それは予想以上のスピードで進むが、人間はそれに対応できる、そういうことです。

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Q2. 想定以上の速さで変化する世界において、我々はどのように仕事をすればよいのでしょうか。

A2. 仕事というのは楽しいものです。世の中を変えること、役に立つことそのものですから。しかもお金をもらえる。人間が生み出した最大の「虚構」は仕事です。普通に生きていれば、少しは仕事したい、つまり世の中で意味のある存在でありたい、と思うでしょうし、仕事の喜びは残り続けると思います。それを追求する中で、データやAIを使い倒すべきです。

仕事の価値を労働時間で測る習慣は是正されるでしょう。肉体労働まで含めても投下時間と生み出す変化量、バリューが合致しない仕事がすでに大半だからです。ここで言っている仕事のバリューとはむかし物理で習った「力×距離」そのものです。力は「質量×加速度」。つまりどれだけ重いものをどれだけ勢い良く変化させたかです。どれだけ頑張ったかではありません。もちろんその場にいること自体が価値がある仕事は時間ベースの仕事として残りますが、経済原理でみて意味をなさないものは淘汰される、それだけです。

AI×データのように技術的な革新による変化は自然とそうなるし、そこでビジネスをするならば、それに合わせざるを得ないのです。変化するかどうかはイシューではないのです。変化は必然なのですから。本当のイシューは、その変化をどうやったら早く起こせるのか、だと思いますね。

Work Model 2030を、2030年の完成形ととらえ、現在起こっていることから推定しようとするのはほとんど無意味です。変化を楽しむ中で、この世の中がどういうフェーズで変わっていくのか、それをどれくらいのスピードで起こせるのかを考えるべきです。

大きな果実をつかもうと思うなら、その変化に先駆けて動き、イノベーションを起こさないといけません。しかし、現行の日本の仕組みは、基本的にホワイトリスト方式です。出てくるものをリスト化して、それぞれに法律で対応する。これでは新しいものは生まれません。前例がないからイノベーションなのですから。(笑)新しいものはルールのないところから生まれてくる。たとえば、検索です。つい最近まで法律的にはかなりグレーな存在でした。

グレーゾーンを突破する力は、ユーザーにあります。ユーザーが価値を見出せば、社会は勝手に変わるのです。社会は適応するように作られた虚構の塊です。現実の前にはルールは変わるのです。例えば、いまそこにゴジラが現れたら我々は対応するじゃないですか。必要に応じてどんどん変わっていくのです。検索の価値は誰にも止められないくらい強くなった。著作権等の問題は山のようにありますが、すべての人が検索に依存するようになったとき、この問題を議論することの価値がなくなったのです。そうやって世の中は変わります。

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Q3. その変化を起こすにはどうすればよいでしょうか。誰が変化を牽引するのでしょうか。

A3. 新しい変革は、明治維新終戦後のときもそうですが、10代と20代、30代前半までの人が起こします。世界の歴史上革命的な変化を40以上の人が引き起こしたり、やり遂げたことはほとんどありません。

年配者のできることは、規制なども含め彼らのじゃまをせず、何か面白いことをしている若者に、信用を与えて、お金を出し、良い人を紹介する、この3つに尽きます。勝海舟みたいな仕事をしてほしいのです。維新後の開国のときや、終戦直後にはそういう人が山のようにいました。新しい変化は年配者が起こせる代物ではないのです。時代の空気を吸った人がやるしかないのです。

この社会がどうやったら生き延びられるかを考えなくてはいけません。どうやって経済を伸ばすか、社会を良くできるか。現在の日本の社会は(略)推進するエンジンを失いつつあるのです。漫然と2030年を迎えるのでは遠すぎるのです。

あらゆることを提言して、仕掛け、考えた人が実行する。こういう取り組みを激増させる必要があります。この中で自然に生き延びた人がまた未来を拓いていきます。どんどんやって、当たったものが巨大進化をするだけなのです。どれが当たるかなんて誰にもわかりません。だからいろんなトライをしたほうがいいのです。

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Q4. テクロノジーの大きな変化に向けて、何をすべきでしょうか。また、変化を起こすときに指針となるものはありますか。

A4. 社会全体としてみれば、データの持つ力を解き放つ、これがまず第一です。そのためにはデータサイエンティスト協会でまとめているとおり、情報科学(データサイエンス)、それを実装し運用する力(データエンジニアリング)、実課題につなげて解決する力(ビジネス力)の3つが必要です。

さらに二つ、一つは、エンジニアリング層のスキルの根本的なリニューアル、具体的には、SIerエンジニアからビッグデータソリューション系エンジニアへの転換、もう一つは、ミドル層・マネジメント層のスキル刷新です。

指針、、、世の中全体の大きな課題をAIやデータの力を使いつつ自分ならではの方法で解決する、あるいは役立てるようなことを考えるのが王道だと思います。幸い現在の社会は問題には事欠きません。温暖化、エネルギー不足、少子化、巨額の年金と医療費、過疎、時代に即していない教育、グローバル社会の分断などなど。

仕事の選び方としては、みんな、生命の原点に戻ればいいと思います。危ないところから逃げて、自分らしく自分がユニークに生きていけるニッチ、生活空間、に行く、この繰り返し。失敗したら滅びる、それが生命の原点ですよね。経済原理ももとを辿れば、自然淘汰の世界です。

人間は生命がかかれば頑張る生き物です。そういう風にできているのです。変化に臆するのではなく、生命の力を信じるのです。人間はいざという時にはできるのです。我々は生命ですから、大丈夫です。

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以上です。

悲観論はどうでもいいので、ぜひ未来を揺り動かしていきましょう!

Let's rock the world together!!

