Brazil 7:ガイドのおっさん

(Brazil 6より続く)


ガイドのおっさんは見事な英語を話す。大半を占めるブラジル人客相手にポルトガル語でいったん説明したあと、目の前に座っている僕らのために英語で要約版を話してくれる。後ろの方にいるイタリアから来た初老の夫妻が、イタリア語でもやってくれという。彼は僕らにウインクをしながらイタリア語はしゃべれない、と叫ぶ。そのあとマイクを離し、実はイタリア語も出来るんだけど、いくらなんでもやってられない、という。実際、一日が終わったとき、最後の挨拶はイタリア語でもやっていた。たいしたlinguist(言語の達人)である。彼は歳は三十五過ぎぐらいに見える。首が図太く、腹もブラジル人ぽくちょっとポットのように出ている。当たり前のことだが、ものすごい日焼けで、あんた土人ですね、と思わず確かめたくなる。どこか懐かしい、人なつっこい笑顔の人でもある。

解説の合間、所々十分ぐらい空くのだが、その合間に何ともなく話していると、その彼が、実は僕のgrand-grandfather(曾祖父)は日本人だ、という。すっかり土人だと思っていた僕は驚いて、顔をまじまじと見る。彼に感じる懐かしさの理由はこんな所にあったのかもしれない。日本語は話すのか?と聞くと、コンニチハ、とかなんとか片言だけという。それにしても、英語を良く話す。一体どこで覚えたのか、と聞くと、辞書で覚えた、と言う。そんなこと可能なのだろうか、しかし、何しろこの環境だ、確かに辞書と簡単な本一冊で覚えたのだろう。曲がりなりにも中学以来英語を学び、アメリカに三年近くもいる僕は恥ずかしくなる、と共に彼をひそかに尊敬する。

しかし良い国である。ここでは学歴、学んだ場所だとか人だとかに関わらず、何か出来るようになれば、それをそのまま売って食っていくことが出来る。社会が健全である証拠である。ちゃんと本物の力のある人が社会を動かしている証拠である。ちゃんと本物の目利きのできる人が人の上に立っている証拠である。当たり前のことだが、外国語を話すには、別に東京外語大、上智大など出る必要はなく、ましてや帰国子女である必要など全くない。学校の成績もまず関係がない。かつて開国当時の日本はこうであったはずである。いつから日本はこんな意味のないものに頼らないと人を判断できない社会になってしまったのだろうか。いつから社会は健全な判断感覚をなくしてしまったのだろうか。いつからextrinsicな(外面の)価値が、intrinsicな(本物の)価値に取って代わるようになってしまったのだろうか。これが社会が病んでいっていることの根深い原因であることに人は気づいているのだろうか。

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僕らの隣には、日本から来ているおばちゃんが一人、日系のガイドのおじさんと一緒に座っている。彼女の場合、英語も何にも分からないので、そのガイドの解説だよりである。ガイドのおじさんは写真家くずれである。目が悪くなってからというもの、客との写真の出来でのもめごとが多くなったのがいやになり、それ以来ガイドをしている。在ブラジル二十年。日本にいればちょっとした俳優でも出来そうな味のある顔をしている。

客は一階と二階で、総勢約三十人。うち日本語を話すのはそのおばさん一行と僕らで四人。おばさんにちょっと声をかけると、待ってましたとばかり、この間はグリーンランドでオーロラを見て来ただの、インドで腹をこわして大変だったなど、どこにいった、ここにいった、などと言う恐るべき自慢話の嵐である。あなたは、自分の肥やしのために旅をしているのか、それとも人にboast(自慢話をする)ために旅をしているのか、と思わず聞きたくなる。が、ここは没交渉を決め込む。人のいいうちの奥さんは、彼女の自慢話に耳を傾け大事なガイドの解説を聞き逃しては僕に聞いてくる。大変な人と隣席になったものである。

途中、一体この人はどうしてこんなに暇と金があるのかと興味を持って聞いてみる。すると、もう子供は大きくなったから、好きな旅行をしている。で、ご主人は?と聞くと、ああ、あれは働いている。「あれ」?タジタジとなる。亭主元気で留守がいい、という宣伝コピーがいつかあったが、この人はその上を行っている。亭主は存分に働かせ、自分はその金を好きに使って世界の旅である。留守の預かりもご主人である。亭主元気で留守を頼む。彼女だって何十年前かは、かいがいしいかわいい妻であったろうに。みなさん、奥方には気を付けられたし。一体このような豹変はいつどのようにして起きるものなのだろうか。若いときにも見抜けるものなのだろうか。それとも大腸菌の突然変異と同じで何らかの誘発しやすい条件があるのだろうか。是非先輩諸氏の知見を伺いたいところである。また特に予防策があるならこれも是非、内密にお知らせいただきたい。謝礼は細々とした財布ながら弾ませていただきたい。(なお、この知恵を買っていただけるスポンサーの方も同時に募集したい。)

さて、その彼女は、ツアーが始まってまもなく自分で雇った小さなモーター付きボートに乗って元気に去っていった。平穏が訪れる。

嗚呼、メートヒェン、麗しの君はいずこにか去りし。



写真説明(クリックすると大きくなります)

1.完全に土人化したガイドのおっさん


2.ジャングルの中。雨期なので森が水没している。


Brazil 8へ続く

(July 2000)