原点から考える


Leica M(typ240), 1.5/50 C-Sonnar, RAW


日本人だったら誰でも知っているが、ちゃんと原文で読んだことのある人がもしかしたら専門家ぐらいしかいない本の話をしたい。

古事記』だ。まだカナやカタカナのない時代の作品であり、この本は元々、漢字だけで書かれている。それも漢文というより、漢文に万葉仮名のような当て字が大量に混ざって使われており、長らく読むこと自体ができなくなっていた。古事記自体の冒頭にも、適切な表現ができず、相当に苦労して書いたと書いてある。

普通の意味の現代語訳されていない「原文」は、この研究で国文学者として名を成した本居宣長(1730-1801)が一生をかけ解読した「読み下し文」と思われる。いま古事記を読む人の大半は現代語版を読んでおり、これが訳者によって相当の解釈と表現の差があるために、その印象と評価は原文とは相当に差があるものになる。


寛永版本 古事記國學院大學古事記学センター蔵)*1

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本書が書かれたのは約1300年前。現存する日本最古の歴史書・文芸書だ。

天武天皇の命で、

人と為り聡明くして、目に度れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す。

読み:ひととなりさとくして、めにわたればくちによみ、みみにふるればこころにしるす。意味:生まれながらに聡明で、目にした言葉は(メモなどなくとも)暗唱でき、耳にした言葉は心に刻むことができた[筆者私訳])

と紹介される稗田阿礼(ヒエダノアレ)の暗唱するようになった、様々に散ったこの国についての伝承を、元明天皇の命で太安万侶(オオノヤスマロ)が四ヶ月ほどで書き起こしたという日本にとって唯一無二の一冊だ。

ちなみにおなじ元明天皇の命で、日本で最初の国史をまとめたものが日本書紀であり、まとまるのには八年の差が存在する。古事記はより神話的な部分が濃いのが特徴とされる。

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手に取るきっかけは、最近、神在月、旧暦十月、に出雲(いずも)に行くことが決まったことだった。

出雲に関しては、元々特別な思いがあった。

自然科学の徒であった僕は正直、歴史、特に日本史についてはあまり良く理解しきれないままに生きてきた。もちろん四半世紀前、20世紀末、の留学中は、まわりに日本人学生がほとんどいない中、さまざまな素朴な問いかけに答えてきたが、それとても問の大半が江戸以降の近代、現代史的な内容で、古代的なものに行き着くことは殆どなかった。

ただ、そんな僕も当時、時には歴史の本を読んだ(いまは相当量歴史の本を読むので隔世の感である)。その中でもとりわけ記憶に残ったのは司馬遼太郎さんの『歴史の中の日本』の冒頭にある「生きている出雲王朝」だった。この内容についてはこれから読む読者の喜びを奪わないようにあえて触れないが、出雲王朝の末裔が今も実は存在し、特別な記憶を受け継いでいるという司馬さんすら驚愕したというお話で、戦慄したことを今もよく覚えている。古代日本史に興味のある人には一読をおすすめする。

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さて
日本にとって実に特別な土地ということを重々承知している出雲に、あまり深く考えずに行くようでは大変失礼な上、到底理解できないと、様々な予習を開始した。*2

当然まずは「古事記」だろうと、始めは角川ソフィア文庫の『古事記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』を手に取った。特に読んだら良いと思われる話を抜粋し、原文の漢文、読み下し文、そして現代語訳がセットになっている一冊なのだが、これが実に面白かった。少々驚いたことは、読み下し文というか、このとりわけ古いはずの古文、読み下し文の多くが今の自分にもちゃんと理解できるということだった。確かに大和言葉なのだ。

これで読み下し文に相当に親しみができたと共に、古事記のいくつかの代表的な挿話に馴染んだのだが、すると気になってくるのは話の飛びすぎている部分と本当の流れだった。

また肝心要の出雲についての話が抜粋しかないことも問題だった。ということで全文を読まねばと、はじめは現代語訳側をいくつか読み始めたのだが、これが意訳なくストレートに訳してあるものほど、なんというか現代語的には意味が通らない内容が多いことに気がついた。

