
2008年、このブログを書き始めた頃、読者の方からの質問に答える形で、「大学院教育で何ができると、人が育ったと言えるのか」という論考を書いた。気がつけば、もう18年前になる。
日米双方の研究大学の大学院に身を置いた目から見ると、日本の大学院における博士号と、米国のPhDは、かなり異なるものを指しているのではないか。そう整理したのが、2008年のあの論考だった。
日本では博士号は、ともすれば、大学院に入り、長い時間研究を続け、論文を書き、学会で発表するなど、研究者になるための「十分な経験」を積んだことを示す資格として受け取られる。何ができるようになったかというより、いわば、一定の苦労のチェックリストを一通り終えたことが重く見られる。
これに対して、米国の、少なくとも僕が経験したような研究大学のPhDは、プログラムが育てるべき能力を定め、候補者がそれを身につけたことを確認したうえで与える資格である。その分野を体系的に理解し、大学で教え、自ら問いを立て、独立して研究を設計・遂行し、成果を伝える。そうした一連の基礎能力を、コースワーク、教育実践、研究の設計と遂行、論文執筆、口頭審査といった具体的な経験のなかで身につけ、示したと、大学が認めるものである。
違うのは、どちらが厳しいかではない。大学が何を育て、何をもって「育った」と認めるかである。
その論考はその後、国内外の研究者にも読まれ、「教育や研究室運営に活かしている」と直接連絡をいただくこともあった。
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それから月日が流れ、大学の無期教員*1となって7年以上がたった。これから書くことは、今になって見えてきた話ではない。2008年に書いたときにも、感じてはいた。ただ、論点としてきちんと立てないまま来てしまった。遅ればせながら、正面から出しておきたい。
日本の博士課程は、博士を育てるために大学が本来引き受けるべき二つの責任を、外に投げてしまっているのではないか。
一つは、博士課程の学生の身分と生活を、本人の財布に投げていること。
もう一つは、学位を与える判断を、論文の本数と匿名の査読者に投げていることだ。
「博士課程単位取得退学」と「論文本数による学位審査」は、別々の問題に見える。だが、その根は同じである。大学が、人を育てる責任と、博士に値する仕事を自ら見極める責任を、十分に引き受けていないのだ。
身分と生活を、本人の財布に投げる
日本の大学の周辺にいると、「博士課程単位取得退学」、いわゆる「満期退学」という経歴を持つ人に、しばしば出会う。
これは、少なくとも僕は日本以外では全く耳にしたことがない言葉だ。
博士後期課程で、学位以外の必要単位を取得し、標準修業年限を終えたものの、博士号を取得しないまま大学を退学する。履歴書には「単位取得退学」と書かれる。
外から見れば、意味を取りにくい言葉だ。学位を取らずに大学を去ったのであれば、単なる退学ではないのか。事情を知らない人には、博士課程をやり遂げられなかった人のようにすら聞こえかねない。
だが実際には、それほど単純ではない。
人文科学や社会科学の多くでは、資料の発掘、長期にわたるフィールドワーク、言語の習得、単著としての大きな構想などに時間を要する。博士後期課程の標準修業年限である三年程度で、博士に値する仕事をまとめることは、分野によっては相当に難しい。
米国でも、博士の取得には相応の時間がかかる。なお、米国では学部卒業後に直接PhDプログラムへ進むことが多く、この年数には日本の修士課程に相当するコースワーク期間も含まれる。
生命科学系の博士課程では、大学院に入ってから学位を得るまで、中央値でおよそ7年を要する。入学した人のうち、10年以内に博士に到達するのは6割強にとどまり、その多くが5〜7年目に学位を得る。5年ほどで取り終える人は、むしろ少数派である。
分野の内側を見ると、この時間差はさらに際立つ。生命科学や社会科学の多くは9〜10年で頭打ちになるが、人文系、とくに英語・英文学や外国語・外国文学、は、10年を経てもなお修了者が増え続け、プラトーに達しない。三年どころか、十年でも閉じきらない時間構造がそこにある。*2
僕が専攻していたneuroscience*3のような領域では、たとえばサルを使う研究であれば、実験に入る前の訓練だけで一年以上かかることがある。一つの実験計画がうまくいかなければ、それだけで研究期間は大きく延びる。学位の取得まで7年、8年とかかることは、米国では決して珍しいことではなかった。






