Brazil 24:ブラジルで出会った食べ物たち(1)

Brazil 23より続く)


魚に引き続き、野菜だ、果物だ、スパイスだ、と見て回っているうちに、ブラジルで口にした物の一つ一つが味蕾の上に立ち戻って来ては去る。野性味に富み、精妙で、強く、それでいてやさしい。

ここで、これまで触れることの出来なかった食べ物・飲み物について少し触れておくのも良いのではないかと思う。なおこれは非常に限られた日数における、一外国人旅行者の口と喉を通り過ぎていったものの記録であり、個人としての偏見や好みを大幅に反映したものになることを最初に但し書きしておきたい。


アグア

この国の水は実にうまい。透き通り、芯のしっかりし、どことなく硬質で、時に甘さすら感じる水である。無垢さと、汚れを知らぬ純潔がそこにはある。アマゾンはあらゆる病原体の巣であるから生水は絶対に口にしないように、と、旅立つ前、大学の健康センターのトラヴェル・サービスでワクチン接種をしてもらった際、ドクターから、しっかりと、冗談を許さない真剣さで言われたことが頭にあり、ついにアマゾン川の水を口にすることはなかったが、それすら滅菌フィルターで濾過し、一度沸かせばさぞやおいしいのではないかと、アグア・ミネラル(ミネラル・ウォーター)を口にするたびに想像させられた。店で買うとき、必ずガス(炭酸)入りかどうか聞かれるので、前にも書いたが、セン・ガス(ガス無し)、コン・ガス(ガス入り)の言葉を覚えておくこと。


ラランジャ

英語で言えばオレンジ。ただアメリカと違って、ここで売っているのは半分青い。それをブラジル人は絞って飲む。安い。百個で八リアル(約4百円)。ジュースなんて誰も買わない。サンパウロで一番大きなスーパーに行っても売場は本当に小さい。山根先生は、かつてオレンジジュースは日本から離れるほどうまくなる。日本よりアメリカ、アメリカよりブラジルといっていたが、これはどうも本当である。何しろ新鮮きわまりないのを但しぼりたいだけ絞ってるのだから。どうもいつもアメリカで飲んでいるフロリダ産のフレッシュなやつよりも(アメリカにはただ絞っただけのジュースがボトルに入れて売っている。トロピカーナ・ピュアプレミアムの数倍うまい)甘すぎず、ずっと自然で無理のない味がする。ブラジル人の人柄に通じるものがある。


パパイヤ

ブラジルの朝ご飯はこれ。サンパウロでもフォス・ド・イグアスでもマナウスでもずっとそうだった。この実を二つか三つに割ったものをスプーンですくって食べる。タネ付きのとタネを取ったものが出される場合とがある。実は通常非常に熟し、柔らかく、口の中で溶ける。かすかな酸っぱさと蜂蜜に通じるような甘さの絶妙な調和。アメリカに帰ってきてから、恋しくなってハワイ産のパパイヤを買ってきて食べたが、固くて、味のふくよかさがなくて、同じ果物とは思えない。値段も異常に高い。ブラジルだと、四つで五十円ぐらい。アメリカだと一個二百円ぐらい。東京だと??、想像も付かない。なおタネも一緒に食べると何だかスパイシーな感じがする。始め胡椒の実が載っているのかなと思っていたぐらい、独特のコンビネーション。ただこうすると量は食べられない。みんなどうしてるのかな、と思ってみると誰もタネは食べていなかった。


(この項続く)


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写真説明
1. 山積みのラランジャ

2. パパイヤ。このみずみずしさ。

3. メルカドの中の人たち。生が横溢する。


Brazil 25へ続く

(July 2000)


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旅に出たくなったら

Brazil 23:マナウスの胃袋、、、メルカド

(Brazil 22より続く)


マナウス最終日、朝。

メルカド(市場)へ出向く。どんな町でも、その匂いを知りたければ、その本当の力を知りたければ、メルカドに行かないといけない。築地を歩いたことのない人など、東京を知っていると言えないのと同じだ。