これでは良くないと、現代語訳を見つつも、頑張って読み下し文でついに読み通した。僕の手元にあるのは岩波文庫ワイド版だが、今再読中だ。

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「出雲」の特別性は、まさにこの古事記に描かれる国譲りの儀式からだけでも明らかだ。なにしろ別の世界*3から来た天津神(あまつかみ)の一団が、そこまでの葦原中津国(あしわらのなかつくに*4)の支配者であった国津神(くにつかみ)の主であった大國主命オオクニヌシノミコト)から譲り受けるのだ。

決定的な役割をなすのが建御雷之男神タケミカヅチノオノガミ)という凄まじいパワーを持つ雷の神なのだが、もちろんこれは何らかのデフォルメであり、恐ろしいくらいの兵力なのか、本当に力自慢だった戦の長であったことはほぼ間違いない。この建御雷らを出雲に遣わすのは天照大御神アマテラスオオミカミ)だ。

この天津神の末裔が、現存する王朝の中で世界最古の歴史を誇る天皇家の皆様であり、現在の当主が今上天皇(きんじょうてんのう)であることは言うまでもない。

ちなみに、古事記の中では「天皇」という文字は出てきても読みは「スメラミコト」だが、これは実にわかりやすい大和言葉だ。貴い人につくミコト(命とか尊と書かれることが多い)に、統治するの意味であるスメル(統べる)がついただけである。テンノウというような音(おん)で読むような言葉よりも遥かに奥深いいい言葉だ。

後に生まれる言葉である「ミカド」は当然、御門、から来ており、聖なる存在としてのスメラミコトを直接呼ぶのが憚られ、いらっしゃる場所で呼ぶようになったと考えられる。「帝」という文字を当てるケースが多いがこれは原意からすれば当て字と考えられる。*5

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この古事記の読み下し文を読む中で、ある種データドリブンに気づいたことを一つ共有したい。それはこの古事記の原文には、ちょっと異様な頻度で出てくる、しかも想定外の"動詞"があるということだった。その言葉はなんだと思うだろうか。

答えは次の〔繼體天皇〕の一節を読めば気づいてもらえるのではないだろうか。

品太の王の五世の孫袁本杼の命、伊波禮の玉穗の宮にましまして、天の下治らしめしき。天皇三尾の君等が祖、名は若比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎子、次に出雲の郎女二柱。また尾張の連等が祖、凡の連が妹、目子の郎女に娶ひて、生みませる御子、廣國押建金日の命、次に建小廣國押楯の命二柱。また意富祁の天皇の御子、手白髮の命(こは大后にます。)に娶ひて、生みませる御子、天國押波流岐廣庭の命一柱。また息長の眞手の王が女、麻組の郎女に娶ひて、生みませる御子、佐佐宜の郎女一柱。また坂田の大俣の王が女、黒比賣に娶ひて、生みませる御子、神前の郎女、次に茨田の郎女、次に白坂の活目子の郎女、次に小野の郎女、またの名は長目比賣四柱。また三尾の君加多夫が妹、倭比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎女、次に丸高の王、次に耳の王、次に赤比賣の郎女四柱。また阿部の波延比賣に娶ひて、生みませる御子、若屋の郎女、次に都夫良の郎女、次に阿豆の王三柱。この天皇の御子たち、幷せて十九王。(男王七柱、女王十二柱。)この中、天國押波流岐廣庭の命は、天の下治らしめしき。次に廣國押建金日の命も天の下治らしめしき。次に建小廣國押楯の命も天の下治らしめしき。次に佐佐宜の王は、伊勢の神宮をいつきまつりたまひき。この御世に、竺紫の君石井、天皇の命に從はずして禮無きこと多かりき。かれ物部の荒甲の大連、大伴の金村の連二人を遣はして、石井を殺らしめたまひき。天皇、御年四十三歳。(丁未の年四月九日崩りたまひき。)御陵は三島の藍の陵なり。

