渡米して最初に思ったこと(2) - 決断と日本人の甘え

前エントリの続きです)


Leica M3, 50mm Summilux F1.4 @旭山動物園、北海道


決断


多くの人は、自分は決断なんてしてきたつもりはない、という。でももう大きな判断はしているはずだ。今はそこまで思わないだけで、きっとあれが大きな分岐点だったんだなあというのが出てくる。(あるいは分岐点を作らなかったのはあの時のタイミングだというのが出てくる)


また親からの金をもらって生きているから自分には自由がないという人も学生の時は多かった。そうだろうか。今やっていること、今決めていることはすべて自分に降り懸かってくる。自分の人生に明らかに影響させている。つまり責任を持っている。認識してないだけで。自分の人生は全部自分が選んできた行動の結果というのは大げさかもしれないけれど、僕はそう思っている。


例えば、突き詰めてしまえば自分で学費を稼ぐことも出来るわけで、自分で奴隷の自由を選択してるだけで単に甘えていると言える。そこを意識せずに選んでいるのも自分なんだということを分かっていない。親に頼らないように行く、と決めるのも自分の決断だし、限られた自由の中で判断すると決めているのも自分だし、限られた自由の中で方向を定めているのも自分である。


やりたいもの、欲しいものに優先順位をつける作業、常にそれが生きることにおける決断じゃないかと思う。プライオリティを考えない人生なんて暴走しているだけじゃないかとも言える。ゴールが必ずしも見えている必要はなくても、(普通は見えない)その局面局面でベストな判断をしていくことが大切だと思う。打つべき手が分からなくても、どこがバンカーかを理解してそこにだけは行かないようにする事が大切なんだと思う。


まあ、それが調節できないのも若さの特徴(特権ではない)ではあるけれど。最近はそこまで考えを回さないと痛い目に遭うと言うことがだんだん身にしみて分かってきて気を付けるようになってきた。



日本人の甘え


What do you want? と聞かれて答えられない人が日本で多いのは、そもそも何も考えていないというか、自分が何を欲しているのか考えてることをして来なかったからではないだろうか。だとすると非常に悲しい人生である。


日本では明らかに個人であることと、その人が才能があったり特異であるということを否定しようというベクトルが大きく働く。だからといってそれが日本だけの問題であるとは言えない。どんな社会でも他の人と違うルールでいきるのは大変なことだから。無理解と戦わないと行けない。とはいっても、みんなに理解してもらうことを放棄してしまえば済むことだが。


甘えといえば甘えでもある。みんな楽だから選んでいる。変な圧力を感じながら生きたくないということに尽きるのではないか。



(Summer 1997) 

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