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ps. ご参考までに比較的最近のものを中心に代表的な関連掲載記事(自分が受けたもの)へのリンクを載せておきますね。

“シン・ニホン” AI×データ時代における日本の再⽣と人材育成 (2017/2)
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/013_06_00.pdf

AIで仕事はなくならない ―― なぜか過剰被害妄想の日本の本当の危機 (2017/2)
https://www.businessinsider.jp/post-827

経験値だけで飯を食べている人は 人工知能によって出番がなくなる(2017/1)
http://www.dhbr.net/articles/-/4630

ヤフーCSO安宅氏が解説する「AIの正しい理解」(2017/1)
https://industry-co-creation.com/special/8175

人工知能はビジネスをどう変えるか」(2015/11) > 以下のDHBRの一章

人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

AI×データはビジネスをどう変えるか (2015/10)
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/002_06_00.pdf

*1:言うまでもありませんが、同じことをただ続けたい人、文明の恩恵を受けたくない人、たとえば電卓やコンピュータが生まれても使いたくなかったような人の仕事がなくなるのは当然です。

AIはproblem solvingマシンではない


Leica M7, 50mm/F1.4 Summilux, RDPIII @UC Berkeley

この夏の研究のように書いていたDiamondハーバードビジネスレビュー(DHBR)2015年 11 月号への寄稿論文がようやく昨日発売になった。「人工知能はビジネスをどう変えるか」というタイトルだ。

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NewsPicksのコメント欄*1にも書いたが、この論文のきっかけは7月末のバケーション前日に編集長の岩佐氏が突然相談があると言っていらしたことから始まっている。「いまディープラーニングなどAI周りで起こっている本当のこと、そしてそのビジネスとマネジメントについての意味合いについてまとめてもらえないか」という話だった。

実はその1-2カ月前に、私の前職の恩師の一人であり、東大EMP(executive management program)の責任者でもある横山禎徳さんにもAIという言葉がなんというかhypeになっているが、本当のところAIは何ができて何ができないのか、ということについて数時間、うまいワイン数本とともにガン詰めされたこともあった。

その後に、陸上の為末大さんと対談することがあり*2、そこでもAIには何ができて、何ができないのかという話が大きな話題の一つになった。仕事がAIによってなくなるとかなくならないという話が随分と話題に上がっているせいもあったと思う。

そういう前置きがあったこともあり、お話が来た時は、とんでもないテーマだと思う一方、これは自分が書かなければ、誰も書かないない内容なんだろうなとも思った。(実際、発売前日の金曜日に編集長にお聞きしたのは、僕が受けなければ、この内容は代替の人が全く見当たらず落とすつもりであったということだった。)

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とんでもないと思ったのは、このテーマはそもそも(1)編集長も含めた、ほとんどの世の中の人が誤解していること、ディープラーニング(深層学習/DL)への幻想を紐解くところから始まる必要がある。なおかつ(2)今起こっている変化のすさまじさとAIがおこなっている取り組みの本当の広がりを整理しなければいけない。それでありながら、(3)AIと我々の知覚そして知性との対比を行うという荒業が必要。その上で、(4)ビジネス全体、マネジメント全体に対して意味合いを考える、という深淵かつ広大なものであったからだ。

(1)自体が誤解に満ちて整理されておらず(業界の人はわからない人は流石にいないと思ってか、あるいは確信犯的に説明しない)、(2)もガサツでほとんどまともに整理されていない(業界の人は自分の取り組みには詳しいが、俯瞰して一般人に分かる言葉で話してくれない)。

(3)に至っては、世にあるのは、機械学習(Machine learning: ML)およびその一種のDL、人工知能(AI)側からの知見のみが広がっていて、ほとんどの人には全く手がかりがない。本来、脳神経科学、認知科学も分かる人が知覚と知性の広がりとの対比をしなければいけないが、そちら側の人はML/AIがよくわからないのでコメントしない。また、「知覚と知性についての広がり」についてそもそも体系的に整理した人などそもそもいない。

いわんや(4)については、そもそもビジネスやマネジメントを俯瞰するような能力を持った人が、AI・脳神経科学を合わせた意味合いを議論することなど普通不可能で(そもそも議論できるほどよくわかっていない)、部分的に仕事がなくなるんだろう的な論説があるだけ、というのがこれまでだったからだ。

正直、編集長自身もこのテーマの本当の奥深さを僕に相談された時は理解されていなかったと思う。あいにく、自分はこれらのすべての領域にそれなり以上に深く関わってきたために、瞬時に上の広がりを認識し、やりますともやりませんとも言わず、持ち帰りそのままバケーションに入った。

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僕はもともと知覚(perception)に興味があり、脳神経科学全般の体系的な訓練を受け、研究し、かたやビジネスではある種 perception technologyというべき消費者マーケティングに出会い、人のものの感じ方とニーズの生まれ方について長年取り組んできた。現職に来てからは、もともとの市場インサイト、インテリジェンス的な活動に加えて、直接的にもマネジメントとしてもビッグデータやデータを利活用したR&D的な取り組みに深く関わってきた。(実は社内で基礎研究を行う研究所長を担っていた時期もある。)

なんというか、そういう経験の集大成的な論考になるんだなと直感した。

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このテーマはそもそもAIと騒がれている現在のブームの本質が単に機械学習だとか深層学習(ディープラーニング)といった情報科学(データサイエンス)の話ではないことから始まる。これらのキカイに学習させるための手法は、たしかに大切だが、データが大量にないとそもそも始まらない。(上の1の話だ)

僕の周りでも笑い話が一つある。ディープラーニングについての話を耳にした人が、あるこういうデータサイエンス系の人のところに来て、「鳥の鳴き声をディープラーニングを使ってどの鳥なのかわかるようにしたいんですが」といって来たという。

「了解です。ではまずは各鳥の鳴き声をとりあえず五万回ずつ録音したものを用意してください。オスメスだとか、状況などの属性データも一緒に。そうすれば手伝いますよ」

こう答えたら、その相談にやってきた人はディープラーニングが魔法の箱か何かだと思っていたらしく、うなだれて帰っていったらしい。

より深くはDHBRの論考を見てもらえればと思うが、軽く数万のパラメータを扱う深層学習は当然の事ながら数百、数千のデータでは教育できない。膨大なデータ(ビッグデータ)があることによって初めてファンクションする。そしてそのためには、極めて高速な計算環境が必要だ。この3つを分けて考えているあたりに現在の世の中の危なっかしさがある。*3