ハイライトしてみよう。

品太の王の五世の孫袁本杼の命、伊波禮の玉穗の宮にましまして、天の下治らしめしき。天皇三尾の君等が祖、名は若比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎子、次に出雲の郎女二柱。また尾張の連等が祖、凡の連が妹、目子の郎女に娶ひて、生みませる御子、廣國押建金日の命、次に建小廣國押楯の命二柱。また意富祁の天皇の御子、手白髮の命(こは大后にます。)に娶ひて、生みませる御子、天國押波流岐廣庭の命一柱。また息長の眞手の王が女、麻組の郎女に娶ひて、生みませる御子、佐佐宜の郎女一柱。また坂田の大俣の王が女、黒比賣に娶ひて、生みませる御子、神前の郎女、次に茨田の郎女、次に白坂の活目子の郎女、次に小野の郎女、またの名は長目比賣四柱。また三尾の君加多夫が妹、倭比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎女、次に丸高の王、次に耳の王、次に赤比賣の郎女四柱。また阿部の波延比賣に娶ひて、生みませる御子、若屋の郎女、次に都夫良の郎女、次に阿豆の王三柱。この天皇の御子たち、幷せて十九王。(男王七柱、女王十二柱。)この中、天國押波流岐廣庭の命は、天の下治らしめしき。次に廣國押建金日の命も天の下治らしめしき。次に建小廣國押楯の命も天の下治らしめしき。次に佐佐宜の王は、伊勢の神宮をいつきまつりたまひき。この御世に、竺紫の君石井、天皇の命に從はずして禮無きこと多かりき。かれ物部の荒甲の大連、大伴の金村の連二人を遣はして、石井を殺らしめたまひき。天皇、御年四十三歳。(丁未の年四月九日崩りたまひき。)御陵は三島の藍の陵なり。

そう、それは「娶ふ」(めとう or あう)だ。「娶ひ」が131件も検索すると出てくる*6。いくつかの現代語訳では「結婚する」という風に出てくるがもちろん字面通りの意味ではない。その直後に「生める」が続くことが多いことから分かる通り、「男女が愛し合う場を持つ」というのがこの素朴な意味である。

そう、この日本の歴史を作った神々、ミコトたちはとにかく娶る。ところによっては同じ人が一行ごとに娶る。今の一般人社会では禁じられた重婚だが*7、こと王家(皇族)の場合、制約がなかったことは明らかだ。異母姉妹までがミコトたちの世界では「娶ふ」相手として当時許されており*8、実に多くの子をもうける。皇統が126代も続いて来たのもむべなるかなだ。

愛のあふれる家系だということだ。そして、少子化に悩む現代の社会とはかけ離れている世界であるということもわかる。13世紀のイギリスの王家でも12人の子供のうち、2-3名しか成人しなかったということを何処かで読んだことがあるが、そのはるか前の時代ということもあり、なんとしても聖なる家系を維持するためにはこのぐらいの必要があったのだとは思う。

ここに出てくる天皇や皇子たちは、実に伸びやかに恋をする。ある土地に美しい女性がいたら自分に「奉らむか」(僕のところに「娶ふ」相手としてお嬢様を頂けますか)とその女性の親にお尋ねになり、あなた誰?と聞かれたら「天子の御子だ」ということをお伝えすると「奉らむ」となるという下りが何回となく出てくる。

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もう一つ印象的だったのは、行動の軽やかさだ。英雄、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の項では

美夜受比賣(みやずひめ)の家に入りたまひき。すなはち婚はむ(まぐあわむ)と思ほししかども、また還り上りなむ時に婚はむと思ほして

春山の霞壯夫(はるやまのかすみをとこ)の節では

その屋に入りて、すなはち婚しつ(まぐあひしつつ)。かれ一人の子を生みき

速總別の王(はやぶさわけのみこ)の節では

「吾は汝が命の妻にならむ」といひて、すなはち婚ひましつ

とあるように「すなわち(即座に)」皇子たちは婚ふ(≒娶る)。

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なおこの結果、当然のことながら、実に多くの男王(ひこみこと)、女王(ひめみこと)が生まれる。