(工学・生命科学は6〜7年で立ち上がるが、人文学は10年でようやく約49%)
それでも、米国には日本の「単位取得退学」にそのまま当たる身分はほとんどない。多くの博士課程では、コースワーク*4を終え、Qualifying Exam*5など所定の審査を通ると、学生は博士候補生(doctoral candidate)となる*6。その後は定期的な進捗評価を受けながら、博士論文を完成させることになる。
もちろん、無条件にいつまでも在籍できるわけではない。コースワークと資格試験には明確な到達基準があり、成績が基準に届かなければ、その段階でプログラムを離れることになる。研究の進捗が不十分な場合も、プログラムを離れることがある。しかし、少なくとも一定期間は、授業料免除と生活費支援を前提に、研究者になるための訓練を受ける。博士課程の学生を受け入れるということは、プログラムがその育成に責任を負うことを意味している。
僕がいたYaleでも、大学院のtuitionは相当に高額だった*7。半期ごとに請求書は届いたが、その後、大学のfellowship*8によって支払われたという通知が届いた。生活費もstipend*9として二週に一度小切手で支給された。学費と生活費をどう支えるかは、大学、部局、フェローシップ、TA・RA、指導教員の研究費などによって異なるが、基本的な考え方は共通していた。
博士課程の学生は、大学に授業料を払う消費者なのではない。研究者として育てるために、プログラムが受け入れた候補者なのである。
一方、日本では、多くの場合、「在学期間=授業料の課金期間」になっている。論文の執筆や審査が延びれば、四年目、五年目にも授業料が発生する。生活費も当然必要になる。研究者としての訓練が続いているにもかかわらず、そのコストは基本的に学生本人に乗る。
この問題を回避するため、日本の大学は奇妙なハックを生み出した。必要な単位を取り終えた学生を、いったん退学させる。そうすれば授業料は止まる。そのうえで、「退学後、一定期間内であれば博士論文を受け付ける」という運用を行う。
これが、単位取得退学という二重構造である。
制度上は大学を退学している。ただし、その後の実態は人によって分かれる。同じ指導教員のもとで研究を続け、数年のうちに博士論文を仕上げる人もいれば、そのまま関係が切れ、学位に至らないまま終わる人もいる。前者にとっては、大学との関係は切れているようで、切れていない。
さらに、退学後の学位申請の扱いは大学によって分かれ、論文博士として整理される場合がある一方、一定期間内であれば課程博士として扱う大学も少なくない。
制度上の整理と、実際の育成過程が食い違う。このねじれ自体が、単位取得退学という奇妙な身分を生んでいる。
文部科学省が、「満期退学」「単位取得退学」を、あたかも博士課程の正規の出口であるかのように扱うことに警鐘を鳴らしてきたこと自体は、理解できる。博士課程に入った学生が、何年も学位を得られないまま放置される。大学は指導責任を曖昧にする。学生は身分も生活も不安定なまま研究を続ける。これは健全ではない。
しかし、だからといって、「在学中に学位を出せ」と年限を締めるだけでは問題は解決しない。大学が博士課程の学生の身分と生活を支える仕組みをつくらないまま、在学年限だけを厳しくすれば、時間を要する研究ほど苦しくなる。フィールドワーク、長期観察、資料発掘、単著型の研究、失敗の可能性が高い実験。そうした、本来時間をかけて取り組む価値のある研究ほど、制度の時間に押し潰されることになる。
問題は、研究に時間がかかることではない。その時間を、大学が制度として引き受けていないことにある。
学位の判断を、論文の数に投げる
大学が引き受けるべきもう一つの責任は、候補者の仕事が博士に値するかどうかを、自らの目で見極めることである。だが、ここにも別の外注がある。
日本の理工系、生命系、医学系の少なくない大学院では、博士論文を提出するための条件として、「筆頭著者として査読付き国際誌に何報以上」といった内規が置かれている。
単位ではない。博士論文全体の中身でもない。論文の本数である。
数が揃わなければ、博士論文の審査に入ることすらできない。
