ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

玩物喪志、、、それとも玩物立志?


α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


年末ということで、ほぼ日手帳を買いに行った。すると、ウィークリー版の欲しいのが売り切れ。困ったナと思ったが、店頭で調べたところ、ウェブで購入できホッとした。いい時代だ。



で、そのまま店を出たかといえば、生活的には要らないのに、目の前にあった毎日版もなぜかカゴに入れてしまった。その日の気付きを書こう、なんて自分に言い訳をして。笑


モノがとにかく良いとそれを触っているだけで心が落ち着く。ライカと同じだ。


紙質であり、製本でもある。毎ページ、下に書いてあるウィットと含蓄のある言葉もイイ。お気に入りの革製のカバーがまた良く、これをたまに開くだけでちょっとウットリとした気分になる。


モノの本質は機能である前に所有であること、そしてその人の一部になることだ。あくまで、その上での機能だとこの手帳は静かに無言で語っている気がする。

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しばらく使っていなかったローディア(RHODIA)のメモ帳。これもTo Do用と、ちょっとしたメモ帳用に大きさの違うのを二つ購入。


ローディアにはこれまでずいぶん助けてもらった。


僕は何かやるべきものをリストアップしてそれをやり、終わったら、そのことは忘れ、脳を空っぽにして次に向かう。この書いて剥がして捨てるメモはまさに自分にぴったり。あの紫がかった罫線の絶妙のゆらぎのせいなのか、紙質のせいなのか、しっかりしているようでいて適当な、それでいて頑丈な製本のせいなのかよくわからないが、あのページを見ると、本当にシャキッとして頭から何かがほとばしってくる。


書いて、やって、終わったら線を引いて消して、何時間かして、もう何か違うと思えば、前のは捨てて、また書き直す。終わったTo Doのことも、ここで忘れる。


このメモ帳を初めて見たのは10年ぐらい前だったか。六本木のAXISのLiving Motifで出会った気がする。一目惚れだった。当時ほとんど手に入る場所がなくて、見つけると3〜4冊ずつ買いだめしていたナ。


決断力というか判断力をずいぶんこのメモ帳に助けてもらってきた気がする。デジタルに打ち込むのではできない決断がここではできる。


裏紙を半分に切ったものもよく使うが、ローディアは格別だ。



α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


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もう一つ忘れてはいけないのがinnovatorの卓上カレンダー。


これと付き合うようになって早20年以上だ。


今年は知り合いからずいぶんオシャレなのをいくつももらったので、それで行こうかと思っていたが、先ほど手帳を買った時に近くの売り場を見ると目の前に。頭で判断する前に手がそれを掴んでいた。


仕事場と家の机用にと自分に言い聞かせて二冊購入。こういう長年付き合ってきたものは、もう生活の中で不可欠な構成要素になっている。それがない暮らしというのはなんというか、生産性のリズムが壊れてしまう気がして変えられない。カレンダーをくれた知人たちには申し訳ないが、これはしょうがない。


ちなみに一度、innovator以外のカレンダーをトライしたことがあるが、一ヶ月ぐらいで音をあげて、ほとんど在庫が枯渇したそれを四方八方に問い合わせ、ようやく手に入れたことがある。あの時ほどあれを買っておけばよかったと後悔したことはないかも。


一度、作り手がいなくなった時もえらく困ったナ。また作ってくれるようになって本当に感謝している。



α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


イノベーター 2016 カレンダー 卓上 30073006

イノベーター 2016 カレンダー 卓上 30073006

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モノなんて、役に立てばなんでも同じだということを言う人がいるけれど、僕の場合それはちょっとちがう。自分の手にあったものじゃないと何かが違う。簡単に言えばバリューが出ない。大好きなカメラもそうだし、鉛筆とかペンだってなぜかそう。不思議だ。


「玩物喪志」という言葉があると、開高健さんが以前『生物としての静物』で書かれていた。


生物としての静物 (集英社文庫)

生物としての静物 (集英社文庫)


モノに戯れ、志を失う、と言う意味ということだが、本当にいいものにはそういう魔力があると、僕も思う。しかし、長年愛してきたモンブランを開高さんが「六本目の指」と書いたように、本当のその言葉のポイントは「玩物喪志」ではなく、「玩物立志」にあるのでは、とふと思う。モノが僕らを奮い立たせてくれ、僕らを励まし、先に進めてくれる。

