青年よ、狭き門より入れ


Leica M7, 35mm Biogon F2.0, RDPIII @from Nevada to California

この5-6年、とみに学生の志望者が増えていると聞く。ぼくの長年勤めてきたあるプロフェッショナルファームのことだ。一説によると、日本の一部のトップ大学の学生で就職を考えている人の過半数が来ているんじゃないかという話すらある。この業界(そんなものがあるとして)が全体的にそういう話であるという話もある。

僕はコレを聞いて即座に危ないと思った。必ずしも死への行進、レミング現象というわけではないが、みんなが目指すものは本能的に避けるのが正しい選択なのに、それに逆行しているからだ。(註:会社としては実に喜ばしいことである。あくまで主語はこの学生たち。)

確かに教育は手厚い。激しいクライアントインパクト、バリュー優先の社会の中で成長は加速する(grow or goという)、ただし、とにかく人がいっせいに目指すところについていくというのは危険兆候だ。

僕の座右の銘の一つに「狭き門より入れ」という有名な聖書の語句がある。これはこの節を読むとすぐに分かるのだが、ほとんどの日本人が誤解している言葉でもある。

「狭き門より、入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていくものが多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見出すものは少ない」(マタイによる福音書第七章)

、、、こんな話だ。(国際ギデオン協会発行の訳文による)

つまり、人が群がって流れていくような方向へは行くな、ついやってしまうことをするな、ということである。そして必ずしも人が気づいていないような自分の道に進めということだ。これは実に真実を突いていると思う。少なくとも他人の判断による流れを避け、自分の目と肌で見た判断を信じ、逆を張るべきなのだ。

これは就職、仕事探しにおいては全く正しいと僕は思っている。僕が大学を卒業する年が、まさにバブルの最終年だった(僕は大学院に行ったのである種傍観していた)。メガバンクはまだなく、都銀は12行あった。各行800〜1000人、合計で1万人ほども都銀だけで採用していた。その後、どうなったのかは皆さんのご存知の通り。91年に入行した連中のうち、そのまま残っているのは半分もいないだろう。今、三十半ばの連中など、日銀ですら三分の一がもう辞めたとこの間、その年代のもと中央銀行マンから聞いた。

同じく群がるように人が集まった(今も?)広告代理店、テレビ局、新聞社は、このブログを見ている人なら本能的に分かるとおり、いまや深刻な斜陽産業だ。テレビをネットより見ている人などもはやまともな人ではあまりいない。見てても、HDDで貯め撮り、広告は当然のようにスキップ。新聞社は一年ほど前の週間ダイヤモンドの特集じゃないが、もう数年ですべて消えてもおかしくないほどの状況だ。(週間ダイヤモンド2007.9.22号「新聞没落」)

テレビ局は、最後の力を振り絞っているが、何しろテレビの前に集まるのが金にならない人ばかりなので、いずれ近い将来、それが明らかに広告料金に反映され、今の局辺り1000億なんていう収入は減るに決まっている。(僕個人はこのオリンピックで久しぶりにテレビをまともに見た。)したがって、これら高めのプライシングを前提としたマス広告利権で成り立っている広告代理店の未来は、構造的にかなり厳しい。結果、かつて非常にまれで話題にすらなった番宣なんて、今はそれを見ない番組を探すほうが難しいほどだ。

同じように、かつて東大法学部生が競って行った(最近はそれが我々のような業界に向かっているらしい)霞ヶ関の凋落は、言わずもがなだ。(、、、いずれの業界も私がプロフェッショナルな仕事として受ければ、かなりチャレンジングかつ強烈に腕力を試される仕事だとは思います。)

ちなみに、僕がこの(当時かなりあやしい)会社、仕事にたまたま、バイトをする機会があって、その縁で就職したときは、比較的大きな我がファームでも5人しか同期はおらず、回りの誰に聞いてもほとんど会社の名前を知らないような状況だった。別に過酷な日々の傷をなめあうわけではないけれど、よく他のファームの同期と集まっていたがあわせて15人ぐらいの小さなコミュニティだった。

人から見れば、せいぜい秘密結社のようなもので、名前を知っていても、あれホントは何の会社?なんてよく聞かれたものだ。パーティに行っても、全く名刺のパワーがないために、大手町系の人に借りるなんて話がまことしやかにいつでもあったぐらいだ。だから、就職ランキングのページ、どこまで見ても載っていないのが当たり前。そんなところだから、おもしろそうじゃん、とヘンなやつばかりが入ってきたのだが、、、。

で、結果、同世代のほとんどは外に旅立っていったが(実は私ももうすぐである)、結構みんな当時ほぼ全く聞いたことのない会社に行って(今は有名)、成功している。

でも、どうだろう、今入ってくる、ぴかぴかのエリート君たちは、僕らのたどってきたような道を選ぶのだろうか?それはないだろうなと思う。だから、10年、15年後にどんな結果が起こるのかは、僕にはわからない。

僕が今言えるのは、業界に関わらず、とにかくあんまりみんなが目指すものを追っかけるのはやめたほうがよいのではないかということ。当然、先行者利益なんてないし、仮にここでも月並みにビジネススクールに行こうなんて思うと、今度は同じようなバックグラウンドの人の中での過剰競争だ。

同期が多いのはちょっとステキだけれど、僕は気のきいた人は、ぜひ思いがけない道を選んで欲しいなと思う。そういう人たちが、未来を作っていくのだから。

で、入ってしまった人たちは、責任を持って、このプロフェッションを、育ってていって欲しい。銀行、テレビ、官僚の二の前だけは見たくないから。

青年よ、未来は君らの非凡な選択に掛かっている。


(今日は、昨日の続きを書くつもりが、なぜか柄にもなくあまりにもいいことを書いてしまったので、ここでおしまい。笑)

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