もちろん、査読論文を書くことは重要だ。研究成果を、外部からの批判に耐える形で整理し、世に出すことは、研究者にとって欠かせない訓練である。博士課程の間に論文を書くことを強く奨励するのは当然だろう。だが、査読論文を出すことが重要であることと、その本数を学位授与の機械的な必要条件にすることは、同じではない。
奇妙なのは、多くの場合、大学の学位規則そのものには比較的まともなことが書かれていることだ。博士論文は一篇の研究として、その学術的意義、新規性、創造性、一貫性を審査する。
正しい。
ところが、その下にある専攻の内規や運用では、その判断が論文の本数に置き換わる。表では中身を審査すると言い、裏では数を数える。*10
もっとも、本数主義にも、それなりの言い分はある。中身の判断は、どうしても主観に流れやすい。指導教員の胸三寸で、学位が理由もなく遅れることもあれば、逆に身内に甘くなることもある。論文の本数という外形的な基準は、その恣意を排し、誰の目にも明らかな最低ラインを引いてくれる。
だが、それでも、これは審査ではない。外部の査読プロセスを何回通過したか、数えているだけである。
博士号は、大学という仕組みが与える最高学位である。その学位を授与する権限と責任は、大学の本質に属する。にもかかわらず、その中核的な判断を、「匿名の査読者が、ある学術誌への掲載にいつ同意したか」に置き換えてしまう。これは、大学が担うべき審査責任の一部を、外部に委ねていると言わざるをえない。
もっとも、日本の大学院がすべてそうだというわけではない。指導教員を審査委員に加えず、査読論文の本数も要件としない専攻は、確かに存在する。ここで問題にしたいのは、個々の運用の巧拙ではなく、学位の判断を論文の本数に置き換える仕組みが、いまなお珍しくないという構造の方である。*11
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数が足りても、博士に値しない仕事はありうる。数が足りなくても、博士に値する仕事はありうる。少なくとも米国の多くの博士課程では、その両方が起こりうる。査読論文を何本出していても、研究全体が一貫した独立の探究になっていなければ、博士に値しないと判断されることがある。逆に、まだ査読論文として掲載されていなくても、仕事の中身が十分に新しく、深く、独立した研究として成立していれば、博士論文の口頭審査を通ることがある。
なぜ両方が起きるのか。見ているのが、数ではなく、中身だからだ。
博士号を与えるとは、「たくさん研究した」と認めることではない。「一定数の論文が査読を通った」と認定することでもない。自分で問いを立て、研究を設計し、失敗を含めて探索し、何か新しいものを見つけ、それを一貫した知として組み上げる力があると、大学が認めることである。その判断を、匿名の査読者に丸投げすることはできない。
査読と学位審査は、重なる部分はあるが、同じものではない。
査読は、個別の論文が、その学術誌 (academic journal) の文脈で掲載に値するかを判断する。学位審査は、研究全体が独立した探究として成立し、候補者が研究者として自立しているかを判断する。掲載の可否や時期には、査読者、編集過程、学術誌の方針、分野の流行、投稿先の選択が大きく影響する。それを学位の機械的な代理指標にすれば、通すべき仕事を取りこぼし、数は揃っていても博士論文として弱い仕事を通すことになる。
数えることは、見ることではない。歴史には、その端的な例がある。
1924年、ルイ・ド・ブロイがソルボンヌに提出した博士論文は、電子などの粒子が波の性質を持つという物質波の仮説だった。あまりに新奇で、ペラン、ランジュヴァン、カルタンらを擁する博士論文委員会でさえ、その真価を測りかねた。そこでランジュヴァンは、判断を体裁や業績数に委ねる代わりに、その意義を見極められる人物、アインシュタインに論文を送り、意見を求めた。
アインシュタインは、これを「物理学の最も難儀な謎に差した、最初のかすかな光」と評し、「大いなるヴェールの一角を持ち上げた」と書いた。委員会は学位を授けた。三年後、電子線回折によって物質波は実験的に確かめられ(デイヴィソン゠ガーマー、1927年)、ド・ブロイは1929年にノーベル物理学賞を受ける*12。
査読論文の本数で決まったのではない。一つのアイデアの破壊力を、見る目のある者が見たのである。