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初めてこの本を読んだ頃、僕はまだ学生だった。開高さんはまだお元気で、開高さんの息づかいを感じながら読んだことを今も覚えている。


開高さんがその文章を書かれた頃の歳に自分が近づきつつあることを考えると感慨深い。モノとその作ってくれた人一人一人に敬意を払いつつ、モノに溺れないように生きてきたつもりだが、そういうのがしみじみとわかる年齢になってきたのかもしれない。


そんな年末。



書評「静かなる革命へのブループリント」


α7, 1.5/50 C-Sonnar, RAW


我々の未来は、我々の意思が作り、我々の意思は感性、すなわち我々の現実の感じ方が生み出すことを改めて思い起こさせてくれる一冊。


献本をいただき、目を通したが、久しぶりにワクワク感を感じ、自分の深いところにあるものづくり、商品づくりの欲求がメラメラした。


実は僕は長い間、新商品開発をやってきた、かなりコテコテの商品開発野郎だ。身近な飲み物からハイテク商品までずいぶん幅広く関わってきた。その多くが幸い成功したが、随分力を入れたはずの商品が失敗する姿もかなりの数、これまで見てきた。それってなんだろう、と思ってきたことへの答えの一部がここにあると思った。


優れたマーケターは時代が身体の中に入っていないといけない。しかも、ほんの少し、先への展望がないといけない。それは時代への違和感であり、今起こっている話、話されている論説への違和感でもある。


そういうことをつい忘れてしまいがちなわけだが、それがやはり世の中を変え、新しいものを作るAでありZでもあることをこの本は思い起こさせてくれる。


参加者も豪華だ。トヨタ愛・地球博のi-unitを作った根津孝太さん、東大歴本研出身で現代の魔法使いと言われる落合陽一くん、ITビジネスの原理を書いた尾原和啓さん、クラウドワークス創業者の吉田浩一郎さん、加えて一度はお話ししたい猪子寿之さん、門脇耕三さん、駒崎弘樹さん。何よりインタビューアーの宇野常寛さんがやばすぎて相変わらず最高だ。笑


宇野さんには自分との対談でも大変お世話になったが、最後の章の落合くんとの対談は、稲葉ほたてさんとのマッチも抜群で素晴らしい盛り上がり。


トヨタ出身の根津さんの話からはもうなんだか訳の分からないレベルのinspirationを得た。次の一節を読むだけでも、根津さんがどれだけの思索と実践を積み重ねられてきたか容易に感じられる。そしてここにはシンプルでありながら深いJoy of Lifeがある。

その「自分はこう考えるから、こういうものを作った」こそが、文明でなく文化になる。だから、自分がどうあるのかを、僕は厳しく考えています。そしてやはり、僕ら自身がどれだけ楽しんでいきていくかこそがすごく大事だと思っているんです。(pp.23-24)


いつもいろんな世界の後ろで仕掛けまくる尾原さんからは相変わらずあやしすぎる面白さが漂っている。(前職の後輩でもあり、ちょっと身近すぎてあまりうまく評論できない)


人と仕事の関係性を作りなおそうという、吉田さんの話はいつもながらにすごい。問題を真正面から解こうというこの姿勢は、世界を本質的に変えていく人特有のものだ。

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宇野さんの差し込みは私が言うまでもなく、相変わらず激烈で、シャープ。また独特のねじれがオモシロイ。その宇野さんの独自の角度がなければこの対談の面白さは50分の一ぐらいになったことは間違いない。自分なりの視点(上の「感性」)と世界観を持って論を深めることの醍醐味とワイルド感を味わいたい方にはこの本は絶品だ。


私自身は年始に偶然宇野さんと知り合ったのだが、なんとも言えない味付けと芸風にしびれている。対談中何度も、語り手には出来なかったレベルの意味合いの凝縮を宇野さんがして、語り手が息を飲むシーンが出てくるが、言語化困難なものをピンポイントで取りまとめる才能には毎度驚く。