マナウスメルカドは、マナウスの町の真ん中、ネグロ河沿いにある。端に、メルカド・ミュニシパル(中央市場)なる建物が建っているが、これは何というか観光客向けの小さな箱。その横に、巨大な箱がいくつも並んでその下に、マナウスの百万の口を満たす市場がある。デカイ。路上にまで人と熱気が溢れ出ている。


肉、肉、肉、そして肉。

入ると目の前にあるのはひたすら肉。あばら一本でいくら、この固まりでいくら、そういう売り方をしている。湯気が出ているような生々しさ。見たことのない量と、その生々しさに胃の辺りがむかむかしてくる。どうみても冷凍した肉ではない。さっきバラした牛の肉だと直ぐに分かる。ここはアマゾンだ。冷凍なんてしたら高くなるに違いない。こんな新鮮な肉を食べていたのか、うまいはずだ、と納得する。そしてこのむき出しの横溢する生こそが、文明の名の下に隠され、向き合っていない現実であることを実感させられる。我々人間が、文字を持ち、多少なりとも知恵を蓄積できるようになって高々一万年。近代科学の誕生からわずか数百年。人間は本質的には何も変わっていないのだ。動物を殺し、植物を殺し、それを取り込み、その上でようやく生きている。それが生きるということの根本的な事実なのだ。なのに我々は血を隠し、死を隠し、生を隠す。すべての食い物はモノではない。生き物なのだ。どちらが本当に豊かな生き方なのだろうか。どちらが生きることに正しく向かい合った生き方なのだろうか。人はパンのみにて生きるにあらず、と古人が言ったときの、そのパンという言葉の重さを自分たちは分かって生きているのだろうか。

目の前でおばちゃんが肉を買う。スーパーのプラスチック袋の下三分の一ぐらいにどんと大きな肉をいれてもらう。安い。数リアル(約二百円)。アメリカの肉は安いと思っていたが、ここに比べればぼったくりだ。そう言えば、この国では、軍事政権であろうが、右翼であろうが、左がかっていようが、肉の値段を少しでも上げた政権は、その日のうちに倒れると前に聞いたことがある。ジョークだと思っていたが、どうもそうとは言ってられないようだ。しかしおばちゃん、あんなに沢山の肉、どうすんの?


しばらく行くと次は魚。トクナレが文字通り山のように並んでいる。その横に、何だか見たことのない巨大な鮒(フナ)?の様な魚が転がっている。見た目は鮒だが、大きさは一メートルぐらいもある。体の厚みが四十センチかそれ以上。オパ!?アマゾンは鮒もこんなに大きくなるのか、と思ってみていると、レスラーみたいな力自慢の魚屋のお兄ちゃんが、出刃包丁で背骨沿いに半分に叩き割ろうとしている。一心不乱、怪力をもって割ろうとしているが、とにかく大きくて割れない。何度もやる。やっと包丁が頭の奥ぐらいまで入るようになる。ガンバレ、ガンバレ、と手を握りしめて見ているとようやく割れる。お疲れさま。身は動物の肉のように赤い。何だこれは、と聞くと、タバキー!と威勢の良い声。魚屋はやっぱりこうじゃなくちゃ。しかしあの魚は何なのだろうか?草食なのか、それとも肉食なのか?鮒と関係はあるのか、ないのか?釣ろうとして釣れる魚なのか????

