ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

市場における原子


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Los Angels, CA


マーケティングを考える際に、「市場」あるいは「マーケット」をどう考える、というのは避けては通れない道だ。あるいはマーケットをどういうものだと考えるのか、がほとんどすべての質問の根源とさえいえる。


そうするとすぐにセグメンテーションだ、人をどう考えるかだ、とか、行動を解明しないと、、、という話になってしまうのだが、本当にそれでよいのだろうか。


脳神経系の特性からこれまで見て来たとおり、モノやサービスを力強く売ろうとしたときに、まず本質的に大切なのは「これまでにない異質な価値を、生活なり意味のある状況と関連付けて打ち出すこと」。


という視点で見ると、実は”ポジショニング”という過去30年間でこの分野最大のヒットといえる言葉すら「異質性」にしか目を向けていないという点で、大きく不十分といえる。では、生活なり意味のある状況とどのように関連付けたらよいのか。またそもそも根源的な「異質性」を考えるときにどのようなメッシュ(目の細かさ)で市場を見るべきなのか。


多少なりとも気の利いたサイエンティストであれば、ほとんどの人が読んでいるのではないかと思われる、リチャード P. ファインマンの名著「ファインマン物理学(The Feynman lectures on Physics)」の最初にはたしかこうある。


「もし今何か大異変がおき、すべてのこの世の中の知識が失われ、一つのみ科学の知識を残してよいとすると、それは何か?、、、私はそれはこの世が原子から出来ているということだと思う。」(私の記憶による抄訳)


ここから熱が理解され、ここからモノの構造も理解される。このレベルで考えることで、巨視的な世界での物質の変化もあいまいさなく考えることが出来る。


これに該当する話はマーケティングにはないのだろうか。



別の角度から考えてみよう。


市場を良く見ると、一つの市場と言えども異質なものから出来ている、だからセグメンテーションが必要だ、という話に割とすぐなってしまう。本当にセグメンテーションが毎度必要なのか、ということについて私は本質的に疑問があるが、まあ、ここまでは確かに良いとしよう(いつか必ず触れたい話題の一つ)。しかし問題はそのあとである。そこから先はデモグラフィックス(年齢、性別、職業などの通常の社会統計学的な属性)じゃないとか言っておきながら、結局すぐに人の話になってしまう。この人はこういうライフスタイルの人で、、、この世代は、、、、。


どうして「人」で考えるのですか?と聞くと、決まっていわく、そうじゃないと代理店には通じないから、そうじゃないと結局打ち手が設計できないから、、、。本当にそうなのか?


例えば、飲料のマーケティングをしないといけないとしよう。その際に、例えば、私という個人をじっと見てみると、少なくとも液体を口にする場面は日に何度となくあり、しかもかなりの場面で、異なるものを飲んでいる。寝起きに飲む冷たい水。仕事始めのコーヒーと野菜ジュース。ミーティング、打ち合わせ中のコーヒー、、、仕事帰りの一杯のビール、一日の締めとしてのハードリカー。すなわち、飲用という消費の視点から見ると、私という人物はかなり異質な市場から出来ており、しかも年に数千回もそういうことが起こる。これを一つとして考えるのが、意識するしないに関わらず、21世紀に入った現在でも、未だに世の中の大半を占める「人」を単位としたマーケティングである。


ニーズが発生し、それを満たすために何らかの消費をする、というのが市場ということだと考えると、私はこの市場を人だとかライフスタイルや趣味で考えるのはかなり限界があると思う。それはまるで100ピクセルの画像で人の顔をみているようなものだ。ではどの単位、レベルでみることが本当の限界、そして適正メッシュなのか。


私はその答えは、この仕事を始めて以来ずっと「オケージョン」だと考えている。すなわち、「単一の利用・消費場面のレベル」こそがそのメッシュだと考えている。


原理的に考えれば当たり前のことだが、市場は消費(あるいは購買)オケージョンから出来ている。そしてそこまで砕いてしまうと、ほとんど人の属性の影響は小さくなってしまう。風呂上りは誰だってのどが渇く。午後のミーティング中はだれだって眠気を起こしたくない。その視点で見ることで、恐ろしく純度の高い市場を抽出することが出来る。そして世界はかなり美しく見えてくる。またオケージョンレベルにまで分解した「市場」を、これ以上砕くと、「市場」としての完結性は失われる。まるで原子をこれ以上割り込むと、素粒子に落ち込んでしまい、密度、導電性など本来の特性を失うのと同じだ。


各個人の消費を消費場面の数だけに割ってしまい、人を超え、求められるニーズ、すなわち提供すべきベネフィットの"セット"が近しいオケージョンを束ねることで、非常にピュアなニーズを持つ市場の塊を引き出すことが出来る。例えば上の飲料のケースであれば、のどの渇きをある程度癒しつつ、気合を入れる場面、などだ(車の運転中や、ミーティング中などがそれにあたる)。私が「オケージョン=ベネフィットアプローチ」と呼んでいる方法論だが、これはコロンブスの卵的であるだけでなく、本質的かつ、きわめてパワフルな手法、そして考え方だ。事実、これを適用することでこれまでかなりの数のヒット商品が生まれ、ブランドが立ち直ってきた。


余談になるが、この考え方の延長には、市場の原子であるオケージョン間の相互作用が当然存在する。その一例が実はCRM、あるいはデータベースマーケティングといわれているものの狙う本質の一つなのだが、このような視点で考えている人がほとんどいないため、単なる販促のアプローチのように考えられていることが残念だ。


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