ところどころ出てくる独自の視点も味わい深い。

怒りしか持っていない人は、他人からは絶対に感染してもらえない。一緒に戦ってくれる人を増やすには、やっぱりここに加わると楽しいんだと思ってもらう必要があるし、そのためにはまず自分が楽しくなければ、と僕も思う (p.102)

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年末ぐらいに多分買って、積み上げてあった雑誌を2月ぐらいにパラパラめくっていたら、やたら面白くしかも本質的に80年代の芸能文化風景を俯瞰した記事があった。


これを書いた人は天才だ、と思ってみたら、なんと書き手が宇野さんでびっくりしたということもあった。


そういう宇野節を楽しみつつ、世界をまさに変えるべく色々仕掛けているワイルドな面々の感性に触れたい、そういう方におすすめだ。


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今日ご紹介した本と関連本

静かなる革命へのブループリント: この国の未来をつくる7つの対話

静かなる革命へのブループリント: この国の未来をつくる7つの対話

ITビジネスの原理

ITビジネスの原理

ただやりたいことをやろうとするのが本当に幸せか?



Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII
Cambridge, UK


僕は何だか色々な相談を受けることが多い。


よくある相談の一つが、本当はこういうことをやりたいんだけれど、その辺をやったことがないので踏み込むべきかどうか分からない、というものだ。


これが大学出るかどうかぐらいの人だったら、「まあ深く考えずにやってみたらどうか?」という話になるわけだが、結構ないい歳になっていて、労働人生の何割かを過ぎてしまったような人の場合、これがむずかしい。


なぜだか、こういう相談をしてくる人に限って、そこまでの人生でそれが本当にやりたかったらそういう人生を送って来ていないだろう、という選択をしてきているケースが多い。*1本当にやりたいことがあるのだったら、それなりの経験をし、失敗もしているかもしれないけれど、そういう経験から、それなりのスキルを身につけている、、人に話してもそういうことをやらせてみてもいいと思う、、そういう人生を送っているはずなのに、そうじゃない人、というのが結構多いのだ。*2


代わりにというわけじゃないが、そこまでの10年なり、15年なりの労働人生で身につけてきたスキルとか、比較的意味のある仕事というものがあり、その延長だったら他の人も何か仕事を任せてみてもいいなと思ったりするわけだが、それがどうも心の中の夢なのか、隣の青い芝生なのか分からないが、どうも違うらしく、悶々としているというケースが多い。*3


そういう人に対してどういうアドバイスが出来るか、といえば、「まあ自分の人生だし、後悔しないように好きにするのがいいよ」ではあるものの、本当にその人の幸せにとってどうかということで考えれば、迷う程度の漠然としたことをしたいために、10年とかやってきたこと、これならば人よりうまくできること、を完全に捨てて、何か全く新しいことをいい歳して、新人のように学ぶというのはどうなんだろうと思う。


その場合、何しろ何のバリューも出ないのだから、それこそまたイチから薄給でも耐えて生き抜く覚悟がいる。失敗するリスクもある。自分で選んだ道だから誰も助けてくれない。


本当に覚悟があるのであれば、僕は止めないし、むしろ「思い切ってやったほうがいいよ」と背中を押すが、結局踏み切れないで僕に相談するという人の場合は、覚悟も足りず、自信もないというケースが多い。


そういう人に僕が言うのは、「バリューが出るところで、バリューの出る仕事をするべし」「どこならば食っていけるのか、どこならば一人前、一流になれるのかで考えるべき」だ。

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人の幸せというのは何か、ということを考え出すとアランの幸福論じゃないが、なかなか難しい問題になる。


幸福論 (岩波文庫)

幸福論 (岩波文庫)


ただ、こと仕事ということについて言えば、自分が自分らしい価値を産み出せることをやらないと、認められないし、達成感も生まれない上、当然、成功もしない。そうすると自分がいやになってしまう。


なので相当量の時間、全く異なることに好きであろうと好きじゃなかろうと打ち込んできたのであれば、それをモノにした方が良いと思うのだ。


(もちろん、今までやってきたことに全く適性がないのであれば話は別だ。そのようなときは、さっさと鞍替えするとともに、なんでそれが分かるのにそれほどの時間がかかったのか自体を自分でよくよく内省すべきだ。普通に考えれば半年、一年もすれば分かるはずのことだからだ。)


