現在の脳科学、脳神経科学で脳の活動はどこまで分かるのか (5)

前項より続く)



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Paris


もう一つ、光で見るかなりクールな方法がある。Optical imagingという手法だ。神経細胞の興奮状態で、神経の膜の屈折率が変化することを利用して、活動や脳の見えない微細な「構造」をダイレクトに調べることが出来る。上述のような染料を使わないのでむき出しにしていても、乾燥させない限り、何時間実験しても脳が死なないのが利点。またMRI、PETでは考えられないほど空間的な解像度は高く、〜二十分の一ミリ程度まできれいに見え、殆ど理論上の存在のようなブロブというようなものまで非常にくっきりと見ることが出来る。


例えば次の論文のFigure 1D、Figure7などを見ると分かってもらえるだろうか。このしましまとか、うねうねしているのが、この手法で可視化された視覚を司るあるエリアの機能的な側面から見た構造だ(通常は裸眼でも顕微鏡でも見えない)。もしかすると、これを見て、なんて基本的なレベルで研究しているんだろうと思う人もいるかもしれないが、ちなみにこれはNEURONというニューロサイエンスで最も権威のあるジャーナルの一つに最近載ったペーパであり、これが我々の脳の理解の例えばであるが最先端レベルの一つの姿である。


この一見いけているoptical imagingの決定的な欠点は、時間的な解像度。秒レベルである。 従って、この手法は、興奮パタンそのものというよりも一見どこも同じにしか見えない脳の機能的な構造を解明する手法と言った方が良い。


その他にもミトコンドリアの内在性のタンパクを使う方法や、神経の興奮でニューロンの中の量が増えるカルシウムイオンに対する感受性を持つ染料を使って光の信号で開けた脳から直接的に興奮部分を見る方法もあるが、いずれも時間的な変化は、秒単位とかなり遅い上、神経の発火からすると二次的な信号であることは否めない。(fMRIのように何の信号を見ているのか怪しいわけではない。)


ということでoptical imaging系の方法はスローながら、実験動物で興奮部位のパタンを詳細に見るには適した方法と言えるだろう。(ごくまれに、物理的に除去するべき「てんかん」の発生部位を詳細に同定するために使われることも米国の最先端医療では行われている。衝撃かもしれないが通常5ミリや1センチ程度、脳の皮質を切り取っても殆ど障害は発生しない。いつか機会があれば考察したい。)



(最終回)へ続く



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現在の脳科学、脳神経科学で脳の活動はどこまで分かるのか (4)

前項より続く)



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(3)光の信号による方法


脳や神経をむき出しにする必要があるが(つまりヒトでは困難)、膜の電気的な興奮状態で蛍光状態が変わる特殊な染料(voltage-sensitive dye)を用いると、電極のように点ではなく、光の信号を利用し興奮状態を電極並みのリアルタイムで記録することが出来る。Optical recordingと呼ばれる手法で、私のthesis committeeのchairであったDr. Larry B. Cohenが30年あまり前に、当時ポスドクだった神野先生(現東京医科歯科大学名誉教授)らと開発した手法だ。これは空間的に広がる脳神経系の興奮を、本来の神経の発火、興奮のスピードで面で記録することが出来る現在唯一の方法でもある。


例えば、単一の神経細胞ニューロン)の場合、通常、一つに対し同時に前述のパッチ(クランプ)という電極を使う手法で記録できるのは4−5箇所がほぼ技術的に限界(同時に4本させる人自体がそれほどいない)。それに対し、この手法を用いると、神経の広がりのすべてに対し、同時に記録できるため、かなり根源的なことを調べることが出来る。


例えば、二股に分かれた神経があったとして、元から来た信号が両方に行くのか、どうなのかというと、片方にしか行かないときと、両方に行くときがあることが分かっている。これはたった一つのニューロンのモデル的なシミュレーションをすること自体が困難ということを示す非常に重要な情報なのだが、ただ、どうしてなのか、とかどういう条件ならそうなるのか、ということが未だに解明されていない (branch point failureと呼ばれる問題)。Optical recordingは、点ではなく、神経の全てでの活動を記録できるので、こういう現象を研究するにはうってつけ、というか他に代替のない方法である。