しかもこのことから分かる通り、どんな用途に対しても動くAIなるものは普通存在しえない。十分に速い計算環境に対し、特定の用途に合わせて、必要な情報科学*4を実装し、大量のデータで教育をすることで特定用途のために使えるAIになるからだ。このことぐらいはもう高校生以上の人たちには教える時代になったのではないかと思う。(p.46 図表1)

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(2)もちゃんとやる必要があった。人工知能は万能みたいに思われている人たちに対して、いま、最先端の世界で何が起きていて、どういう広がりで急速に用途が広がっていっているのか、その整理をする必要があるとかねがね考えていたからだ。(p.47 図表2)

僕の周りには幸い詳しい人、専門家が多いが、彼らは頭が良すぎて普通の人に自分たちが思っていることをうまく伝えられない。その橋渡しも含めて、自分が俯瞰して感じている広がりと、その意味合いをなんとか伝えようと努力した。これまでにないすっきりとした整理を行ったので、一定の成功をしたように思うが、判断は読者の皆様に任せたいと思う。

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(3)は真のチャレンジの一つだった。そもそもAIについて僕ら(この領域の内側にいる人)からすると当たり前、空気のように思っているが、一般の人(外の人)がわかっていないことを整理する必要がある。これを課題解決プロセスの全体に置くとどのような意味合いがあるか、それをさらに俯瞰すると、どういうことが浮かび上がるかをそこでは議論している。(p.50 図表3)

これを見ると明らかにわかるのは、AIはproblem solving machineではないということだ。AIが広がると仕事がなくなるとか、仕事が劇的に楽になると思って期待している人がこの世に多くいるが、残念ながらそんな都合のいい話はない。なにしろ、AIは課題解決において最も大切な能力であるイシューを見極める力、構造化する力がないのだ。課題をフレームする力も、人に伝える力もない。実際にはAIは人間を代替するのではなく、人間を幅広くアシストする存在になる。

ここではさらに、知覚と知性の広がりをフレームワーク化する、その中でAIの現状を人間と対比するという大きなチャレンジに取り組んだ(p.52 図表4)。もしかすると世界初かもしれない。

神経科学をおこなっている人であれば自明で、それ以外の人にとってはほぼ全く認識されていないことだが、我々の脳神経系のほとんどは実は思考とか高度な知性というより、知覚そのものと体を動かすことに使われている。そもそも1000億と言われる脳の神経細胞ニューロン)の8割は小脳に存在する。大脳皮質もほとんどが感覚処理と運動に使われている。その下の視床(thalamus)は知覚のゲートウェイだ。

そういうことも踏まえ、知覚についても脳神経科学的にもほぼ正しく、それでいて、人間の知的活動の本質的なポイントも外さないようなフレームワーク化と、その上での評価を試みた。実はこの図表づくりに最も時間をかけたが、一定の成功を収めたことを祈る。

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(4)はチャレンジ以上のチャレンジというか、(3)までの議論自体がないないづくしで大変だったが、もう二踏ん張りした。編集長からはビジネス自体がどう変わるか、あと、ハーバード・ビジネス・レビューなのでマネジメントへの意味合いを是非書いて欲しいと言われたからだ。

ビジネスの方の意味合い自体がかなり興味深いものであるとは思っていたが、世の中的には上の感情的、妄想的な仕事の喪失論(本質的には間違っている)以上の議論が殆ど行われていない。そこに何らかの知的な楔を打ち込めればと思って努力した。なんとなく感覚で思われていることの中で本当に起きると思われることをかなりストレッチして書いた。

マネジメントについて書くのは、更に無謀感があったが、長年トップマネジメントコンサルタントとして働き、自分自身がそれなりの規模の会社の経営に関わっている以上、逃げられないと思って踏ん張って書いた。かなり大胆だと思うことも書いたが、今の主要なmarket cap上位の会社がどのような位置づけにあってどのような方向性を目指していこうとしているのか、我々の社会がどのような方向に進もうとしているのかについても一定の方向性を打ち出せたのではないかと思う。

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以上、長くなったが、このDHBRでの論考発表にあたってのあとがきとして書いてみた。

本当に文字通り、仕事の合間を縫って、渾身で書きおろしました。ご興味を持っていただいた方は、ぜひ手にとって読んでいただければ幸いです。そしてブログでもFacebookでもTwitterでも良いので、ご感想などお聞かせいただければ本当にうれしいです。

これほどの充実感のある仕事を依頼していただいた岩佐編集長に感謝をささげつつ。

良い夏でした。


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★本エントリに関連する書物

ご紹介した論文はここに掲載されています。

こちらには昨年ビッグデータとマーケットリサーチとの使い分けについてまとめた論文を寄稿しました。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号[雑誌]

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号[雑誌]

*1:https://newspicks.com/news/1197124/

*2:NewsPicks上の関連記事は、https://newspicks.com/news/1137152/body/

*3:ブクマコメントを見て誤解がないように補足。Pre-trainしているのであればその事前訓練に必要なデータ量も含めて考える必要がある。

*4:機械学習や深層学習以外にもコンピュータに言語を扱わせるための自然言語処理、あるいは画像処理するためのコンピュータビジョンなど

少子化が日本のアセットになる時代が来る(?)

Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII, @Route66, Amboy, CA

少子化が我が国の大問題だという話がまことしやかに語られるようになって久しい。

なぜそれが問題なのか、と聞けば、

  1. ただでさえ老人が増える時に、働く若い人が少ないんじゃ支えられない
  2. 警察、消防、国防とかは誰がやるの?お店も中高年ばかりが売り子じゃつらい
  3. 国が元気じゃなくなる、、実際、若者たちが都市に行くので、多くの田舎は活力がない

という辺りが普通に聞く大半の答えだ。なんだか凄そうな論説も、結局のところ上のどれかということが大半だ。

これ本当にそうなのだろうか?