人は好きなこと、出来たらステキだな、と思うが何の経験もないことをやるのと、好きかどうか分からなくてもバリューが出ることをやるのとどちらが幸せにつながるかといえば、多くの人は後者の場合だと思う。


例えば、僕は音楽や物理の話を聞くのは好きだが、それで食っていけるとは全く思わない。画期的なサービスを作るソフトのエンジニアもかっこいいとは思うが、今からやってモノになるか、というと無理だと思う。


結局、人はいい仕事をして認められれば、そのことに自信を持つし、うれしさも感じる。更に努力もする。スキルも更に伸びる。成功もしやすくなる。気が付いたらその仕事が好きになる。それが生理的に拒絶するようなことであれば別だが、そういうことに長年時間を投下できるような人は普通はいない。


なので、ただこういうのやりたいんだー、と18の青年が思い、そこに飛び込むのは見事な青春で「どんどんやれ」と思うのだが、それなりの歳の人で、それなりの自分の時間を何かに投下してきた人の場合、それが余程、適性のないことじゃない限り、それを生かした方がいいと思うのだ。


これは実は、何が向いているかわからないという若い人に、「与えられた仕事、目先の仕事、ご縁があった仕事にまずは全力を尽くすべし」「やるからには一生その仕事をやる位のつもりでやるべし」というのと本筋で同じ話でもある。

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実際上のようなコメントをすると、多くの人が、自分としてバリューの出る選択をし、結局、そのまま幸せになっている。確かに憧れと、現実は別なんだと、いい歳になって気付く、そういうわけだ。


みなさんどう思われるだろうか?



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*1:もちろん、何かきっかけがあって、突然気付いたというのだったら、ステキなことだが、そういう人はまれだし、そういう場合、相談ではなく、決意を表明されるケースがほとんどだ。

*2:少なくとも、主たる仕事の世界においては、意に添えず別のことをやっていたとしても、隙間の時間とか、それ以外の時間とかはそれに向けて精進したり、色んなところで経験を積んでいたりして、意外と人のつながりが出来ていたり、技を身につけていたりするはず。

*3:一つ意外とありがちで厄介なケースは、大学の時とか交換留学とかしていたり、大学卒業後に少し留学などしていて、ちょっと英語が出来るが、他にこれといって何も出来ないケースだ。親の教育方針か何かかもしれないが、サブスタンスのない英語力などあまり意味がない。英語だけで食べるような通訳などで食べていくということならいいのかもしれないが、それはそれでかなり厳しい道だし、それなりの立場の人の多くが、かなり英語が使えるようになってしまった現在、そのニーズはもはやそれほどなく、先細りの道とも言える。そしてそれはほとんどの場合、もはや、希少性を失った価値なので、余程一流でない限り、そもそもペイしない。

仕事が進まないときの話

Leica M7, Summilux 50/1.4, RDPIII @ Pienza, Tuscany, Italy


仕事が全然進まない時、というのがたまにある。


実は今もそれで、連休中なのに仕事を持ち帰って来てしまっている。頭の調子が悪いと言うか、うまくかちっとはまらない。


人によると思うが、僕の場合、難しいというより、過度に精神的な負荷が高い仕事が重なると、こうなることがある。


過度に精神的な負荷が高い仕事というのは、なんというか入り組んだ、関係する受け手だとか文脈のことをかなりああだこうだと読み切って、それに合わせて、精妙に組み込まないといけない組み込み細工のような仕事のことだ。


単に疲れているだけのときかもしれないが、そう言うのが折り重なって来ると、お腹いっぱいみたいになって、時たま、心か脳かどこかがダウンしてしまう。


本当に不思議だ。


まあ自然の調節弁なんだろう。

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そういうときはどうするか、と言えば、みんなそれぞれのやり方があると思うけれど、自分は概ね次の4つぐらいのことをしている。


1.そもそも仕事するのをしばらくやめる


そう言う時に限って、一分でも大切に仕事をしたいものだが、そこをぐっとこらえて何か全く別のことをする。(実際、今こうやってブログを書いて気晴らしをしている。笑)