応神天皇の項の場合、

此の天皇の御子等、幷せて廿六の王。男王十一、女王十五。此の中に大雀命は、天の下治らしめしき。

読み:このすめらみことのみこたち、あわせて、はたちあまりむはしらのみこ、ひとみことをはしらあまりひとはしら、ひめみことをはしらあまりいつはしら。このなかにおほざきのみことは、あめのしたしらしめしき。 意味:このミカドの子供は全員で26柱。男11柱、
女15柱。この中の大雀命はのちのミカドになられた。)

とあるが、10柱以上の場合は少なくない。

まわりで古事記を読んだという人が意外といたので、際立った頻度で出現する「動詞」についてなにか覚えているものがあるか聞いてみた。10名近く聞いたが、「娶ふ」という言葉がこれほど大量に出現することは、相当高位の神職の知人も含めて、どの友人も気づいていないようだった。きっと現代語で読んでいるからだろう。僕自身、こんなことに気づくとは思ってもいなかったので相当に衝撃があり、今このブログを書いている。

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もう一つ読んで気づいたこととしては、この古事記の実にあっけらかんとしたあけっぴろげさだ。

聖帝として登場する仁徳天皇(何しろ諡号に「徳」が入っているぐらいである)についても、大后(現代語では皇后)が「甚多く(いとまねく)嫉妬(ねた)みたまいき」(=大変にジェラシーの強い方だったので)、から始まりなんとも笑ってしまうような、しかしいまだったら週刊文春ネタでは済まない話も公開されている。

これが天皇の勅命によって作られた本、しかも日本の一冊目、つまり原点、というのが正直信じがたいところもあるが、これによって様々な家々の家柄がどのような血筋なのかが説明されているところが本筋なのだろう。

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ずっと後世、現代になってまとめられた宮本常一先生の大変な力作『忘れられた日本人』(岩波文庫)は、冒頭の日本古来の意思決定の話もたしかに印象的だが、読んだ人同士で常に話題になるのは、常に別の話だ。愛を成就するために寝ずに山を超えていく話など、思いを果たそうとする男女の健気な話が実に多いからだ。

世界最古の小説である『源氏物語』にしても、昨今の社会報道文脈的にはアウトな話が実に多い。これらを直視させないためにこれら古典をちゃんと教えていないのであればそれはもったいないなと思う。

誰かこの現代で急激に起きている変容を大局的に、何がきっかけでこうなってしまったのか掘り下げてくれたらいいなと思う。この世は波的な現象が多い。きっと揺り戻しはあるだろう。そんな時にも大局的に考えることがきっと大切になる気がしている。


追伸:ユーグレナの出雲充さんにこの話、つまり最近出雲に行こうと思って、古事記を読んでいるとお話すると、atakaさん、そんなのじゃ全然だめだよ、という。

え、じゃ何を?

風土記出雲風土記を読まないと始まらない。

というではないか。な、なんと、である。風土記は、日本各地の特徴や歴史的なものをまとめた書物としては最古のもので、随分と色々の地域のものがあるが、ほぼ完本で存在しているものは出雲しかない。

いま、僕の手元にはその風土記がある。


*1:by しんぎんぐきゃっと, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons

*2:上述の司馬さんの一節を読んでいたので、20年ほど前も実は国津神のふるさと出雲に向かおうとしたこともあったのだが、何故か石見空港に到着したあとレンタカーで西に向かってしまい、萩と馬関(いまの下関)を見たのち、北九州を回って戻ってきてしまった。

*3:普通に考えれば別の国、、大陸?

*4:日本と呼ばれている国の中心、、特に中国地方。「中国」はこの言葉の略語

*5:脱線するが猪瀬直樹さんの『ミカドの肖像』は現代人の基本教養書の一つと言えると思うので紹介しておこう。なぜ、品川駅前に大きなプリンスホテルがたくさんあり、これらがなぜ「プリンス」ホテルと名付けられているのか、なぜその脇に「竹田」と表札がかかった大きなビルがあるのかなどはこの本を読むとよく分かる。

*6:青空文庫の場合「天皇」が注釈込みで249件、「生み」が171件

*7:皇室は通常の民法の枠外と推定される

*8:娶う相手として禁じられた同母姉妹と恋に落ち四国に落ちて心中する悲愛も登場する