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少子化自体は、3年以上前にちきりん女史の本をご紹介した時に触れたとおり、よく言われてきたような、社会が子供に寛容じゃないからとか、働く女性にとって優しくないからとかというそういう理由ではなく、基本的に「晩婚化」(とそれに伴う生物学的理由)、加えて、「少子化自体の負のサイクル」(=親世代の人口が減り続けること)でほとんど説明しうるのでは、とかねがね僕は思っている*1が、それはさておき少子化がそれほどひどい話なのか、というのがここでのポイントだ。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

以前も少し触れたことがあるが、秋にOECDのglobal forum on knowledge economyというイベントのあるセッション*2にパネリストの一人として出ることがあった。そこで欧州の出席者から、まことしやかに、そして深刻な顔で議論が投げ込まれていたのは、労働人口の多くが要らなくなる未来において、働くところがなくなる多くの人たちに対して社会はどうするべきなのか、という話だった。その理由はデータ社会になれば、人間しかできないと考えられてきた労働のかなりの部分が機械に置き換わってしまうから、少なくとも5-6割の人の仕事がなくなる、というものだった。

実際、ドイツのあたりではunconditional income*3の是非について議論がすでに始まっているそうだ。つまり我が国では、既存のしくみを前提に議論をし、彼の国ではこれからのしくみを前提に議論をしている、ということだ。

下に見る通り、ヨーロッパ系のOECD諸国*4の大半は、日本に比べれば失業率は高い。(Wikipediaによる。計測タイミングが微妙に違うのであくまで参考。)ちなみに緑が北欧EU、赤がその他の旧西側EU国、灰色はそれ以外のEU、青はEU以外のOECD国だ*5

とは言うものの、半数以上の人の労働が要らなくなる社会を想定するというのはなんとも強烈だ。ただ、車の運転から、ウェブやロゴデザイン、法律相談、医療における画像診断、手術に至るまで自動化に向かう中においては、そのぐらいのことを想定するのは確かにありなのかもしれない。つまり、今の半分以下の人で同じだけの付加価値を社会が生み出せるようになるということだ。高度な付加価値を生む人と、比較的ヒマな人に分かれていくということでもある。

ちなみに、1次、2次の産業革命を通じて農業、漁業生産が増える一方、それまで労働人口の大半を占めた農業、漁業従事者は、かつて劇的に減った(言い換えれば、従事者一人当たりの生産性が激増)。平行して、多くの人達が、新しく生まれた蒸気機関や電気を利活用したモノづくり、サービス業に次々に従事するようになり経済は桁違いに発展した。

このように、そう短絡的に考えるのはどうかと思うし、そうその場でも反論(?笑)したのだが、仮にそうなった場合には、労働人口が軽い社会の方が実は、社会が食わせる人たちの負荷が減る分、軽い社会ということになる。つまり少子化がある程度、進む社会の方が実はよい可能性がなくはないのだ。

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仮にそうなった場合、冒頭のコンサーンの最初の二つに対しては、以下の通りになる。

  1. 働く人一人一人の生産性が(シンガポールのように)激増し、老人を支える働く人口は劇的に少しで良くなる。一方、大量に生まれる働く仕事のない若い人も支えなければならない社会になるので、失業率の視点から見ても、若い人は(質の高い人の数を保てるなら)余らない程度の数が実はよい
  2. 警察、消防、国防とかはそもそも現在も人口の一部しか従事しておらず、自動化されない部分は、残った若い人たちの一部がやればいい。小売店も同様

三つ目に対しても、そもそも今の60代、70代は30年前の同世代、現在、田舎で本当に老人に見えている80代、90代以上とは全く別の存在。同じイメージで語ることは危険。また、アメリカでは人の採用の時、人種や性別、年齢を聞いてはいけないように、日本の今の採用の仕組みは若干、時代錯誤的。いずれ消えると思うのが筋。さらに言えば、シニア層の人口は当面、確かに増え続けるだろうが、一時的なものに過ぎない。シニア層の相対的な人口割合は、国の人口動態シミュレーションを見ても、max値で4割にしかならない。

どうだろう?

捨てる神あれば拾う神あり。禍福はあざなえる縄の如し。

負の課題にしか見えないこの少子化も、このように見方によっては、日本の大きなアセットと言える。僕らにむしろ今求められるのは、このように少しの労働で回る社会を、世界に先駆けて作り上げることであると思うのだがいかがだろうか?

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ps. 産業構造がどういう風に劇的に変わるかについては、ぼくもぼくなりに妄想するものがあるので、近々余力があるときに書いてみたいと思う。


(関連エントリ)

*1:たぶん割と簡単な計算で示せると思う。晩婚化はようやく最近、真因の一つとして取り上げられるようになってきたようだ。

*2:promoting skills for the data-driven economy

*3:どの人に対しても無条件に配る所得、、、人頭税の逆

*4:経産省によると現在34カ国

*5:いずれも私のうろ覚えによるものなので、もし間違っていたらお知らせ頂けると幸いです

では、僕らは何をしていくんだろう?、、、第二のMachine Age(2)


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDP III
@Griffith Observatory, Los Angels, CA

前回書いたようなことを言うと、「ではこれからは、どうやって飯を食っていったらいいんだ?」的なことを多くの人に聞かれる。アカデミアやデータプロフェッショナルといえる人の集まりですらそうだ。

これについての僕の答えは、まあ自分で考えてよ、としか言いようがない。笑。とはいうものの、これではあまりにも不親切だと思うので、少し一緒に考えてみよう。

産業革命(第一のMachine Age到来)のときだって、馬や牛や人間の肉体労働がどんどんいらなくなることは、少なくとも途中から明らかだったわけだけれど、みんなむしろそれをテコにこれまでの仕事を離れて、あるいはこれまでの仕事のやり方を根底から変えて、今に至る。

その中で新しい環境を前提にした新しい仕事がどんどん生まれて、その中で新しい暮らしを始めた。結果、9割以上が農民だったような、日本を含む、大半のいま先進国と言われる国々もこのように製造業(2次産業)や販売・サービス業(3次産業)中心に生まれ変わっていった。

