ウィズコロナ、開疎化と博物館の未来

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Leica M7, 1.4/20 Summilux, RDPIII, @Tuscany, Italy

昭和3年(1928)創刊という大変長い歴史を持つ博物館学の専門誌「博物館研究(MUSEUM STUDIES)」の今月号は「新型コロナウイルス感染症パンデミック下の博物館」特集。そのKeynoteというべき巻頭エッセイの執筆という貴重な機会をいただきました。

北海道、東北、沖縄でCovidの第三波が始まりつつあると、某有力関係筋からお聞きしています。やはり、本質的にこの機に空間や社会の仕組みを刷新する事が望ましく、その検討の一助になれば幸いです。

記事のオンライン化はされていないということで、転載の許可を頂いた日本博物館協会の皆様に深謝です。

www.j-muse.or.jp

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博物館(museum)というのは不思議な場所だ。静かでありながら、もういないはずの人がそこに立ち上がってくる、そんな体験をすることがしばしある。そこにあるのは人間が時間と空間を超え、リアルで日ごろ触れることのないホンモノに実際に接することができる特別な空間だ。対象についての思索を桁違いに深め、深い意味での心の力と霊感をえる場でもある。

このように、社会において特別な役割を持つ博物館が新型コロナ状況のために深刻な困難に陥っているという。何かヒントになる投げ込みを、という依頼を受け、拙い考えを述べさせてもらえればと思う。

本稿では、まず、現在の状況に即した必要な社会システムの変容の方向性について整理した上で、次に、博物館はどのような変容が求められるかについて考察し、更に、この時代が要求する博物館の価値とその発揮のあり方について考察できればと思う。


1 状況の背景と意味合い

COVID-19が日本に上陸してから8ヶ月になる。これまで人類を襲ってきたペスト、天然痘結核エイズなどの感染症に比べれば、遥かに致死率は低いが、経済的なダメージは屈指と言える。主要国では激しいロックダウンを行い、4-6月、中国を除き軒並み2割以上の経済縮小が発生した。

他の感染症同様、拡大の確実な停止には特効薬か、集団免疫が生まれることが必要だ。後者は自然感染もしくはワクチンによってもたらされる。ワクチンの登場は早くて年始であり、どのシナリオで見ても世界的な収束には1年以上はかかると見られる。ポストコロナを議論する前にウィズコロナ的な状況が当面続くと3月から訴えてきた背景だ。

この半世紀、エボラ出血熱エイズSARS、MERSと人類は随分と多くの新規の感染症に遭遇してきた。感染症が増えている一つの背景には、地上の大型動物の9割を家畜と人類が占め、人類と野生動物の生活圏が極度に近づいていることがある。実際、今回のSARS-CoV-2はコウモリ由来と推定されている。更に、世界的に進む温暖化の結果、北極やツンドラの氷が今後数十年中に一度は溶け、新たな病原体が出現する可能性が高まっている。

したがって感染症の発生がこれで止まることは考えにくい。我々は、解決策が必ずしもない様々な病原体とともに生きなければいけない状況、環境にあり、いわばpandemic-readyな社会を創っていく必要がある。


2 必要な変革の方向性

この事態の解決は止血、治療、再構築の3つのフェーズに整理できる。「止血」は現状の急速な悪化を止めるフェーズであり、世界各地で行われたロックダウンがそれに当たる。「治療」はこのようなウィズコロナ的な状態でもある程度の対応力を持つようにするフェーズ、「再構築」は今起きている変化の本質に即して系を作り直すフェーズになる。

なお既に明らかになってきている通り「止血」フェーズは、経済・社会的な負荷が高く、長期に渡って続けることは非現実的だ。かといってなし崩し的に元に戻したのでは、いつ何時、急激に拡大が再度始まるかわからない。では考慮すべき方向性としては何か。私の理解では大きく4つある。
① 密閉(closed)→ 開放(open)
② 高密度(dense)で人が集まって活動 → 疎(sparse)に活動
接触(contact) → 非接触 (non-contact)
④ モノ以上にヒトが物理的に動く社会 → ヒトはあまり動かないがモノは物理的に動く社会

この内①〜③を簡単に図にまとめると、以下のようになる。(図)

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つまり、これまで少なくとも数千年に渡って人類の文明が進めてきた「密閉×密」な価値創造(密密化)と逆向きの、「開放×疎」に向かう、「開疎化」というべきトレンドが強く生まれるだろうということだ。

都市の誇る価値創造の大半が左下の象限に存在する。密密化は半ば「都市化」と表裏一体であり、一人あたりのインフラコストを劇的に下げ、人と人の出会いを生み出し、さまざまな楽しみを効果的に生み出す価値創造のドライバーといえる。

博物館は一般的には収蔵物を密閉空間で展示し、そこに人が集まって見る空間だ。特別な展示になればなるほど人が集まり、それが経営の前提になっている。

開疎化に向けては山あいや海岸、河川沿いの開放的な土地に移し、開疎な展示空間を創ってマネジメントするというのが手の一つではある。しかし、マサチューセッツ州Tanglewoodなどで見られるコンサートホールであればわかるが、多くの博物館にとっては現実性が薄い。集客を無視したとしても、展示と保存に特別な環境が必須であり、かなりのコストを掛けねばハコを作ることができないからだ。すなわち移転も容易ではない前提で、空間、機能そのものの開疎化を実現しうるかどうかが今問われている。


3 空間の開疎化実現に向けた方向性

個別要素別に考えてみよう。まず「疎」については現在もされている「疎密コントロール」が基本だ。入退出を見て建物全体の人員数をコントロールするだけでなく、特定の空間における入場人員をコントロールすることが望ましい。必ずしも事前予約制である必要はないが、当日の直前であろうと受け入れキャパを可視化すること、オンラインで申し込めるようにすることは必要機能になるだろう。

距離感をさり気なくサジェストするようなデザインも有効だ。館内の人同士で距離を認識するアプリを開発し、近づきすぎると知らしめる(距離ウォーニング)手もあり得る。相互に認証すれば同伴者同士で鳴らないようにすることも可能だ。国内、もしくは世界の博物館に共通の基盤としてあれば実に便利だと思う。

では「開」についてはどうか。極力、空気の淀みを可視化し、排除する換気の視点を強化する必要があり、不十分な場合は空気を洗うことが求められる。

開放性のモニタリングが恐らく第一歩になる。すべての展示空間でCO2濃度を測り続けることで、どの程度外気並みの状況かは容易に分かる。東京を例に取ると現在外気は概ね450ppm程度であり、人が多くいるオフィスビルは1000ppm以上が多い。600ppm以下の維持が一つの目安になるだろう。

「空気を洗う」ためには水や高性能のフィルターを通すか、プラズマなどで消毒することが求められる。飛行機などで実装されている技術の転用は恐らく可能。また館内をほんの少し陰圧にすることで外気からの流れ込みを加速し、同時に入ってくる空気を効率的に洗うこともありえる。温度、湿度管理との兼ね合いが更に問われるが、熱効率の視点で建物の作りを見直す必要が出てくるケースもあるだろう。

このように開疎の実現にはおそらく「開」の実現こそが課題になる可能性が高い。状況のモニタリング、低廉で効果的な空気の入れ替え、空気の質の担保などを総合的に検討し、リノベーションの必要性と内容を検討するのがよいだろう。


4 新しい価値創造

博物館そのものの価値の観点からも考えてみよう。

身近で価値のある問いや視点は何であるのか、それを考える場所としての博物館の価値は大きい。過去、地球や人類はどのような災害にあい、それをどのように乗り越えてきたのか、生活視点で何が起き、それにどのように対応したのか、地域によってはどうなのか、他の生物ではどうなのか、など我々が参考とすべきことの多くが博物館に存在している。

数量的、科学的な事実や数字はもちろんだが、さまざまな感染症の流行っていた時代に人類が体験した苦しみと原因、社会的に行われた取り組みとその学びから得るものは多い。絵画、彫刻、音楽、小説、舞台芸術、デザイン、建築など、見るべき対象は広い。

たとえば中世でペストが猛威を奮っていた頃の風景は数多くの風景画に残されているが、その時の人々の暮らしや工夫は実に味わい深い。また結核スペイン風邪などが先人たちを苦しめていた約100年前、モダニズム建築が生まれ、それまでのビクトリア調の家造りに大きな変容が生まれた。その工夫の細部、込められた思い、その結果の評価を知ることの価値も大きい。

以上の目的のために可能であれば館内展示という枠を超え、収蔵品全部、そして+アルファ的に地域あるいは世界の友好的な博物館同士でテーマ的に連動した情報の提供などが行われてもいいのではないだろうか。そこはリアルと超高解像度のデジタル技術も組み合わせる必要があるだろう。