自分たちに測りかねる仕事を前にして、数に逃げるのでも体裁で退けるのでもなく、その中身を見極められる目を探し当てる —— 審査とは、本来そういう営みだ。
本来、博士課程における育成と審査の中核は、独立性を持った博士論文委員会 (thesis committee) にあるべきだ。資格試験を通ったあと、候補者の研究は、指導教員 (advisor) 一人の所有物ではなくなる。指導教員はもちろん重要な一員である。しかし、指導教員が候補者を抱え込み、恣意的に学位取得を遅らせたり、逆に十分でない仕事を通したりすることがないよう、委員会が一定の独立性を持つ必要がある。
その独立性は、運用にも埋め込まれている。
僕が経験したプログラムを例に取ると、博士論文委員会は指導教員が組むものではなかった。候補者自身が、指導教員の助言も受けながら構成を考え、加わってほしい教員に一人ずつ依頼する。委員会の主査 (chair) を自分の指導教員が務めることは認められない。開催の主導権も候補者にあり、進捗の早い学生は半年に一度といった頻度で自ら委員会を開き、公式の場でもそれ以外でも、委員から助言を得に行く。そして、その開催状況を、プログラムが学生ごとに記録し、追っていく。このように指導教員が委員会の判断を一人で支配できないよう、一定の独立性が制度として組み込まれていた。
ここで、先ほどの本数主義の言い分を思い出したい。中身を見る審査は、結局、指導教員の胸三寸に逆戻りするのではないか。本数主義が生き延びてきたのは、まさにこの恐れゆえだった。だが、答えは、数に逃げることではない。判断を、一人の主観から、複数の目と、明示された基準へと開くことだ。いま見た委員会の独立性、すなわち指導教員が主査を務めず、構成も開催も候補者が担い、プログラムが記録する —— は、まさにそのための仕組みである。こうした仕組みによって、少なくとも指導教員一人の胸三寸に委ねる危険は、大きく減らすことができる。
委員会は進捗を見る。問いを見る。方法を見る。失敗を見る。何が新しいのかを見る。候補者が、本当に独立した研究者になっているかを見る。だから、掲載されなかった負の結果も、どの学術誌にも収まりにくい越境的な研究も、博士論文には正当に含まれうる。
二つの責任を、大学に取り戻す
では、この二つの責任を、どうやって大学に取り戻すのか。
必要なのは、年限を緩め、いつまでも研究させることではない。博士課程の段階と責任を、設計し直すことである。
コースワークと所定の審査を終えた者を、いつまでも「授業料を払う学生」として扱うのではなく、博士候補生(doctoral candidate)として明確に位置づける。博士候補生には、通常の授業料とは異なる在籍身分を用意し、大学との関係、研究指導、研究設備へのアクセス、倫理審査、図書館、データベースなどを維持する。可能な限り、生活を支える経済的支援も組み込む。
その一方で、無期限には放置しない。委員会が定期的に進捗を確認する(開かれるべき委員会が開かれていなければ、プログラムや委員会から指導が入る)。研究計画は成立しているか。必要な指導は行われているか。学位取得の見込みはあるか。どの段階で論文を提出すべきか。どの水準に達したら博士に値すると判断するのか。これらを明確にする。
ここで参照しているのは、米国の制度が全体として理想的だ、ということではない。借りたいのは、博士候補生という身分、委員会が審査の主体となる仕組み、そしてプログラムが育成に責任を負うという構造である。
これは学生への温情ではない。むしろ、大学とプログラムの責任を明確にすることである。大学が、誰を博士候補生として認めるのか。どのような条件で指導と支援を続けるのか。どの時点で、博士取得の見込みがないと判断するのか。どのような仕事を博士に値すると認めるのか。それらを、大学自身が引き受けるということだ。
近年、博士課程の学生への経済的支援に国費が向けられるようになったことは、大きな前進である。しかし、研究資金を学生個人に配るだけでは、プログラムの責任は立ち上がらない。個人への支援に加えて、人を受け入れ、育て、学位まで送り出す博士プログラムそのものに、責任と資源を結びつける必要がある。
もちろん、その財源をどう確保するかは、それ自体が容易でない問いであり、ここで言う責任設計は、それだけで全てを解決する十分条件ではない。だが、誰を、どのプログラムが、どこまで責任を持って育てるのかが定まらないまま金だけを配っても、育成の責任は宙に浮いたままになる。責任の設計は、財源の議論に先立つ前提である。