我々がどう考えようが、このマシンラーニング(機械学習)をはじめとするAI(人工知能)、これを活用したスマートマシーンとでもいうべき賢い機械たちが我々を大きく、本質的にアシストしてくれるようになる。前回書いた通り、多くの仕事や活動がcomputer-assistedなものになっていくだろうし、僕らはすぐに順応していくと思う。

「それ何?」と思われるふしの方々も、今のクルマなんて実際には既にそうなりつつあるし(だから実際には全然腕なんて上がっていなくても上手くなったように感じる。笑)、僕の大好きなカメラも、露出もフォーカスも何も考えなくとも撮れるようになってしまっている(なので僕はマニュアルカメラにこだわっている。笑)。こうやってコンピュータを叩いているときに変換も何もかもコンピュータがアシストしてくれている。検索なんて、ちょっとワードを入れれば、それに関連する言葉が補助的に出てくることはご存知の通り。これも人間が手を入れているのではなく、機械学習がリアルタイムでガンガンに動いているおかげだ。例えば、BNPパリバ・マスターズ*1で錦織選手が頑張っている今日 (2014年11月1日) なんて、「にしこ」とだけ打つだけで、「錦織圭 パリ」とサジェスト結果が検索窓の下に出てくる。こういうのがもっとディープにあらゆるところで行われるというだけのことだ。

こういう全体観の中で考えると、このような「ベースになる変化を引き起こす人」と、このような「変化の上で、さらに新しい変化を生み出す人」(使い倒す人)の二種類の人に大きな需要が生まれることが容易に想像できる。

ただし当然、デザイン、歌舞伎、焼き物のように、腕だけではなく味が大切、かつ技の複製が困難な世界で、スキルを磨き続けるような人は、当面残る。また、状況や文脈(コンテキスト)の中で、適切な問いを立てる力や、美しいものを美しいと感じる力、気持ち良いものを気持ち良いと感じる力をベースにした仕事も人間にしかできない仕事として残るだろう。

「ベースになる変化を引き起こす人」について言えば、明らかに供給が足りないのは、このような情報の高度処理や機械学習を実際の課題解決につなげうる人であり、世の中のどのような問題にこれらの手法が使えるかを考える人だ(1)。これはどのような産業分野でも必須になる。機械学習、AIそのものの専門家(データサイエンスの専門家)も必要だが、それほど大量に必要なわけではない。実際には、機械学習は世界レベルの大学であれば、普通に理系のマスター卒ぐらいの人が使える技術になるまで10年もかからないだろう。*2

また、莫大な情報が生まれているとはいえ、実際にはその情報の多くはそのまま利用できるような形にはなっていない。センサーから上がってくるいわゆるIoT*3の情報も、その情報基盤が異なっているので、相互に言葉を交わすことができない。これらの基盤整備するような人も必須だ(2)。ほとんどの会社では、自社内のデータ構造すら統一されていない。これを使えるようにする人も必要だ(3)。高速で流れてくる情報をさばくデータ収集の仕組みを作り、運用するプロも必要だ(4)。そのデータをため、分散処理する情報処理基盤を作り、運用する人も必要だ(5)。その上で、全く構造化されていない言語や画像、動画のようなデータを使えるようにする人も必要だ(6)。いざコンピュータが利活用できるように構造化しても、それを解析し、高度に利活用する(レコメンドやデータ同化*4をする)人も必要だ(7)。

ということで、データサイエンスにある程度造詣があるだけでなく、世の中の課題を見極め、構造化でき、それを実装できるデータ関連の専門家がひとかたまり必要になる。上の(1)〜(7)のスキルを同じ人が全て持つことはおそらくないと思われ(例えば言語処理の専門家が、大規模な実装までできることは稀であるし、加えて、特定分野、例えばコンビニSCM、の課題整理と見極めができることはさらに稀だろう)、それぞれのプロの需要は跳ね上がるだろう。当然、その全体のデザインと指揮ができる(1)の人の希少性は際立つことは間違いないが、状況次第では、特定のスキルが社会のボトルネックになり、そこの需要が極端に逼迫することも十分考えられる。

ここまでが「ベースになる変化を引き起こす人」たちの話。でも、多くの人は当然のことながら、ここにも、上に書いたような問いを投げ込んだり、美意識、心地よさをベースにした仕事にも入らない可能性が高い。では何をやるのか、といえば、「このような変化の上で、さらに新しい変化を生み出す人」、すなわち、「新しい変化を使い倒す側の人」になるだろう。

例えば、工芸だとか手術みたいなものは当然のように今以上にcomputer assisted(以下CA)になるだろう。木目や脈動みたいなものも機械が読み取り、人間には困難な取り扱いもできるようになる日は来ても全くおかしくない。手術に関してはスターウォーズの世界、あのダースベーダーが生まれる時そのものだ。クルマの免許もオートマ限定が一般的になってきたように、いずれはCA限定になるだろう。これからは、ICT*5だとは到底思われていない領域もことごとくICT化していくので、こういう変化の中で、技を磨くというのは何かを考え、トライしていく、そういう時代になっていく。

我々が物理的存在であることはさすがに当面変わらない。そこをよく見て踏み込んだ人にきっとチャンスがある。そういう視点で見ると、上に書いたようなものだけでなく、ずいぶん大きな産業領域が、この国では存在自体を気づかれていないことも読者諸賢氏には見えてくるのでは?