今こそ生で見て、感じ、考える必要がある。Wikipedia的な項目情報の羅列では足りないのだ。全体観を持って世界を捉え、感じるための機能はこのようなときにこそ必要だ。人類の知恵がそこにあるのにアクセスできないというのは残念なことだ。深い見識に基づく情報のつなぎ合わせや気づきの醸成は門外漢には難しい。博物館の持つ潜在力を解き放つために、新しい空間づくり、情報編集力、そして表現力がいま問われている。


初出:博物館研究 Vol.55 No.11 (No.630) pp.4-5

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(参考エントリ)
kaz-ataka.hatenablog.com
kaz-ataka.hatenablog.com

未来が欲しいなら名刺で生きるな、somebodyになるべし

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Leica M10P, Summilux 1.4/50 ASPH, DNG @Lake Nozori, Gunma


先日、Venture for Japan (VFJ)代表の小松洋介さんに受けたインタビューですが、めったに語らない内容であり、若い人たちに向けて僕もかなり丁寧に手を入れて作った原稿だということもあり、許可を得て転載します。小松さんありがとうございます。

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読書と研究とアルバイトに明け暮れた学生時代

――『シン・ニホン』を読んで、安宅さんに憧れる学生や若手社会人は多いと思います。そもそも安宅さんはどんな学生だったのか教えてください。

僕はいわゆるバブル世代ですが、バブルとは全く縁のない学生生活を送っていました。仕送りは要らないと親に言って、基本もらっていなかったので、大学1、2年のときは駿台予備校の寮リーダー(寮監)として住み込みで働き、日本中からやってきたいろんな寮生の相談相手やトラブル解決対応をしていました。寮生は自分が選んだ面白い連中ばかりで実におもしろかったですね。

寮のリーダー時代にすごく良かったのは、本を読み考える時間が大量に取れたこと。ひと夏で100冊読んだ年もあります。当時は寮生同様、心の奥底を覗き込むようなことや感じ考えることはたくさんあって、本を読むことで何十人もの人生を同時に生きているような感覚がありました。そうやって青春と向き合っていたんだと思います。

ただ、リーダー生活ばかりで学生生活が終わるのはちょっとどうかなと思ったので、3年生で寮を出て一人暮らしをすることに。そこからは、社会の仕組みを知るアルバイトをたくさんやりました。家庭教師や塾講師は当時、子供の親にたかっているように感じていたこともあり極力避け、雑誌の校正、引っ越し屋、割烹、デパートの内装解体工事、宅配便の仕分け工場など随分かなり幅広く体験しました。


――意外にも苦学生だったんですね。

そうですか。たしかに貧乏ではありましたが、生きている実感には事欠かず、学費以外は自分の足で立っていることで清々しく、そしてプライドを持って生きていました。昭和初期に出来たとても古いアパートに住んでいたので大家さんに許可をとって、壁も貼り直し、床も根太(ねだ)以外はどんどん直したり、本当に楽しかったですよ。またあの頃の幅広い経験が今でも非常に役立っています。学生のときぐらいにしか様々な社会の裏側の仕組みに入れないので、色々な体験をしておくのはおすすめです。

ただ、大学院に進学してからは研究に没頭するようになったのと、原則アルバイト禁止の研究室だったので、圧倒的に時給の高かった駿台予備校の講師に割り切って応募したところ、すごい倍率でしたが運良くなることが出来、それはそれで熱狂的に週に2〜3時間だけ教えていました。当時、駿台全体でも最年少講師の一人だったのではないかと思います。

もともと卒業後は子供の頃から憧れていた科学者(サイエンティスト)になろうと思っていたのでいわゆる就活はしておらず、とにかく研究、読書とアルバイトに明け暮れた学生時代でした。


年360日狂ったように働いたマッキンゼー時代

――研究者を目指していたとのことですが、新卒ではマッキンゼーに入社されています。

修士の院生の時は、2つの奨学金と予備校の講師の収入で生きていました。ただ2〜3月の受験シーズンは仕事がなくなって、奨学金だけではやっていけないために困っていました。そこで偶然見つけたのが、大学の生協のそばに貼り出されていたマッキンゼーの短期バイト情報、正確にはスプリングリサーチャー募集、のポスターです。

当時のマッキンゼーは、何をしているかもわからない“謎の会社”。でも、記載されている報酬額が良かったんですね(笑)。それをきっかけに応募したところ、採用して頂き、期間中、随分楽しみましたが、終わったあと、数年のブレイクのつもりでどうですかとお誘いを受けました。研究で色々どうしようかなと思い悩んでいたこと、リサーチャーの経験の結果、これは意外と向いてるかもと思ったこともあり、何年かたったらサイエンスに戻ろうと思って入社しました。

当時、テレビCMでは「24時間働けますか」という言葉が流行っていた頃。僕も年間360日ぐらい、平日は朝8時から夜2時や3時まで、土日も両方働くような生活を続けていました。狂ったように働いていましたが、1年目から手がける仕事が大当たりして、自分の分析のインサイトから生まれた商品が年間千億円単位の売上を上げるなど、身体的にはしんどかったですが、とにかく楽しかったですね。

とはいえ、素晴らしい職場ではありましたが、僕はこの偶然であった会社で過ごすために生まれてきたわけではないし、早く研究者に戻らねばと思っていました。

もともとずっと欲しかった学位(博士号)を取らずにマッキンゼーに行ってしまったことで、人生プランは歪んだと思っていたので、卒業後に研究者として歩むはずだった人生以上に成長しないと意味がないと、当時、もう一人の自分と常に戦っている感覚がありました。

そういうこともあって、マッキンゼーで4年半働いて自他共に目に見える結果を残したあと、脳神経科学(Neuroscience)を学ぶため大学院に戻りました。自分の深い関心が常に「知覚(perception)」にあったこと、子供の頃からの夢であったサイエンティストになりたかったということが一番の理由です。実はMBAを持つマッキンゼーの師匠たちからも安宅さんらしさが失われるので、ビジネススクールに行くのはやめたほうがいいと言われていました。笑


人生は、ご縁と愛嬌でできている

――安宅さんは、どんな状況下でも常に楽しんでいる印象があります。その秘訣は何でしょうか。

うーん、そもそも生きているだけで有り難いじゃないですか。痛いとかつらいも含めて、生々しく生きている実感を感じる時が僕は一番幸せです。逆に自分は何をしていたんだろうこの一日と思う時がかなりしんどいです。

僕は自分がやること、関わることは、適当にいなしたりは極力せず、できる限りディープダイブ(deep dive)するようにしています。するとなぜか楽しく感じ始めるんですよ。

どういうわけかギリギリまで自分が頑張っていないと、僕はむしろつまらなく感じます。生命が使われていない、命が生きていない感じがするんです。火中の栗を拾うようなことも何度もやっているうちに、生きる喜びを味わえるこれ以上ない機会になります。適当に逃げてラクに過ごすことも多くの場合できるのですが、あとあと虚しい時間だけが残るのでやらないです。

やれと言われたからではなく自らdeep diveしたくてやっているのでやれる。ただ若かった頃に働きすぎて半ば臨死体験のような経験をしたことがあり、それ以来、壊れそうなぐらいまでは無理しないようにはしています。このセンサーも結構いい感じで大切です。身体なのか心の声を常に聞くようにはしています。

2つ目に自分がどういう時に真にエキサイトするのかを知っているということも大きい気がします。僕は20代の後半の頃、どうも自分が本当に興奮して生きている実感を感じるのは、本当に意味のある変化を生み出せているかどうかだということに気づきました。以来、それが僕にとってのかなり深い判断軸の一つになりました。それは自分がいることで意味のある変化を生み出しうるのか、その軸で随分の選択をしてきました。いまバリューが出ているかなと自分が考えるのはおおむねこの軸です。

3つ目、僕の場合、想定外の状態になることが人生多いですが、それを楽しんでいることも大きいかもしれません。サイエンティストになりたくてしょうがなくても何度やっても、テロやその他の理由で道から外れてしまう。偶然出会ったバイト先に務めて、熱狂していたらそちらが本業になってしまう。社会的に問題だと思って仕掛けていたデータ人材の話が気がついたら更に仕事になっていく。偶然、誘われた国の審議会で依頼を受けた以上プロとして投げ込んでいたら社会変革がまた新しい仕事になっていく、、などなどです。振り返ってみると、常に5年前には想定していなかった人生になっていく傾向がありますが、それが人生の驚き、面白さ、楽しさの驚くほどの源泉になっています。自分が想定していたよりもどんどんワイルドな人生、展開になっていく傾向がありますが、これも星のめぐりかと思って有り難く受け止めるようにしています。

やったことがないことは芸風が広がるぐらいに考えてそれも徹底的にやってみる。わけのわからない展開になったらいい感じになってきた、ぐらいに考えて楽しんですすめる。

また、自分がやりたいことをやろうとすると理解を深めないといけないことは随分広いことに驚きますが、それもこんなのわかるわけがないと思わずにどんどん広げていく。

すると生まれ始めるのが、人との出会いです。僕自身、学生時代に出会った恩師や読んでいた本はもちろん、これまでやってきた仕事はいずれも偶然のご縁からはじまったものでした。出会いの先には必ず未来につながる何かがある。人生は「ご縁と愛嬌」でできていることを忘れないことが大切なのではないかと思います。

僕が今までの人生で出会った“ヤバイ人”に、チャーミングじゃない人は一人もいませんでしたから。


名刺で生きるな、somebodyになれ

――新卒で入社しても「こんなはずじゃなかった」「思い描いていた未来とは違う」と悩む若者は少なくありません。そうした若者には何を伝えたいですか?

