破滅願望?あるいは一掃願望?

Leica M3, 50mm Summicron F2.0, RDPIII @Bali, Indonesia


よくある話に、火事に群がる野次馬、群衆というのがある。見に行ったことがある人なら気付かれたことがあるかもしれないが、多くの人はある種恍惚とした顔をして、あの火に見入っていることが多い。


また、東京に大地震が近いかも!、という話がある。東海だという話もこの20年ほどは随分あり、もしかしたら中京地区にも、という話も何回か聞いた。別にいつ来てもおかしくないのはわかるが、まあとにかく世の中の大好きなテーマの一つだ。


僕の中学生の頃は口裂け女ブーム?なるものがあり、日本中で目撃談があいついだ。あれも騒いでいる人はみんなとても楽しそうだった。


バブルの絶頂期は、いったいいつこれがはじけるのか、はじけたときにはいったい何がおこるのか、というのが、結構はやりのテーマで、NHKなどは随分力を入れて特集していた。僕も結構興奮してみていたりした。


ただ、こうやって世の中が不況一色になってくると、ぱたっとその辺の怪しげな話が止まるのは何とも不思議な現象だ。


そうじゃないですか、、なんていう、まあ、そんな雑談をこの間、タクシーの運転手さんとした。

これって何だろうと考えるに、どうもこの世の中には破滅なのかパニック願望のようなものが根強くあって、今あるものを全部一掃したいというか、すっきりしたいという気持ちがたれ込めているのではないか。けれど、それが実際に起こり始めると、ある程度満たされてきて、黙ってしまう、そう言うことなんじゃないか、とふと呟いた。


彼もなるほど、としみじみ同意した。

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現実が空想を越え始める瞬間というか、なんというか。


そう言う意味で、若干余談になるが*1、バブル期に現れた本の中で僕が読んだ最も面白い空想小説の一つは、村上龍氏の「愛と幻想のファシズム」だった。今起こっていることをある種100倍程度刺激的にした感じの話なのだが、ハンターであり、強きものが勝つ、それが自然の掟だ、というルールを体現した鈴原冬二という自称サバイバリストが主人公で、中南米から始まった世界的な恐慌の中を、情報戦と自らの周りに集まった鍛え上げられた若者たちとともに、ある種のクーデター的な国家の誘導をはかっていく、というような話だ。冬二はもうとにかく渋くかっこ良く、世の中にいい男の像が見えないと思う人なら、ぜひ一読を。:)*2


確か龍氏もあとがきで書いていたと思うが、「コインロッカー・ベイビーズ *3の、ある種離れた続編とも言える。全く異なる話なのだが、読んでみると、確かに不思議な連続性を感じる。

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ちょっと話がずれたが、このような破滅願望が仮に人の潜在意識の中にあるのだとすると、それはいったいなんなのだろう?


一つ僕にとってヒントになるのが、あの歴史的な名作「麻雀放浪記」(阿佐田哲也著)のあのイントロ。まだ読んだことのない人のためにあえて書かないが、あの戦後直後の話で、ある種のカタルシスを感じない人はあまりいないのかもしれないな、と僕は思う。


あれなんじゃないかな、と思う訳だ。何もかもなくなってすっきりして、これはその本の話ではないが、東京のどこからも富士山がよく見えたという、そのどうしようもないすっきり感が、こうぐちゃぐちゃした世界の中にいるとたまらなく欲しくなるんじゃないかな。


いまはどうなのかな?、、この年末の寒さの中でふと思う.


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ps. 以下、ひょっとしてご関心をお持ちになった人のために




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*1:そもそもこのブログそのものが余談の固まりだが:笑

*2:手元に本がないためちょっとうろ覚え。残念!

*3:彼の昭和文学史に残る一番の傑作だと僕は個人的に思っている