ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学、マーケティング、データ×AIの間に棲息

未来が欲しいなら名刺で生きるな、somebodyになるべし

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Leica M10P, Summilux 1.4/50 ASPH, DNG @Lake Nozori, Gunma


先日、Venture for Japan (VFJ)代表の小松洋介さんに受けたインタビューですが、めったに語らない内容であり、若い人たちに向けて僕もかなり丁寧に手を入れて作った原稿だということもあり、許可を得て転載します。小松さんありがとうございます。

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読書と研究とアルバイトに明け暮れた学生時代

――『シン・ニホン』を読んで、安宅さんに憧れる学生や若手社会人は多いと思います。そもそも安宅さんはどんな学生だったのか教えてください。

僕はいわゆるバブル世代ですが、バブルとは全く縁のない学生生活を送っていました。仕送りは要らないと親に言って、基本もらっていなかったので、大学1、2年のときは駿台予備校の寮リーダー(寮監)として住み込みで働き、日本中からやってきたいろんな寮生の相談相手やトラブル解決対応をしていました。寮生は自分が選んだ面白い連中ばかりで実におもしろかったですね。

寮のリーダー時代にすごく良かったのは、本を読み考える時間が大量に取れたこと。ひと夏で100冊読んだ年もあります。当時は寮生同様、心の奥底を覗き込むようなことや感じ考えることはたくさんあって、本を読むことで何十人もの人生を同時に生きているような感覚がありました。そうやって青春と向き合っていたんだと思います。

ただ、リーダー生活ばかりで学生生活が終わるのはちょっとどうかなと思ったので、3年生で寮を出て一人暮らしをすることに。そこからは、社会の仕組みを知るアルバイトをたくさんやりました。家庭教師や塾講師は当時、子供の親にたかっているように感じていたこともあり極力避け、雑誌の校正、引っ越し屋、割烹、デパートの内装解体工事、宅配便の仕分け工場など随分かなり幅広く体験しました。


――意外にも苦学生だったんですね。

そうですか。たしかに貧乏ではありましたが、生きている実感には事欠かず、学費以外は自分の足で立っていることで清々しく、そしてプライドを持って生きていました。昭和初期に出来たとても古いアパートに住んでいたので大家さんに許可をとって、壁も貼り直し、床も根太(ねだ)以外はどんどん直したり、本当に楽しかったですよ。またあの頃の幅広い経験が今でも非常に役立っています。学生のときぐらいにしか様々な社会の裏側の仕組みに入れないので、色々な体験をしておくのはおすすめです。

ただ、大学院に進学してからは研究に没頭するようになったのと、原則アルバイト禁止の研究室だったので、圧倒的に時給の高かった駿台予備校の講師に割り切って応募したところ、すごい倍率でしたが運良くなることが出来、それはそれで熱狂的に週に2〜3時間だけ教えていました。当時、駿台全体でも最年少講師の一人だったのではないかと思います。

もともと卒業後は子供の頃から憧れていた科学者(サイエンティスト)になろうと思っていたのでいわゆる就活はしておらず、とにかく研究、読書とアルバイトに明け暮れた学生時代でした。


年360日狂ったように働いたマッキンゼー時代

――研究者を目指していたとのことですが、新卒ではマッキンゼーに入社されています。

修士の院生の時は、2つの奨学金と予備校の講師の収入で生きていました。ただ2〜3月の受験シーズンは仕事がなくなって、奨学金だけではやっていけないために困っていました。そこで偶然見つけたのが、大学の生協のそばに貼り出されていたマッキンゼーの短期バイト情報、正確にはスプリングリサーチャー募集、のポスターです。

当時のマッキンゼーは、何をしているかもわからない“謎の会社”。でも、記載されている報酬額が良かったんですね(笑)。それをきっかけに応募したところ、採用して頂き、期間中、随分楽しみましたが、終わったあと、数年のブレイクのつもりでどうですかとお誘いを受けました。研究で色々どうしようかなと思い悩んでいたこと、リサーチャーの経験の結果、これは意外と向いてるかもと思ったこともあり、何年かたったらサイエンスに戻ろうと思って入社しました。