先程述べた通り、想定外の展開をするのが人生です。少なくとも僕はずっとそうだったしこれからもきっとそうでしょう。それを一つのチャンスだと思ってやってみる。欽ちゃんこと萩本欽一さんに「したくない仕事しか来ないんです。でも、運はそこにしかない」という糸井重里さんとほぼ日で語られた言葉があるんですが、まさにこれです。

個人的な意見としては、長期的なキャリアパス(career path)みたいな考えは持ってもいいけれど、新しい展開があれば、柔軟に対応し、場合によっては捨て去ったほうがいいと思います。

人生が先まで読めるものだと思っていること自体が人生の幅を狭めていると思います。”Welcome troubles and unexpected !”(トラブルと想定外を楽しめ!)です。ということで、今の状況が楽しくないと悩んでいる人は、自分の人生に対して失礼な生き方をしていると思った方がよいかもです。人生の宝はその一見不可解な展開の中に眠っているんですから。

また、自分の人生が世の中とどう関わっていくのかを考えると、虚しく思わないためには、何かしらの道で一人前、可能であれば一流になっている必要があると気づくと思います。

たとえば世の中との関わり方には、アーティストやスポーツ選手などの「表現者」、医者や弁護士、デザイナーなど「プロフェッショナル」、「研究者や教育者」、ルールを作って世の中を回したり、変えていく「政治家や官僚」、世界レベルの調整をする「国際的公務員」、社会の革新を目指す「社会変革家」、事業会社を生み出し立ち上げる「創業者」などがありますよね。

こうした世の中との関わり方を全て抜くと残るのが、対極にある「ジェネラルな会社員」です。

学校を卒業して10年経ったときに、何かしらの道でそれなりの足場ができていないと一人前とは言えないし、自分らしく食べていけません。自分はどのように世の中と関わるのが適しているのかを見出す、あるいは自分の目指す社会との関わり方の実現のために、数年間会社で経験を積むのであればいいけれど、人生プランの中に「ジェネラルな会社員を目指す」というのはちょっとどうなのかなと思います。

だから、言葉を選ばずに言えば「会社で働く」のはいいが「会社員になるのを目指すな」と伝えたい。官僚機構も含め組織の一員になるということは、組織という価値創出機構、仕組みの一機能、一つのパーツになるということを意味しています。それなりの規模の組織に入ることで人生のリスクを下げようとすれば、どうしても自由度は落ちるということです。

それは自分が好きなことをやるのとは本来関係がないことです。熱狂的にやっているうちに、心から楽しく思えるものに出会うことはもちろんそれなりにあるとは思いますが、まとまった組織の一員の場合はそれがずっと続けられる可能性はそもそも低く、「こんなはずじゃなかった」と悩むのはおかしいことなのではです。初めからわかっていたことじゃないかと。

悩んでいるのなら、少しでも自分のユニークさを作ることに時間を割き、「僕は、私は、〇〇な価値を生むのが得意です」と答えられる“somebody”になって欲しい。そのためにも、若い頃から深く感じ、考え、それを元に判断する、悩んでいる前に何かをやる習慣を身につけるべきだと思います。

仮に既に就職し、働いてしまっている場合も、週5日、一日9時間働いても45時間、一週間168時間の27%に過ぎない。睡眠に3割取られるとしても4割もの時間が自由なのです。仕事の後の時間もある、週末もある、自分の投資できる時間をいかに使うかです。


――当たり前のように就活をするのではなく、自分をないがしろにしないことが大切というわけですね。

そうですね。就活は全くマストではなく、決してトッププライオリティでもない。僕自身、いわゆる就活をほとんどしていないですから、、。正直アドバイスできることがあまりない。そもそも自分のない人が就活をしてもろくな未来が待っていません。

自分はなんである、という部分を育て、その上で、どのように世の中に関わるのかを考えないと、描く未来はつくれません。よく、「自分の求める環境がない」という人がいますが、逆に「なぜ君のために世の中があるのか」と問いたい。そして自分は何であるは、本を読んだり、自分に向き合っているだけでは決して生まれない。僕の経験では内面の耕しと外部とのインタラクションの両方がどうしても必要に思います。

世の中は自分のためにできていないけれど、自分の居場所を作る自由はあります。だからこそ、兎にも角にも何かしらの道で一人前になることが大事。できることが1つもないなら社会は対応してくれないことを肝に命じて、得意なことを1つでも2つでも早く作って欲しいですね。この道、と決めてやれるものがあるならやる。大学院で突き詰め、専門性を持つというのは一つのやり方です。


呪いの言葉から、自らを解放せよ

――VENTURE FOR JAPAN(以下、VFJ)では、ローカルの中小企業の経営層に新卒から参画して、経営者と一緒に事業を作る経験を積めるのですが、安宅さんはVFJの可能性をどのように見ていますか?また、学生に向けてあらためてメッセージをお願いします。

学生に向けてのメッセージとしては、繰り返しになりますが「自分探しとか、就活に過度のエネルギーを使うのはやめましょう」です。エントリーシートを書いて志望動機に頭をひねって、髪の毛を黒く染めにいく時間があるなら、その時間を“somebody”になるための人生の耕しに費やした方がいい。自分は心のなかで探すものではなく、なにかやっているうちに生まれ、気づいてくるものですから。

自分が目指すsomebodyになるために、必要な経験を積むという就活なら意味があるかと思いますが、「手段、方便」であるはずの就活が目的になっている時点で望むような未来は得られないのではないでしょうか。僕もこれまでそれなりの数の面接(job interviews)をしてきましたが、会社も明らかに際立った人、強い存在感のある人には来てほしいですが、そんな「会社に入ること」に命がけの人を欲しくないですから。

VFJは中小企業の経営、経営課題の逃げ場のない解決という生々しい経験を積める稀有な環境だと思います。経営者と一緒に世の中を動かしていく、自分の意思決定で会社を動かしていくというリアルな経験は確実に人を成長させます。自分がなんだかわからないとか、現状に悩んでいる人は挑戦する価値は十分あるかと思います。

人はどこまで追い込まれて乗り越えたのか、修羅場の数だけ成長しますし、修羅場を経験した人の言葉には重みがあります。やってできないことはそれほどありません。「どうせ無理」「うまくいかない」といった“呪いの言葉”を吹きかけてくる大人が近くにいるとしたら、すぐに離れたほうがいいです。

自分の人生を他人の判断に委ねていたのでは、運や縁は訪れません。何でもいいからsomebodyになってほしいし、もし、自分には何もないと思うなら、あなたにはすべての自由が与えられているということを認識してください。自らに呪いの言葉をかけることをやめるのが、未来を切り開く第一歩になるはずです。



オリジナル記事はここ
note.com


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VFJについてはこちら。二年間の期限付きで経営者の右腕として働きながら起業家精神を身につけることを目指すプログラムを展開されています。ご興味のある方はご相談してみてはいかが?
ventureforjapan.or.jp

つなぐ道とつながる道、逆土木

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Onomichi, Hiroshima, Japan
Leica M(typ240), Summilux 1.4/50 ASPH, RAW

先日、国交省/日本みち研究所の松田和香さんに受けたインタビューの後編です。本日 9/15付の「日刊建設工業新聞」(日本中の土木のプロが読まれる専門新聞)での特別提言記事を許諾の上、転載させて頂いています。前編については以下をご参照。

kaz-ataka.hatenablog.com

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(松田)
著書『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』では、「風の谷を創る」プロジェクトの話の中で道の話が出てきます。道についてはどのような思いがおありですか。

