Brazil 6:アマゾン河ツアー

(Brazil 5より続く)


マナウス到着翌日、

手始めにアマゾン川とその流域のジャングル・ツアーに参加する。もとより見ることが全てなので、説明には期待しないつもりだったが、聞くとガイドは英語も話すというので言葉で干上がった僕は思わず期待してしまう。マナウス行きの飛行機に乗る前に、サンパウログアルーリョス国際空港でベルリッツのブラジル人が日本に旅行に行く際の通訳ブックを、全く逆の用途で買ったのだが、当然のように僕の頭からはこぼれ出てしまい、ええい、なるがママよと開き直ったまま、僕はマナウスまで来てしまったのである。

ホテルの前の桟橋から船が出る。この町で唯一まともなホテルの前なのに、桟橋は河にただ浮かんでいる。船は二階立てで、どちらの階も別に何か窓があるわけではなく、ただ屋根を支える柱の下に座席がある造りだ。河口の方角から上がってくる船達もみんな似たりよったりな形をしている。その天井からハンモックを下げてその上で寝ている人が見えたりする。アマゾン河の旅は、こうやって行われていると分かる。熱帯ならではであるし、アマゾンの河の巨大さがあってのことである。

実は、当初の計画では河口の町ベレンにまず入り、このマナウスか、その前のサンタレンまで船で上がるつもりだった。ただ、そうするとマナウスまで一週間、その間ぐらいにあるサンタレンでも三日か四日!という日数がかかることが分かり、なおかつ、個室はあるもののハンモックで寝るのが普通であることが匂ってきた段階で、それでは寝れないと言う相棒(妻)の都合もあって、その計画は諦めたのであった。

船はゆっくりと進行する。広大な海原が、前後左右に広がる。僕たちは、二階の最前列に席を取った。世知辛い日本と違って気楽なものである。みんな好き勝手に座っている。

しばらく行くと左手にマッチ箱のようなバラックがひしめき合うように川べりに建っているのが見えてくる。ガイドによると最も貧しい人たちが、こうやって川辺に住んでいるという。はじっこの方は筏の上の箱がただ河に浮かんでいるだけである。恐らく他の家か土手に縄か何かで縛ってあるのだろう。何しろ土地のないところなんだから、安い(ただ?)には違いない。しかし、あらゆる病原体の濃縮ジュースと文明社会では恐れられているアマゾンの水のことを考えると、生活はどうしているのかナなどと思ったりもする。その後、河に競って飛び込んでは堤防?の上に上がり、上がっては飛び込む子供達などを見、結局のところ住んでるうちに免疫が出来るのかなと、思ったりもする。

自分が子供のころを考えても、(家の)裏の海で遊んで年がら年中、飛び込んだりもぐったりしては、特に夏などは毎日のように足の裏や手を切っていたけれど、まあ海の水で洗っておけば大丈夫、なんて言って結局何ともなかった。似たようなものかもしれない。

大きな船の修理用のドックが目に入る。ガイドはあのバージ(桟橋)は河に浮かんでいるという。例の桟橋と同じだ。この河は、乾季と雨季で水位が15から20メートルも変わるというのだ。東京であれば六階から八階建てのビルの高さである。ようやく謎が解けるとともに、オパとつぶやく。日本でその変化量分だけの水深を持つ川は数えるほどしかないのだ。例え、河口であっても。

オパ、というのはブラジルの人が何かに驚いたり、釣りで魚が釣れたり、なんであれ、うっ、というときに口に出す言葉である。驚きであり喜びである。衝撃であり、感嘆である。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1.おお、アミーゴ。こんな船で何日もかけて河の上下を移動する。


2.マナウスの水上家屋。底辺の人たちの住みか。



Brazil 7へ続く

(July 2000)