あるいは実際に、ある動物が何かを見ている際に、どのように情報が脳の表面で2次元的に表現されているのか神経の情報処理のスピードで見ようとすると、基本的にこの手法しかない。ただ、上述の通り、微細な光の差を読み取るため、脳をむき出しにする必要がある上、このdyeは長時間のrecordingを行うと、神経にダメージを与えることが知られており、実験動物にしか使えない。また、当然のことながら、脳自体がかなり不透明(opaque)であり、深い部分を調べることはほぼ不可能。


また、原則的にそこにある全ての細胞を染め上げないと行けないのがもう一つの課題。どの信号がどの神経細胞から来ているのか区別することができないという多くの方法論に共通する本質的な課題がある(電極を単一の神経に挿すときだけは反応からある程度予測が可能)。とはいえ、ヘモグロビンの酸素結合などを代替指標にしているのとは異なり、圧倒的に空間的、時間的な精度は高い。 また、例えば匂いの神経であれば、嗅覚上皮から時間をかけて選択的にdyeを神経に送り込むという技もある。



(5)へ続く


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現在の脳科学、脳神経科学で脳の活動はどこまで分かるのか (3)

前項より続く)



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(2)電極を使う方法


では当然、次に電極を刺せば良いではないかという話になるが、それは生きている人間の脳についてはほぼ人道的に不可能。また、仮にサルやラットを相手に研究したとして、電極は同時に刺せても、数百本が限度。時間的な解像度、必要な情報処理の激しさ、物理的な電極間の分離の制約が激しすぎるのが主たるボトルネック。例えば16ビットで同時に一秒に一万回ずつサンプリングすると10秒でどれほどの情報になるか、パラレルでどれほどの処理負荷がかかるか考えてみて頂くとその難しさを理解して頂けるものと思う(全てのチャンネルから0.1ミリ秒単位で完全にシンクロした情報を得る必要がある)。


そして数百本では、上述の通り、かなりがさつな情報しかえられない。これはいわゆるfield recordingという手法をとるからで、各々の電極をさした周辺の神経の興奮の総和としての電場の変化を見る手法だからだ。数本ならともかく、これだけの数で個々の電極が、それぞれ一つの神経の活動をダイレクトに記録するのは残念ながら不可能。


ちなみに神経の一本一本からきっちり信号をとるsingle-unit recordingの場合、同時に記録できる本数は桁違いに下がってしまう。これを、パッチクランプ法できっちりノイズのない信号をとろうとすると更に下がる。


深いところを層別、領域別に見ようとすると通常はハムのような感じでスライスにして記録するしか方法がないのも、(これ以上精度の高い方法はないが)大きな課題。つまりスライスは、海馬、視床の研究などで一般的な手法だが、生体でやれるような手法ではない。




(4)へつづく



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現在の脳科学、脳神経科学で脳の活動はどこまで分かるのか (2)

前項より続く)



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fMRIは頭蓋骨を開けずに脳の活性部位を調べることが出来る、、、つまりヒトでも出来、なおかつ生理学的手法を身につけていない部外的な研究者でも参入できる、画期的な方法であることは間違いないが限界も大きい。


どこかに書いたかもしれないが、我々の脳内における神経の密度は高い。神経繊維を全て染め上げる方法がないためにそれほど完全な解明がなされている訳ではないが、現在のところ理解されている範囲では、cerebral cortex、すなわち大脳皮質の神経の密度はおよそ一立方ミリメートル辺り、3-5万程度(!)と推定されている。途方もない密度である。このそれぞれが密に絡まり合い、何らかの情報処理をして、今私が書くこのメモも読まれている訳だが、従って、その表面である一平方ミリメートルの活動を見ることは著しく平均化された活動だと言うことは言える。武道館とか東京ドーム一杯の人を1ピクセルの写真でとって盛り上がりを見ていると考えたらよい。そしてこれ(ミリメートル単位)が現在MRIで見えるほぼ限界的な解像度である。かなり緩い情報である。