(関連エントリ)

*1:ATPワールドツアー・ファイナル

*2:東京大学松尾豊先生の行われている授業でも単位も与えない講義に理系文系問わず、すでに応募が殺到しているそうだ。

*3:Internet of Things: モノのインターネット。インターネットにつながったモノ

*4:いわゆるsimulation

*5:information, communication, and technologyの略

第二のMachine Age


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Route66, AZ


最近、僕らの社会がどこに向かっているのかということを考えさせられる機会が増えている。

そもそも、大手ネット企業のストラテジストとして世の中の未来を考えるベースロードがあるのだが、それに加えて、理事でもあるデータサイエンティスト協会のスキル定義委員会(実は委員長、、。orz)では、新しいデータ社会に向けて必要となるデータプロフェッショナル人材のスキル要件についてこの5ヶ月ぐらい検討し続けている。

数週間前には、少々驚くべきことにOECDに日本が加盟して50周年記念というイベントの一つで、日本側のパネリストの一人として呼ばれ、“Promoting skills for the data-driven economy”という名のセッションで、「データ駆動型社会(©霞ヶ関!)に向け必要とされるスキル」について議論をした。昨日は、JINSE*1という統計研究者の集まり『論より統計! ~データサイエンス力の高い人材の育成にむけて』 にお声がけいただき、パネリストとして積極的に意見を述べた*2

これらの議論の中で感じるのは、我々人類がこれまでにない歴史的な変化の局面にあるということだ。

データ量の爆発についてはいうまでもない。インターネット、とりわけブロードバンド、ワイアレスネットワークの拡大がそもそもの背景にあるのだが、加えて、モバイル端末が広まり、初めて個のレベルの情報が刻一刻と流れ込むようになってきた。Nike fuelband、fitbitなどに代表されるセンサー系の情報も劇的に増えている。加えて、Nestのような、家庭内のセンサーデータも急速に解析可能な形になりつつある。クルマからもCarPlayのようにユーザ経験改善のために情報の利活用が始まっている。2020年にネット接続機器が全世界で500億台、すなわち人口の6倍超になるというIBMの予測もある。

これだけであれば単に情報が溢れかえっているということにすぎないのだが、これ以上に目を見張るべきなのは、我々人類が持つcomputing capacity(計算キャパ)の激増だ。McKinseyの分析によれば、2005年以降の10年間で約50倍に増えたという。この幾何級数的な計算能力の増加は衰える気配はなく、10年後 (2024) に今の50倍の計算能力を人類が手にすれば、10年前 (2004) の2500倍ものコンピュティングパワーを人類は手にすることになる。

実際、この10~20年を振り返れば、これらの変化を活用するICT*3と呼ばれる情報通信産業が日本でも米国でも経済成長の中心を担っている。情報通信白書*4をみれば、ICT産業なしには、90年後半以降の日本経済は縮小したことが明らかだ*5。世界のマーケットキャップ(事業価値)のトップは、1997年当時、存亡の危機にあったAppleで約50兆円。二位はExxon/Mobileだが、三位は1998年創業のGoogle(約40兆円)、四位はMicrosoftだ(約37兆円)。日本のトップであるトヨタは約20兆円だが、FacebookAmazonはすでに約17兆円だ。中国のEC王であるアリババはいきなりトヨタを抜いて23-24兆円規模だ。

これらを俯瞰して思うのは、今、人類史上初めて、人間にしかできないと考えられてきた知的な活動を機械が置き換わろうとしている、ということだ。人類の知的キャパシティ(mental capacity)の解放、すなわち第二のMachine Ageだ。

18世紀に始まり、20世紀まで続く産業革命、すなわち最初のMachine Ageは、石炭、石油という新しいエネルギーリソースを元に、蒸気機関、電気機関により、人間や家畜のこれまで行ってきた手作業、肉体労働から人間を解き放った。結果、そこまでの数千年かけて数倍程度にしか伸びなかった一人当たりの生産性は数十倍に跳ね上がった。(なんと100万年前からの人類の生産性を調べた方がBerkeleyにいらっしゃる。*6)機械が頑張ってくれた結果(笑)、我々はもう田植えも機械に任せられるし、機織りも機械に任せられる。鉄を溶かすのも機械を使う。空いた時間は、クルマを作るとか、それを売るとか、そのあとサービスするとかといったはるかに付加価値の高いことに我々は今使っている。


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @near Route66, AZ

これと同じことが、我々の知的活動について起きようとしている。退屈な数字の入力(みなさんお馴染みのExcelとかを相手にしたいわゆるナンバークランチングだ)やその上でのルーティンとは言えない程度の情報処理は消えていく。対人が基本だったセールスのかなりの部分も機械が代替していく。瞬時の状況判断が必要とされるクルマの運転も7割がた機械に置き換わっていくだろう。この間のバスの事故を見る通り、人間が眠くなるのは半ば仕方がないからだ。また、これまで知的産業の極みのように思われていた部分もかなりの部分が機械になっていく。

それを端的に考えさせられたのがこの間参加した、2014年度 統計関連学会連合大会で見たある発表だった。ガンの生体組織のスライドをたくさん見て、どれがガンかどうかを病理の専門家が見るというのは、ある種のガンだとどうしてもプロ同士が見ても半分ぐらいしか一致しないケースが多いということだったが、そのスライドを3次元でスキャンする装置をCarl Zeissが開発していて、それを使って数千だか数万のスライドを使って機械学習をさせたところ、人間の精度を超えたという発表があったのだ。

おそらく他の参加者同様、これこそ未来だと僕は思った。久しぶりに鳥肌がたった。将来の病理医はコンピュータの解析を元に二つ三つに絞られた可能性の中での判断をしつつ、他のオプションを考えるということになるだろう。法律の相談なども同じようになっていくだろう。ヨーロッパでは、中ぐらいのスキルの労働者の仕事がなくなることが大きな問題になっているらしいが、こうなることは6年前のブログエントリに書いた通り、以前から半ばわかっていた。上位のスキルの仕事すら本質的に変容していくことがポイントだ。しかもこれは、最初のMachine Ageとは比較にならない速度で起きる可能性が高い。

このような局面では、その変化に関わる人が大切になってくることは間違いない。つまり「データの持つ力を解き放つ人」が必要なのだ。これは第一のMachine Ageにおけるサイエンティスト、そして多数の専門性の高いエンジニアにあたる人たちのデータ利活用版だ。

現生人類が生まれて約15万年。これほどエキサイティングな時はない。なぜかこのタイミングで、歴史上初めて、地球上のほとんどの地域で人口がプラトーに達しつつある*7のも偶然にしては出来過ぎだ。この新しい挑戦に若い才能は飛び込んで欲しいし、ゆめゆめ第一のMachine Ageの延長のような選択をしないでいただきたいものだ。そして全身で各産業がICT的に生まれ変わっていくことの凄さと喜び、チャレンジを共に味わってもらえたらと思う。

僕のような老体(?笑)は、といえば、こうやって既存の大きな力を持った層に対して仕掛け続けるとともに、若い人たちのためにうまく道を作っていけるようにしていければと思う。

Let's go wild together!!

