ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

Brazil 5:ブラジルのことば

(Brazil 4より続く)



ブラジルに来て驚くのは英語を話す人の少ないことである。町を歩く人はまず理解しない。観光客の多いはずのエリアの食事屋や店ですら、全く理解しない。水や塩という言葉すら通じない。自然、ブラジル語を覚えることになる。水はアグア、ガス抜きはセン・ガス、ガス入りはコン・ガス。


さて
すでに可塑性を失いつつある僕の言語中枢には、ブラジル語で数字を覚えるのは荷が重すぎ、結局店の人とのやりとりは、電卓の液晶越しか、手書きの数字ということになった。ただ、ふとそうやって意志が通じたときにアラビア数字の強さと普遍性に、初めて中国人と漢字で意志疎通したときと同様かそれ以上の感銘を覚える。ルネサンスがヨーロッパで始まるまでは、イスラム世界が中国と並び世界の文明の突端にあったことをふと思い出す。


この一年余り、アメリカではガソリン料金の値上げが問題になっている。僕の住んでいるコネティカット州を例に取ると、それ以前、一ガロン(約4リットル)一ドル二十セント未満だったのが、現在1.8ドルに達しようとしている。一年で五割以上の値上げである。


新聞も読まず、ニュースといえば天気予報しか見ない僕は、この間まで知らなかったのだが、伝え聞くところでは原因はOPECの利益増大を目的とした原油出し渋りだという。オイルショックしかり、今の値上げの話しかり、この彼らの異様な数字操作の強さの陰には、その伝統的な数字の強さがあるのではないか、などと深夜の戯れに思ったりもする。


車がないと朝も開けないアメリカでは、連日のようにこの問題はカングレスやセネート(国会)で議論されている。曰く、アラスカの原油の輸出をやめて全て国内向けの生産に変えろ、曰く、石油メジャーの利益率を下げさせるべきだなど。アメリカ人は気付かないと思うが、こういう姿を見るたびに、この連中の何でも持っていることの傲慢さと強さに気付かされる。アメリカ以外のどの国にこういう議論が出来るだろうか。



写真説明(クリックすると大きくなります)

1. いつも電卓の液晶を通じて水を売ってもらっていたお店のお姉さん。典型的なボニータ


2. 交通手段が船のアマゾンでは、水上にガソリンスタンドがある。テキサコはこんな所でも商売をしている。(注:テキサコは米石油メジャーの一つ)



Brazil 6へ続く