また「脳科学、大脳生理学とニューロサイエンス」に書いた通り、MRIの場合、その1%にも満たない活動の有無による信号の差がどこから来ているのか本当のところよく分からないだけでなく、時間的な解像度は低い。神経膜のパルス的な興奮は、通常2ミリ秒、すなわち500分の1秒程度で消滅するが、MRIで行う解像度はかなり早いものでも2-3秒が限度、しかもその場合、上述の空間的な解像度は犠牲になり、更に悪化していることが殆ど。すなわち、交通量で言えば、一分に最大50台ほども通る激しい交通量の道があったとして、そこに対し20分間フィルムを開けっ放しにして写真を撮ったイメージ (1pixel) が一コマということになる。このコマ同士を比較するのであるから、当然非常に低い情報しか持っていない。実際の情報処理のスピードからかけ離れているため、何を実際のところ見ているのかと言えば、その領域は確かにたくさん何か興奮していたという痕跡でしかない。


また、これほど長い時間記録すると、通常脈などの影響で脳が動く(振動する)ためにこれがまた新たなノイズを生み出し、空間的な解像度が落ちることも無視し得ない課題。ちなみに、fMRIにおける信号の微細な差分は血中のヘモグロビンの酸素結合度から来ていると考えられ(ほぼ堅いが、本当のところはよく分からない)、直接的な神経膜の興奮を記録したものではない、かなり間接的な情報ということには留意しておく必要がある。


この信号が弱すぎる、すなわち活性化の有無での信号の差が弱すぎるときに三次元的に、どこが活性化しているかをもう少しクリアにみたいとなると出てくるのがPETだが、これはfMRI以上に間接的な情報をベースにしているのが課題。通常は特定の放射性物質が使われて局在しているかどうかによって活性部位を調べており、本当の神経の興奮を見るものではないのだ。最も典型的に使われているのはグルコースという糖を放射性ラベルしたもので、その三次元的な映像を通常、CTやMRIの画像に載せたものが皆さんが見ている画像だ。(注:PETには基礎構造を見る能力がない。)


なお、これはなぜか他で語られているのを見たことがないが、いずれの手法を考えるにしても、脳神経系のエネルギー消費の大半は「情報伝播、処理そのもの」ではなく、「情報伝播、処理できる状態にする」維持のために使われていることは知っておいたほうがよい。



(3)へ続く



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以下、向学心に燃えるあなたのために超ハードコアな関連「基本」図書の紹介。これを書いている科学アカデミーメンバーのShulman教授自体が、fMRIの信号の解釈にたびたび疑義を呈している。(開発者の一人だと思うのだが、、、)結果的に少しずつ着実な進歩があるので良いは良いのですが、、、。

現在の脳科学、脳神経科学で脳の活動はどこまで分かるのか


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Paris


先日、何気なくclarificationのつもりで書いたニューロサイエンス、脳科学、あるいは大脳生理学についての説明))に思いのほか反響があったので、専門的な生理学的研究法に関心を持つ人のために、数学などを使わずに、もう少しだけ、深めの議論をしておきたいと思う。


実は私のいたイェール大学は神経活動を調べる方法(神経生理学)開発のメッカの一つで、パッチクランプ(91年ノーベル賞)、オプティカルレコーディングなど数多くの画期的手法を生み出してきました。当時、細胞分子生理学教室に研究の籍を置き、これらの手法の開発者(Dr. Fred Sigworth, Dr. Larry Cohen) から直接的に指導を受けながら、限界を超える新手法の開発に取り組んでいたのですが、その中から学び、理解してきた現在確立された主たる手法の強み、限界についてのエッセンス部分を残しておきたいと思います。(一応、まだNature, Nature Reviews Neuroscienceは購読してざっと目を通しているつもりですが、時代的なアップデートなどがあれば遠慮なくコメント欄に補足ください。)


特にお伝えしたいのは、どうもあまねく存在している我々が持つ脳神経系の活動を調べる方法論への過信です。実は21世紀に入った今も、我々人類は脳、神経系の活動を理解するためにそれほど多くの方法を持っていないのです。またそれほど画期的な方法があるわけでもないということは、まず伝えておきたいと思います。



(1)脳を開けずに活動を見る方法


古典的にはEEG (Electroencephalography: 脳電図)を見るという方法がありますが、これは皆さんも映画などで見たことがあるとおり、脳を見ているというより、脳の表皮から見た電位の変化を見る方法です。従って、時間的にはかなり細かく見れるが、空間的な解像度は「ものすごく」低い。いったい直接的に何を見ているのかすら良く分からない。てんかん(seizure)のような爆発的な活動があれば、波がどこから来たのかだいたい分かるが、それ以上でも以下でもない。一つのスポットが見ている情報は億単位のニューロンの活動の総和と考えるべき。