当時、テレビCMでは「24時間働けますか」という言葉が流行っていた頃。僕も年間360日ぐらい、平日は朝8時から夜2時や3時まで、土日も両方働くような生活を続けていました。狂ったように働いていましたが、1年目から手がける仕事が大当たりして、自分の分析のインサイトから生まれた商品が年間千億円単位の売上を上げるなど、身体的にはしんどかったですが、とにかく楽しかったですね。

とはいえ、素晴らしい職場ではありましたが、僕はこの偶然であった会社で過ごすために生まれてきたわけではないし、早く研究者に戻らねばと思っていました。

もともとずっと欲しかった学位(博士号)を取らずにマッキンゼーに行ってしまったことで、人生プランは歪んだと思っていたので、卒業後に研究者として歩むはずだった人生以上に成長しないと意味がないと、当時、もう一人の自分と常に戦っている感覚がありました。

そういうこともあって、マッキンゼーで4年半働いて自他共に目に見える結果を残したあと、脳神経科学(Neuroscience)を学ぶため大学院に戻りました。自分の深い関心が常に「知覚(perception)」にあったこと、子供の頃からの夢であったサイエンティストになりたかったということが一番の理由です。実はMBAを持つマッキンゼーの師匠たちからも安宅さんらしさが失われるので、ビジネススクールに行くのはやめたほうがいいと言われていました。笑


人生は、ご縁と愛嬌でできている

――安宅さんは、どんな状況下でも常に楽しんでいる印象があります。その秘訣は何でしょうか。

うーん、そもそも生きているだけで有り難いじゃないですか。痛いとかつらいも含めて、生々しく生きている実感を感じる時が僕は一番幸せです。逆に自分は何をしていたんだろうこの一日と思う時がかなりしんどいです。

僕は自分がやること、関わることは、適当にいなしたりは極力せず、できる限りディープダイブ(deep dive)するようにしています。するとなぜか楽しく感じ始めるんですよ。

どういうわけかギリギリまで自分が頑張っていないと、僕はむしろつまらなく感じます。生命が使われていない、命が生きていない感じがするんです。火中の栗を拾うようなことも何度もやっているうちに、生きる喜びを味わえるこれ以上ない機会になります。適当に逃げてラクに過ごすことも多くの場合できるのですが、あとあと虚しい時間だけが残るのでやらないです。

やれと言われたからではなく自らdeep diveしたくてやっているのでやれる。ただ若かった頃に働きすぎて半ば臨死体験のような経験をしたことがあり、それ以来、壊れそうなぐらいまでは無理しないようにはしています。このセンサーも結構いい感じで大切です。身体なのか心の声を常に聞くようにはしています。

2つ目に自分がどういう時に真にエキサイトするのかを知っているということも大きい気がします。僕は20代の後半の頃、どうも自分が本当に興奮して生きている実感を感じるのは、本当に意味のある変化を生み出せているかどうかだということに気づきました。以来、それが僕にとってのかなり深い判断軸の一つになりました。それは自分がいることで意味のある変化を生み出しうるのか、その軸で随分の選択をしてきました。いまバリューが出ているかなと自分が考えるのはおおむねこの軸です。

3つ目、僕の場合、想定外の状態になることが人生多いですが、それを楽しんでいることも大きいかもしれません。サイエンティストになりたくてしょうがなくても何度やっても、テロやその他の理由で道から外れてしまう。偶然出会ったバイト先に務めて、熱狂していたらそちらが本業になってしまう。社会的に問題だと思って仕掛けていたデータ人材の話が気がついたら更に仕事になっていく。偶然、誘われた国の審議会で依頼を受けた以上プロとして投げ込んでいたら社会変革がまた新しい仕事になっていく、、などなどです。振り返ってみると、常に5年前には想定していなかった人生になっていく傾向がありますが、それが人生の驚き、面白さ、楽しさの驚くほどの源泉になっています。自分が想定していたよりもどんどんワイルドな人生、展開になっていく傾向がありますが、これも星のめぐりかと思って有り難く受け止めるようにしています。