そのうち虎のような模様をしたスルビンが現れたり、肺魚のような図鑑でしか見たことのないような魚がいたりで、世界怪魚・珍魚図鑑を見ているような気分になる。けれど、我々の基準で変に見えると言うことは、彼らの基準では我々の通常見ている魚が変だということでもある。アマゾン川一本で世界中の川全部の何分の一に匹敵することを考えれば、どちらがおかしいのかは、容易に言えないのである。織田信長(だったよネ)は初めて黒人を見たとき、おい、こいつを風呂に入れてやれ、といったそうだが、笑い事ではない。

この膨大な量の魚を目の前にすると、こんなに毎日捕って、良く魚が続くものだと驚く一方、河の将来を心配する。最近、Natureに、 養殖漁業をいくらしても、結局海の小魚をそのエサに使っている限り、自然の保護には全く役立たない、自然は同じように壊れる、という今後は養殖に期待するしかないのか、と思っていた身には全身から力が抜けるような論文が載っていたが、このアマゾンでは誰も養殖すらしていない。ただ捕るだけ。統計などあるとは思えないが、ここの魚の捕獲量は年々(あるいは毎月)少しずつかもしれないが、確実に、着実に減っているに違いない。でも、こんな海みたいな河を見ていたら、そんなこと露も思わないだろうナ。この残された時間の内に、アマゾンにレイチェル・カーソンが現れることを祈らずにはいられない。あるいは僕がなる?


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写真説明

1. マナウス肉屋三代。


2. タバキーとブッチャーのような魚屋のお兄ちゃん


3. メルカドに運び込まれる魚たち。アマゾンの恵み。


Brazil 24へ続く

(July 2000)

Brazil 22:アマゾンでの宴の終わり

(Brazil 21より続く)


舟で帰る途中、ある立木の奥に立ち寄る。丸太の柱が何本かあり、その上に青いプラスチックのテント地が張ってある。マナウス周辺の釣りバカ達が夜を徹して釣りに来るときに泊まる場所らしい。約五メートル四方。しかし、こんなところに泊まって怖くないのかネ。

おっさんが、靴を脱ぎ、ズボンをまくって、水の中を渡る。トイレだという。そう言えば、十時間以上、ただ舟か車に乗っていたことを思い出し、僕も渡る。柔らかなアマゾンの土が足の裏を包み込む。

開かれた地面の上で用を足し、戻ると、お兄ちゃんが渡る。ふと横を見ると、水辺のミネラル・ウォーターのプラスチック瓶が目に入る。、、、こんなところでまで、人は、自然を傷つけている。、、、それらが残像のように、頭に繰り返し反射しつつ、巨大な湖面を我々は戻る。いずれ枯れ木はなくなり、果てしない海原になる。

到着。すでに夕方。船頭のお兄ちゃんと握手をし、別れる。彼の純朴な笑顔に打たれる。


ジャングルで用を足せなかった妻の不機嫌が天に沖する前に、車に乗ってまもなく、発電所のダムの見張りの建物に立ち寄ってトイレを借りる。建物といっても一部屋と手洗いしかない、コンクリートの箱である。待っている間、そのダム番のおじさんと話をする。通訳はガイドのおっさん。

「こんなところで一人でいるのか?」
「そうだ」
「こわくないのか?」
「怖いも何も、ここにいるときは鍵をかけて中でじっとしている」
「?」
「この辺りにはオンサ(ジャグアー:豹)が沢山いて、迂闊に外を出ていたら喰い殺される」
「!?!」

そんなことを朗らかに笑って言ってのける。では何故門番が必要なのか、という根本的な疑問は解き明かせないまま、オブリガード(ありがとう)と何度も言って去る。ニーチェは「男が熱中できるのは遊びと危機だけだ」と言ったというが、確かにさっきの森のはずれに泊まる釣りバカ達は遊びに命を懸けている。そう言う自分もあまり人のことなど笑えない、ン?