(安宅)
道は、前提として空間を二つに割る必要があると思います。一つは都市人口密度が1平方キロ当たり数千人以上の規模で、インフラ投資してもペイできる空間を『都市』とすると、残りの大多数の土地である『疎空間』にある道はペイしません。この疎空間の道をどう考えるかが大事です。われわれ*1の見解では(谷的な空間における)『道』には集落と集落、あるいは街と街を『つなぐ道』、空間の中で家や建物に『つながる道』という2種類があります。これらは根本的に役割の違うもので、つながる道はわだちが沈まない程度の『柔らかい道』が望ましいと思います。硬い道は谷の豊かさを生み出す動植物にとっては迷惑な上、メンテコストが極めて高いからです。

今は谷的な疎空間も硬い道だらけなので一度ほぐす必要があります。まさに『ほぐす土木』の開発が必要です。今後、建設業の労働人口が減少し現在の340万人から半減、4割ぐらいになったら、道をメンテナンスしきれずに非常に巨大な空間を捨てることになるでしょう。捨てたくなかったら、もっとロースペックでメンテナブルな道をつくるべきです。『谷』内の『つながる道』は、メンテキットのようなものを配って住民が手入れできるようにするなど、これまでとは根本的に思想を変える必要があるでしょう。


(松田) 日本は地震や台風等の災害が多く、最近は多頻度、激甚な傾向にあり、国土強靱化に向けた道づくりも進められています。

(安宅)
環境省では2100年には風速90㍍台の台風がくると予測しています。しかもその数値はアグレッシブシナリオではなく、温暖化が(IPCC*2勧告レベルで)抑えられたとしても風速70㍍級の台風が恒常化するという予測です。風速70㍍は満載のトラックが倒れるレベルです。風速90㍍となると多くの家が倒れます。今後30~50年の間に道と街は全部造り直さなければならないというのが、われわれが向かっている未来で、その対策を考えるのが国や自治体の仕事です。200兆円規模の被害が、事前メンテナンスによって20兆~30兆円に抑えられるなら、やった方がいいでしょう。都市部、特に東京は『つぶれたら日本が崩壊する』という理由で直すでしょう。けれどもそれ以外のところは放置される可能性が大きいです。そこに少なくとも風速70㍍級に耐えうる空間や建物を造ることが重要だと考えます。


(松田)
 この6月、社会資本整備審議会道路分科会基本政策部会が「2040年、道路の景色が変わる-幸せにつながる道路-」という提言を行いました。道路政策を通じて実現を目指す社会像を書いたものですが、将来の道の姿について何かお考えがあれば。

(安宅)
既に年間3200人とかつての5分の1以下まで減った交通事故死者数をゼロにするには、人間の知覚能力を超える能力が求められます。それならば人と車は分離するのが一番です。人と車が混ざる道にはあらゆるところにセンサーを埋め込んでおく。そうすればセンシング情報を車や道そのものに送り込んで共有し、例えば事前にアラートして車を制御できるのでトラブルは減ります。ただそれをやるくらいなら、車が多少迂回(うかい)してでも人と徹底分離した方が、低コストなのではとも思います。いずれにせよ日本の道路は狭く、人と車が入り交じっているのがデメリットです。AI-readyになっていない。ちなみにセンシングは人が多くて飛び出してくる可能性が高い空間で有効ですが、疎空間でもメンテで活用すべきです。


(松田) 最後に建設業界にエールをお願いします。

(安宅)
これまで述べてきたように向こう30~50年、土木業界には想像を絶する需要がくると想像しています。大変なことだと思うけれど、皆さんの向こうに未来があるので頑張っていただきたいし、イノベーションを起こす重要な局面だと思います。ただ今のままでは、国も自治体もこんなに巨額な金は払えない。だから知恵を出す必要があります。皆さまへの期待と依存度は高まる一方です。それから『ほぐす土木』、僕らは『逆土木』とも言っていますが、そういう話に興味がある人がいたら紹介してください。


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(参考資料)

環境省による2100年のシミュレーション動画。一度は見ておくことをオススメ。作った方に直接お聞きしたところ、もっと強烈なシナリオも十分あり得るとのことです。
ondankataisaku.env.go.jp


2013年自然災害リスクの高い都市ランキング世界第一位となった東京・横浜地区の抱えるリスクを、東京都屈指の土木の専門家、土屋信行氏が簡潔かつ端的にまとめた一冊。

首都水没 (文春新書)

首都水没 (文春新書)


日本を代表する防災・減災・危機管理の研究者である河田先生(京大名誉教授/人と防災未来センター長)による一冊

日本水没 (朝日新書)

日本水没 (朝日新書)

  • 作者:河田惠昭
  • 発売日: 2016/07/13
  • メディア: 新書


Society5.0の前提としてのAI-readyについては経団連検討のこちらを
www.keidanren.or.jp


「AI-readyとは何か」について経団連の前に内閣府 人間中心のAI社会原則検討会議(第2回)にて投げ込んだときの資料へのリンクはこちら



初出:2020年9月15日 日刊建設工業新聞 
記事pdfはこちら(9/15夕方現在、前編までしか掲載されていません。)

*1:一般社団法人 残すに値する未来/「風の谷を創る」運動論のコアメンバー

*2:Intergovernmental Panel on Climate Change/国連気候変動に関する政府間パネル

Pandemic-readyな社会に

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Shelburne Farm, VT, USA
LeicaM(typ240), 1.4/50 Summilux, RAW


先日、国交省/日本みち研究所の松田和香さんに受けたインタビューを、昨日、土木系のプロの方々が読まれる「日刊建設工業新聞」に特別提言記事として載せて頂きました。なんと寛大なことに転載許可をいただきましたので、共有させて頂ければと思います。(松田さん、素敵な記事とご手配ありがとうございました。)来週、後編が出る予定です。

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(松田)
著書「シン・ニホン-AI×データ時代における日本の再生と人材育成」では、様々な観点の分析結果から日本の現状への危機感が述べられています。この本はコロナ前に執筆されたものですが、コロナ禍を踏まえた現状に対してどのような感想をお持ちですか。



(安宅)
コロナ禍という言葉自体があまり好きではありません。「下」ならわかるが、「禍」は言い過ぎです。人類史を振り返れば、ペスト、結核天然痘エイズは桁違いに危険な病気です。天然痘にかかると3~4割、結核は発症すると1割以上が死亡するといわれています。人口8.5億人以上が生きるアフリカのサブサハラ(サハラ以南)は、未だに死因1位はエイズ。既に3,300万人も亡くなっています。14世紀にペストが蔓延したフィレンツェやロンドンでは数年の間に人口の7~8割、ヨーロッパ全体でも人口の6割が亡くなりました。COVID-19がこれらのレベルの感染症災害になる可能性は低いでしょう。危険なことは確かですが、歴史的に見れば、フェアに評価されていないのではと思います。


感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)



(松田)
伝染病はなぜ発生するのでしょうか。

(安宅)
現在、伝染病が発生しやすい背景は大きく二つあります。一つは、地球上の大型生物の9割が人間と家畜になってしまい、人類と野生動物の生活空間の重なりが大きくなってきたことです。人類が野生動物に接しすぎているため、自然宿主からうつってしまいます。COVID-19はコウモリ由来と見られています。エイズウイルス(HIV)はSIV(サル免疫不全ウイルス)由来で、やはり野生動物からの広がりです。もう一つは、温暖化が極めて進んでいること。氷土やツンドラが解け、これまで眠っていたウイルスや細菌が噴き出してくる可能性が高いと考えられます。感染症は今後もっと増えてくるでしょう。現にこの40~50年で感染症の発生は加速化していて、デング熱やエボラ熱、SARS重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)など、今まで誰も聞いたことが無かった病気が大量に出てきています。背景には全てわれわれ人類の活動があります。


(松田)
今回の社会的な対応についてはどうお考えですか。

(安宅)
今回のCOVID-19発生後については、まさに二次災害、三次災害という事態になっています。感染拡大を抑制するだけでなく、このような状況下でも社会システムやお金の流れだけではなく、行政や電気通信などのインフラ、土木工事などもそうですし、食糧供給なども回し続けられるかが問われています。そちらの議論がないまま、単純な表面上のシステム停止策をとったため、世界はおかしくなりました。行政システムあるいは社会システムは先に起こる課題を見込んで法律やルールをつくっているので、今回のような不連続事象が起きた時に対応できないのです。もっともここまで不連続なことが連続的に起きることも想定されていなかったのですが。不連続事象への対応策が社会的に強く求められているのに、古いシステムで無理やり回そうとしているので、めちゃくちゃになっていますね。


