ブレッソンやキャパとマグナムを立ち上げたアーウィットの有名な写真にカリフォルニアキスという作品がある。


そこには色は全くないのだが、恐ろしく鮮烈にイメージが残る写真だ。


驚くほどのビビッドなイメージが、自然なフレーミングと背景のもとに映し出されている。よく見ると夕焼けなのか朝焼けなのかという太陽が、雲の合間と海の境に見え、海岸と、とてもクラシカルな車のボディが落ち着きを生み出し、バックミラーの中の彼女の「生」に満ちた笑顔と力強い対比を生み出している。


これをずっと見ていると、写真そのものの良さと共に、いったい何がこんなに力強いイメージを生み出しているんだろうと思う。それと共に、なぜこんなにも色がついて見えるんだろうと僕は思う。少なくとも深みのあるブラウンか、ワインレッドを基調にしたボディ、そして彼女の口紅にはなぜか強い赤が残った状態で、僕の心には不思議と思い出される。



これを言うとサイエンスバックグラウンドの人にすら違和感を感じる人がいるのだが、「色」というのは幻覚に近い。自然界そのものには存在しないものである。心理的な値なのだ。


ニューロサイエンティスト(脳神経科学者)の立場で申し上げると、いかなる「色」も心が生み出しているものであり、決して物理量として存在しているわけではない。物理的に存在しているのは光の電磁波としての波長にすぎない。ある特定の波長、あるいは特定の光学信号について、脳は特定の「色」を感じるのだ。必ずしも波長ではなく特定の光学信号というのは、かなり簡単な実験で実感できる。例えば白と黒の模様が交互に入っているようなコマだとか円形のものを回すと、普通はかなり明確に色がついて見える。これであれば、子供のころに体験したことがある人は少なくないのでは?当然回転ぐらいで光の波長は変わるわけがないので、色は脳の中での情報処理が生み出したものだということが無条件にいえる一例である。


そして不思議なことに、それぞれの波長なり、光学信号から「脳の中で」生み出された「本来自然には存在しない」色が、特定の意味を持ってしまう。これはとても不思議な現象だ。脳が自分で生み出したものに、自分で更に意味を付け加えている。しかもかなり根源的なレベルで。


ちなみにこの意味やテキスチャー、肌触り、あるいは質感、量感的なものの創出の仕組みについてかねがね興味をもたれているのが、今をときめく茂木さんで、これはニューロサイエンスというよりも認知科学(Cognitive Science)、あるいは純粋に心理学な領域に近い。


これが先ほどのモノクロームの写真に勝手に付け加わった印象として残ったりする。本当に不思議であるが、そういう色んな意味がどうやって情報に付加されていくのかについてもタイミングを見て徐々に考察していきたい。


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