ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

第二のMachine Age


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @Route66, AZ


最近、僕らの社会がどこに向かっているのかということを考えさせられる機会が増えている。

そもそも、大手ネット企業のストラテジストとして世の中の未来を考えるベースロードがあるのだが、それに加えて、理事でもあるデータサイエンティスト協会のスキル定義委員会(実は委員長、、。orz)では、新しいデータ社会に向けて必要となるデータプロフェッショナル人材のスキル要件についてこの5ヶ月ぐらい検討し続けている。

数週間前には、少々驚くべきことにOECDに日本が加盟して50周年記念というイベントの一つで、日本側のパネリストの一人として呼ばれ、“Promoting skills for the data-driven economy”という名のセッションで、「データ駆動型社会(©霞ヶ関!)に向け必要とされるスキル」について議論をした。昨日は、JINSE*1という統計研究者の集まり『論より統計! ~データサイエンス力の高い人材の育成にむけて』 にお声がけいただき、パネリストとして積極的に意見を述べた*2

これらの議論の中で感じるのは、我々人類がこれまでにない歴史的な変化の局面にあるということだ。

データ量の爆発についてはいうまでもない。インターネット、とりわけブロードバンド、ワイアレスネットワークの拡大がそもそもの背景にあるのだが、加えて、モバイル端末が広まり、初めて個のレベルの情報が刻一刻と流れ込むようになってきた。Nike fuelband、fitbitなどに代表されるセンサー系の情報も劇的に増えている。加えて、Nestのような、家庭内のセンサーデータも急速に解析可能な形になりつつある。クルマからもCarPlayのようにユーザ経験改善のために情報の利活用が始まっている。2020年にネット接続機器が全世界で500億台、すなわち人口の6倍超になるというIBMの予測もある。

これだけであれば単に情報が溢れかえっているということにすぎないのだが、これ以上に目を見張るべきなのは、我々人類が持つcomputing capacity(計算キャパ)の激増だ。McKinseyの分析によれば、2005年以降の10年間で約50倍に増えたという。この幾何級数的な計算能力の増加は衰える気配はなく、10年後 (2024) に今の50倍の計算能力を人類が手にすれば、10年前 (2004) の2500倍ものコンピュティングパワーを人類は手にすることになる。

実際、この10~20年を振り返れば、これらの変化を活用するICT*3と呼ばれる情報通信産業が日本でも米国でも経済成長の中心を担っている。情報通信白書*4をみれば、ICT産業なしには、90年後半以降の日本経済は縮小したことが明らかだ*5。世界のマーケットキャップ(事業価値)のトップは、1997年当時、存亡の危機にあったAppleで約50兆円。二位はExxon/Mobileだが、三位は1998年創業のGoogle(約40兆円)、四位はMicrosoftだ(約37兆円)。日本のトップであるトヨタは約20兆円だが、FacebookAmazonはすでに約17兆円だ。中国のEC王であるアリババはいきなりトヨタを抜いて23-24兆円規模だ。

これらを俯瞰して思うのは、今、人類史上初めて、人間にしかできないと考えられてきた知的な活動を機械が置き換わろうとしている、ということだ。人類の知的キャパシティ(mental capacity)の解放、すなわち第二のMachine Ageだ。

18世紀に始まり、20世紀まで続く産業革命、すなわち最初のMachine Ageは、石炭、石油という新しいエネルギーリソースを元に、蒸気機関、電気機関により、人間や家畜のこれまで行ってきた手作業、肉体労働から人間を解き放った。結果、そこまでの数千年かけて数倍程度にしか伸びなかった一人当たりの生産性は数十倍に跳ね上がった。(なんと100万年前からの人類の生産性を調べた方がBerkeleyにいらっしゃる。*6)機械が頑張ってくれた結果(笑)、我々はもう田植えも機械に任せられるし、機織りも機械に任せられる。鉄を溶かすのも機械を使う。空いた時間は、クルマを作るとか、それを売るとか、そのあとサービスするとかといったはるかに付加価値の高いことに我々は今使っている。


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII @near Route66, AZ

これと同じことが、我々の知的活動について起きようとしている。退屈な数字の入力(みなさんお馴染みのExcelとかを相手にしたいわゆるナンバークランチングだ)やその上でのルーティンとは言えない程度の情報処理は消えていく。対人が基本だったセールスのかなりの部分も機械が代替していく。瞬時の状況判断が必要とされるクルマの運転も7割がた機械に置き換わっていくだろう。この間のバスの事故を見る通り、人間が眠くなるのは半ば仕方がないからだ。また、これまで知的産業の極みのように思われていた部分もかなりの部分が機械になっていく。

それを端的に考えさせられたのがこの間参加した、2014年度 統計関連学会連合大会で見たある発表だった。ガンの生体組織のスライドをたくさん見て、どれがガンかどうかを病理の専門家が見るというのは、ある種のガンだとどうしてもプロ同士が見ても半分ぐらいしか一致しないケースが多いということだったが、そのスライドを3次元でスキャンする装置をCarl Zeissが開発していて、それを使って数千だか数万のスライドを使って機械学習をさせたところ、人間の精度を超えたという発表があったのだ。

おそらく他の参加者同様、これこそ未来だと僕は思った。久しぶりに鳥肌がたった。将来の病理医はコンピュータの解析を元に二つ三つに絞られた可能性の中での判断をしつつ、他のオプションを考えるということになるだろう。法律の相談なども同じようになっていくだろう。ヨーロッパでは、中ぐらいのスキルの労働者の仕事がなくなることが大きな問題になっているらしいが、こうなることは6年前のブログエントリに書いた通り、以前から半ばわかっていた。上位のスキルの仕事すら本質的に変容していくことがポイントだ。しかもこれは、最初のMachine Ageとは比較にならない速度で起きる可能性が高い。

このような局面では、その変化に関わる人が大切になってくることは間違いない。つまり「データの持つ力を解き放つ人」が必要なのだ。これは第一のMachine Ageにおけるサイエンティスト、そして多数の専門性の高いエンジニアにあたる人たちのデータ利活用版だ。

現生人類が生まれて約15万年。これほどエキサイティングな時はない。なぜかこのタイミングで、歴史上初めて、地球上のほとんどの地域で人口がプラトーに達しつつある*7のも偶然にしては出来過ぎだ。この新しい挑戦に若い才能は飛び込んで欲しいし、ゆめゆめ第一のMachine Ageの延長のような選択をしないでいただきたいものだ。そして全身で各産業がICT的に生まれ変わっていくことの凄さと喜び、チャレンジを共に味わってもらえたらと思う。

僕のような老体(?笑)は、といえば、こうやって既存の大きな力を持った層に対して仕掛け続けるとともに、若い人たちのためにうまく道を作っていけるようにしていければと思う。

Let's go wild together!!

(関連記事)

*1:統計教育大学間連携ネットワーク:Japanese Inter-university Network for Statistical Education

*2:http://www.jinse.jp/pdf/sym_20141025.pdf

*3:information, communication, and technologyの略

*4:日本の産業別実質GDPの推移(情報通信白書 平成25年)

*5:1995~2011年のGDPは建設、小売、鉄鋼などの縮小セクターの効果がマイナス26兆円。伸びたセクター計40兆円のうち22兆円がICT、加えて電気機械が4兆円

*6:http://delong.typepad.com/print/20061012_LRWGDP.pdf#search='J.+Bradford+DeLong+World+GDP'

*7:http://www.mckinsey.com/insights/strategy/management_intuition_for_the_next_50_years