博士課程とは、本来、プログラムが責任を持って人を育てる仕組みである。どのような教育と訓練を行い、どのような研究者を育て、どの水準に達したら博士と認めるのか。その責任単位は、学生個人でも、指導教員一人でもない。
プログラムである。
日本が本気で博士人材を育てたいのであれば、二つの外注をやめる必要がある。
身分と生活を、学生の財布へ投げるのをやめる。
審査を、論文本数と匿名査読者へ投げるのをやめる。
博士課程を、授業料課金の年限管理から解放する。
博士審査を、論文本数のカウントから取り戻す。
その両方が必要である。
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これは、日本の研究力低下とも地続きの問題だ。失われた30年のあいだ、日本は博士を増やす、研究力を強化する、知識集約型の社会へ移行すると言い続けながら、博士課程そのものの時間設計と責任設計を、十分に作り直してこなかった。
そしてAI時代には、この問題はいっそう重くなる。既存の知を集め、比較し、再構成すること。定型的な分析を行い、文章にまとめること。短時間で答えられる問いを解くこと。こうした仕事は、ますます機械に寄っていく。だからこそ、人間の研究者に問われるのは、長い時間をかけて問いを立てる力、まだ見えていないものを見る力、数えられないものを考える力、言葉になっていない現実をつかむ力である。そのような知が、三年の箱にきれいに収まるとは限らない。
もちろん、だらだらと長く研究すればよいという話ではない。むしろ逆だ。だからこそ、博士候補生という明確な身分、委員会による進捗管理、合理的な期限、経済的支援、明確な評価基準、そして大学自身による本気の審査が必要になる。
博士号は、在籍年限の内側で処理する事務手続きではない。その社会が、どのような時間をかけて知を育てるかという制度である。
数えることを、見ることの代わりにしない。大学が、もう一度、自分の目で見ることだ。それができないのであれば、その博士プログラムは、根本から設計し直す必要がある。
私自身、大学に身を置く一人だ。人を育て、自らの目で見極めるという責任から、私たちのプログラムも例外ではない。まず自分たちから、何ができるのかを考えてみたい。
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参考文献 / References
- Council of Graduate Schools (2007/2008). Ph.D. Completion and Attrition: Analysis of Baseline Program Data from the Ph.D. Completion Project (R. Sowell, T. Zhang, & K. Redd 著/M. F. King 編). Washington, DC: CGS. 掲載図表のもとになった数値は、同プロジェクトの公開データ("Quantitative Data", Completion Data/Excel)として入手できる. https://www.phdcompletion.org/quantitative-data/
- Sowell, R., Zhang, T., Bell, N., & Redd, K. (2008). Ph.D. Completion and Attrition: Analysis of Baseline Demographic Data from the Ph.D. Completion Project. Washington, DC: CGS. https://cgsnet.org/wp-content/uploads/2022/01/phd_completion_and_attrition_analysis_of_baseline_demographic_data-2.pdf
- National Center for Science and Engineering Statistics (NCSES), National Science Foundation. Doctorate Recipients from U.S. Universities / Survey of Earned Doctorates(各年版). 分野別「大学院入学から学位取得まで」の中央値を含む. https://ncses.nsf.gov/surveys/earned-doctorates
