From CT to DC (3) : バルチモア

(2)より続く

Baltimoreの港は美しい。沖縄戦朝鮮戦争にまで行った軍艦が、こんな地球の裏側でひっそりと佇んでいたりもする。実用船だけでなく、ヨットや帆船がそこいらに休んでいる。空は青く、風が吹き抜ける。ここは、若い、青年の都市である。


着いてみると、Hopkinsのメディカルスクールは町の高台にある。ガラージ(立体駐車場)からつながった通路を抜けて病院に入ると、受付の黒人のお姉ちゃんに用件や目的などを聞かれる。「なにか約束はあるのか?」「?、ない。」「?、じゃあ何しに来たの?」「いや、ちょっと観光で。」「???」「かのホプキンスをただ一度見てみたいと思って」などとやりとりしている内に、彼女も明らかにどうでもよくなってきて、胸に貼る黄色いシールをくれる。Visitor(訪問者)とある。「まあいいわ、あんたそんな怪しそうな人間でもないし、でも変なところうろつかないでね」、そんな感じである。

この国に来てから僕は着るものに気を付けている。シャツは襟があるものを、ズボンもなるべくジーンズを避けている。言葉も、なるべくニューイングランド風かつ教育を受けた人風の発音と言葉遣いを心がけている(完璧にはほど遠いが)。自由の国アメリカにしては意外と思われるかもしれないが、着るものと英語のアクセント、言葉の使い回しで露骨に人を判断(すなわち差別)する国だからである。例えば大統領。南部の発音と話し方では決してなれない。クリントンは、アーカンソー(Arkansas)というアメリカ人でも正しく州名を発音できるか分からないくらいの南部の田舎の州出身だが*1、彼がニューイングランドまで法律を学びに来て、その訛りの大半をたださなければ、大統領候補にすらなれなかったというのは、どうも本当のことらしい。この国の人にとっては、あまりにも常識的な話らしいので話題にも上らないことが多いが、ときたま、「クリントンのxxxの発音にはまだアクセントがある」(つまり訛っている)なんて話が出るとそういう話になる。

帰国子女、そしてアジア系アメリカ人の多くが、ヨーロッパ系のアメリカ人以上にネイティブしかしないような発音(つまり外国で育ったあなたには出来ないでしょう的な発音)にこだわるのは、彼らのそういう経験と関わりがないわけではあるまい。発音によって内的に差別化し、社会に同化し、アイデンティティを築こうとしたけなげな努力の結果とも言える。中学校ぐらいで唐突に放り込まれた人などに出会うと、よく頑張ったね、と心の中で声をかけてあげたくなるときもある。きっと何百回も泣きたい思いをしながら身につけたものに違いない。一方、時たま半けつを出したジャージ姿の日本人の若者を町で見たりすると、不安に思うのは僕だけではあるまい。


A statue of medical saint

素晴らしい施設である。なにより空気が澄んでいる。造りが良くて、垢抜けているのは他のuniversity hospitalも同じだが、ここはキャフェテリアなど一つ一つの施設が大きい。まるでショッピングセンターのモールのようである。偉そうな様子は微塵もないが、自信と、強さ、そして清潔さと安らぎがここにはある。こんな病院に来る(いや、来なければならない)と言うことは、よほどの病気なのだ。そんな時ぐらい、人が気持ちよく過ごしたいのが人情である。ふと、何かの用事で行った東大病院を思い起こす。壁紙が所々はげ落ち、ところによって蜘蛛の巣がかかっていたあれは、一体何だったのだろうか。

そうこうして抜けていく内に、正面の玄関に辿り着く。前面に、US News(Time, Newsweekに準ずる全国的な週刊誌)の病院ランキング号の拡大表紙が'91年から十年分並べ、掲げてある。これまで、途切れることなくこの病院が全米一位にランクされてきたことが分かる。

病院の建物を出、辺りを回る。中心部だけ回ることにするが、その建物の数と、大きさ、そして広さに驚く。キャンパスの中心にある、いかにも古くから立っている建物は、爽やかでありながら、落ち着きがある。かたや、そのキャンパスの端で、さらに新しい研究棟を建てようとしているのが目に入る。研究、そして医療の成功が、さらなる投資を呼び込んでいるのが分かる。良循環である。日本の大学医療関係者、大病院の運営者にはまずここを見てほしい。医療は技術だけではない。


Johns Hopkins Medical Center (a historic building)


(March 2001)

(4)へ続く
kaz-ataka.hatenablog.com

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kaz-ataka.hatenablog.com

*1:彼が大統領になったので状況は改善されたと思われる。