Brazil 4:サンパウロ

Brazil 3より続く

読者諸兄姉のご賢察通り、僕らは直接マナウスに入ったわけではない。ニューヨークからサンパウロに入り、その後、フォス・ド・イグアスを回った後、マナウスにたどり着いた。

サンパウロは南米の首都である。人口千六百万を抱え、ブラジルのGDPの半分を生み出す。南米の主たる産業のほとんどが、ここに拠点を持っている。外港としてサントスを持ち、世界最大の生産量を誇るコーヒーの輸出とともに発展してきた町でもある。

ブラジル到着前夜、ニューヨーク、JFKケネディ)空港発の夜にアメリカ航空のボーイングに乗る。日本=アメリカ線、アメリカ=ヨーロッパ線などと比べて明らかに古く型の落ちた飛行機である。座席が悪いからか、興奮のためか、あまりよく眠れないまま朝サンパウロに着く。

あまり知られていないことだが、このサンパウロには、日本の外では世界最大の日本人町が存在する。これはロサンジェルスのような名前だけが日本人町で、土地も、レストランのオーナーもKorean、Chineseが大半という生半可なものではない。本物の日系人が築き上げた町である。

何故か。それはこの土地が、ハワイを除けばほとんど唯一、日本人が積極的に移民した土地だからである。時は百年ほど昔に遡る。日本政府の奨励によって、数多くの貧しい日本の農民達は新天地ブラジルに移民した。広大で明日(アマニャン)の国、ブラジルへ。現在二百万近くの日系人がこの国には存在する。その大半はサンパウロ州に住むという。

その日本人町に、空港で落ち合った山根先生と向かう。何だか懐かしい日本語を話す人が多い。アメリカの日系人と比べて日本語が崩れていないのが特徴的でもある。みんなちゃんと背筋が通り、目鼻立ちのくっきりした日本語を話す。魚の正体が何だかよく分からない刺身定食を食べ、セルビシュ(ビール)に喉を打つ。ブランドはアンタークティカ(南極)。アークティカ(北極)ではないことににやりとする。

その後、日系人移民博物館に行く。汗と涙を知る。河のそばにはジャカレ(鰐)がいたるところにおり、森に近づけばボア・コンストリクター(大蛇)が現れ、蚊に刺されればマラリア原虫が濃縮ジュースのように注入される。西洋系のコーヒー農園主に実質的に奴隷として使われ、縄文時代のような小屋に住んで生活を始めたというのが初期の入植者の典型的な始まり。迂闊なことでは、日系人にも、おそらくそれ以外の人たちにも昔の苦労話など聞けないことを知る。今後一切、自然と鳥獣虫魚のことだけについて話を聞くことに心を決める。

サンパウロ大学そばのホテルに戻り、一寝入りした後、山根先生と、先生のベル時代の友人の息子アンソニー君(カレッジの夏休みで遊びに来ている)、そして日本からブタンタンにポスドクとしてやってきている二瓶夫妻と、我々(私+妻)でシュラスカリアに行く。シュラスカリアというのは、ブラジル名物のバーベキュー、シュラスコを食べさせるレストランである。サンパウロの町中には至る所、そう数百メートル毎に存在する。これ以外にメジャーな料理はないかのごとくである。料理についてはまたどこかで述べるとして、それを堪能した後、店を出る。

花火が揚がっている。道という道が叫び声で満ちている。多くの人が旗を振っている。クーデターでも起こったのかと、少し不安になる。この国では何が起こっても不思議ではない。再び軍事政権になっても何ら不思議ではない。が、それは幸い杞憂だった。サッカーである。この夜、我々がシュラスコに喉を鳴らしていたころ、サンパウロ州のチャンピョンを決める決戦が行われていたのである。サンパウロFCフットボールクラブ)vs.サントスFC。結果は、花火から分かるとおり、サンパウロの勝ち。よかった。もし負けていたらと思うと、背中が寒くなる。

その様子を写真に撮ろうとしていたら、そのうちの二人が、自分達を撮ってくれ、撮ってくれと言ってくる。最高にご機嫌である。みんなサンパウロFCのユニフォームを着ている。そしてその胸のチームのマークを誇らしげに手で持ち上げてくれる。撮り終わって、オブリガード(ありがとう)というと、全く予期せぬ答が。"ARIGATOU! ARIGATOU!"と日本語で本当にうれしそうに。この国の人はやさしく、明るい。

ブラジルの国技はサッカーである。各州に二十あまりのプロチームが存在し、全土で四百以上のプロチームがあるという。町を歩いていても、サンパウロのど真ん中の路地でも、子供達が玉を蹴りあっているのが見える。裸足のままである。その後仲良くなったブラジル人が言っていたが、この間のワールドカップ、決勝戦で誰も考えていなかった弱国フランスに負けたときはブラジル全土が文字通り死んだという。サンパウロでも、リオでも、ベレンでも。誰も外を歩かず、車もなく、静寂だけが広がっていたという。それほどまでに彼らのサッカーに対する情熱は深い。

帰りの車の中、前後、左右の車はいずれもチャンピョンシップ(決勝戦)帰りである。ハイウェイで時速百キロほどなのに、誰も気にせずみんな窓に腰をかけて身体を乗り出し、旗を振りながら、そして叫びながら走っている。どれも運転席以外の全ての窓から旗がでている。写真を撮ろうとしたが、先生から気が立っているから、やめた方がよいと言われてやめる。自分も子供のころ、神様ペレや皇帝ベッケンバウワーに憧れサッカーをしていたが、こんな呼吸をするように玉を蹴って育ち、生活のど真ん中にサッカーを置いている連中にはかなわないなと実感する。



写真説明(クリックすると大きくなります)

1. Kids in Sao Paulo


2. Soccer fans


Brazil 5へ続く

(July 2000)