- 中央教育審議会 大学院部会「審議経過の概要──国際的に魅力ある大学院教育の展開に向けて」(学位授与等)https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407395.htm
- 中央教育審議会答申「新時代の大学院教育」(2005年)「円滑な博士の学位授与の促進」https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1415111.htm
- 東京大学大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻「博士論文の審査過程、提出要件等について」 https://www-old.eps.s.u-tokyo.ac.jp/students/dissertation-process.html
- 東京大学学位規則/京都大学学位規程(大学レベルの学位審査に関する規程)。京都大学大学院工学研究科「博士学位論文の取扱いについて」(研究科レベルの学位取得基準の例)。
- de Broglie, L. (1923). Ondes et quanta. Comptes Rendus de l’Académie des Sciences, 177, 507.(学位取得前に発表された短報の一例)
- de Broglie, L. (1925). Recherches sur la théorie des quanta. Annales de Physique, 10(3), 22.(博士論文)
- Bacciagaluppi, G., & Valentini, A. (2009). Quantum Theory at the Crossroads: Reconsidering the 1927 Solvay Conference. Cambridge University Press.(アインシュタインの評、ランジュヴァン宛書簡の引用を含む)
*1:無期教員とは、任期の定めのない教員のこと。数年ごとに契約を更新する任期付き(有期)のポストと対をなす概念で、いわゆるテニュア(終身在職権)を得た教員がこれにあたる。
*2:米国・カナダの主要研究大学で、1992-93〜2003-04年度に博士課程へ入学した学生を追跡したCouncil of Graduate SchoolsのPh.D. Completion Projectによれば、入学から10年時点の累積修了率は、工学64%、生命科学63%、社会科学56%、数学・物理科学55%、人文学49%で、全分野では57%(理工系59%に対し社会科学・人文系53%)である。分野を問わず、入学者の4割強は10年を経ても博士に到達していない。分野別・全国規模の修了率としては現在もこの調査が最も包括的で、その後の大学個別のデータもおおむね同じ傾向を示す。 学位取得までの期間にも大きな分野差があり、NSF(NCSES)のSurvey of Earned Doctoratesによる「大学院入学から学位取得まで」の中央値は、2012年修了者で人文学9.0年、社会科学7.7年、生命科学6.9年、物理科学・工学がともに6.7年、直近(2022年)でも生物・生物医学系で6.4年である。時間を要する分野ほど、本稿でいう「単位取得退学」のような不安定な身分に置かれやすい。 なお、修了率の曲線は、理工系・生命科学系では9〜10年でほぼ頭打ちになる一方、人文系では10年時点でもなお上昇が続く(CGSも、社会科学・人文系の最終的な修了率はさらに上がりうると指摘している)。とはいえ、10年で博士に到達しなかったおよそ4割の多くが、学位に至らないまま課程を離れた(=離学した)ことに変わりはない。時間を要する分野ほど、修了までの時間も、離学の割合も大きくなる。
*3:脳・脊髄・神経系の構造、発達、機能、そして疾患のメカニズムを、分子レベルから行動・認知レベルまで多角的に研究する学問。分子細胞生物学、生理学、認知科学、医学、物理学、工学などが融合した手法横断的な分野として、急速に発展してきた。