自分の仕事とは直接全く関係のない人と話をするというのも悪くない。ただその辺を散歩して来るというのも悪くない。



2.何か簡単だからといって後回しになっているが、どうせ割とすぐにやるべきことをやる


大体、アタマが不調になる時というのは、アウトプットというよりインプットがメインの日が数日続いた時になりやすい。


単に、アウトプットの弁が閉じている感じになっていたりするケースが多いので、何でもいいから書いてみる、出してみると言う感じだ。


To Doリストの行数が少し減るだけで、結構気晴らしになるし、なんであれ、何かが前に進むというのは気持ちがいいものだ。小さな弾みにもなるし、元気にもなる。掃除でもいいからやるというのは悪いことじゃない。それで疲れて動けなくなってしまうと本末転倒だが、それでもそれがそのタイミングでやるべきことなんだったら、そもそもやろうとしていることが多すぎるからそうなっているので、まあしょうがない。



3.ものすごい強烈なプッシュを受ける(笑)


意外と効くのがこの外圧の活用だ。どうにも重い腰が上がらないときなのか、着手が出来ないときは、もうケツを切ってしまうだけでなくて、そのオーダーのもとに接する、という手段だ。


かつてコンサルタントだったときは、とにかく考えて前に進まないときは、深く考えずにクライアントさんのところにいく、いろいろ生のお話をして来る、というのが劇的に効することが多かった。


商売とかマーケティングの話であれば、エンドユーザだとかお客さんのお話をとにかく直接聞いて来るというのも良い。この生の感覚が、観念論的な行き詰まり感を一気に打破してくれる。



4.大切な玉ぐらいに思っている話があれば、それをさっさと出してしまう


これもいい。


後になればなるほど初期的な話とちがったちゃんとしたものを出そうとするが、これがよけいに不思議なプレッシャーになって大したものが出せなかったりする。自分の仕事のクオリティにプライドを持っていたりするとよけいにそれが起こりがちだ。


なので、それを一気にまとめあげる勢いがなくなってしまっているときは、どんなものでもさっさと出してしまう、それで批評と言うかフィードバックにさらされるというのはなかなか効果的だ。

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で、それでも行き詰まったときは?


休む!


しょうがないよね。


合わせて、身体を動かすのもいい。


休む気にならないところを強引に休むために、身体を動かすと、日頃全くと言っていいほど運動しない僕は*1、クタクタになってそもそも無理できない性格なので、バタンと倒れて寝てしまう。


次の日に軽く筋肉痛になったりするが、それもまた良し。


少なくとも昨日とは違う自分になったことが実感できて、先に進めたりする。

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最終兵器は、放置だ。


もうほっておく。何れにしても人は責任から逃げられないので、ギリギリになったらどうせやる。寝ないでもやるに決まっている。(実際には寝るが。笑)


なので、もう自分を信じて、もういても立ってもいられなくなるまで放置してしまうというのは実はそれほど悪い手段ではなかったりする。*2

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読者諸兄姉は、きっと同じようななんだか前に進まない感じになる人は少ないのではないかと思うが、とはいうものの、似たような感じになる人も実はそれなりにいるのではないかと思う。


結構この辺の芸の深さというか、手練手管??が総合的に見た時の人の生産性に直結しているのではないかと思ったりもする。


それが時間と共に磨き込まれたタイムスキルの一つなのかな。

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みなさまステキなゴールデンウィークを!



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*1:少々恥ずかしい

*2:実は去年アクセス解析サミットというののキーノートスピーチをやったときも、前日の夜11時以降まで別のこれもケツの切れた仕事をやっていて、そこから早朝にかけて用意した。が、結構好評だったようでホッとしている。これ以外にも似た経験は実は多く、「ギリギリさ」と「アウトプットの質」は明らかに関係しないということは経験上断言できる。全く自慢にはならないが、よほど自分を信じていないとこういうことは出来ないとも言える。(たしか同じ週にあった昨年のTEDxUTokyoも前日の夜に頑張った、、。担当の学生の方には多大な心配と迷惑をかけてしまったが、こちらも無事終了した。)

対象に肉薄したい



GXR, 35mm Nokton Classic F1.4, 気仙沼


行動を伴わないと何事もただしく理解できない。アタマはあくまで身体に付き添うもの、ということを最近しみじみ実感する。


脳と神経の側から見ると当たり前のことなんだけれど、身体と脳は全く切り離せない。このように世界を感じる自分の身体があって、このように考える自分の脳がいる。身体と脳は1セットだ。