(関連記事)

*1:統計教育大学間連携ネットワーク:Japanese Inter-university Network for Statistical Education

*2:http://www.jinse.jp/pdf/sym_20141025.pdf

*3:information, communication, and technologyの略

*4:日本の産業別実質GDPの推移(情報通信白書 平成25年)

*5:1995~2011年のGDPは建設、小売、鉄鋼などの縮小セクターの効果がマイナス26兆円。伸びたセクター計40兆円のうち22兆円がICT、加えて電気機械が4兆円

*6:http://delong.typepad.com/print/20061012_LRWGDP.pdf#search='J.+Bradford+DeLong+World+GDP'

*7:http://www.mckinsey.com/insights/strategy/management_intuition_for_the_next_50_years

ただやりたいことをやろうとするのが本当に幸せか?


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII
Cambridge, UK

僕は何だか色々な相談を受けることが多い。

よくある相談の一つが、本当はこういうことをやりたいんだけれど、その辺をやったことがないので踏み込むべきかどうか分からない、というものだ。

これが大学出るかどうかぐらいの人だったら、「まあ深く考えずにやってみたらどうか?」という話になるわけだが、結構ないい歳になっていて、労働人生の何割かを過ぎてしまったような人の場合、これがむずかしい。

なぜだか、こういう相談をしてくる人に限って、そこまでの人生でそれが本当にやりたかったらそういう人生を送って来ていないだろう、という選択をしてきているケースが多い。*1本当にやりたいことがあるのだったら、それなりの経験をし、失敗もしているかもしれないけれど、そういう経験から、それなりのスキルを身につけている、、人に話してもそういうことをやらせてみてもいいと思う、、そういう人生を送っているはずなのに、そうじゃない人、というのが結構多いのだ。*2

代わりにというわけじゃないが、そこまでの10年なり、15年なりの労働人生で身につけてきたスキルとか、比較的意味のある仕事というものがあり、その延長だったら他の人も何か仕事を任せてみてもいいなと思ったりするわけだが、それがどうも心の中の夢なのか、隣の青い芝生なのか分からないが、どうも違うらしく、悶々としているというケースが多い。*3

そういう人に対してどういうアドバイスが出来るか、といえば、「まあ自分の人生だし、後悔しないように好きにするのがいいよ」ではあるものの、本当にその人の幸せにとってどうかということで考えれば、迷う程度の漠然としたことをしたいために、10年とかやってきたこと、これならば人よりうまくできること、を完全に捨てて、何か全く新しいことをいい歳して、新人のように学ぶというのはどうなんだろうと思う。

その場合、何しろ何のバリューも出ないのだから、それこそまたイチから薄給でも耐えて生き抜く覚悟がいる。失敗するリスクもある。自分で選んだ道だから誰も助けてくれない。

本当に覚悟があるのであれば、僕は止めないし、むしろ「思い切ってやったほうがいいよ」と背中を押すが、結局踏み切れないで僕に相談するという人の場合は、覚悟も足りず、自信もないというケースが多い。

そういう人に僕が言うのは、「バリューが出るところで、バリューの出る仕事をするべし」「どこならば食っていけるのか、どこならば一人前、一流になれるのかで考えるべき」だ。

人の幸せというのは何か、ということを考え出すとアランの幸福論じゃないが、なかなか難しい問題になる。

幸福論 (岩波文庫)

幸福論 (岩波文庫)

ただ、こと仕事ということについて言えば、自分が自分らしい価値を産み出せることをやらないと、認められないし、達成感も生まれない上、当然、成功もしない。そうすると自分がいやになってしまう。

なので相当量の時間、全く異なることに好きであろうと好きじゃなかろうと打ち込んできたのであれば、それをモノにした方が良いと思うのだ。

(もちろん、今までやってきたことに全く適性がないのであれば話は別だ。そのようなときは、さっさと鞍替えするとともに、なんでそれが分かるのにそれほどの時間がかかったのか自体を自分でよくよく内省すべきだ。普通に考えれば半年、一年もすれば分かるはずのことだからだ。)

人は好きなこと、出来たらステキだな、と思うが何の経験もないことをやるのと、好きかどうか分からなくてもバリューが出ることをやるのとどちらが幸せにつながるかといえば、多くの人は後者の場合だと思う。

例えば、僕は音楽や物理の話を聞くのは好きだが、それで食っていけるとは全く思わない。画期的なサービスを作るソフトのエンジニアもかっこいいとは思うが、今からやってモノになるか、というと無理だと思う。

結局、人はいい仕事をして認められれば、そのことに自信を持つし、うれしさも感じる。更に努力もする。スキルも更に伸びる。成功もしやすくなる。気が付いたらその仕事が好きになる。それが生理的に拒絶するようなことであれば別だが、そういうことに長年時間を投下できるような人は普通はいない。

なので、ただこういうのやりたいんだー、と18の青年が思い、そこに飛び込むのは見事な青春で「どんどんやれ」と思うのだが、それなりの歳の人で、それなりの自分の時間を何かに投下してきた人の場合、それが余程、適性のないことじゃない限り、それを生かした方がいいと思うのだ。

これは実は、何が向いているかわからないという若い人に、「与えられた仕事、目先の仕事、ご縁があった仕事にまずは全力を尽くすべし」「やるからには一生その仕事をやる位のつもりでやるべし」というのと本筋で同じ話でもある。

実際上のようなコメントをすると、多くの人が、自分としてバリューの出る選択をし、結局、そのまま幸せになっている。確かに憧れと、現実は別なんだと、いい歳になって気付く、そういうわけだ。

みなさんどう思われるだろうか?