知らず辺りは闇になり、その中を車は走る。その闇と共に、これまで目を向けないようにしてきたあのことが、背中に、肩の上に、心の上に、広がってくるのに気付く。もう釣りは出来ないのだ。アマゾンももう見れなくなる。このあとサンパウロに行き、そしてニューヨークだ。また、あの都会が、どこに言っても変わらぬ、あの匂いと、圧力と、熱と、狂気の世界に戻らないと行けない。野生はもうない。サルたちの叫び声もない。地面から立ち昇る生気もない。滅菌された世界に、猥雑な生命力のかけらもないあの世界に。

憂愁とも、悲しさともつかない思いが、全身の力を抜きにかかる。


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写真説明

1. ジャングルの中のトイレ。濁水の中を恐る恐る進む。
(すいませんファイル、フィルム共に発見できません。発見次第アップします。)


2. 水辺に浮かぶプラスチック・ボトル。


3. 釣りのあとの記念撮影。



Brazil 23へ続く

(July 2000)

Brazil 21:緑と金の跳躍

(Brazil 20より続く)


「オパ!」

おっさんが声を上げる。竿先が水面に吸い込まれている。ど素人のうちのかみさんにまで釣られ、これまで面目丸つぶれだった彼にも遂に僥倖がやってきたようだ。強い引きだ。糸を出したり巻いたりしたりしながら格闘している。水面が割れる。美しい円環が、金と緑のストライプが、飛び出す。トクナレだ。大きい。跳ねる。そこを何とか竿を押さえてくいとどめる。それを繰り返しているうちに魚が近づいてくる。揚げる。四十センチはある。

やられた。これまでピクリともしなかったおっさんの紅白の正月ルアーに遂に魚がかかる。しかもマン(大人)・サイズのトクナレ。おっさんが破顔する。会心の一瞬。おめでとう、と呟くが、心には悔しさが襲ってくる。何としても自分もマン・サイズのトクナレを釣らなければ。それをしなければ帰れない、そういう気持ちが全身に漲ってくる。プレタを何匹となく釣り上げ、トクナレも小さいながら釣って、満たされ気味であった自身の深い部分に火がつく。


五分、十分。突然、僕の竿に電撃が走る。来た。強い。プレタの引きではない。何だ?巻く。糸が出る。ゆるめないように気を張る。そしてまた巻く。突如、アマゾンの濁水が裂ける。美しい緑と金の羽が跳躍する。

「タ・クナ・レー」

おっさんが歌うように口に出す。マン・サイズだ。昂揚が全身に満ちる。本物の震えが腕に走る。強い。跳躍したかと思うと潜る。潜ったかと思うと跳躍する。素晴らしく良く闘う。そして何にも増して美しい。この瞬間が永遠に続いて欲しいものだと願う。その一方で何とか揚げねばと考える。何度目だろうか、奴が跳躍ではなく潜水に戦術を変える。そこで力の勝負となる。糸を衝撃で切られないようにドラグを何度となく調整し、ついに奴が目の前の水面に姿を見せる。アマゾンの勇者ここに落ちる。


その時を分水嶺に、僕だけでなく、おっさん、お兄ちゃんにも立て続けにトクナレが掛かるようになる。揚げては外し、揚げては外す。それを繰り返しているうちに、特に歯があるわけではないトクナレの口で親指の腹がぼろぼろになる。

この河の信じがたい豊かさ。わずか二十メートル四方ほどのこのポイントでどれだけの魚を揚げただろうか。これらプレデター(predator;捕食者)と呼ばれる、肉食性の魚を一匹養うには軽く五千匹の小魚は必要だろう。それを考えると、一体この水の中にはどれだけの魚がいるのだろうか、水の全てが魚で埋め尽くされているのではないか、そういった思いが巡る。確かにポイントは大事だ。しかしそれにしてもこのような先史的な釣りを体験すると、アマゾンの豊穣さに胸が打たれずにはいられない。それと共にいつまでもこの豊かさが残って欲しいものだと強く願う。先ほどから時折現れる、大きな魚に追われて水面を跳ねるように逃げる小魚の一匹一匹が愛おしくなってくる。


勝利の船は帰る。枯れ木の群れにさよならを言う。アディオス。また会う日まで。


写真説明

1. マン・サイズのトクナレとおっさん


2. どこにも傷のなく、どこにも垢の付いていない瞬間


Brazil 22へ続く

(July 2000)

Brazil 20:金色のトクナレ

(Brazil 19より続く)