*4:コースワーク(coursework)とは、博士課程の前半で課される体系的な履修過程を指す。専門分野の基礎を網羅的に学ぶ授業と評価から成り、これを終えることが次の段階(資格試験・本格的な学位研究)へ進む前提となる。日本の博士課程に比べ、要求水準が高く、比重も大きいことが多い。
*5:Qualifier とも呼ばれる資格試験は、コースワーク修了後に課される関門試験である。これに合格して初めて学生はdoctoral candidateとなり、本格的な学位研究に進む。分野により、筆記・口述・研究計画の審査などの形をとる。
*6:米国では、博士課程を途中で離れる場合でも、多くの大学で在学中の到達段階に応じた学位が授与される。コースワーク相当の要件を満たせば Master of Science (MS) / Master of Arts (MA)、資格試験を経て博士候補生に進級した段階で Master of Philosophy (MPhil) が与えられ、それを持って課程を離れることができる(制度は大学・分野により異なる)。たとえば僕がいたYaleでも、MS・MA・MPhil は博士号への「en route(途上)」の学位として、候補生に進む学期に自動的に授与される。英文学のように、三年目にPhDではなくMPhilを選んで出る道を明示する専攻もある。日本の「単位取得退学」が、何を達成したのかを外形的に示さない曖昧な退学の記録であるのに対し、これらは、大学が「ここまで達成した」と積極的に認定して与える学位である。出口においてもなお、大学が自らの目で中身を見て学位を与える、という構造は共通している。
*7:当時でも、個人で負担することが現実的とは思えない水準だった。
*8:ここでいうfellowshipは、返済不要の給付(授業料の免除・支弁)を指す。日本で「奨学金」と呼ばれるものの多くは、実際には貸与、すなわち将来返済を要するローンであり、両者は性格が大きく異なる。米国の主要博士課程では、授業料は基本的にこの給付でカバーされ、学生個人の負担にはならない。
*9:stipendとは、博士課程の学生に生活費として支給される返済不要の給付を指す。フェローシップ、大学の財源、TA・RA、指導教員の研究費など、その財源と法的な性格はプログラムによって異なる。
*10:一例として、東京大学大学院理学系研究科・地球惑星科学専攻の課程博士申請要件は、「申請者を筆頭とする論文が国際誌に1編以上(区分により2編以上)掲載または受理されていること」と定め、しかも「博士論文と直接関係のない内容の論文でもよい」としている。京都大学大学院工学研究科も、研究科として「博士後期課程学位取得基準」を設けている。他方、大学レベルの学位規則(東京大学学位規則、京都大学学位規程など)は、博士論文そのものの学術的意義や独創性を審査すると定める。表(学位規則)では中身を、裏(専攻内規)では本数を —— という二重性が、ここに見てとれる。
*11:沖縄科学技術大学院大学(OIST)の科学技術研究科や一部の国際連携プログラムなどがその代表例。ハラスメント防止や国際標準への適合を目的に、指導教員を審査委員から完全に外し、査読論文の機械的な本数基準ではなく「博論そのものの質」を国内外の外部審査員が評価する仕組みを導入している。
*12:ド・ブロイの学位審査の経緯について、二点補足しておく。第一に、ランジュヴァンがアインシュタインに送り、返ってきた評として記録に残るのは、「物理学の最も難儀な謎に差した、最初のかすかな光」および「大いなるヴェールの一角を持ち上げた」(1924年12月16日付ランジュヴァン宛書簡)である。しばしば流布する「これは博士号ではなくノーベル賞に値する」という言葉は、後世の脚色とみられ、一次資料では確認できない。本稿では確実な方の評のみを用いた。第二に、ド・ブロイが学位取得前に発表していたのは、主にComptes Rendus(フランス科学アカデミー紀要)への短報であり、アカデミー会員を通じて公表される短い通報だった。現代的な意味での、査読を経た通常の長さの原著論文が何編も揃っていたわけではない。業績が皆無だったのではないが、要点は、本数の充足ではなく、一篇の論文(博士論文)が体現するアイデアの重要性そのものが、見識ある目によって評価された、という点にある。















