日本である種まがいもの的な脳科学、大脳生理学、ニューロサイエンスが広まっている理由について(考察)



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Sterling Memorial Library, Yale University


この間からのquartaさんのディープな投げ込みに対して、色々コメント欄に書かせていただきましたが、(これとかこれ)、その延長で、ここいらでなんで日本にはこういうまがいもの的な思想が広まりすぎているのかについて、ちょっと考察しておきたいと思います。(何で旅行中にこんなものを書いているのか、といわれそうですが、まあ時差のせいです。笑)

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僕はこの問題は表面的には単純ですが、結構根深いと思います。表面的には、まずそもそも大学院レベルのまともな体系的にこのinterdisciplinaryな学問を教えるneuroscienceのプログラムがないことが一番大きな原因だと思います。アカデミアの世界で、学問というものを体系的にハンズオンで叩き込む場所がここですから、これなしでは話が始まらない。特に自然科学は、実際に先端で研究している人から学ばない限り、本当のことは理解することは不可能に近く、独学で学ぶことはかなり難しいためこれはマストです。なおかつちゃんとした人のつながりがないと学位取得後の弟子入りすら困難です。


次に問題なのが、上のリンクしたコメントにも書きましたが、その結果、生半可な本が広まりすぎていて、なおかつ、一般人が基礎知識なしにそれを読むので更に振り回されて、その中の言葉を何でも信じてしまい更に混乱するというもの。例えば、僕が最近本屋でこの関連で売れている本をぱらぱらめくってみると、「神経は音速で情報を伝える」とか「ミラーニューロンがあるから何かやるとまねできる」というようなある種デマ的な話が平然と載っていました。これらの本がある種のベストセラーとして広まるということは信じている人も広まるということですので、ある種恐ろしいことです。


(注:ちなみに神経の伝達スピードについては、神経はほとんどかなり遅くて秒速数十センチから10メートルぐらいが大半で、一部の例外的に早いものでも100メートルに行くかどうか。後者については、単なる知覚あるいは行動の表象をする神経があるからといって、それができるというのとは全く違う、ということを無視しています。)


私はこれもほとんどが第一の問題の結果、すなわち真正のニューロサイエンティストの厚みが非常に薄いところに由来していると思います。そういう人たちが厳然と存在しているとなると、そのような本を安易に書くことはかなり困難になりますし、書いたそばから叩かれることになります。Natureなどは書く人の権威に関わらずよくそういう話題本を罵倒しています。(笑)

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このいかにも根深い研究者の層の薄さ、育成し、鍛える仕組みがない課題についてもう少し考察してみたいと思います。


例えば、日本の分子生物学は、米国から見たらある種、弱小国のように見えるかもしれませんが(アメリカを基準に考えると米国以外のすべての国がそうなってしまう)、世界的に見ると、僕はかなりレベルが高いと思います。これは京大の生物物理、さらに東大の生物化学科という渡辺格先生がこの分野の草創期に立ち上げた二つの中核プログラムの存在が非常に大きい。これらのプログラムは、原則として欧米の主戦場で一流の研究をしていた人を中心に作っているので、ある程度以上にまとも。(ただし、関係者各位にはご案内の通り、院試が不必要に難しく本来の大学院教育の代替となっているとか、ローテーション、TAプログラムがないなどの問題は相変わらずある。)


一方、ニューロサイエンスではどうかというと、前にもどこかで書いたと思いますが、いまだにまともな体系的かつ総合的なプログラムが日本にはない。少なくとも日本の研究の中心を担う、東大、京大のいずれかにはあるべきなのですが、ない。だからどうしても分子生物学とか心理学からの流入でがんばるしかない。


アメリカはというと、10~15年余り前までは割とそうでした。が、パパブッシュのDecade of the Brainの話に始まり、DNA、細胞と来た研究が、ついに系としての脳に向かい始めてから、主たるResearch Universities(特にmed schoolを持つところ)はあわてて単なる一分野ではなく、独立したニューロサイエンスプログラムの強化を始めます。そこで必要なのは、単にプログラム、プログラムオフィスだけではなく、当然一流の研究者で、そのような人たちを世界中から、札束と、研究環境で引き寄せるわけです。


私が米国にいた当時、私のいた大学一つを例にとっても、私が記憶しているだけでも、Harvard, MIT, UC Irvine, U of Texas Med Centerと錚々たるところにかなりの数の教授が、聞き及ぶ限り殆どがある種破格の条件で、ラボごと流出しました。もちろん他からも含め、幅広い人集めを続けた結果、それぞれのプログラムはかなり強化されました。この人集めは名の通った人と、その分野で注目を浴びつつある今現役バリバリの人の両方がいます。


例えば、今のMITの史上初の女性総長(ニューロサイエンティスト)は私が学位を取ったときのDean(大学院長)でした。Irvineにプログラムのchairとして行ったCarew教授は、移ってから07年ニューロサイエンス学会で会長をやっています。そういう人が取れた場合、当然プログラム強化のインパクトは大きい。


なお、これはたまたま脳神経科学での例ですが、かつてボンボン大学であったStanfordがbiologyを核にてこ入れしていったとき、あるいはRockefellerが巨万の富でU of Chicagoを唐突に100年余り前につくり、economicsをぴかぴかにしていったときも非常に似た話だと理解しています。強い核になる人を相当数連れてきて、研究環境と共にてこ入れする。


現在、ニューロサイエンス学会が四万人(!)ぐらい集まる世界最大級の学会であるほど大きな分野だということを考えると(←これ自体がほとんど知られていない事実)、ここに多少なりとも楔を打ち込むには、こういうことを明治に大学を作ったときのような感じでやらないといけないと思うのですが、単に札束がないだけでなく、魅力的な研究環境ではない限り、このようなことは無理です。上のように名を成した人だけでなく、今バリバリの人を持ってくるということは、ここからの10年でその人たちは一生分の自分の名の付いた仕事をしないといけないということなのですから。


一つ一流の研究機関かどうかという指標になるのが、そういう人を採れるのかに加えて、交流がどの程度あるのかですが、私が米国にいた当時、東大も京大も驚くほどニューロサイエンスではプレゼンスが低かった。明らかに幅広く認知され、教授や友人たちが行っているのは、RIKEN(理化学研究所)のみでした。これは上の話に近いか同根でしょう。


ということで、大学院教育をてこ入れしないといけないが、人を集めるだけの構想力も、集めるだけの資本力も、集まろうと思えるだけのエキサイティングな研究環境も足りていない、そのことが大きな問題であると思います。これは講座制、日本のグラント環境、システムも含めた課題であり、研究者、研究の数、質というアウトプットにつなげるための投資、マネジメントシステムが回っていないための問題でもある、というのが私の理解です。


余談ではありますが、今、それに向けて、一番筋が良さそうな打ち手の一つは、RIKENにPh.D.プログラムを作るというやり方でしょう。(もう実は私の気付いていないだけで、やっていたり、プラン中であるのかもしれません。)分子生物学のメッカであるCold Spring Harborも、Ph.D.プログラムを比較的最近に立ち上げている(←少数精鋭でありめちゃめちゃかっこよい)ので十分可能性はあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。(大学の格がないとだめだとか、馬鹿なことを文部科学省が言い出さないことを前提。もっとわけの分からない大学はいくらでも最近できているはず。)


以上、ちょっと長くなってしまいましたが、これが陰ながら日本のニューロサイエンスのてこ入れにつながる起爆の動きの一つとなることを願いつつ。

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