未来は目指すものであり創るもの


Fujisawa, Kanagawa, Japan
Leica M (typ240), 1.4/50 Summilux, RAW


昨日のエントリでも引用した昨年春、情報処理学会誌の冒頭で書いた記事をここにも転載しておこうと思う。情報処理 Vol.58 No.6 June 2017*1

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3年前は講演で呼ばれるとビッグデータばかりだった。いまはAI(人工知能)とシゴトの未来、そして世の中の未来一色だ。国の審議会、委員会でも、未来についてばかり議論している。シゴトの未来、産業の未来、必要になるスキルの未来、AIの未来、などなどだ。

しかし僕らの多くは知っている。数秒後とかならともかく、未来の本当の姿など誰も予測できないということを。人工知能となんだか似た響きだけれども、ちょっと違う隣の分野に人工生命の領域がある。コンピュータ上でモデル化された生命がいて、これらが生き延びていく。突然変異も仕込めるし、捕食関係も仕込める。膨大な世代を繰り返し、進化する姿も見ることができる。とても興味深い領域の一つだ。

以前、ある教育系テレビ番組で流れていたが、そこでコンピュータ上の生命を何種類かおいて、それらがどのように進化していくかを見ていくと、初期値やモデルが同じでも毎回違う結果になる。まったく同じ結果は二度と起きない。多くの人にとって、これはちょっとした驚きだ。未来は予測できないということだからだ。シンプルにモデル化された世界でもそうであるということは、我々の生きているような遥かに要素が多く、入り組んだ世界であればもっとそうだということは自明だ。そもそも我々の生きているこの系(地球の表面)は必ずしもクローズなシステムですらない。太陽のフレアや地質変動などの外部影響を常時受けているからだ。

その番組に出ていた人の一人は「これって地球の歴史が繰り返されたとしても、二度と同じ人類は生み出されないということですよね?」と実にもっともな反応をされていたが、これは僕らの未来についても当てはまる。

もちろん、技術の進展の太筋の方向性は見える。たとえば、僕が今、産業化ロードマップづくりでかかわっている人工知能分野関連であれば、識別・予測から実行(作業)における暗黙知の取り込み、そしてイミ理解/意志likeな世界への展開などだ。ただ、これが生み出す未来は予測できない。

産業はそこにある課題とその課題を解決する技術、方法の掛け算で生まれる。課題がどうなるかが変わると当然のように中身は変わる。また実現するアプローチがちょっと変わるとまたまったく違う世界がやってくる。よく考えてみると、そんなことはiPodが生まれた2001年から僕らは知っている。ワクワクをカタチにする方法なんていくらでもある。でもどれが当たるかなんか誰もわからないだけだ。

でも未来は目指すことも創ることもできる。課題がある、技術がある。その組み合わせ方も、問題の解き方も自由だ。ダーウィンが言ったように、生き残るのは最も強い種ではなく、最も変化に対応できる種だ。そして一番いいのは、未来を自ら生み出すことだ。振り回されるぐらいなら振り回した方が楽しいに決まっている。

未来は目指すものであり、創るものだ。

*1:確か1200文字という相当の制限の依頼でしたが、締め切りギリギリのタイミングのとあるミーティングの隙間でぐっと書きあげた記憶があります。この内容、寄稿する以前から何年か言い続けてきましたが、今も変わらず大事な内容だと思っています。先日、モデレーターとして登壇したある場でも、前職の後輩でもあり大切な友人でもある朝倉さんが同じ趣旨のことを発言してくれていて、とても嬉しいなと思いました。