例えば、色の三原色という言葉があるが、これは人間の色覚にとって三原色なんであって、鳥にとっては違う。あまり聞いたことがないかもしれないけれど、鳥には4つの異なる色覚があり(これをテトラクロマティックという)、ハトは恐らく五色、つまりペンタクロマティックだと推測されている。


彼らの感じる世界なんて僕らには理解できない。彼らの目を僕らの脳に直接つなげば何か分かるのかもしれないけれど、この実験をしようと思えば、脳の構造に影響を与える必要があるので(つまり四色なり五色を理解できる脳の側の構造にする必要がある)Critical periodとよばれる脳の対応力(可塑性という)が非常に高い時期*1につなぎ直してそのままにしておかないといけない。


けれど、色覚というのは、物理現象ではなくて、あくまで脳の中での合成物だから*2そのような異様な手術を受けた個体があったとして(別にヒトである必要はないです。笑)、その個体がどう感じるかなんて、理解はやっぱり全く出来ないということになる。


かなり極端に思われるかもしれないけれど、結局僕らはヒトに限らず、感じる内容から自分のやっていることを理解するということを繰り返しているので、直接的に感じることがないと、なにもちゃんと理解した気がしない。夢の中では脳が外からの刺激をほとんど遮断しているので、何かほんとにしているように感じるけれど、起きていて、歩くことを想像する、というのと、実際に歩いている、ということの違いは明確で、これは足や身体が受ける振動から感じることが僕らの実感そのものを作っていることを示している。

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これは毎日の日常で、同じような苦痛を感じたことがない人の話は理解できないとか、その仕事をしていない人にはその仕事をしている人の話はやっぱりいくら聞いても理解できない、というのと同じだ。失恋した人が、同じような大変な目にあった人によく相談する、というのがドラマでよく出てくるけれど、あれも同じだ。年末伺った気仙沼陸前高田も全くその通りだった。


この意味において、「書を捨てよ、町へ出よう」と言った寺山修司に僕は心から賛同する。


また、これは、僕みたいな人間がしているような知的生産的な仕事においても全く同じで、実際に身体を動かして、その場の人と直接向かい合い、あるいは課題に向かい合い、直接イシューを拾い出し、直接、手を動かして、分析的なアプローチを設計する。それを更に直接、実行して、意味合いをひろい、それをベースに直接、自分でイシューにそった表現をする。そのようなことを実際に繰り返して体験しないと、何も理解なんて出来ない。*3


この間も、僕の近くで働く人たちを集めて、ちょっと分析だとか、イシュー出しをやってみる、あるいはチャートを書き直す、というセッションをやった。これまでさんざんレクチャーを色んなところでやって、座学がほとんど何も産み出さないことを実感しているので*4、実践を繰り返して、その場でぼこぼこにフィードバックするブートキャンプ方式(笑)でやってみた。


すると、みんな自分が驚くほどなにもできないこと、そして僕が話していることの殆どを理解できていなかったことを痛感し、なのに喜んで帰っていった。(人間って結局、マゾなのかも。笑)


僕が今やっている仕事もそうだ。仕事なんて毎回新しい問題に立ち向かうものなのだから、毎回フレッシュな自分がいる。そして、自分が何も分かっていなかったことを実感する。アタマって、何かを理解するにはあまり向いていない。ただ、理解した体験を積み重ねて、保存する、それが僕らのアタマとカラダなんだと思う。


なんてことを、土曜の朝の寝起きのアタマでふと思う。


よし、ということで、今日も対象に肉薄だ!

