Brazil 26:Ciao! (最終回)

Brazil 25より続く)


旅立ちの日が来た。サンパウロのきれいなシティ・ホテルで朝ご飯を食べる。パパイヤがおいしいのは相変わらずだが、なにやら空虚である。物理的にはまだブラジルだが、ここはもうアマゾンではない。既に体の半分はニューヨークに、アメリカに帰ったようなものだ。巨大都市はどれも一つの型に収斂している。排気ガス吹き出し走る車を目の前にすると、悲しさと形にならない重さが背中と腕にたれ込めてくる。

山根先生の案内で、メルカド、そしてサンパウロ大学を見て回る。清潔できれいな、そして花と果物の多いメルカドは、自分が都会に戻ってきたことを否応なしに思い知らせる。ここにはもう剥き出しの生はない。花屋、魚屋は日系人が多いことに気が付く。

一つ収穫だったのは、魚屋で、遂にティーグレ・デ・リオ(河の虎)ことドラドを見ることが出来たことである。ドラドはブラジル、アルゼンチン国境に広がるパンタナルに棲息する、名前の通り黄金色に輝く魚である。この魚は世界でも屈指のゲーム・フィッシュとされ、アマゾンでトクナレを釣らずに釣り師といえないのと同様、パンタナル周辺でドラドを釣らずに釣り師とは言えないと言われる魚である。全身がこれ筋肉であり、跳ねる、跳ぶ、潜る、その闘いぶりは経験しなければ信じられない程のものだという。鮭を丸めてごつくしたような顔をしている。威厳がある。死してなお逞しい。闘うときはさぞやと期待される。いつかきっともう一度、南米に来てこの魚を攻めることを決意する。平均が十から十五ポンド(五から八キロ)、それ相応のタックル(用具)も用意せねばなるまい。それを見ている間だけ、一時つらさを忘れる。


ブラジルの最高学府、サンパウロ大学のキャンパスは広い。ひょっとするとモスクワ大学に次いで大きいと豪語するスタンフォードのキャンパスより大きいかもしれない。メディカル・スクール(医学部)は全く別キャンパスというと聞いて更に驚く。とても車なしで回れる広さではない。元は隣のブタンタン研究所付属の牧場だったという。血清を取るために使っていたらしい。

回りながら、専攻別入学、物理的な隔離による学部間の断絶であるとか、入学の難しさのために塾、私立高校が幅を利かせて金のある奴だけが教育を与えられると問題になっているだとか、学費が安い(ただ)のため居心地が良くて寮から出ていかない学生が随分いるだとか、寮に関係ないはずの奴が気が付くと随分住み着いているだとか、やめたはずの老教授が役にも立たないのに七十、八十になっても影響力を持ちすぎて困るだとか、まるで東洋の某国、某大学に来ているのかと錯覚するような問題を次から次へと聞かされて目を白黒する。ちなみに学生の約半分は日系人だという。USP(ウスプ:サンパウロ大学のこと)に入りたければ、日系人の受験生を一人殺せばよい、というジョークまであるらしい。ここ地球の裏側にあっても、我が和朝伝統の教育熱はいよいよ盛んである。

昼食に、サンパウロ大学の渡辺先生のおうちに招かれる。渡辺先生は日系人として最初にサンパウロ大学で自然科学系の正教授になられた方である。とても優しい顔をされている。先生の専門は同位体を利用した年代測定で、知的なドイツ系ユダヤ人の奥さんを交えて食事をしていると、まだ誰もいなかったはずの南米大陸に、五万年以上前、既に人がいたことが分かったとか、アマゾン流域の生い立ちの謎だとか、今度是非もっと時間をかけてお話をお伺いしたい興味深い話が次から次へと出てくる。椰子の芽のサラダが実にうまい。腰のあるアンティチョークといった感じである。その後、日本とアメリカの大学院を比べてどう思うか、など教育熱心な渡辺先生らしい話題に盛り上がる。楽しい時間が過ぎて、前庭にあるコーヒーの木の前で記念撮影をしてお別れをする。ムイト・オブリガード。(注:ムイト=沢山)

午後、サンパウロ随一のショッピングセンター、その名もエル・ドラド(黄金郷)、を回った後、夕日の中、空港で山根先生とお別れする。知らず涙ぐむ。素晴らしい旅だった。近く必ずもう一度訪れることを先生に約束する。


Ciao!



(Brazil 完)

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写真説明

1. 河の虎、ドラド。黄金色に輝く。

2. サンパウロメルカドで見かけた小さなボニータ

3. ブラジルで見た最後の夕焼け。眩しい。


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読者諸兄姉(みなさん)、ここまでご愛読ありがとうございました。こうやってここまでたどり着くことができたのも、これまで頂いた多くのご声援のお陰です。本当にありがとうございました。

これだけまとまったもの、しかもこのような言葉に通常しない空気のようなもの、名前だとか数字などではないもの、を伝えることが主眼の文章を書いたのは初めてで、正直、途中でどれ程音を上げそうになったか分かりません。この場で名前を挙げることが出来ないのが残念ですが、おそらく八割以上の読者の方から励ましの言葉を頂きました。心から改めてお礼申し上げたいと思います。

これまで何か言葉を頂いた方も、そうでない方も、もしよろしければ、読後の感想、読んで感じられたことなどお聞かせ願えると幸いです。

(July 2000)