Brazil 23:マナウスの胃袋、、、メルカド

(Brazil 22より続く)


マナウス最終日、朝。

メルカド(市場)へ出向く。どんな町でも、その匂いを知りたければ、その本当の力を知りたければ、メルカドに行かないといけない。築地を歩いたことのない人など、東京を知っていると言えないのと同じだ。

マナウスメルカドは、マナウスの町の真ん中、ネグロ河沿いにある。端に、メルカド・ミュニシパル(中央市場)なる建物が建っているが、これは何というか観光客向けの小さな箱。その横に、巨大な箱がいくつも並んでその下に、マナウスの百万の口を満たす市場がある。デカイ。路上にまで人と熱気が溢れ出ている。


肉、肉、肉、そして肉。

入ると目の前にあるのはひたすら肉。あばら一本でいくら、この固まりでいくら、そういう売り方をしている。湯気が出ているような生々しさ。見たことのない量と、その生々しさに胃の辺りがむかむかしてくる。どうみても冷凍した肉ではない。さっきバラした牛の肉だと直ぐに分かる。ここはアマゾンだ。冷凍なんてしたら高くなるに違いない。こんな新鮮な肉を食べていたのか、うまいはずだ、と納得する。そしてこのむき出しの横溢する生こそが、文明の名の下に隠され、向き合っていない現実であることを実感させられる。我々人間が、文字を持ち、多少なりとも知恵を蓄積できるようになって高々一万年。近代科学の誕生からわずか数百年。人間は本質的には何も変わっていないのだ。動物を殺し、植物を殺し、それを取り込み、その上でようやく生きている。それが生きるということの根本的な事実なのだ。なのに我々は血を隠し、死を隠し、生を隠す。すべての食い物はモノではない。生き物なのだ。どちらが本当に豊かな生き方なのだろうか。どちらが生きることに正しく向かい合った生き方なのだろうか。人はパンのみにて生きるにあらず、と古人が言ったときの、そのパンという言葉の重さを自分たちは分かって生きているのだろうか。

目の前でおばちゃんが肉を買う。スーパーのプラスチック袋の下三分の一ぐらいにどんと大きな肉をいれてもらう。安い。数リアル(約二百円)。アメリカの肉は安いと思っていたが、ここに比べればぼったくりだ。そう言えば、この国では、軍事政権であろうが、右翼であろうが、左がかっていようが、肉の値段を少しでも上げた政権は、その日のうちに倒れると前に聞いたことがある。ジョークだと思っていたが、どうもそうとは言ってられないようだ。しかしおばちゃん、あんなに沢山の肉、どうすんの?


しばらく行くと次は魚。トクナレが文字通り山のように並んでいる。その横に、何だか見たことのない巨大な鮒(フナ)?の様な魚が転がっている。見た目は鮒だが、大きさは一メートルぐらいもある。体の厚みが四十センチかそれ以上。オパ!?アマゾンは鮒もこんなに大きくなるのか、と思ってみていると、レスラーみたいな力自慢の魚屋のお兄ちゃんが、出刃包丁で背骨沿いに半分に叩き割ろうとしている。一心不乱、怪力をもって割ろうとしているが、とにかく大きくて割れない。何度もやる。やっと包丁が頭の奥ぐらいまで入るようになる。ガンバレ、ガンバレ、と手を握りしめて見ているとようやく割れる。お疲れさま。身は動物の肉のように赤い。何だこれは、と聞くと、タバキー!と威勢の良い声。魚屋はやっぱりこうじゃなくちゃ。しかしあの魚は何なのだろうか?草食なのか、それとも肉食なのか?鮒と関係はあるのか、ないのか?釣ろうとして釣れる魚なのか????

そのうち虎のような模様をしたスルビンが現れたり、肺魚のような図鑑でしか見たことのないような魚がいたりで、世界怪魚・珍魚図鑑を見ているような気分になる。けれど、我々の基準で変に見えると言うことは、彼らの基準では我々の通常見ている魚が変だということでもある。アマゾン川一本で世界中の川全部の何分の一に匹敵することを考えれば、どちらがおかしいのかは、容易に言えないのである。織田信長(だったよネ)は初めて黒人を見たとき、おい、こいつを風呂に入れてやれ、といったそうだが、笑い事ではない。

この膨大な量の魚を目の前にすると、こんなに毎日捕って、良く魚が続くものだと驚く一方、河の将来を心配する。最近、Natureに、 養殖漁業をいくらしても、結局海の小魚をそのエサに使っている限り、自然の保護には全く役立たない、自然は同じように壊れる、という今後は養殖に期待するしかないのか、と思っていた身には全身から力が抜けるような論文が載っていたが、このアマゾンでは誰も養殖すらしていない。ただ捕るだけ。統計などあるとは思えないが、ここの魚の捕獲量は年々(あるいは毎月)少しずつかもしれないが、確実に、着実に減っているに違いない。でも、こんな海みたいな河を見ていたら、そんなこと露も思わないだろうナ。この残された時間の内に、アマゾンにレイチェル・カーソンが現れることを祈らずにはいられない。あるいは僕がなる?


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写真説明

1. マナウス肉屋三代。


2. タバキーとブッチャーのような魚屋のお兄ちゃん


3. メルカドに運び込まれる魚たち。アマゾンの恵み。


Brazil 24へ続く

(July 2000)