デジカメ vs 銀塩カメラ、、、画質の違いについての考察


会社でPhoto lovers club(いわゆる写真部)なるものを主催していると、カメラや写真について相談を受けることが多い。その際に、毎度、どうやったら僕が最近、日頃撮っているような写真(最近のものだと下の椿とか浜辺の写真)を撮れるのか、という話になるのですが、そうすると必ず陥るのが、デジカメの画質の話。



Leica M3, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @東京、銀座



Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @Bali


毎度聞かれるのが、フィルムじゃないとああいう写真にならないのでしょうか、という質問。 僕の答えは決まっていて、もしここで見ている質感であるとか、色の深み、目で見る感じを超えた色や表現、ということであれば、恐らくそうかな、と。 一度フイルムで撮ったものをデジタル化するのであれば、それほど問題はないけれど、いきなりデジタルで撮る限り、その課題は当面続くだろうとも。

そう答えると、必ずと言っていいほど、どうしてなんですか?ということになる。

この辺り、あまり世の中でまとまっているようでまとまっておらず、なかなか関心を持つ人が多いので、ここいらでちょっと僕の理解(考え)をまとめておきたいと思う。カメラエンスー(camera enthusiast:カメラ大好き人間)が集まるようなサイトではないですが、まあ「知覚」やポンティに関心を持つ人にも知覚を記録する写真が好きな人が多いと考えたい。(結局書きたいものを書くだけ。笑)もちろん私の理解が間違っていることもありうるので、そのときは遠慮なくご指摘いただけたらと思う。


<アウトプットの違い>

まず結果として得られる画質ですが、これは残念ながら、相変わらずフィルムの方がアドバンテージが大きいことは事実。

まず色の出が、特に通常の太陽光の場合(デイライトという)、フィルムの方がずっと自然。赤と緑、青、いずれも深さと透明感がデジタルでは歴然と落ちる。特にリバーサルを使うとその差は顕著だ(例えば次の写真はレタッチも何もせずスキャンしただけだが、これをデジタルで撮れる気がしない)。デジカメで撮った写真が単に色が気色悪い、なんかヘンなだけでなく、なぜか霞がかっているように見えることに気付かれた人は多いと思う。



Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @西表島


デジカメの色合いの人工的な感じは、上質な銀塩の写真を見慣れた人にはかなり色濃く感じられる。深い緑や赤だけではなく、人肌はボディだけで実勢80万円もする1Ds MarkIII(キヤノンのフラッグシップ)でもかなり厳しい。ニコンD3はかなりの出来だが、それでも作例などを見ているとフィルムのF5、F6で撮られた写真にはまだ残念ながら届いていない。EOS Kiss Digitalの最新カタログが「犬」ばかりで人がいないのはそれも一つの理由だと思う。

微妙な陰影の表現もデジタルはかなり不得意だ。そのために写真の立体的な表現は苦手でもある。結果、質感、テキスチャーの固まりとも言える、赤い花やきれいな緑、人の肌の表現はたとえモノクロでもおおむね深みにかけるし、深い空の青やかすかな雲を含めた遠近感のある風景も撮ることは困難だ。多くの場合、ボケによる空気感にもかなりの差がある。今でもD700など最新のデジカメの特集があるたびに、この辺りで画質を議論することが多い。

で、結果プロは仕事はデジタルでやるけれど自分の作品撮りはフィルムで、という人が非常に多い、ということになる。


<これらの差を生む主要因>

これらの差の要因は大きく言って、次の3つではないかと僕は考えている。カメラ屋の方々はあまり語りたがらないが、撮像素子のサイズ以外は当面手の打ちようがあまりない問題のようにも見える。

  • 撮像素子の大きさ
  • 素子そのもののダイナミックレンジ
  • 色の補間

それぞれについて簡単に説明したい。


1. 撮像素子のサイズ

これは以前D700の項で書いた通り、大半のデジカメの大きな課題。現存するデジカメのうち、35ミリフィルムカメラと同じサイズの面積で光を受けるカメラは4つしかない。上述のキヤノンのフラッグシップ1Ds MarkIII、5D、ニコンのD3とD700だ。