*1:もちろん、何かきっかけがあって、突然気付いたというのだったら、ステキなことだが、そういう人はまれだし、そういう場合、相談ではなく、決意を表明されるケースがほとんどだ。

*2:少なくとも、主たる仕事の世界においては、意に添えず別のことをやっていたとしても、隙間の時間とか、それ以外の時間とかはそれに向けて精進したり、色んなところで経験を積んでいたりして、意外と人のつながりが出来ていたり、技を身につけていたりするはず。

*3:一つ意外とありがちで厄介なケースは、大学の時とか交換留学とかしていたり、大学卒業後に少し留学などしていて、ちょっと英語が出来るが、他にこれといって何も出来ないケースだ。親の教育方針か何かかもしれないが、サブスタンスのない英語力などあまり意味がない。英語だけで食べるような通訳などで食べていくということならいいのかもしれないが、それはそれでかなり厳しい道だし、それなりの立場の人の多くが、かなり英語が使えるようになってしまった現在、そのニーズはもはやそれほどなく、先細りの道とも言える。そしてそれはほとんどの場合、もはや、希少性を失った価値なので、余程一流でない限り、そもそもペイしない。

巨人サンガー逝去


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII
Cambridge, UK

タンパク質のアミノ酸配列を世界で初めて決定し、DNAの配列決定法を発明、更にRNAの配列決定法も産み出したフレデリック・サンガー(Frederick Sanger)

ノーベル化学賞を二度受賞した唯一の人物。サイエンスをはじめた頃からずっと僕のヒーローの一人だった。

その彼が19日火曜、イギリスのケンブリッジで亡くなった。

享年95歳。

彼がケンブリッジのラボの片隅で、テクニシャンとたった二人で10年間こつこつと仕事を行い、人類が世界で初めてタンパク質の配列を決定した仕事は現代の伝説であり、サイエンティストの目指す一つの夢だ。

身体の最も大切な構成要素の一つであるタンパク質(protein)が、22のアミノ酸がチェーン状に組み合わさって出来ているものとしか分かっていなかった当時、この巨大分子の1次構造を本当に紐解けると考え、インシュリンを題材にやり遂げたのは彼一人だった。

しかも、それは巨大チームとはほど遠い、小さな小さなチームの放った大きな一撃だった。このアプローチがその後のいくつものタンパクの一次構造決定の引き金になる。この仕事がどれほど多くのインスピレーションを世界の科学者に与えてきたのか、その影響は計り知れない。

明らかに解くべき問題があり、それを解けると考え、人の判断に左右されずに自分のジャッジを基に、取り組みを行う、そのことの大切さをサンガーの人生は教えてくれる。

ちなみに、彼の最初のノーベル賞はこのたった5本の、しかし、人類にとって計り知れないほどの価値を持つ論文からなる仕事のわずか4年後に与えられた。どれほどのインパクトのある仕事だったか、この事実だけからも分かるだろう。

最初のノーベルを40歳でとった後も、彼はラボからでることなく、コツコツと自分のベンチ(実験台)の前から離れることはなかった。「自分は人のために実験を考えることは得意じゃない、人を管理したり、教える才能がない」*1、彼はそう言って、自ら手を動かし続けた。

本当にサイエンスが、そして研究が好きな人にしか出来ないことだ。PI(principal investigator: ラボのヘッド)になったとたんにふんぞり返り、実験は若い学生、研究者に任せる、多くの研究者とは対照的だ。しかしそのほとんどの人は、サンガーには遥かに劣る衝撃しか世の中に与えない。

僕の知る限り、多くの実験科学者は、手を動かすことは労働ぐらいにしか思っていない。ただ、中にはほんの少し、それ自体に喜びと専門家としての矜持を持ち、その前後の中で多くのインスピレーションを得ていく人がいる。そのことの大切さをしみじみ感じさせてくれるのもサンガーだ。

静かな研究生活の中から、彼は、我々の遺伝情報を運ぶ物質の画期的な配列決定法を開発する。基本となる要素はわずか四つと、タンパクよりも格段に少ないが、タンパクとは比較できないほど長大で、手の付けられなかったDNAが相手だった。誰もが大切と分かっていながら手の付けようがなかった超巨大分子、DNAの配列決定。その後、サンガー法と呼ばれるようになる。これが彼の二つ目のノーベル賞となる。

同時期に産み出され、利根川さんののちのノーベル賞につながる免疫系の仕事で一緒に仕事をしたギルバートによる手法は、今はほぼ使われていない。高速な配列決定法(シークエンシングと呼ぶ)も現在は多く存在するが、その大半の原理的な部分はサンガー法だ。この事実上のデファクト的な手法によって、ヒトゲノムも配列が決定された。この世を根底まで揺さぶる仕事だ。

英国人で2つのノーベル賞を得た唯一の人物であるにも関わらず、サンガーはKnightの称号を受け取らなかった。Sirと呼ばれることを好まなかったからだという。*2

研究をやめて久しくたった今も、彼の生き方を考えるたびに、僕は自分の生き方と意味を考える。

今、本当に自分は大切な問題に立ち向かっているのか、自分は今やっている仕事を心から楽しんでやっているのか、指先から立ち上る、そして分析の現場から生まれる、そんなひらめきと考えをちゃんと大切にしているのか、と。

遠い極東の片隅から、サンガー博士のご冥福を祈る。

CGCATTCCG
TTTCGCGAAGAT
AGCGCGAACGGCGAACGC *3

*1:I am not particularly adept at coming up with experiments for others to do and have little aptitude for administration or teaching

*2:サイエンスで二度受賞した人は、他に二人しかいない。キューリー婦人こと、Marie Curie (Physics in 1903 and Chemistry in 1911) とJohn Bardeen (Physics in 1956 and 1972) だ。

*3:http://phenomena.nationalgeographic.com/2013/11/20/cgcattccgtttcgcgaagatagcgcgaacggcgaacgc/