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*1:生まれてすぐから人間だったら5−6歳まで

*2:かなり納得感ないですが、受け入れるしかないかなと

*3:だから、本筋ではないですが、こういうテクニック本なんて一冊だけいいものを読めば十分なので、本当に理解し身につけたかったら、スポーツと同じように、あとは少しでも多く、実践し考えた方がいいです。

*4:どんなにそのトレーニングの評価が高くても、その人たちが僕のチームに来ると何も出来ないことが普通。苦笑

人生の短さについて


Leica M7, 50mm C-Sonnar F1.5, RDPIII @ London, England


僕の意思とは別に出版社が選んだ(笑)、年末に出た拙著*1の表紙の帯にある言葉と違って、僕は人生が短いなんて思ったことはあまりない。


僕が、はたちを過ぎた頃から、繰り返し読んできた本の一つに、セネカの『人生の短さについて』(岩波文庫)がある。そこにある通り、


生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

「われわれは短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている、、、(中略)、、、何ゆえにわれわれは自然に対して不平を言うのか。自然は好意を持って振る舞ってくれている。人生は使い方を知れば長い」


、、、そう思う。

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若い頃、よく聞いて、今も時折聞く言葉に、歳を取ると時間の過ぎ方が速くなる、というのがある。ホントかな、と思う。


子供のころの一日も確かに長かった。海のすぐそばで育った僕は、毎日早起きして、釣りに行き、そのあと、飼っていたニワトリと、虫と、インコの世話をして、ついでに廊下の掃除をしてから、ご飯を食べて、学校で遊び、また放課後、釣りに行き、友達とビー玉や、コマや、色んなことをして遊んだ。高学年になってからは毎日毎日サッカーに明け暮れ、夕方の遊びが、球蹴りに変わった。


でもあの頃を思い出して、一ヶ月がそんなに長かったかな、と思う。とても楽しくて、すぐに過ぎ去って、夏休みが終わる時の悲しさは言葉でいえないほどのものがあったのは確かだけれども、ひと月はある種あっという間だった。


で、大人になってからはと言うと、少なくとも大学院に入り、また仕事をするようになってからは、ひと月ひと月がとても濃厚で、一ヶ月経って、ひと月前のことを思い出すと、あれが本当にひと月前のこととはとても思えない、そう思うことが日常茶飯だ。


ビジネスの世界では、三月(みつき)もあれば、相当にまとまった仕事ができる。混迷に満ちた状態のプロジェクトも方向性が定まるし、少なくとも次に何をやるべきかぐらいはハッキリする。半年もあれば、大きなディールもかなり進展するし、一年もあれば、大型の商品だって外に出すことが出来ることが多い。


で、区切りになると、本当にあれが、半年前の話だなんて、とても実感ないですねー、ずっと遠くの話に感じますね、、、なんていうことをよく言い合う。

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僕らが体感的に感じる時間というのは、おそらく僕らがどれほど新しいことをやろうとしているか、そしてそれを越えた実感があるか、それによって決まるのではないかと思う。


そういう視点では、次から次へと新しいことを実際の世界でトライし、その結果をたとえ苦痛が伴おうと、実感し、それをもとに更に次に向かうことが出来る大人の世界の方が、遥かに時間は長く感じるものではないかナ。


そして、それは沢山のことを実は産み出しうる、ということでもあり、より新しいことを体験しうる、ということでもあるのではないかと思う。ということは、ちゃんと正面から自分の人生を生きてきたのであれば、実は歳を取るほど時間は実は長くなっているはずであり、世の中の常識は実は違うのではないかと思う。


逆に、自分の時間が過ぎるのが速くなってきたなと感じたら、それはある種の危険信号で、自分がちゃんと正しく、自分自身にチャレンジしていないということを示している可能性があるのではないかな、、そんなことを思う。

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というのも、年始にTwitterにはちょっと書いたのだけれど、年末にたちの悪いインフルエンザ(恐らく新型)にかかり、それが風邪と誤診されたために悪化し、気管支炎になり、肺炎にもなりかかった。これがさらにこじれ、ゼンソク体質ではないはずなのだが、ゼンソク様の症状になって、一月はずっとなれないクスリを飲んで、時折点滴を打ったりして、ぼーっと過ごしてしまったからだ。


結果、一月はほとんど僕にはあまり生きていた記憶がなく、頭を使わないTweetを眺めたりしていたことぐらいしか心に残っていない。そういう意味では、この一、二年で最も忙しくない(忙しく出来ない)時の時間のスピードが、僕には最も速かった、ということだ。