(松田)
本質的に、どのような対応をしていかなければならないでしょうか。

(安宅)
Pandemic-ready*1な社会にしておかなければいけません。冷静に考えればSARSやMERSの 頃からやっておかなければいけなかったでしょう。いずれにせよこのような感染症はまた来ます。今回のCOVID-19さえしのげばいいと思っている発想や議論があまりにも多く、なぜこれが起きているのかについて直視していなさすぎます。こういう状況が多発してもおかしくない社会で、どのような未来を残すのかが今問われているのです。本質的な改変を行う良いチャンスだと思うけれど、今は思考の浅さと近視眼性が異常に広まっている気がします。ウィズコロナの状況においては、COVID対応、基本コアシステム、OS的なインフラ機能、お金、ルール作りという5つの課題レイヤーと、それぞれに止血、治療、再構築というフェーズがあるはずです。目先の止血的な話は長くやるべきではありません。止血をやりすぎると、指だって死んでしまいます。再構築のフェーズ、つまり、今起きている変化に本質的に即した系につくり直すことが重要です。


後編はこちら
kaz-ataka.hatenablog.com


初出:2020年9月8日 日刊建設工業新聞 第10面
記事pdfはこちら

ps. Pandemic-readyな状況については4月にまとめた以下のエントリをご参考。開疎化はその文脈で考えて初めて真に意味のある話になります。

kaz-ataka.hatenablog.com

kaz-ataka.hatenablog.com

*1:本年6月末にSony CSL所長の北野宏明先生と一緒に登壇した際に北野先生が使われた言葉

スキル以前にサバイバル

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Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII, @London, UK


とある直接知らない学生さんから「数理な考え方、英語能力、伝える力などが私には備わっておらず、どの程度の基礎力が必要なのかもよく分からない」との質問を受けた。

それは何を目指すかで変わりますよね、、。MD*1/JD*2のような訓練資格、professional degree*3ならともかく、スキルを身に着けたら何かになれるわけではないわけで。*4

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Quick answerとしては、自分がどういうヤバい人間になりたいのかをまず考え、そこから逆算的にスキルを考え、逆算的に経験を積むべき。要は国や組織に頼らずに食っていける人間になれるか。

たとえば、「知的生産で国を超えて飯を食う」なら、英語はNew York Times/The Economist、自分の専門分野の論文(教科書は言うまでもない)が読めて、議論できるレベル。あるいはパリでミシュランの星を得るほどのシェフになりたいなら、フランス語で欲しい物を仕入れることが出来、スタッフに的確に指示し、自分の作りたい世界観を語れないといけない。

とはいうものの、そもそもこんなレベルで戦う人は人口の数%以下だと思われ、みんな自分のサバイバル視点で現実的な目標を立てるのが正しい。好きなこと以前にどうやって自分は生き延びるのか、という視点で、潔く向いていないことは諦め、突き抜けられることで突き抜けることを探るべき。これが人生の基本だと思う。

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深層学習だとか自然言語処理の技術をちゃんと理解して使いたいなら、教科書や基礎論文が読め、使えるレベルの数理素養(すなわち理工系学部1年レベルの統計数理、線形代数微積分)と計算機科学*5の基礎素養。、、こういう事を言うと、そんなこと誰も教えてくれないという人がいるが、道が引かれているという発想を捨てる*6。これらが必要なことは教科書や論文を開けばわかる。意思のあるところに道が産まれる。

しかし、データ×AIについてもこのように「創る」レベルで戦う人は人口の一部だと思われ、何でも全部やらないといけないわけではない。逆にこういうものを全部身につけても、大した人にならない可能性は相当にある。自分はどんな軸でサバイブするのか、若い人が考えるべきことはとにかくまずはこれだと思う。

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「あれも必要」的なコメントをする人がいるが筋違い。そもそもスキルが身についたらヤバい人になるという発想自体がヤバいというか間違っているのだが、これを多くの人は理解しているのだろうか。勉強や英語だけできて、あるいは資格ばかり色々持っていて、何ら具体的に変化を起こせない人が無数にいる。#シンニホン の1~3章を読んでほしい。


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そもそも回す人と創る人、このどっちの人生を歩むつもりなのかを考えるべき。

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左だったら分野ごとに求められるスペックがかなり明確に決まっているので、即していなければ基礎スペックを身につけるしかない。例えば光、カメラの原理、ライティングについて体系的に学んでいない人がプロのスタジオ写真家になることは不可能。右の人はそもそも何かで突き抜けないことには話にならない。至極シンプルな話。

今日はこの辺で。


ps. 次のPhD取得者に関するエントリでの問題然り、我が国では明治の近代立国の際に、専門学校や大学の学位イコール「職」的なアプローチを取りすぎて、あくまで資格をとってなにかをやる的な思想が強すぎるように見受けられます。

kaz-ataka.hatenablog.com

一般論として教育レベルが人間の選抜システムとして世界各地で使われていることは事実ですが、日本はそれにしては、幹部候補生に求められる訓練レベルが明らかに他のOECD諸国よりも低い。その上、その選抜が統計的にはかなりのふらつき(少なくとも数%程度)のある中で一点を争うというものであり、半ば「運」を見ている(選抜側の手抜きシステムと言われてもしょうがない仕組み)。

kaz-ataka.hatenablog.com

選抜はもっとポテンシャルに目を向けたほうがいいし、育成は次の「大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか」通り、もっとスキルドリブンにやったほうがいい。各自はもっと自由にどのような技を持って、どうやって生き延びるかという視点ですべてを考え直したほうがいいように思います。

kaz-ataka.hatenablog.com


#シンニホン #沈ニホン

*1:Medical Doctor/米国におけるMedical Schoolで与えられる医師になるための基礎学位

*2:Juris Doctor/米国におけるLaw Schoolで与えられる法律家になるための基礎学位

*3:米国においてPhDを目指すgraduate schoolではなくprofessional schoolで与えられる学位

*4:たとえば、スキルなのか微妙ではありますが、国家公務員総合職(以前の国家公務員I種)試験だって、定員の三倍程度合格者が出ており、望む省庁に入れる人はごく一部です。

*5:Computer Science: CS

*6:道があるということは既にレッドオーシャンなのだと考える

DXとは何か?


Summilux 50/1.4, RDPIII, Leica M7 @Lake District, UK


月曜日の夜、データサイエンティスト協会(以下DS協会)スキル定義委員会で「DXって何?」という話が出た。

DS協会スキル定義委員会は、これまでもデータサイエンティストのミッション、定義、求められる3つのスキルの整理(2014)に始まり、この類のものとしては恐らく世界初と思われるデータサイエンティストにもとめられるスキル要件を洗い出したスキルチェックリスト(2015 ver.1/2017 ver.2/2019 ver.3)、IPAと共同でのタスクリスト(2017 ver.1/2019 ver.2) *1、最近ではデータサイエンス100本ノック(構造化データ加工編)などを生み出してきたDS協会の中核的な委員会だ。*2 *3

このメンツから出てくる「DXって何?」というのは、当然のことながら、これが何の略なのかとかという意味の質問ではない。DXは「状態」ではなくdigital transformation という「変化」の当て字だと全員わかっているからだ。

ではこの問いが何かといえば、

  • DXはバズワード的にそこら中で使われているが経営的に本当のところ何を意味するべきなのか?
  • DXという言葉について世の中の理解は揃っているのか?
  • 関わるDS, Data professionalはDXをなんだと思うべきなのか?

という意味だ。

ここはバリバリのデータサイエンティストたちが多く集まっている場だ。彼ら、スキル定義委員の多くが、日々、DXを掲げる様々な企業に関わっている。ここからこのような問いが出るということは、その言葉がいかに雑に使われ、混乱のもとになっているかを彼らが身を持って感じているということだ。


そこで僕が、

「DXはOldエコノミーが、AI×データ化すること(次の図で右に行くこと)であり、その度合いは経団連で以前まとめたAI-ready化ガイドラインそのもの、急がないと第三種人類にリーダーの地位を奪われる」


https://www.keidanren.or.jp/policy/2019/013_sanko.pdf

と言うと、AI-ready化についてよくご存知の皆さんはようやく納得という感じだった。Old economy側がデジタル社会に対応するために、組織やビジネスモデルなど企業を根底から変革し、AI-ready, AI-poweredになることができるかが問われているということであれば(国がわざわざ言っている意味も含め言葉の必然性が)理解できると。なお、New economy側はデータ×AI利活用をそもそもの基盤としており、常に更なる革新の圧力にさらされていることは言うまでもないが、これと混同しないことが大切だということでもある。