やったことがないことは芸風が広がるぐらいに考えてそれも徹底的にやってみる。わけのわからない展開になったらいい感じになってきた、ぐらいに考えて楽しんですすめる。

また、自分がやりたいことをやろうとすると理解を深めないといけないことは随分広いことに驚きますが、それもこんなのわかるわけがないと思わずにどんどん広げていく。

すると生まれ始めるのが、人との出会いです。僕自身、学生時代に出会った恩師や読んでいた本はもちろん、これまでやってきた仕事はいずれも偶然のご縁からはじまったものでした。出会いの先には必ず未来につながる何かがある。人生は「ご縁と愛嬌」でできていることを忘れないことが大切なのではないかと思います。

僕が今までの人生で出会った“ヤバイ人”に、チャーミングじゃない人は一人もいませんでしたから。


名刺で生きるな、somebodyになれ

――新卒で入社しても「こんなはずじゃなかった」「思い描いていた未来とは違う」と悩む若者は少なくありません。そうした若者には何を伝えたいですか?

先程述べた通り、想定外の展開をするのが人生です。少なくとも僕はずっとそうだったしこれからもきっとそうでしょう。それを一つのチャンスだと思ってやってみる。欽ちゃんこと萩本欽一さんに「したくない仕事しか来ないんです。でも、運はそこにしかない」という糸井重里さんとほぼ日で語られた言葉があるんですが、まさにこれです。

個人的な意見としては、長期的なキャリアパス(career path)みたいな考えは持ってもいいけれど、新しい展開があれば、柔軟に対応し、場合によっては捨て去ったほうがいいと思います。

人生が先まで読めるものだと思っていること自体が人生の幅を狭めていると思います。”Welcome troubles and unexpected !”(トラブルと想定外を楽しめ!)です。ということで、今の状況が楽しくないと悩んでいる人は、自分の人生に対して失礼な生き方をしていると思った方がよいかもです。人生の宝はその一見不可解な展開の中に眠っているんですから。

また、自分の人生が世の中とどう関わっていくのかを考えると、虚しく思わないためには、何かしらの道で一人前、可能であれば一流になっている必要があると気づくと思います。

たとえば世の中との関わり方には、アーティストやスポーツ選手などの「表現者」、医者や弁護士、デザイナーなど「プロフェッショナル」、「研究者や教育者」、ルールを作って世の中を回したり、変えていく「政治家や官僚」、世界レベルの調整をする「国際的公務員」、社会の革新を目指す「社会変革家」、事業会社を生み出し立ち上げる「創業者」などがありますよね。

こうした世の中との関わり方を全て抜くと残るのが、対極にある「ジェネラルな会社員」です。

学校を卒業して10年経ったときに、何かしらの道でそれなりの足場ができていないと一人前とは言えないし、自分らしく食べていけません。自分はどのように世の中と関わるのが適しているのかを見出す、あるいは自分の目指す社会との関わり方の実現のために、数年間会社で経験を積むのであればいいけれど、人生プランの中に「ジェネラルな会社員を目指す」というのはちょっとどうなのかなと思います。

だから、言葉を選ばずに言えば「会社で働く」のはいいが「会社員になるのを目指すな」と伝えたい。官僚機構も含め組織の一員になるということは、組織という価値創出機構、仕組みの一機能、一つのパーツになるということを意味しています。それなりの規模の組織に入ることで人生のリスクを下げようとすれば、どうしても自由度は落ちるということです。

それは自分が好きなことをやるのとは本来関係がないことです。熱狂的にやっているうちに、心から楽しく思えるものに出会うことはもちろんそれなりにあるとは思いますが、まとまった組織の一員の場合はそれがずっと続けられる可能性はそもそも低く、「こんなはずじゃなかった」と悩むのはおかしいことなのではです。初めからわかっていたことじゃないかと。

