欲に駆られないマーケティングは可能か(1)


ブログを始めてこの数週間、これまでの人生とは比較にならないほど急速にかつ大量にブログを見てきた。マーケティング関連のブログもそれなりに見た。その中で一つ気になっていることがある。それはいずれも売らんかなのマーケティングの話が異様に多いことだ。そしてそのことにとても疲れと失望(あるいは今後への希望)を感じている。


マーケティングとは何か、の議論を始めると何がなんだか分からなくなると思うのだが、私はこれではあくまで30年前の理解の「販促=マーケティング」の議論そのものに見えてしょうがない。このブログ、あるいはカカクコムの口コミ欄のような一人一人の声が千人、万人に届くようになったこの時代にそのような、一人でもより多くただリーチしたい、リーチしたからには一つでも多く売りたい、というタイプのマーケティングの議論をするというのははなはだ根本的に時代錯誤ではないだろうか。しかも最も近代的な媒体の一つであるブログの上でだ。


僕はこの時代は嘘がつけない時代だと思っている。ついに、嘘をついてもしょうがない、広告をどれだけ打っても、本物の部分がなければ必ず化けの皮がはがれる、本当の何かがない限り、必ずそこの真実が露呈する、そういう時代が来たと思っている。このような時代において必要なのは、むしろいかにして一緒にこうやって自分の仲間としての一緒に何かを利用する人たちと、モノなりサービスのあり方を考え、一緒に盛り上げて、一緒に変えていくそういう動きなのではないだろうか。


バズマーケティングとかブログマーケティングという言葉が広まって久しい。しかし、その結果、本当に実を得ている人がどのぐらいいるのだろうか。口コミの研究は、1987年に出た森俊範先生の本以来、おこっては消えることを繰り返しているが、その本質がどの程度理解されているのか。私は、上のようなブログ活動などを見ていると非常に疑念を感じる。せっかくのブログの立ち上げなので、同士と思える人がいるのであれば、その人たちと仲良くなって、相互に興味を持てる人と共同の場を柔らかく持ちたいのだが、今のところそれはまだ夢のまた夢。共鳴できる人が未だに見いだせていないのがとても残念だ。


自分のエゴの追求として価値観や、美意識を売るのでも良い。でも、それとても賛同してくれる人がいないのであれば、商品やサービスの量産は出来ないし、ということはsustainableな(途切れず継続できる)ビジネスとして立ち上げることも、つまりエンドユーザに対し価値を提供し続けることも出来ない。それで良いのであれば良いが、そんなものは継続的に社会に価値を提供する事業としての存在価値はなく、売り逃げで消えるような間違った輩はむしろ消えるべきであると考える僕としては、堪え難いものがある。


自分はマーケティングに関わる限りは、ただしく、提供者側、売り手と、利用者側、買い手をつなぎたいと思っている。それがなぜ出来ないのか、そのためにはどうしたら良いのか、それを考えるのが真のマーケターではないか、それが出来ないのであればどのようなビジネス、商品にも継続的な発展などないと思いたい。


このためには単にニーズを拾うだけではだめだ。消費者すら感じていない真にこの世界に欠けているものを一つでも見つけ出し、共にそれを一緒に埋める働きが必要なのではないだろうか。そしてそれことが真にsustainableであり、本当の意味で事業として可能なのだと僕は思う。



(2)へ続く


    • -