
Amagi, Shizuoka, Japan
1.4/50 Summilux ASPH, Leica M10P, RAW
AI時代のリーダーシップとは何か。
そんなテーマで対談する機会があった。お相手は、前職の後輩であり長年の友人でもあるNPOクロスフィールズ代表の小沼大地さんと、越境学習を長く研究されている法政大学の石山恒貴さんだ。
小沼さんは、冒頭で三つの問いを掲げた。
- AI時代にリーダーに求められる力とは何か。
- これからのリーダーが積むべき経験とは何か。
- 越境の経験が、これからの時代に果たす価値とは何か。
60分のうち、最初の15分ほどは三人とクロスフィールズの取り組みの紹介だったので、実際に議論できた時間はそれほど長くない。小沼さんが問いを投げ、石山さんと僕が交互に話す。そんな形であっという間に終わった。
だが、話しながら、自分の中では別の問いが立ち上がってきた。
リーダーとは、そもそも何をする人なのか。
かつて福澤諭吉翁は、リーダーを「先導者」と呼んだ。管理者でも、決裁者でも、権限者でもなく、先に立ち、人を導く者。
だとすれば、AI時代に問われているのは、単に「リーダーに必要なスキルは何か」ではない。
そもそも、導くとは何か。
この問いを少し掘っておきたい。
リーダーシップとは、人ではなく機能である
リーダーとは何をする人なのか、から考え始めると、議論はすぐに混線する。
肩書きとしてのリーダーもいれば、役職はなくても明らかに場を導いている人もいる。組織図上の上司がリーダーとは限らないし、逆に誰かが正式に任命されたからといって、その人にリーダーシップが宿るわけでもない。
大切なのは、「人」に縛られないことだ。
リーダーのなす役割とは何か。つまり、「リーダーという人」ではなく、「リーダーシップという機能」を見ることだ。
ここで一つ紹介したいのが、5つのリーダーシップ、Five Leadership Model だ。*1
- Thought leadership:目指す先を定め、解くべき問いを示す
- People leadership:才能を引き寄せ、火をつけ、育てる
- Client leadership:顧客やステークホルダーとの関係を安定させ、育てる
- Collaborative leadership:ハコや既存の役割を超えて価値を生み出す
- Entrepreneurial leadership:これまでにないことを仕掛ける
言葉はやや仰々しい。だが、言われてみれば、いずれも確かにリーダーの仕事だ。
迷った時に方向や進み方を示せない人を、リーダーとは言えない。人を見出し、育てられない人は、リーダーとしては弱い。いざという時に場を安定させられない人も、力不足だ。既存のハコや仕組みを超えて働きかけるのも、間違いなくリーダーの仕事だ。さらに、既存のモデルややり方を壊し、新しいことを仕掛けることも、リーダーの重要な役割だ。
AIが代替するのは、タスクであって機能ではない
オンラインの参加者から、こんな問いが出た。
「そもそもリーダーの定義が変わるのではないか。AIが、いまリーダーがしていることを代替するようになるのではないか。」
自然な問いだと思う。だが、少し分けて考えた方がよい。
AIが代替するのは、リーダーの仕事の中に含まれるタスクであって、リーダーシップという機能そのものではない。
情報を集める。整理する。比較する。論点を並べる。資料をつくる。メールを書く。議事録をまとめる。シナリオを出す。こうしたタスクは、AIが相当程度担うようになる。すでに担い始めている。
だが、「方向を定める」「人を育てる」「場を安定させる」「ハコを超えて束ねる」「リスクを引き受けて踏み出す」という機能は、タスクではない。
タスクが機能を支えるのであって、機能がタスクでできているわけではない。
人を束ねる力も、そう簡単には代えられない。サッカーで言えば、どれほど天才的な選手がいても、一人だけで試合には勝てない。三人のソロが集まっただけなら、出力は三人分にしかならない。三人の総和を超えるものがチームとして生まれた時、初めてそのチームは真に機能していると言える。
リーダーがいて助かった、と人が思うのは、たいていこの瞬間だ。
枠組みは消えない。中身が変わる
では、AI時代にリーダーシップの枠組みは変わるのか。
僕の見立てでは、リーダーシップの枠組みそのものは消えない。だが、その中身はAIによって著しく変容する。
これから問われるのは、単にAIを使えるかどうかではない。AIの出力をなぞり、表面的な最適化にとどまる人と、AIを使いながら問いや判断の次元そのものを変えられる人との差が、歴然と開いていく。
なぜか。
AIは、途中工程を圧縮するからだ。
調べる。整理する。比較する。叩き台をつくる。論点を並べる。文章にする。可視化する。そうした「解く部分」の多くは、AIが担うようになる。