データ×AIによる変革が進むこの局面においては、単なる「スケール」より「未来を変えている感」が企業価値を生むために重要になる。しかしOld側の多くは、自分たちが置かれている状況の深刻さに気づいていないケースが多い。このままでは今までライバルとすら思っていなかった新興プレーヤーに急激にリーダーの地位を奪われ、disruptされる。今すぐDXに舵を切らなければ、生き残っていけない。オールドエコノミーにとっては、まさに「change or die」という局面だ。Old側は、粛々とDXを進めていくしかない。スピードが足りなければ新しい血をメインに新部隊を作る必要もある。

なお、今月頭にテスラがトヨタを追い抜き世界一の企業価値を持つ自動車メーカーになったことは御存知の通り。7/21段階で世界の企業価値ランキングはテスラ15位、トヨタ36位だ。

www.cnbc.com

3年前に販売台数ではトヨタと同規模のGM企業価値を、当時100分の1の台数も売っていないテスラが抜き去り全米一の価値を持つ自動車メーカーになったときから予期されていたことではあるが、なんとも鮮やかであり、日本人としては唇を噛みしめるばかりだ。たとえ販売規模が小さくとも、テスラの向こうには「モビリティと持続可能なエネルギー社会の未来」が見えるということだ。

https://markets.businessinsider.com/news/stocks/tesla-gm-market-cap-2017-4-1001910775markets.businessinsider.com

「AI-readyとは何か?」については拙著『シン・ニホン』第二章で詳述したが、馴染みのない方は以前内閣府で投げ込ませていただいたリンク先の資料をご参照頂き、上の四象限では到底表現できていない部分が大量にあるので、腱反射のような反応は避けて頂ければと思う。

安宅和人「“AI ready”とは何か?(試案)」内閣府 人間中心のAI社会原則検討会議 (2018.6.1)
https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/humanai/2kai/siryo3-3.pdf


ちなみに、上のチャートは、産業や企業がハード系のアセットを主として持つものとデータ×AI系のアセットを持つものに大きく二分されるというものだ。詳しくはハーバード・ビジネス・レビュー 2015年11月号に寄稿した拙稿をご覧頂ければとおもうが、簡単に言えば、

  • Old economy : モノ・カネというリアル空間系のアセットを主とした事業
  • New economy : データ・AIというサイバー空間系のアセットを主とした事業
  • 未開領域 : リアル空間とサイバー空間の両方の特性を持つ領域

だ。現存する企業のほとんどはOld economyに属している一方(行政システムも同様)、Alphabet、Facebook、Tencentなど、ハードに極度に依存せず、インターネット、スマホのうえでさまざまな新規の価値を生み出している企業はほぼNew economy側だ。

New側は、今まで以上にデジタル技術を高めていくと同時に、世界的なインターネット人口の飽和、伸び悩みに伴い「“リアル”をさらに取り込み、融合しなければならない」という圧力が高まっている。上のマトリックス的には右下から右上に向かうベクトルになる。

5年前に「未開領域」とした広がりには世界の刷新を図ろうとする「第三種人類(第三勢力)」というべきプレーヤーが続々と現れてきている。TeslaKiva Systems(現Amazon Robotics)に代表される「AI化された機械」系と、AirbnbUberなど「シェリングエコノミー」系(シェア系)の2類型が今のところ目立つが、更にいろいろな形態の企業が現れてくるだろう。

www.tesla.com
https://www.amazonrobotics.com/#/www.amazonrobotics.com

サイバー空間とリアル空間両方で相当のプレゼンスを持つようになったAppleMicrosoftAmazon、Alibabaの「ハードxSWxデータPF」系も右下から上がり今やここ(元々未開領域であった場所に現れた企業)に入るのではないかと思う。これらの会社が企業価値のトップを争っていることにはそれなりに意味がある。

新型コロナの影響を強く受けたのがモノや空間の使い回しを行うシェア系であり、新型コロナウイルス接触感染リスクが懸念され、モノを誰かとシェアする行為をビジネスの主軸としている企業の業績は、著しく低下しているのが現状。とはいえ、「何かをシェアする」という考え方そのものが死に絶えたわけではなく、近いうちに、「ニュー・シェアリング」ともいうべきビジネスが登場すると考えられる。

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実はこの「AI-ready化ガイドライン」の原案づくりは「AI-ready」という言葉の言い出しっぺである僕が担当した。我々、検討チームの見立てでは、発表段階(昨年2月)では経団連企業ですら大半がレベル1という状況で、実際そのように発表された。今はせめてレベル2企業が何割かになってて欲しいのだが、、。


こういう事を言うと

アメリカのオールドエコノミー企業はai-ready3-5に移行できているのでしょうか?1でとどまっているのは日本の特徴ですか?

という質問を頂くことがある。

これについては例えば次のリンク先にある企業価値ランキングから明らかな通り、向こうではOld側といえども動きの速い企業が散見され*4、それ以上にNew economy側からの刷新が激しいと言える。Old economy側はあくまで防御側だ。実際、AI-ready化に必要な内製を行うサイエンス(統計数理/情報科学)、エンジニアリングリソースがない上、レガシー的なアセット*5が足かせになることが多く、DXでレベル3〜4以上に行くことは稀だ。旅行業界を例に取ればdisrupter側であるExpediaが全米1になったのは10年以上前、今はtripadvisor/kayakなどが更に刷新。ドイツに行って最もいけているスタートアップを聞けばN26というオンライン銀行がきっと最初のいくつかに入ってくる。TeslaがGMVWToyotaを抜いただけではない。

www.dogsofthedow.com

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古くからの大企業と霞が関の方々の多くに伝わっていない、あるいは理解されていないのは、アメリカが誇った数多くのかつての革新的な大企業、IBMXeroxDell、DuPont、KodakGMなどからNew economy、第三勢力が生まれてきたわけではない、ということだ。古くからの大企業は原則Old側であり、新しく生まれてくる側のスポンサーになるか、もしくは、刷新、淘汰の波にさらされる側にある。言い換えれば、DXはOld側各社にとって概ね必要条件ではあるが、社会全体がイケている状態になるための十分条件ではない。

以上を踏まえると、Old economy側が刷新する必要性を感じないで済む事業環境、即ち未来を仕掛け、刷新する側がガンガン生まれていない状況、というのが日本の現状であり、明白な伸びしろだ。深いドメイン知識を持つ人が仕掛ければ変わっていく部分、大きな富を形成しうる余地が巨大だ。

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今の25歳以下の方々から見たら想像がつかないかもしれないが、30年前、経団連の幹部には、ソニーを生み出した盛田昭夫さん、チェーンストアという概念を持ち込み、小売を大きく革新した中内功さん、など錚々たるスタートアップの創業者たちが何人もいた。ホンダやトヨタ自動車の創業者、最初期を知る方々の多くもご健在だった。

僕らが真に仕掛けるべき未来はDXだけではなく、第三勢力的な世界の構築に大きく広がっている。すなわち"DX"ではなく新世界への"移住"ということだ。社内ベンチャーでもいい、準備の内職後に飛び出して頂いてもいい、ぜひ、Old economy側でドメイン知識を吸収しつつも、果敢に挑戦してくださる人が一人でも多く現れてくれればと思う。

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ps. 4月頭に本ブログでまとめ、発信した通り、withコロナ状況では「開放×疎=開疎化」「人は動かないがモノがガンガン動く社会になる」というトレンドが強く働く。この中においては当然、勤務、直接のやり取り、価値移動の非接触化(リモートワーク含む)が進む。これらがDXの大きな後押しになっていることは間違いない。ただ、これだけではダメなことも自明。結局、AI-ready化が必要ということになるだろう。

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*1:機械学習時代に即したスキルチェックリストのver.2、深層学習時代に即したスキルチェックリスト ver.3/タスクリスト ver.2

*2:2015年春に、座長の北川源四郎 情報・システム研究機構長のもとで、この国のビッグデータ専門人材育成検討が始まった際には、10人ぐらいの委員のうち、協会顧問の樋口知之統計数理研究所(統数研)所長(現 中央大教授)、協会理事の丸山宏 統数研副所長(現PFN CSO)、僕とDS協会から3人加わり、中核的な投げ込みをした。リテラシー層、専門層、リーダー層の三層の人材育成モデルが必要であること、大学に進学するような人は理文、専門を問わずリテラシーレベルの数理データ素養が必要であること、専門層とリーダー層の間ぐらいにある「棟梁レベル」(DS協会スキル定義委員会の言葉)の強化が最も必要だということもここで決まった。ここで1,000億単位のリーダー層育成検討を行うべきだという話を強く投げ込んだことが、この後の人工知能技術戦略会議(年間100億×10年)の設立につながった。現在のAI戦略会議である。この時、我々の言っていることがこれまでの統計数理的な教育、計算機科学の教育と何が違うのか文科省の方々にわかってもらうことに大変苦労したが、その時、文科省側の人達に言われたのは、このDS協会での事前検討がなければこの検討は、劇的に難航し、大幅に遅れただろうということだった。