デジ一眼は殆どその半分かその三分の一ぐらいのサイズ。コンパクトに至っては、二十分の一から三十分の一という極めて小さな面積で光を受けている(参照)。これの直接的な害は、ボケの小ささに現れる。撮像素子が小さいということは、光の広がる面積が小さい、すなわちボケがそのまま小さいことを意味する。多くの写真の距離感や空気感は、ある程度ボケから来ているため、これによる写真の差はかなり強烈だ。

例えば、フィルム時代、一大カテゴリーとして存在した高級コンパクト。コンタックスT2に始まり、ニコン35Ti、リコーGR1vなどに続く。これらの素晴らしかったのは、小ささに関係なく、一眼レフと同様のボケ味が存在していたことだった。(次のT2での作例を参照)



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8


しかし、皆さんの体験されている通り、現在のコンパクトデジカメはリコーのGRデジタルも含め、極めてボケの小さな、パンフォーカス的にすべてがピントの合った写真しか撮れない(被写界深度が深いという)。無理矢理ボケ感を出そうとするとマクロ的な近いものの撮影をするしかない。これはレンズの明るさが同じである限り、全て撮像素子の小ささのためなのです。(なおカメラ好き以外の為に補足しておくと、絞りやレンズの暗さは光を削るので、結局素子が小さくなるのと同じ効果を持つ。)

また、もう一つ厄介なのが素子辺りの面積の問題。光は量子的な存在なので、素子そのものと関係のないノイズが大きく存在する。ショットノイズと言われるものだが、光の強さのルート(平方根)に比例するため、光本来のS/N比は、一つ一つのピクセルが受ける光の強さ、受ける光量のルートに比例する。ピクセル数が同じで、素子サイズが仮に四分の一になると、ピクセルあたりの面積は四分の一、光も四分の一、従ってS/N比は半分に落ち、ノイズ感は倍増する。これが素子が小さなカメラでは、どんなに画素数が多くても画質が上がらないかなり根本的な原因だ。


2. 素子そのもののダイナミックレンジ

我々の目(網膜)は1フォトン(光子)から昼間の光まで受け止められる、巨大なダイナミックレンジを持っている。カメラはどうなのだろうか?

まず出力側から見てみる。デジカメは通常jpegで写真を残す。jpegは24ビット、すなわちRGB各色8ビット(二の八乗)、256色しかない。よく見る1677万色というのは単に256の三乗にすぎない。では入力段階は、とみるとピクセルごとのデータを取るRAWで、12ビット(二の十二乗)ないし14ビット(二の十四乗)だ。なかなかの情報量のように見える。

次に銀塩フィルムのビット数について考えてみる。フィルム上に一色あたり10ミクロン(0.01mm)程度は感光体の層があるとし、塗られた個々の感光分子が仮に小タンパクレベル(直径100オングストローム)のかなりの巨大なものだとすると(実際にはそれよりかなり小さいはず)、1000層は分子が存在。理論的には層別に反応が起こりうるので、色毎に1000ビット!のデータが存在することになる。たとえこれらがある程度粒になっていて粒ごとに一斉に反応するとし、フィルムと光ダイオードの量子効率の違いを考慮したとしても、50ビットは行くだろう。

比較してもしょうがないレベルの情報の差であり、これが銀塩とデジタルを大きく分ける陰影の微妙な表現、質感そのものに効いてくる。
カメラ語で言うと、ラティチュードと言われる許容できる光の強さの幅の問題とも言える。銀塩カメラマンはポジ(リバーサル)はラティチュードがネガよりシビアなので修練が必要と良く言うが、実はラティチュードが本当に狭いのがデジカメ!これはカメラ屋、フィルム屋はもっとはっきり伝えてほしい。


