Brazil 12 : 食べることと出すこと

(Brazil 11より続く)


少し、生きることの本質的作業について取り上げたい。食べることと出すことである。

ブラジルに来てから何がうれしいと言って食べ物が本当にうまいことである。何を食べてもうまい。どこで食べてもうまい。これは本当である。空港のレストランすら、アメリカでは見つけるのが困難なほどうまいバッフェを出す。何が違うのかをうまくarticulate(正確に概念化する)ことが出来ないが、旅の一口目からして違う。信じられないことに、日本で言えば全日空日航にあたるヴァリグの機内食すらうまい。ちなみにこれは国内線である。エコノミーである。サンパウロまで乗ってきた、アメリカン航空の一口で食べるのをやめたくなるあの機内食(国際線)を思い起こすと、一体何がどうなったらこんなに違うものが出るのか、哲学的思索に耽りたくなるほどである。ヴァージンなどもなかなかな食事を出した記憶があったが、全くレベルが違う。横綱と幕の内ぐらいの違いがある。ちなみにアメリカンは、番付表にも載せられない。一般的にブラジルの食事はまずい、とされているが、私の経験ではまずこれは間違いである。

では、その差を生み出す要因は何か。アメリカと比較した場合、それが新鮮さであるとは考えにくい。アメリカ人は新鮮さと清潔さについては恐らく世界一こだわる人間だからである(但し、魚介類を除く)。料理を作る人の感受性、これは当然あるだろう。アメリカは味盲度の高さでは世界有数と思われるアングロ・サクソン系の末裔の作った食文化圏、かたやブラジルは完全なラテン文化圏。飲み、歌い、愛する、即ち、joy of life(生きる喜び)をどれだけ追求するかが、彼らの生である。味盲度はまず非常に低いと考えて良いのではないか。ただ、どう考えても料理の味付けでは説明できない差を感じるのだ。必ずしも食事の洗練でもない。躍動する力というべきか、肩から力を抜いた自然な喜びというか。これは一言で言えば、恐らく生命力というべきものである。料理とはいえないパパイヤの一切れ一切れに、肉汁の滴るクッピンの一切れ一切れにそれは宿っている。

食事に関して、一つ不思議な現象がある。アリとエノケではないが、どうもやたらお腹がぱんぱんになるのである。食っている量とこれはあまり関係がない。非常に腹の皮がつっぱる。確か開高さんはどこかで、これは何にでもイモの粉をかけているからこうなると言っていた気がするが、必ずしもそうとは言えない。イモの粉も何もどう見てもかかっていない食事を食べても、結局こうなるのである。これは解明されるべき謎として、残された。私も科学者の端くれである。いずれ十分にコントロール(対照条件)をとって解明せねばなるまい。ちなみにアメリカに戻って間もなくこの現象は消滅した。


食事がうまく、ふんだんに食べれば、当然出るものは出なければならない。これを「一定量の気体の体積は、温度が一定ならば圧力に反比例する」というボイル氏の偉大な発見を更に押し進め、「食事により体内の体積が増加すれば、圧力が増加し消化物は出口に向かう」という、食事におけるボイル=アタカの法則と名付けたい。

あなたは、そのボイル=アタカの法則の作用の結果、粛々と出口を求めてさまようわけだが、この点において、この美食の国、ブラジルでは特筆すべき、また世界に誇るべきことが一つある。これは決してどんなガイドブックにも書いてないと思われることである。それはその出口がおよそ人のいるところならばどこにでもあることである。およそ立ち寄った店にはきっとある。空港なら十秒歩けば、そこにそれがある。こんなに作って採算が合うのか、など誰も考えてはいない。横にもある。裏にもある。表にもある。

ちなみにトイレという言葉は、この国では決して通じない。レストルームもラヴァトリーもバスルームも何も通じない。腹が減れば手で何かを口にかき込めば通じる。レストランも、正しくはないが結構ブラジル語に近い。しかし、トイレは通じない。実は歩けば五秒の所にあるのに、それがわからず絵文字を書いて煩悶しながら人に尋ねることになる。サニタリオ、この言葉だけは覚えておかないといけない。私はこれで最初泣いた。ポルトガル語は無理として、スペイン語だけでも話せれば別だが、そうでなければ最悪の時のために、みなさんペンだけは常に持ち歩くことをおすすめする。

もう一つ、出口について書き留めておきたいことがある。紙の硬さである。アメリカだったらペーパタオルの材質がそれだと思うことである。ソフトな二重巻きなどに慣れていたら一発である。きっと鮮烈な赤をいずれそのタオルの上に見ることになる。君は自分が生きていることを実感すると共に、生きることは楽しいことばかりではないことを知る。ぐっと痛みをこらえ天井を見ることになる。

この点について、私は全く予想もしていなかった。完全な敗北であった。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1. 奇魚スルビンの丸焼き。口が掃除機、顔が馬、身体が虎、そして身は鶏肉、という化け物。

2. 一本刀背負いのような魚屋のおじさんに、頭を切り落とされたばかりのスルビン。

3. ココの実。頭をなたで割って中のジュースをストローで飲む。ほんのりと甘く、冷えていておいしい。街の中でもジャングルの中の土産屋でもある。


Brazil 13へ続く

(July 2000)