ピラーニャのものすごさに唖然としているうちに、あの重戦車のようなプレタとは全く異なる、高レスポンスカーのような引きが唐突にやってくる。グーン、グン、と大きなリズム。それを見ておっさんが、

「タ・ク・ナ・レー」

と言う。ホンマかいな? そう思いながらやりとりをしていると、突然濁った水が割け、金色(こんじき)の円環が跳躍する。トクナレだ。間違いない。おっさん見直したゼ。思わず手に力が入る。少年の日々から数え切れない程夢を見た瞬間が今眼前に広がり、自分の両手の中にゆだねられている。巻く。逃げる。しかし、それほど大きくないので、持ちこたえて上げる。美しい。中学生サイズであるが、トクナレはトクナレ。小さな円が完結する。腕の中の血が踊っている。


ホッとしているのもつかの間。これまで傍観一方だった我が妻の竿に異変が起こる。ものすごいしなりだ。リールから糸が出ている。さっきまでの根がかりとは違う。魚だ。間違いない。しかも大きい。明らかに彼女に持てる限界に近い力がかかっている。魚は船と逆の方向に走ろうとしたかと思うと、下に、そして右に突き抜けようとする。今度は左だ。

とにかくゆるめるな。無理でも少しずつ巻け。向こうが暴れたときには耐え、休んでいるときに少しでも巻け。そう指示を与える。彼女も必死である。泣きそうな顔をして踏ん張っている。見かねて(竿を)持とうか?と聞くと、首を振る。大した根性である。見守ることにする。

そうこうしているうちに、少しずつ、魚が寄ってくる。跳ねないところを見るとトクナレではなさそうだ。船が揺れる。見えた。プレタだ。しかも特大。どう見ても四十センチはある。船の脇まで来たところで、糸を土人のお兄ちゃんに持ってもらってなんとか上げる。目は真っ赤。悪魔のような奴だ。間違いなくこれまでで一番大きい。すかさず、お兄ちゃんはコン、コンと連続で二発。まだ暴れようとするので、もう一発。さすがにおとなしくなる。その血走った目に星が見えているに違いない。見事なビギナーズラック。思わず彼女もポーズをとる。

しかし、生涯最初に釣った魚がアマゾンのピラーニャとは。しかもプレタ。特大。こんな人は、日本中探してもそういないのではないか。ここは、よほどの釣りバカしか来ないようなところなのだ。将来自分を越える釣り師にならないことを密かに祈る。お疲れ様。

ここで、さっきから食べないできたサンドイッチを二人で食べる。おっさんとお兄ちゃんは釣れない間にとっくに食べてしまっている。彼女は衝撃からまだ立ち直っていないようである。さもありなん。きっと腕にはまだ電流が残っているに違いない。


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写真説明(クリックすると大きくなります)

1. トクナレとピラーニャ・ヴェルデ(緑)。アマゾンの宝石。

2. かみさんの釣った悪魔のようなピラーニャ・プレタ。目が血走っている。


Brazil 21へ続く

(July 2000)

Brazil 19:ピラーニャの実力

(Brazil 18より続く)


僕にとって記念すべきその場所はどうも他の連中のお気に召さないようで、自分たちにツキがないと見たのか、まだ大して頑張っていないのに移動だという。まだ釣れるよ、とぼそっと言うが、三(二?)対一ではかなわない。有無を言わさず移動である。まあ僕は今のところ勝者である。良きに計らえ。鷹揚に従うことにする。

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一体何を目印にしているのか分からないが、ずっと走っていると、おっさんがここだ、という。土人のお兄ちゃんがそこで器用に船を操り岸に寄せていく。