3. 色の補間

シグマの二機種のみで使われているフォビオンというチップを除くと、他の全てのデジカメは一つのピクセル辺り一色の情報しかない(注:画素 = picture element = pix element = pixel)。三個に一個しかない赤情報をベースに他の三分の二の赤情報を論理的に埋めているのだ。現在の主たる方法の場合、赤が25、緑が50、青が25なので、緑については半分、ということになるが平均で見るとやはりそういうことになる。

デジカメで撮った写真の色の三分の二がアルゴリズムによって生み出されたもの、写真で撮られたものではないことを知ると大半の人は仰天するが、事実である。これは三色の感光層が常に存在するフィルムとは全く異なる。色そのものの平坦さの一つの理由はここにあり、単にダイナミックレンジの問題ではない。

ちなみにフィルムの情報をデジタルに落とすフィルムスキャナーの場合、全てのピクセルで三色の情報を読み込むので、上記の問題は起きない。一方、ニコンキヤノンの業界のリーダー二社を含め、現在のデジカメ素子が三層化に向かう兆候はシグマを除き現在のところ全く見られない。

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以上見てきた通り、なかなか厄介なことが盛りだくさんなのです。コレ以外にも各色に対する周波数特性であるとか、入力に対するアウトプットカーブの問題もある。ということで、結局せめてフルサイズを買ってはどうでしょう?ということになるとやたら高く(一番値ごろなキヤノンの5Dでもボディ20万はする)、しかも1−2年で価格がかなり落ちることを考えると、ずっと値がこなれていてしかもこれ以上安くなるとは思いがたい、フィルムの良いやつを買ってはどうでしょう?あるいは高級コンパクトでも(T2なんてかつて10万したのに3万で買える!)、ということになってしまうのです。

この辺り、皆さんどう思われますか?


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以下、本文中に出てきたカメラです。簡単にコメントしました。詳しく見てみたい人はどうぞ!(いずれもものすごいユーザ評価ですね!)

D700触ってきました!、、、人間、存在を知らないと認知できない?

一昨日(7/24)、人間ドックに行った帰りに、なぜか200メートル先にヨドバシ本店があり、吸い寄せられるように立ち寄ってきました。ちょうどお昼休みの時間でした。



すると、翌日発売のはずのD700(この間書いた関連記事はここ)が目の前においてあるじゃないですか!なのにおどろくべきことに通る人の誰もそれに気付かず、別の商品を触っている!!!平日の昼間とはいえ、「新宿西口駅の前」のヨドバシ店頭ですから、それなりに人はいたのですが、ありえない風景でした。日本カメラも、アサヒカメラD700がカバーストーリーというのに、、、。恐らくわざとだとは思いますが、D40D80の間という何とも地味なところにおいてあったからなのでしょうか。せっかく東京一の量販店の本店店頭にPR効果を兼ねて置くのであれば、わざと際立たせることも出来たと思いますが、このあたりニコンマーケティング部隊の深遠な考えがあるのかもしれませんので、あまり何も言えませんが。(もしどなたかひょっとしてここに立ち寄られたらコメントお願いします:笑)



それとともに人間、あるはずがないと思うと目に見えない、そんな知覚の基本中の基本を実感してきました。無数の情報が入ってくる中、全部理解していてもしょうがなく、だから、関心のあるものしか目に入らない、、、当たり前のことではありますが(attentionというかなりコアなneuroscience/cognitive scienceのテーマです)、あまりにも良く分かるケースでした。



カメラの初見は、昨日もちょっとこの間のD700記事コメント欄に書いたのですが、思っていたよりも大きい。それとなぜか撮りごこちがD3より明確に落ちる、というところ。それとともにD300の完成度の高さと値ごろ感が逆に印象に残りました。実はこれの投入はかなりの読みに基づいているのではないかとすら感じました。



で、
オフィスに戻ってきてしばらくすると、と同じブースのうちの若い女の子の一人がやってきて、僕の机の上のガラクタをなんかくださいと言うのですが(しゃべるYodaとか、ロダンの手のレプリカとか相当量のガジェット、おもちゃの類が転がっている)、彼女が一つ関心を持ったのがタコのおもちゃ。