*3:全国の全800大学に入ることになった数理・データサイエンス・AI素養のモデルカリキュラムやその認定制度設計も相当深く支援している。

*4:今回のCOVID19用のワクチン開発がそうであるように、bioinformaticsを酷使したヘルスケア企業など典型的

*5:歴史ある金融機関を例に取れば、超一流立地の支店網、比較的高給である支店長ほかミドルマネジメントの数の多さ、千億単位で刷新費用がかかる基幹系システムなど

開疎化がもたらす未来


Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII, Somewhere in AZ, USA

「開疎化」という言葉を世に出してから二週間たった。3/11のWeeklyOchiaiで落合陽一氏と話した「Withコロナ」からはもう一ヶ月以上だ。

Withコロナというのは解決策が必ずしもない新型コロナ(SARS-CoV-2)や様々な病原体とともに生きなければいけない状況、環境のことを言う。世の中の期待と異なり、状況の収束にはSARS-CoV-2対応に絞ったとしても、現実的な楽観シナリオでも1-2年はかかる、更に様々な病原体がこれから現れる可能性は相当に高く、これが終わりなわけではない、その視点で課題と未来に向けた方向性を整理する必要がある、というのが前回の議論『そろそろ全体を見た話が聞きたい2』だった。

kaz-ataka.hatenablog.com

開疎化と言っているのは、一言で言えば、Withコロナ社会が続くとすれば、これまで少なくとも数千年に渡って人類が進めてきた「密閉(closed)×密(dense)」な価値創造と逆に、「開放(open)×疎(sparse)」に向かうかなり強いトレンドが生まれるだろうという話だ*1

ちなみにその逆、言ってみれば「密密化」は都市化や人類の文明の発達してきた方向とほぼ表裏一体であり、つい4ヶ月ほど前まで、このままいけば、ブレードランナーのようなsuper都市セントリックな未来、それ以外の空間が捨てられる未来、がやってくるというのが、全世界的に起きてきた強く太いトレンドだった*2

前回のエントリが、Facebookだけで既に約4,000回ほどもシェアされ*3、4/8のWeeklyOchiaiでもこのテーマについて話したこともあり、「開疎化」という言葉は結構な勢いで広がり、これは何をもたらすのかということを聞かれることも多い。

それってみなさんの想像力に託されているんですよ、と言いたいところではあるが、言い出しっぺということもある。2月に出した拙著『シン・ニホン』編集者の井上慎平さんから随分な量の質問も頂いているので、それも見つつ、少し考えてみよう。

井上さんから頂いた質問は、開疎化時代において、たとえば以下のそれぞれがどうなるのか、ということだ。

  • 都市と地方の関係性はどうなるのか
  • 都市空間の変容
  • 密を前提としている産業の未来、、食やエンタメ
  • 開疎化が困難な領域は?
  • 人間の感性はどう変わるのか
  • 人と人の関係性は変わるのか
  • データ×AIと開疎化の関係
  • 価値はどのように逆転するのか
  • 優秀さの定義は変わるのか
  • 開疎化は右からと左側からのどちらから向かうのか
  • 脱グリッドとは?

なんとも絡み合っているので、徒然なるままに書いていこうと思う。
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まず、多分、僕の周りの人たちの多くが、何より気になるところと思われるのは、Withコロナ時代において理屈通り開疎化が進めば、そもそも都市はどうなり、地方との関係がどうなっていくのか、ということだろう。

何しろ開疎化という概念と都市が誇るものは大半がことごとく対立している。切れ目なくやってくる環状線の電車、10以上もの路線が入り組み日に数十万から数百万の人が利用する主要駅、通勤アワーは常に座席の数倍以上の人が乗り込む電車やバス、何千もの店が集積する街、何万人も入って一緒に応援するスタジアム、10以上のスクリーンを持つシネマコンプレックス、みっちりと居住(オフィス)空間がつまり、それが積層化された高層住宅やオフィス、毎日数万人が集まる花見の名所、列で何十分も人が並ぶテーマパークや新しい名所、、などなどだ。

ここで留意したいのは都市は決して東京や大阪のような大都会だけではないということだ。多くの地方にも中核的な都市空間はある。例えば多くの人がリゾートで訪れる沖縄、僕も大好きだが、実は那覇市の人口密度は約8,000(人/平方キロ)にも及び、23区内の人口密度約1.5万強の半分程度もある。つまり単に地方の時代が来たとかそういう話ではないのだ。

たとえば日本の各地でコンパクトシティ化が進んでいるが、これはこれまでの人類の最大の発明、ソリューションである「都市」を地方の空間において再現しようというもので、普通にやると開疎化とは逆の流れになる。

結論から言えば、都市はなくならない。現在の人間にとって、効率的かつ快適に暮らすためには都市以外のソリューションがないからだ。従って、開疎化は都市の中でこそ進む。前回のエントリで書いたように、同じ都市の中でも、開疎化されているかどうかによってオフィス、飲食店、娯楽施設など、あらゆる空間が評価される時代が来る。空間の開放性、通気の良さ、座席配置などだ。「空気回転率」(空気の入れ替え回数/時間)あるいは「単位換気時間」(何分で全部の空気が外気と入れ替わるか)はモニターされるのが当たり前になるだろう。代替指標としてのCO2濃度も計測するのが当たり前になる。

外資やプロフェッショナルファームであればブースという2~6人で区切った作業空間がよく見られるが、そういう場合は、そのブースごとにこれらをモニターすることになる。概ね「疎(sparse)」ではあるものの、「開(open)」ではないためにこれまで以上に空気の回転を重視する仕組みにしていく必要があるだろう。

先程のCO2を例に取ると、外気と同じであれば450ppmぐらいであるが、僕が計測器を持ち歩いてみたところ、インテリジェントビルは新築でも人が働いていると1,000ppmを超えているところは珍しくない。これに対応するべく、前回書いた通りオフィスビルそのものの温暖化対応と伴って、かなりのリノベーション需要が発生するはずだ。

この新しい我々の世界ではハコというものの役割も再定義されないといけない。通気の良い形に設計思想も変え、今までのビルは大幅なリノベーションが必要になるだろう。オフィスにつきものの「島」もおそらく消える。日本の職場は官庁も含めて外資的な感覚では異様な人口密度の場所が多いが、それも補正されざるを得なくなるだろう。実は温暖化に伴って風速70-90Mに対応できる街やビルにする必要があるが(『シン・ニホン』第六章を参照)、その対応も一緒に行うべきだ。(そろそろ全体を見た話が聞きたい2

加えて、いま多くの人が体験している通り、ライブ感漂う状態で空間的に離れた人とリアルにつながるための空間や技術開発が進む。この視点で見ると世界的にメガヒットとなりつい最近まで極めて品薄だったAppleAirPods Proの発売は実にタイムリーだったと言える。空間的にもおそらくコックピット的なオフィスが増えるだろう。それは自宅にも相当配備され、オフィスビルの中にもかなりの数ができる可能性が高いのではないかとおもう。

離れて作業や議論している中、あたかも一緒にいるかのように感じ、共同作業して価値を生み出すための技術も必要になる。カンファレンスやコンサート、ライブなどの根本的な刷新、興行系のビジネスのモデル刷新、それに即したインフラ的なプラットフォームの整備も必要になる。VR/MR/ARも大事だがそれ以前の話も大量に出てくるだろう。(そろそろ全体を見た話が聞きたい2

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そうなるとそもそも会社が一つの場所に土地をまとめて借りる必要があるのかという話に当然なる。かなりの人が開疎的に働き、「本当に集中的にブレストする、知的生産を行う」ときのために何割かの人が集まれば良いという形にオフィスは変わっていくのではないかと思われる(当然コアメンバーだけが参加し、陪席者は外からその空間にバーチャル的にjack-in*4する)。

なお、今の日本のオフィスの多くは密密的な「島」を中心ににデザインされているので、開疎的にオフィスを作り直すと今と同じぐらいの面積は維持し続ける必要があるのではないかと思う。開疎状態で全員が出勤する(これ自体が言葉として矛盾がある)となるとおそらく今の3〜4倍程度の面積が必要になるケースが多いと思われるが、そういうことはなくなるだろう。10年、20年後まで見据えて考えれば、風通しもよく、低層でエレベーターが人で溢れたりしない開疎なビルや街が中心になっても全くおかしくない。交通機関も含めて都市計画の大幅な見直しが必要だ。

この変化に従い、多くのオフィスワーカーは家の中か比較的容易に行ける場所に作業コックピット的な空間が必要になる。職住近接ではなく、職住一体型の住宅の開発、リノベーションが進む。参加者外秘のビジネス討議を行うためには、そこがセキュアかどうかも示せることが求められるようになる。