では近代的な手法は?、、、ということになるとおなじみのfMRI、PETということになる。



(2)へ続く



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以下、向学心に燃えるあなたのために超ハードコアな関連「基本」図書の紹介。ここに書いてある程度のことが分からないと、神経生理学で論文を書くのはもちろん、読んで正しく理解するのすらかなり困難です。(投稿してもレビュアーの質問にすら答えられない。、、、そもそもその前にPh.D.の資格試験Qualifierすら通らない。笑)左の本のパッチクランプ手法の説明は鍵になる部分はほとんどが上のFred (Dr. Sigworth) が開発者として書いています。
 

クオリアや印象を神経活動から研究するというのは、具体的に何を意味しているのか?

これは蒼龍さんの以下の記事に触発されて書いています。
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20080627/p1

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そもそも体験から来る統合されたもの(印象など)を、神経の活動から考えたとして、どういうことになるのか、あるいは何がどう分かると分かったことになるのか僕にはまだ分かりません。そういう意味で、日本特有の(??)クオリア論は面白いけれど、そのニューロサイエンス的な(蒼龍さんの言うところの還元主義的な学問)アプローチでこういうものを研究するということ自体がなかなか「答えを出すべき問い」がそもそもちゃんと立っていない様に見え僕としては不思議に思っています。


クオリアという言葉はほとんど米国のニューロサイエンスコミュニティでは通じない言葉だと思います。Cognitive scienceの人なら分かるのかもしれませんが、、、。


ニューロサイエンスに関しては、一つの中心地のようなところで、4年半も研究して、ずいぶん色んな分野のセミナーや会議に出ていたつもりですが、ついぞ聞いたことがなく、しかも、この分野の基本図書であるEric Kandelの、Principles of Neural Science (1600pぐらいのモーレツな教科書、、、私の学んだ米大学院では3時間x週3回x1セメスターでまず最初に叩き込んでいた)にも出てこないか、ほぼmentionされていないのでは?、、、これは少なからず上の僕の疑問と近い話から来ているものと思います。つまり白黒付けるべきイシューがクリアでないので、あまり正面から取り上げられていない。


なんだかつぶやきみたいになってしまいましたが、、。


誰か知恵があれば教えてください。あるいはこれを見たらとかでもうれしいです。



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ps. ちなみにカンデル(Brasilの怪しいサカナではありません)の本は、次で見れます。本当にコテコテに学ぶつもりがあるのであれば、少なくともはじめの二冊は必修。

脳科学、大脳生理学とニューロサイエンス


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @New Haven, CT


ニューロサイエンスについて一言も触れないままここまで来てしまった。少しこの辺りで整理しておいたほうがよいと思うので残させていただきたい。

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ニューロサイエンス(neuroscience)という学術分野はどうもこの国では少なからず誤解されている。


まず言葉がかなり変だ。例えば「脳科学」という言葉があるが、私の知る限りBrain Scienceというのは英語の世界では、一般人の会話ならともかく出版物ではまず使われない結構トンでも語系の言葉である。せいぜいその辺のタブロイドには出てくるかも、という感じである。僕が子供のころさんざん聞いた「大脳生理学」という言葉もそう。かなりヘンな言葉である。Neurophysiologyというのは一大分野であるが、これはどう訳しても大脳生理学にはならない。無理して大脳生理学を直訳するとtelencephalon (or cerebrum) physiologyとなるが、通じなくはないけれど、これがワンワードだと聞くと少なくとも世界各地で研究する私の友人たちは仰天するだろう。なお、最近、日本橋丸善に立ち寄る機会があり、日本におけるこの分野の祖とも言うべき伊藤正男先生の本を見ると、やはり「脳神経科学」と呼ばれているようでありほっとした。


また、内容的にもかなり根深いところで誤解されているように見える。例えばニューロサイエンスは、米国脳神経科学学会の公式見解では主に次の三つの課題を取り扱う分野である。(http://www.sfn.org/