その結果、人間に残るものは何か。
一つは、何を問うか。
もう一つは、最後に何を良しとするか。
つまり、ディレクションとダメ出し。問いと判断。入口と出口だ。(この点については2月に書いた以下の拙稿を参照 )
同じことが、5つのリーダーシップの中でも起きる。
Thought leadership は、その典型だ。
AIは人類が蓄積してきた知識や表現の多くを飲み込み、既存の問いの空間の中ではかなり強く内挿する。すでに誰かが考え、書き、議論してきたことの延長であれば、かなりの水準で答えらしきものを出す。
だからこそ、「答えを概ね持っている人」の価値は相対的に下がる。
それよりも重要になるのは、問いの空間そのものを変える人だ。
問いの次元を変える人であり、問いの地平(horizon)を変える人だ。
これは、AIが苦手なことでもある。AIは与えられた問いには強い。だが、その問いで本当にいいのか、そもそも何が問われるべきなのかを決めるのは、人間のリーダーの仕事として残る。
Client leadership も同じだ。
顧客が言っている課題は、本当に課題なのか。本人たちが避けている決断は何か。組織として何を変えなければ成果が出ないのか。どのリスクを取る覚悟があるのか。
定型的な分析や提案はAIがかなり埋める。だが、顧客が本当に決めるべきことを一緒に見極める力は残る。むしろ、情報が過剰に出る時代には、その価値が上がる。
Collaborative leadership も変わる。
これまでは、人と人、部門と部門、組織と組織をつなぐことが主だった。だがこれからは、そこにAI、データ、業務プロセス、外部パートナーが入り混じる。協働の相手が、人間だけではなくなる。
人間・AI・組織・データを一つの動く系に編成すること。
複数の知性と利害を接続し、実際に動く形にすること。
ここに新しい collaborative leadership の重心が移る。
Entrepreneurial leadership もまた、単に新しいことを仕掛ける力から、新しく可能になったことを現実にする力へと重心が移る。
AIは試作コストを大きく下げる。誰でも試せるので、単なるアイデアの価値は下がる。大事なのは、何が本当に今できるようになったのか、その結果どの前提が壊れたのか、どこにまだ誰も取りに行っていない価値があるのかを見極めることだ。
そのとき、既存の事業、制度、組織の論理とぶつかることは避けられない。いま成立しているものを丁寧に回すだけでは、次の現実は立ち上がらない。時には、既存の最適解を問い直し、必要なら壊してでも、新しい可能性に賭ける必要がある。
Entrepreneurial leadership の本質は、現在を否定することではない。現在を現在として回しながら、その外側に未来の種を仕込むことだ。今すぐ成果にならないもの、まだ名前のないもの、既存の評価軸では測りにくいものに、あえて資源と注意を向けることだ。
ただし、AIには手がない。実際に物をつくり、人を動かし、調達し、届け、制度や事業として定着させる重さは残る。
だからこそ、小さく試し、大きく学び、早く捨てる。そして最後には、事業、制度、運動として現実にする。
つまり、AI時代の entrepreneurial leadership とは、新しいことを仕掛ける力にとどまらず、新しく可能になったことを、事業、制度、運動として現実に定着させる力である。
だが、問いと判断はどこから来るのか
ここで、もう一段降りる必要がある。
AI時代に人間に残るものが、問いと判断なのだとすれば、次に問うべきは明らかだ。
その問いと判断を支える見立ては、どのような経験から育つのか。
問いを立てる。
最後に良しと言う。
自分なりの見立てを持つ。
これは、どこから来るのか。
単なる知識からではない。頭の中の計算だけからでもない。
見立ては、身体を通じた経験の蓄積から来る。相手と向き合い、現実に触れ、思い通りにならないものにぶつかり、不可逆な時間を生きる。その履歴が、知覚となり、判断の土台になる。
以前、「AI native時代の袋小路」で書いた通り、見立てる力は、ファーストハンドの経験の積み重ねからしか育たない。
AIはサポートできる。視野を広げ、情報を補い、仮説を出し、言語化を助けることはできる。だが、その人だけの皮膚感覚を持つことはできない。能力が足りないからではない。身体を持って不可逆な時間を生きた履歴を、構造的に持てないからだ。
ここで、People leadership は最も深い仕事になる。
人を育てるとは、単にスキルを付与することではない。その人なりの知覚を育てることだ。自分の足で立つ勇気と、自分の見立てを持つ力を育てることだ。
ここにAI時代の落とし穴がある。
辛い途中工程をすべてAIに肩代わりさせる人は、流暢に内挿できるようになる。もっともらしい答えを出すことはできる。だが、裸の知覚が育たない。