シリコンゴムで出来たかなりリアルなタコのミニチュアなのですが、これが多くの人が来るたびに触るので、ついに頭と胴体の接合部分がこわれています。それを知らず彼女が頭を持ったところ、なんとぶちっと体と頭が千切れてしまい、思わず「ひっ!」。



「す、すいません、、、壊してしまいました、、、、。」
「いや、実はもともと切れていたんだよ。」
「、、、」
「さっきは全く気付かなかったのに、こうやって戻すと、急に切れ目が見えるようになりました。」



二時間遅れで、またまた同じことに気付かされる一日でした。


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ちなみに↓これが噂のD700と雑誌特集号の一部。昨日立ち読みした感じではほぼ全ての写真雑誌でD700が今の目玉記事になっていますね。

ニコンD700!

遅ればせながら、ニコンD700を発表するというニュースを目にしました。これは衝撃的ですね。


ついにフルサイズのコンパクト一眼(旗艦機ではないという意味)ニコンが出るとは、、、。ここまで銀塩カメラ一筋の僕もちょっと垂涎。ISO6400の常用化が可能なほどの素子そのものの高いダイナミックレンジ*1、画角が35ミリフィルムと同じ、ボケ方も、フレーミングも同じ、、、すばらしい。D3とか1Ds Mark IIIのように巨大なカメラを持ち歩きたくなく、しかも財布の中に薄いペラペラしたものが少々足りない我々にも不変のFマウント資産(数寄屋橋淀橋浄水場跡地辺りに大量に存在)が生きる時がついに来た感じです。キャノンの5Dの後継を待っていたヒト、数多く存在するフィルム時代からのハードコアニコンユーザも刮目ですね (私がおそいだけで、ニコン党はもうきっと!な感じですね)。一方、フルサイズを持たないプレーヤーはかなり苦戦になること必至な気がします。50年以上前に、今のフルサイズというサイズ基準を作ったライカもM8Pとか出すかも、、、。


次なる注目は、現在のところ、素子サイズがフルサイズ(35mmフィルムサイズ)の20~30分の一しかない(つまり捉えられる光がこれだけしかない)ほぼすべてのコンパクトデジタルカメラ(あまり知られていませんがリンクの通り事実です)もシグマDP1のようにせめてAPSサイズ化していくのがいつなのか、ですね (現在、ほぼ完全に抜けた市場なので)。これでリコーのGRデジタル並みにレスポンスが早くなると、かなりのローエンドDSLR市場も食われるでしょうね (DSLR=digital single-lens reflex camera:デジ一眼のこと)。フィルム時代のコンタックスT2、GRなど高級コンパクトが登場したときと同じで、単にコンパクトの画質が悪すぎるという理由でデジイチを使っているヒトは相当いると思うので。個人的にはコンタックスG2のフルサイズデジタル版が出ると、コンパクトかつレンズ交換も出来るので一番うれしい。もう京セラコンタックスはありませんが。


もう少しタイミングが早ければ、アメリカ横断に持っていけるのですが。残念です。(財布にとってはラッキーですが、、、)



関連エントリ

ps. いつもの読者のみなさま、ニューロサイエンスでもマーケティングでも旅行記でもない話題でごめんなさい。実はprofile欄にもあるとおり、会社でphoto-lovers clubというのを主催するほどのカメラ、写真馬鹿です。上にも多少にじんでいますが、どこかでもう少しちゃんとマーケティング的な考察をしたいと思います。

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*1:もともとの素子のダイナミックレンジが広くないと、このような感度拡張が出来ない

欲に駆られないマーケティングは可能か(2)

(1)より続く


僕が好きなカメラの世界にこれからのマーケティングのあり方の一つの原型がある。リコーのGRデジタルというカメラだ。雑誌Penや、Real Design、日経トレンディなど幅広く取り上げられてきたので、これをご覧になっている人にもその名前を聞かれた人はそれなりにいるだろう。


