お別れは出会いの始まり


Leica M7, 50mm Summicron F2, Fuji fortia


8月の末日をもって10年以上にわたって働いてきたプロフェッショナルファームを卒業した。


そしてその翌日から休むこともなく新しい会社に移ってもう三週間。未だにお世話になった人やクライアントさんに十分に挨拶が出来ていないことをとても申しわけないと思うが、どうも心と生活のリズムがまだreadyじゃないみたい。


明日、その長年働いてきた会社のフェアウェルパーティがあって、それで無事卒業、ということになる(企画や準備してくれている人たち本当にありがとう!)。「卒業」と聞くとかなり違和感がある人が多いかもしれないけれど、そのファーム(会社)はもともと一生働くようなところではなく、大体の人が何年かとか五年ぐらいでいい経験を積んで出て行くので、それを卒業といい、同じ釜の飯を食った仲間をalumni(卒業生)と世界中で呼んでいる。とっても心温まる言葉。


僕は実は一度その会社をアメリカで研究するためにきれいさっぱり辞めていたので、またこちら側に戻ってきた感じもする。早速卒業生のメーリングリストで色々と情報がやってくるのも楽しい。

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もともとクライアント先を渡り歩くような生活をしていたので、仕事移ってからも、実はそれほど大きな変化はないのですが、とは言うものの、これだけ連続でいろんな会議に出続けると、なかなか新鮮でもあり、少々疲れたりもする。


で、いろんなつまんないことに違いを感じて、新鮮さがあったりする。中には受け入れがたいこともあるが、大体は楽しい。


一つの気付きは、ミーティングと会議の違い。へっ?って感じかもしれない。これがどうも全く違う感じなのだから面白い。


一つ、『ミーティング』では発言しない人は存在している意味がないが、『会議』では殆どの人が発言しないし、発言しないことで、お前は時間の無駄遣いだから来なくてよい、とか、貢献しないやつは去れ、的な風圧を感じることもなく、ニコニコ帰る。


一つ、『ミーティング』では必ず論点が存在し、その結論とネクストステップに対する意味合いがクリアにならないと終わらないが(たとえ持ち越しになるとしても、その持ち越し方までクリアにする)、『会議』には取り立てて明確な論点だとかアジェンダがなく、代わりにテーマが存在し、それぞれについて散文的に議論する。もちろん方向性は大体明確になっていくが、ラップアップ(とりまとめ)は担当者のみが良く分かる形で終わる。


一つ。『ミーティング』では誰かが必ずボードの前に立ち、誰もが議論に意味のある参加が出来るように、また変なメモ取りに時間を無駄にしないため、論点や争点をクリアに落としていくが、『会議』では誰も立たず、従って、よほど議論していることを理解していない人は、議論についていくことも、論点をちょっと前のところに戻すことも(よほどの発言パワーを持つ者以外)出来ない。


とは言うものの、僕はある種、「新しい風」として呼ばれたところがあるので、なるたけ、染まらないようにして(笑)、自分が信じる生産的なミーティングをうまくやっていきたいと思っている。そう思って、この間、突然出ることになったある会議で、自分の頭の整理も兼ねて、一度ボードの前に立ってみた。そうしたら、そのときのメモどりに対し、僕の尊敬するある素敵な部長さんからあとで褒められた。何でもやってみるもの。:)

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もう一つの気付きは、自分が今までどれだけ豊かな環境で仕事をしてきたのか、ということ。ちょっと悩むといくらでも相談する相手がオフィスの中にも、世界中にもいたし、大体欲しい情報は、手の込んだものでなければそのままいくらでも手に入った。昨日のエントリじゃないけれど、世の中で流布していても、間違っていることなんていくらでもすぐに分かったし、アウトプット、すなわちクライアントさんの満足、クライアントさんへのインパクト、価値だけで自分の生活を自分で管理しているので、殆ど何も縛られることがなかった。縛りは本当にただ有限な時間だけだったと言っても良いぐらい。


今移った会社はとても面白い会社で、素敵な人や面白い人は随分沢山いるけれど、そういう問題解決を専門とする会社ではない、本物の事業運営を専門にする会社なので、とりあえず、一度自分を波にゆだねてみながら、話を聞いて、それでスタンスをどうとるか考えていかないと行けない。政治的なものが殆どないのは組織の美徳なのだけれど、それはそうとしても、いくら何でも誰でも捕まえて相談という訳にはいかないし(僕はこれまで通り、なるべくオープンであり続けるつもり)、自分が欲しいような情報はとにかく「ない」という前提で、目を皿のようにして探さないと行けない。


(以上を読んで、「あたりまえでしょ」という読者の方の声が聞こえてきそうだが、まあ僕はそういう専門的なお仕事と研究ばかりをやってきた人間なので、例え、殆ど毎日クライアントさんの会社に行きっぱなしの日々だったとはいえ、これはこれで新鮮なのです。)

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で、こういう環境にいるととてもフレッシュに感じるし、生きていることを本当に実感する。


今日の夕方は無意識にがんばっているからか、周りの人の熱い思いをずっと聞きすぎたためか、ちょっと身体が熱っぽくなって、帰ってきてしまった。ある種、長老化していて、そういう緊張感の低くなっていた、前の職場ではなかったことだ。それに気付いて、却って、とても幸せを感じてしまった。


毎日、沢山の新しい人との出会いがあり、沢山の新しい会話と想いを知り、人とこうやってしっかりと関わって生きていけることをとても幸せに思う。これで少し僕は若返り、またあと5年、10年と立ち向かっていける気がする。


そういえば、確か新婚旅行でグレートバリアリーフに行った時、リーフ内の珊瑚は海はきれいなのにどんどん死んでいき、外海(そとうみ)にさらされた外側の珊瑚こそが生き生きとどんどん成長していくのだと聞いた話を思い出す。生命の深いところに対して、本物のチャレンジやストレスが感じられなくなった時、それは僕にとっては新しい一歩を踏み出すべきタイミングということなのだろう。


なんだかつれづれなるままに、なってしまったけれど、ブログ本来の形って、もしかしたらこんなものなのかも。


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