問いの地平を変える力も、最後に良しと言う力も、そこからしか出てこないにもかかわらず、である。
AIで人を拡張する。
同時に、人を無力化させない。
これが、これからの育成の核心になる。
「離」の重さが跳ね上がる
もう一つ、小沼さんから問われたことがある。
枠を超えるとはどういうことか。
僕が話したのは、守破離のことだった。
この国は、長年、「守破離」で人を育ててきた。まず型を守る。次に型を破る。最後に、型を離れて自分なりの形をつくる。
AIは、この構造を大きく変える。
AIは「守」を圧縮する。多様な型を学習済みだからだ。
さらに、「破」のハードルも下げる。既知の方向への逸脱なら、いくらでも試せるからだ。
その結果、「破」は卓越の証ではなくなる。
差異化は、丸ごと「離」に移る。
だが、「離」はプロンプトからは生まれない。
型を知らずに型を壊すことは、「離」ではない。ただのノイズだ。住んだことのない家を壊すことは、建築の刷新ではない。
「離」は、「守」を通り、「破」を通り、そのうえで初めて生まれる。自分の身体で型に住み、痛みを伴って型を破り、その先に自分なりの形を立ち上げる。それが離だ。
AIは「守」を助ける。「破」を助ける。だが、「離」は外部装置からは出てこない。
だからこそ、近道があっても、人にちゃんと辛い「守」を通らせる。それも、人を育てる者の仕事になる。
では、AI時代に人はどこで自分の型を壊されるのか。
ここで、越境経験の価値が立ち上がる。
越境経験の価値は、むしろ上がる
越境が大事なのは、単に視野が広がるからではない。普段の所属、役割、文脈から外に出ることで、自分の型が通用しない場に立たされるからだ。予定調和ではない相手と向き合い、言葉がうまく届かず、自分の前提が壊されるからだ。
閉じた情報空間の中で、いくら巧みにシミュレーションしても、自分の型が本当に壊れる経験には届きにくい。現実の人、現実の土地、現実の組織、現実の痛みと向き合う時間が、その人の知覚を鍛える。
だから越境は、AI時代において単なる研修メニューではない。
人が自分の見立てを持つための経験であり、自分の型を一度壊されるための経験であり、やがて自分なりの「離」に向かうための経験でもある。
AI時代のリーダーシップとは何か
最初の問いに戻ろう。
AIは、かなりのことを「解く」ようになる。
集める。整理する。比較する。仮説を出す。書く。つくる。回す。こうしたことは、ますますAIが担っていくだろう。
だが、それはリーダーが要らなくなることを意味しない。むしろ逆だ。
答えらしきものが大量に出る時代には、何を問うかが重要になる。
選択肢が無数に出る時代には、何を選ばないかが重要になる。
できることが爆発的に増える時代には、何を引き受けるかが重要になる。
そして何より、AIは責任を取らない。
提案はする。分析もする。もっともらしいストーリーもつくる。だが、最後に「こちらに進む」と決め、その結果を背負うのは人間だ。
福澤諭吉翁が、リーダーを「先導者」と呼んだ意味が、ここで重くなる。
先導者とは、ただ先に立って歩く人ではない。正解を知っていて、後ろに教える人でもない。
まだ道になっていないところで、どちらに進むべきかを示す人だ。何を見るべきかを示す人だ。何を問うべきかを示す人だ。そして、その先にある未来が、本当に人々が向かうに値するものなのかを考え続ける人だ。
AI時代に「導く」とは、答えに連れていくことではない。
見るべき現実へ、導く。
問うべき問いへ、導く。
選ぶべき未来へ、導く。
そして、人が自分で歩ける状態へ、導く。
つまり、AI時代のリーダーシップとは、AIを使いこなす力そのものではない。
AIによって答えが溢れる時代に、何を問うか、何を選ばないか、何を人間が背負うかを決める力だ。
そしてその力の核心は、閉じない世界で育つ知覚にある。
AIが「解く」時代に、人間のリーダーは「導く」ことを取り戻す。
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※この記事の英語版を Medium で公開しています(repositioned for an international readership)。
Leadership in the Age of AI: What It Means to Guide
https://medium.com/p/leadership-in-the-age-of-ai-what-it-means-to-guide-f9fa08814282
*1:小沼氏や僕がかつて務めていたMcKinsey内部でのフレームワーク。他にもInspirational leadershipなどいろいろあるが、基本この5つは、評価可能かつ育成可能なスキルとして、シニアなマネージャー以上に対して用いられていた。



