リコー社はご案内の通り、世界でも屈指のオフィスオートメーション(プリンター、複写機、ファックスなど)のメーカー、サービスプロバイダーだ。しかし、その源流は理化学研究所の光学部門に発することは知る人ぞ知る事実。戦後の財閥解体の流れで、理研コンツェルンが解体され、現在の基礎科学のみを行う理化学研究所と、事業部分が切り離され、その中の一つであった光学部門が独立したのが始まりだ(改称以前の名前は理研光学)。


その中にあって、ある種、細々と光学部門の源流を続けてきたのがリコー社のカメラ部門な訳だが、この彼らが90年代の高級コンパクト(カメラ)ブームの中で、何のマス訴求もなく出したのがGRというカメラだった。このコンパクトなフィルムカメラは、当時一眼レフキラーとして知られ、かなりの数のプロカメラマンがメイン機の一眼レフ、当時であればニコンのF5などと共に持ちあるき、ついでにとったら、それが本ちゃんに使われたことなどいくらでもあると言われるある種伝説のカメラだった。森山大道氏の愛用カメラとしても知られ、中古価格も未だに最低で5万円程度と非常に高い。*1



余談になるが、そのレンズの写りがあまりにも良いため、ライカマウントにして売り出された二千本のレンズ(一本10万円以上)が瞬く間に売り切れたというのも、一部のカメラマニアにはよく知られた話だ。GRレンズは今でもたまにマップカメラなど大手の高級カメラを扱う中古カメラ店の店頭に並ぶことがあるが、毎度すぐに売り切れるほどのレンズである。


このカメラが90年代後半に打ち切られて久しかったわけだが、それをデジタルの時代に復活させたのがGRデジタルである。とはいうものの、時代が異なるだけでなく、もう既にGRを知る人は知る人ぞ知る状態になった中にあって、彼らリコー社のとったアプローチは独特のものであった。まず彼らは社内にシンパを作った。そしてそれをブログマーケティングなどが騒がれる前の3年前に彼らがあくまで宣伝ではなく、自分たちもユーザの一人として作り手に、そして潜在的なファンの人たちに声を届けることを開始した。(リコーGR公式ブログ


それのみならず、同じ関心を持つ人の共通の出会いの場としてあくまでその公式ブログを位置づけ(今や数千トラックバック)、聞いては取り入れ、取り入れては投げかけるということを繰り返し、気がついたら、仲間の輪が広がっていった、ということで、驚くほどの強い引きを実現した。トラックパッド企画から生まれた一千部限定のシンパコミュニティ向けカタログなど、本当に感動ものの出来だ。以前、企画担当の野口氏にお会いした際には、店頭に大しても特に特殊な働きかけはしなかったと伺ったが、「志」に賛同する店舗側のご協力により、ビック、ヨドバシなどの多くの店頭で特別なコーナーを単一機種で作り上げていたのはご覧になった人も多いかもしれない。結果、導入後2年間、ファームウェアのアップデートはあったものの、キャノンやニコンですら毎年モデルを出す変遷の早い世界で、モノの変化は全くなく、なのにも関わらず店頭での値段は全く落ちなかった。しかも2007年末、上市後2年も経った段階で、専門誌日本カメラのコンパクトカメラ部門で相変わらずトップ5入りしたほどのプロの評価と突出したファンを生み出した。


ここにあるのは、対話であり、誠実であり、衒い(てらい)のない正直である。ここに僕は一つの希望を持ちたいと思うし、これが一つのこれからのマーケティングの型を力強く示唆していることは間違いないことと思われる。確かに、このようなある種、マスとは言いがたいこだわりの商品だったから可能だったということは言えるだろう。しかしながら、前節に書いた通り、正直しか通らない、しかもいかなる情報も手に入るようになってしまった世界では、大半の人がいずれ少なからず自分のこだわりを主とした消費へと向かうことはほぼ間違いないのではないだろうか。少なくとも「売らんかな」のマーケティング、「マーケティングの顔をした販促」はいずれ遠からず滅びるものと信じたい。


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*1:ニコンの当時のフラッグシップF5でも現在は5万以下のモノがそれなりに存在