悩んでいるのなら、少しでも自分のユニークさを作ることに時間を割き、「僕は、私は、〇〇な価値を生むのが得意です」と答えられる“somebody”になって欲しい。そのためにも、若い頃から深く感じ、考え、それを元に判断する、悩んでいる前に何かをやる習慣を身につけるべきだと思います。

仮に既に就職し、働いてしまっている場合も、週5日、一日9時間働いても45時間、一週間168時間の27%に過ぎない。睡眠に3割取られるとしても4割もの時間が自由なのです。仕事の後の時間もある、週末もある、自分の投資できる時間をいかに使うかです。


――当たり前のように就活をするのではなく、自分をないがしろにしないことが大切というわけですね。

そうですね。就活は全くマストではなく、決してトッププライオリティでもない。僕自身、いわゆる就活をほとんどしていないですから、、。正直アドバイスできることがあまりない。そもそも自分のない人が就活をしてもろくな未来が待っていません。

自分はなんである、という部分を育て、その上で、どのように世の中に関わるのかを考えないと、描く未来はつくれません。よく、「自分の求める環境がない」という人がいますが、逆に「なぜ君のために世の中があるのか」と問いたい。そして自分は何であるは、本を読んだり、自分に向き合っているだけでは決して生まれない。僕の経験では内面の耕しと外部とのインタラクションの両方がどうしても必要に思います。

世の中は自分のためにできていないけれど、自分の居場所を作る自由はあります。だからこそ、兎にも角にも何かしらの道で一人前になることが大事。できることが1つもないなら社会は対応してくれないことを肝に命じて、得意なことを1つでも2つでも早く作って欲しいですね。この道、と決めてやれるものがあるならやる。大学院で突き詰め、専門性を持つというのは一つのやり方です。


呪いの言葉から、自らを解放せよ

――VENTURE FOR JAPAN(以下、VFJ)では、ローカルの中小企業の経営層に新卒から参画して、経営者と一緒に事業を作る経験を積めるのですが、安宅さんはVFJの可能性をどのように見ていますか?また、学生に向けてあらためてメッセージをお願いします。

学生に向けてのメッセージとしては、繰り返しになりますが「自分探しとか、就活に過度のエネルギーを使うのはやめましょう」です。エントリーシートを書いて志望動機に頭をひねって、髪の毛を黒く染めにいく時間があるなら、その時間を“somebody”になるための人生の耕しに費やした方がいい。自分は心のなかで探すものではなく、なにかやっているうちに生まれ、気づいてくるものですから。

自分が目指すsomebodyになるために、必要な経験を積むという就活なら意味があるかと思いますが、「手段、方便」であるはずの就活が目的になっている時点で望むような未来は得られないのではないでしょうか。僕もこれまでそれなりの数の面接(job interviews)をしてきましたが、会社も明らかに際立った人、強い存在感のある人には来てほしいですが、そんな「会社に入ること」に命がけの人を欲しくないですから。

VFJは中小企業の経営、経営課題の逃げ場のない解決という生々しい経験を積める稀有な環境だと思います。経営者と一緒に世の中を動かしていく、自分の意思決定で会社を動かしていくというリアルな経験は確実に人を成長させます。自分がなんだかわからないとか、現状に悩んでいる人は挑戦する価値は十分あるかと思います。

人はどこまで追い込まれて乗り越えたのか、修羅場の数だけ成長しますし、修羅場を経験した人の言葉には重みがあります。やってできないことはそれほどありません。「どうせ無理」「うまくいかない」といった“呪いの言葉”を吹きかけてくる大人が近くにいるとしたら、すぐに離れたほうがいいです。

自分の人生を他人の判断に委ねていたのでは、運や縁は訪れません。何でもいいからsomebodyになってほしいし、もし、自分には何もないと思うなら、あなたにはすべての自由が与えられているということを認識してください。自らに呪いの言葉をかけることをやめるのが、未来を切り開く第一歩になるはずです。



オリジナル記事はここ
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