いま現在は貸し会議室やシェアオフィスは需要が激減していると聞くが、おそらくこの流れに沿って空間を設計し直すことで蘇る部分も多いだろう。これまでは街ナカばかりをシェアオフィス化していたと思うが、郊外の空き家や空きビルなどを再設計して、気持ちの良い作業空間として打ち出し直す場所が求められるようになる。夏冬は少々きついかもしれないが、隙間風の入る古い木造住宅も、春秋の開疎空間としては良い場所と考えられる。
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作業場としての都市的な空間についてばかり述べたが、消費、娯楽の中心地としての都市機能についても考察してみよう。

消費、、こちらについては銀座、表参道、NYの5th Avenue、あるいはプレミアムモールのような生のブランド体験を得るための場所は残ると思うが、ここに訪れるというのは今まで以上にちょっとした贅沢な体験になる可能性がある。開疎化の流れの中では店舗内の人の数は相当にコントロールする、入店者も管理する必要があるからだ。高級ブランドのお店では若干、加圧状態にして、外から病原体が入らないようにすること、空気でお客を洗うようなスペースづくり*5も行われていくだろうことも容易に想像できる。

実際には、今のSARS-CoV-2そのものは一旦どこかで落ち着くだろうと思われるので、その小康期は元通りになるが、そういう何らかの病原体がはびこっている時は、十分な免疫を持つ人(抗体価の高い人)だけしかおそらく訪れることが厳しくなる。そうでない人は、外からそういうフラッグシップ的な店舗にJack-in的に訪れ、まるでリアルかのような接待を受けることが求められるのではないだろうか。その場合、そのフラッグシップ店舗は、当然そのような大きな街ナカにある必要はなくなる可能性が高い。

例えばチロルの山中に、巨人が古墳になったような不思議な建造物がある。

kristallwelten.swarovski.com


この地下はクリスタルガラスで世界的に有名なスワロフスキーが持つ、クリスタル・ワールドという世界最大のフラッグシップ店舗だ。10年以上前に訪れた時でも案内者が20ヶ国語以上の主要言語に対応しており、他では全く見たことのない質と量の展示販売が行われていた。この地下に世界最大のスワロフスキー工場もあるともお聞きした。

こういう場を求めるブランドは相当に多く生まれると思われ、なおかつ、その誘致を行い、その周りをそのブランドに相応しいだけの美しく、自然とともに豊かさを持った空間にできる土地の開発が進むだろう。数十から100平方キロ米の土地に一つ、そういう場所があるだけで、全く新しい開疎な豊かさを持つ郊外の空間が生まれる。その周りには、いま世界のairbnbなどでどんどん提供が進む開疎でゆたかな居住空間も生まれてくるだろう。*6

(若干余談だが、これに関連する未来として、もう一つ大きな変化として想像されるのはluxuryブランドの未来だ。これだけ人の中に出る機会が減れば、自分の豊かさや趣味の良さをshow offする[人に顕示する]という価値を売るブランドの必要性は当然減る。50万円のカバンや時計を持つ必要性が小さくなるということだ。もっと人に寄り添い、その人それぞれの人生を豊かにするという風にリポジショニングしなければ、多くのluxuryブランドは生き残れなくなるだろう。ブランドコミュニケーションも、こういう場面には、、というアプローチで想定する場面が全く変わってくるだろう。)

フラッグシップ以外の店舗はどうなるのかと言えば、特に服や靴、アクセサリーなどは見て触って着ないと話にならないので、もちろん残ると思う。ただ、今のままでは開疎とは言い難い店舗が多いので、むしろ郊外で大きなスペースの中で行う事業者が増えるのではないかと思われる。想定する用途や場面は劇的に変化するだろう。いわゆるスーツというものがついに特別なときにしか着ない、一つのコスプレ的なものになる可能性は十分にある。紋付袴のようにだ。Jack-in的に仕事をするために着るスーツなどもはやmake senseしないからだ。

スーパーなど食品系で行われる日々の購買は、前回も議論した通り、オンライン、非接触決済に急速にシフトしていく。食品や日々の消耗品ですら重いものや店頭になかなかないものはオンラインで色々カートに突っ込んでおいてまとめて買うような時代に向かうだろう。僕が子供の頃、自分の育った北陸の田舎では、お酒やビールは近所の酒屋さんが持ってきてくれるのが当たり前で(ツケ払い)、豆腐やお魚も行商の人が毎日家の前に来てくれて買っていた。八百屋さんもものが多ければ運んでくれた。あれが半ば戻ってきて1日か2日に1回のオンデマンド化するのではないかと思う。都市部においては週1回、パルシステムなど生協的なサービスを使っている人も多いと思うが、それでは足りない部分をまるごと引き取っていくという仕組みだ。

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宮崎駿監督の名作『風の谷のナウシカ』で描かれる世界は、腐海と呼ばれる毒性の高いガスと胞子に覆われた空間と、腐海にまだ覆われていない数少ない空間に分かれ、残された数少ない人類は後者の方に住むようになっていた。今回はそこまでは行かないが、都心にいるということは、半ば、密密なリスクの高い生活をすることに他ならない。

長らく「風の谷を創る」運動論の仲間の中で言っていることだが、こうした開疎な「風の谷」的な空間を周りに十分持てない都市は価値を失う可能性が高い。都市が都市として価値を持ち続けるためにも周りに豊かな谷的な空間が必要になる。

開疎化が進めば、このような変化がいわゆる大都市圏でも地方でも起きていく。十分に開疎な空間に住んでいる、働けていると思っていない人は、徐々に開疎な空間に移るか自分たちの空間を作り直していく。住む場所としての土地の価値のヒエラルキーも、単に各地域の都心と言うよりも、開疎で自然豊かなところ、そして都心にアクセスの比較的良いところがベストという風になっていく。*7

もちろん都市の持つ極めて高い効率性、利便性、楽しさがあるためにそう簡単に事は進まない。人口密度の極めて低い疎空間をどのように経済的にサステイナブルな空間にしていくかというのは僕らが同志でずっと検討してきている「風の谷を創る」運動論の核心の一つだ。

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とはいえ、都心が持つ知的生産、消費の中心地、価値創造・演出の中心地という特性は徐々に、オフィスや生活空間の分散(開疎化)とともに弱まっていくだろう。今、様々なオフィスや大学は立入禁止に近い状態になり、遠くから眺める半ば神殿のような存在になりつつある。神殿としてのオフィスや大学はどのようにあるべきかには相当の試行錯誤が起きるだろうが、これは巨大なビジネス機会でもある。

クリーンな開疎空間から来た人が、密密な空間に入ることにはちょっとした勇気が必要になる。密密な空間から来た人は、開疎な空間に入るにあたってうまく清めることが必要になる。空間と空間のスイッチ、Jack-in/Jack-outはリアルでも起きる世界になるだろう。

到底頂いた質問に答えきっているとは言えないが、一旦、ここまでということにしたい。また余力を見て続きを書いてみようと思う。


ps. 「風の谷を創る」の同志である仲間たちの声を、これもまた仲間の一人である宇野常寛さんがまとめ、連載的に紹介していただいているものをここに紹介しておこう。どれもとても読み応えがあるので、落ち着いて読む時間があるときに一つずつ味わって読んで頂くのがおすすめだ。

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*1:これを経済的にmake senseさせるというのは一朝一夕では解決できないとても重い課題であることを、もう数年来、まさに開疎的な空間である「風の谷を創る」ための検討活動を行ってきた僕らはよく理解している

*2:詳しくは「風の谷」という希望、というエントリをご参照

*3:2,600回以上シェアされたところで、このブログの全エントリのシェア数のカウンターがゼロリセットされるトラブルがあり、その後1,300回以上シェアされている。

*4:Jack-inは東京大学/ソニーCSLの暦本純一先生の提唱するバーチャル空間に接続することを意味する概念。ここから出ることをJack-outという

*5:エアーウォッシャー的な小部屋を通るなど

*6:これは、僕がこの数年有志で検討してきた「風の谷」構想にかなり親和性が高い。もし一緒に、自分たちの土地で、あるいは自分たちのブランドで検討したいという人がいたらぜひご連絡をいただけたらと思う。

*7:なお、これは都心がシンプルにアウトだと言っているわけではない。例えば東京の居住空間の中でも豪邸が立ち並ぶ松濤、池田山、猿楽町/桜台の裏辺りなどは既に相当に開疎であり、教育レベルも高く、10-15分圏に総合病院も多い。そういう意味でそう簡単に価値は減らない、むしろ希少性のために価値がさらに上る可能性がある。