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さあ、もう二月も終わる。


僕が大好きな冬から春に変わるこのタイミングがはじまる。


じっくり、そしてしっかり、がっちりと人生に向かい合って、大きくなにかに掴み掛かって、また何か変化を産み出していければと思う。


読者諸兄姉にとってもこの春の始まりが、素晴らしいものとなりますことを願いつつ。


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ps. 上で触れた拙著についての参考リンク


ps2. twitterでのアカウント、2年以上ほとんど止まっていましたが、徐々に使い始めました。ハテナと同じハンドル名です(@kaz_ataka)。よろしければご笑覧ください。


*1:

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

純粋に好きなものを繰り返し読む


Leica M7, 50mm C-Sonnar F1.5, RDPIII @Lake district, England, UK


本を無心に読むって本当に素敵なことだと思う。


川本裕子さんの、「親子読書のすすめ」を読んで久しぶりに子どもの頃の、純粋に本を読むよろこびを思い出した。


本に没頭できると本当に幸せだけれど、ちょっとだけすれっからしになった今は、そう簡単に時間が忘れられるほど、なにか読み物に没入できることがあまりない。


ぼくはもとより音楽のように気が向いたときに自分のすきな本の一節だとか、その周りだけとかを読むことが多い。何冊も、ほんの少しだけ、読みたいところだけを読むこともある。


けれど、その「すすめ」を読み、ただ無心に面白すぎて何かを読む、それをまた最初から読み始める、というのが、このところなくなっているかも、、そんなことをふと思った。


自分が子どもの頃、家族の図書カードも使って、図書館から借りられるだけの本を借りてきて読み、恍惚とした、あのよろこびからほど遠いな、とも思った。


お小遣いも限られた子供のころは、釣りのえさだとか、ビー玉とか、コマとか、あるいはサッカー道具とか、色んな遊び道具を買ったらお金なんてなくなってしまって、本はほぼ全て町外れの図書館で借りていた。一度に6冊とか借りて、それを一気に読む、本当に面白い時は、また同じ本を借りて、またその本を読む、、、確かにそういう読み方をしていたな、ということを、思い出した。


きっとこのブログを読まれている人にも何人かいらっしゃると思うが、僕は、今はやりの本というのがあまり得意でなく、人の目につく前か、人が大騒ぎしていない本を見つけてきてそれを自分のペースで読むのが好きだ。そうしないと、自分の心から来る小さな声に耳が傾けられない気がするからだ。


それってどこから来ていたんだろう、と思うと、おそらくそんな「子供のころ、自分がどうやって本と向かい合う時間があったのか、それから来ているんじゃないかな?」、、この本を見て、今回、そうふと思った。id:aurelianoさんの「もしドラ」も同じハテナでブログを書くもののよしみ(?)で、ちょっと心理的に身近に感じ、買ってきたが、もうすこし場が冷えてから読みたいな、と思っている。

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この川本さんの本に戻ると、この本には懐かしいのやら、名前しか知らないのやら、聞いたことのないけれど、子供のころの心にかえれそうな本が随分沢山紹介されている。


川本さんは、僕が仕事を始めた頃からのおねえさんのような人で、とても朗らかで、ステキな人だが、最近はすっかりスターエコノミストとして活躍されており、結果、ちょっとお近づきがたく感じたりもしていた。(笑)が、これを読んで、昔と変わらぬ川本さんがいてほっとした。: )


この本をふと手に取って買ってきたのは、そんな、知っている人の書いた本だからというより、多分、上にあるような、自分にとって大切な時間を思い出そうと思ったからかナ、と思う。(そもそも通常、直接、知っている人の本はあまり読まないし、なぜだか読みたいとあまり思わない、、。)


紹介されている本の中には、僕がどうしても欲しくて、買ってもらい、今でも大切に持っている本もあったりして、それもとても楽しい。みなさんも、そういう本がないか、のぞかれてみるだけでも楽しいのでは?


仕事も大変だったし、プライベートでも色々あった。そんな1年をこうやって一度時間をリセットする感じで振り返る、そんな気持ちになりたい人にはおすすめです。



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ps. twitterでのアカウント、2年以上ほとんど止まっていましたが、徐々に使い始めました。ハテナと同じハンドル名です(kaz_ataka)。よろしければご笑覧ください。



ps2. このエントリに限らず、写真にもスターなど頂けたりするととてもうれしいです。また、よろしければ下のリンクをクリックして頂けると幸いです。