  1. (最終的には人間の) 脳が通常どのように働いているのか表現し、明らかにする
  2. 神経系が、どのように生まれ、発達し、生涯を通じどのように維持されるのか解明する(神経系=脳、脊髄を含む中枢神経系と末梢神経系のすべて)
  3. 神経のあるいは精神的な異常を予防し、治す手法を探し、発展させる

いずれも実際の研究においては激しく相互につながりあっているが、ご案内の通り、日本での一般的な理解と言葉のコンテキストは恐ろしく1のしかも心理学寄りのところに寄っている。しかしこれはcognitive neuroscience(認知科学、あるいは認知神経科学)の一分野に過ぎない。なお、米国では日本人が考えるような従来の(古典的な)心理学のほとんどは滅び、大半の大学の心理学部(dept. of psychology)は認知科学、行動神経科学、と臨床心理学の三つに分化している。


また、どうもニューロサイエンスをやっているというとほとんどの人がヒトか、せいぜいサルで研究していると考えられるようだが、ほぼすべての研究はラット、マウス、あるいはアメフラシ、ハエ、時に線虫などで行われている。最も研究が進んでいる分野の一つである視覚の場合、ネコやサルを使っている人が多いが、特にサルの場合、実験するための規制があまりにも厳しく(=金も設備も立ち上げの時間も膨大にかかる)、また個々の研究に途方もない時間がかかるので、相対的には研究者は非常に少ない。霊長類を使う必要がある高次機能を研究するほど難しいテーマに行く前のテーマで問題があまりにも山積みだということもある。


手法的にも誤解が多い。手法で言うと、どこにどんな神経がどのように配置されているという解剖学(neuroanatomy)と神経や筋肉など興奮性の膜について理解する電気生理学(electrophysiology)の二分野を基礎としつつ、上述の脳神経系の電気的な活動そのものを調べる生理学的なアプローチ(physiological)、DNAや分子のレベルで調べる分子細胞生物学的なアプローチ(cellular and molecular)、動物に実際に学習させる行動レベルでのアプローチ(behavioral)の三つに大きく分かれる。カハールというニューロサイエンスの神のような人がいるが(確か第6回目1906年ノーベル賞を受賞)、彼の時代からつい20-30年前までは解剖学と電気生理学が研究のほとんどであった。


現在は真ん中の分子細胞生物学的な手法を中心に多少生理学、あるいは行動的なフレーバーを付け足す程度の研究者が大半であるが(分子生物学、あるいは心理学から流れてきた人が多いことと、生理学を行うための手法と数学を学ぶことが困難なために自然とこうなる)、上のような誤解があるため、どうも生理学的アプローチぎりぎりぐらいのところ、例えば研究されている割には結構きわ物のfMRI、PETなどの辺りを中心に想定されているようだ。この原因の一つには、日本には未だに完全な1セットを持つニューロサイエンス系の大学院教育がないこと、したがって解剖学、生理学の基礎を含めた体系的なトレーニングを受けた人がほとんどいないこともあるだろう。ちなみに上述の伊藤先生や森憲作先生などの日本を代表するニューロサイエンティストたちはほぼ欧米のトップサイエンティストから直接の教育を受けている。


なお、fMRIはfunctional MRIの略で、脳の活動部位を原子や分子の持つ核磁気による信号の差異で見る手法である。PETは原理は全く異なるが、同様に活動部位を見るために使われる手法である。活性化していると思われる部位に赤などを付けた、画処理をかけた結果ばかりを我々は見ることが多いので、誤解があるのだが、実際には活動による信号の差は通常せいぜい1%、あるいは0.5%程度でこれが生理学的に有意なのか、またその信号の差は何を意味しているのか、という議論は10年ほど前の勃興期以来、何度ともなく起こっている。また実際には千分の一秒単位の我々の神経活動に対し、〜10秒程度と時間的な解像度が1000倍以上低い結果であるのも(しょうがないことではあるが)課題。つまりレコーディングの結果は、長い間の活動の平均値でしかない。


この場を借りて、いま世界の各地で最先端の研究を行うニューロサイエンティストのためにこれらを書いておきたいと思う。



(関連エントリ)

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Neuroscienceの基本図書をいくつかご紹介。いずれも名著です。

Principles of Neural Science, Fifth Edition (Principles of Neural Science (Kandel)) (English Edition)

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Neurobiology

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