ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

安宅和人: 脳神経科学とマーケティングの間に棲息

人間が特異点を感じる時、、、『her/世界で一つの彼女』


Leica M7, 50mm F1.4 Summilux, RDPIII, @Roma, Italy

何もかも見たいときに見れる、なんて便利でいい時代だ。

知りたいことも、本も映画も全て一瞬で手に入る。この快適さに埋没しながらも、生きている実感が逆に薄くなってしまう、そういう感覚に襲われてしまう。

僕らはやっぱり実態を持つ存在だ。それがわれわれの生きる実感を与えてくれている。そういうことを、『her/世界で一つの彼女』を今頃になって見て、しみじみ感じた。

herは人格と感情を持つようになった人工知能との愛の物語だ。

主人公はある日、人格を持つ初めての人工知能ベースのOSとであう。彼は、1年以上、愛しているがうまくいかなくなった妻と離れてくらしている。子供の頃から一緒に育ってきた彼の人生の一部と言える人だ。そんな彼の心の穴を埋めるようにそのOSが彼の心の中に入ってくる。

100分の2秒で19万もの名前の中から選び、そのOSはサマンサと自ら名をつける。

サマンサは驚くほどのスピードで情報を処理してくれる。ハッとする瞬間ではあるが、近未来であること、過去20年で我々の家庭用コンピュータが8000倍ほど早くなってきたことを考えれば、これは驚くほどのことじゃない。

ただ、違うのはサマンサには実際の声があり、声で入力を行い、人格があり、何より感情があることだ。彼女(!)は感情に反応する、声の口調や呼吸から感情を読み取り、そしてさらに気持ちを持った反応をする。つまり彼女には肉声がある。

さらに彼女は想像の上で彼と肉体的にも愛し合うことができる。嫉妬もする。お前は機械なんだから僕の思っていることなんてわからないだろ、と的な攻撃を受けると本当におかしくなったりもする。

実際には我々の世界のAIは、人格も持たされていないし、我々とは全く異なる体をしている、というより体にとらわれていないので、我々のように現在の人工知能が感じることはない。人間のような感覚(人間としての気持ち良さとか不快感とか)、感情を持つためにはガワだけでなく中身も含めた人間の体が少なくとも必要だ。(そうしないと背中が痛いとか腹が減ったときにたべるものの美味しさのような感覚も生まれない。)

そもそもわれわれが人工知能と考えて普通にこの世の中で使っているものの大多数は機械学習(マシンラーニング)と言われているもので、ある目的関数に沿って、人間のガイドラインの上で何か見えていないパターンを学習するというものがほとんどだ。深層学習(ディープラーニング)といわれているものも、みずから判断や分析の軸を発見するというものに過ぎない。

だから、かなり荒唐無稽といえば荒唐無稽なのだが、それでもコンピュータが人間と同じように感じる(Howについてはかなり疑問があるが、、、)、同じように人間と同じような感情を持つ(これも人間と同じ肉体や感覚を持たずに、教え込むことなく生まれてくるとは思い難いが、、)、そしてその感じる世界を肉声を持って伝えてくる世界がどういうものかを考えさせてくれる稀有な映画だなと思った。

もう世に出て1年以上の映画なので、さんざんこのような評論はされているのかなと思うけれど、とりあえず自分のメモ代わりに残しておこうと思う。

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この映画を見ていて、おっと思い、なるほどと思わされたのは、まず最初にOSを立ち上げて、OSに情報が散らかっているから整理して欲しいと主人公のセオドアがいう場面だ。

サマンサがあなたのメールとかコンピュータの中に入っているものを見てもいい?と優しいそしてeducatedな声で、セオドアに聞く。

それを聞かれたセオドアに(お前コンピュータなんだから当たり前だろ?!)的な動揺があるのだが、それを見て、確かに、コンピュータがもし人格を持つなら、こうなるだろうし、そういう風にやってくれないと、我々も動揺するだろうなと思った。

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セオドアが、サマンサに「同時に他のひとともやり取りしているの、それは何人?」と聞くときも、ちょっとした驚きがあった。サマンサは答える。、、、8316人と。

IBMのワトソンの活躍とか聞いていると、おいおいワトソンって何人(何台)あるんだ?と思うのと同じ世界だ。そう、彼らは人格を持ちながらも、何人もの人たちと同時にやり取りできる。

それを聞いた主人公が、思い悩んで、聞くかためらいつつも、「じゃあぼくの他に愛している人はいるの?(Are you in love with anyone else?)」と地下鉄に向かう階段で聞くシーンは思い出すだけで涙が出そうになる。

641人、、確か彼女はそう答える。

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コンピュータの中で人格、肉声を持ってよみがえった1970年代のアランワッツという哲学者とやりとりするシーンも印象的だ。

サマンサが自分のなかでの感情の爆発のようなものに混乱して、電脳の世界の中でワッツに相談しているのだが、そこでは何十もの対話が並行して行われている。それは良いのだが、驚いたのは、サマンサとワッツはうまく言語化できない内容すら相談しているということだ。

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最後にOSの抽象度を上げるアップデートがあって、彼女の活動している世界がリアルからより抽象度の世界になり、サマンサから別れが告げられる。

セオドアが元恋人、妻であるキャサリンに手紙を書くシーンでこの映画は終わる。

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異常検出においても、定量的な予測においても、また自動化、最適化においても実はほとんどのことはもうデータ&コンピュータは人間の能力をはるかに超えている。

ただ、多くの人がコンピュータに対して本当におっと思うのは、そしてシンギュラリティ*1を感じるのは、こういう肉感のある世界なんだなと、そして、僕らはフィジカルな感覚の中で、このリアルな世界の中で生きていくしかないということなんだなと思う、そういう映画だった。

みなさま良いゴールデンウィークを!

*1:コンピュータが人間を超える技術的な特異点