たどり着いたのは小さな川の流れ込み。小さな渦がそこいらに見える。見るからに何かいそうな場所である。船頭のお兄ちゃんは、ルアーで狙うのをやめ、ワイヤーの先のハリに持ってきた魚のブツ切りを付けて投げ込んでいる。始終エサがとられる。口は小さいかもしれないが、何か魚が随分いることだけは分かる。カンジルかもしれない。おっさんは相変わらず正月ルアーを投げている。そうこうしているうちに、お兄ちゃんは美しい緑銀色に輝くピラーニャを釣り上げる。またまもなく黄銀色に輝くのを釣り上げる。と横目で見ているうちに、二度目、そして三度目のプレタが僕の竿にかかる。やはり釣りの衝撃、本物の一瞬は最初の一匹にある。さっきほどの昂揚や震えはない。落ち着いて釣り上げ、カン、と一発、二発。

おっさん、うちのかみさんはまだゼロ匹。おっさん曰く"You are the champion." (あんたがチャンピョンだ)。答えて曰く、"So far" (今のところは、)。ちょっとかわいそうである。


うしろでトントン音がしている。振り返るとお兄ちゃんがオールの上で何か魚を切っている。ン?と思ってよく見ると、これがどうもさっき釣ったピラーニャ。これをつけてどうもさっきからピラーニャを釣っていたらしい。食いが良くなったのはそのせいか。しかし、笑ってしまう。共食いである。

中国人は、我々は足があるものなら机以外は全て食べ、空を飛ぶものなら飛行機以外ならなんでも食べると豪語するが、実際に歴史を振り返ると彼らには喫人の習慣があったことが知られている。それもアフリカや台湾の人食い人種のように戦勝の結果、相手の戦士の生命力や霊的な力を得るためではなく、あくまで食の喜びとして食べていたという驚嘆の歴史を持つ。時の支配者達は、時折サルの脳などを食べ飽きると食べていたらしい。どこから来たのか、市場に行くと二脚羊などといってぶら下がっていたのはそれほど昔の話ではないという。彼らは美食の追求の結果、食べていたのか、ピラーニャのように危険きわまりなくなった結果、必然的に同類相憐れみ人肉への食欲が芽生えたのかよく分からないが、この辺り歴史家の研究の対象から外れているように思われる。是非、漢民族の誇りをかけて調べて欲しいものである。

さて、
見ていると彼の針にまたピラーニャがかかる。と思うと逃げられたようだ。リールが妙に軽そうである。巻きあがった先を見ると、?、針がない。オパ。ワイヤが切られている。

それを見た僕は、
「、、、、、!!」

こづかれて見た妻も
「?、、、、!?」

言葉を失う。ペンチを使って、大人の男でなければ切れないようなそのワイヤがこともなげに切られている。こちらが目を丸くしていると、土人のお兄ちゃんは、いやこんなものさ、と笑っている。ワイヤをかみ切る、それもこんな小さな魚が。これはこうやって目の前で見るまで信じられるものではない。見ると、さっきから使っているルアーにも深いミゾが何本も周り中に刻まれている。その強靱さによって世界中の釣り師から絶大な信頼を受けるマスタッドの炭素鋼三本バリも、気付かないうちに開いてしまっている。何という口、何という力、これが噂に聞くピラーニャの実力である。あっぱれアマゾンの怪異、ここに顕現する。


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写真説明(クリックすると大きくなります)

1. 問題の釣り場。お汁粉のような水がところどころとぐろを巻いている。

2. ワイヤも噛み切るピラーニャの歯。出刃包丁の鋭さにペンチの怪力を秘めている。


Brazil 20へ続く

(July 2000)

Brazil 18:フィッシュ・オン!

(Brazil 17より続く)


魚だ。ヒットだ。フィッシュ・オンだ。

「I GOT it!(かかったぜ!)」そう叫んで糸を巻きにかかる。ドラグはさっき簡単に調整しておいたが、再度少しだけゆるめる。とにかく大切なのは糸をたわめないことだ。三本針といえども、一本しかかかっていないかもしれない。スレ(体のどこかに引っかかっていること)の可能性だってある。

巻く、相手はデカイ。水がアマゾン流域らしく完全に濁っていて、正体がなんだかわからないが、とにかく大きい。右に走るかと思うと、奥に走る。がむしゃらである。

少しずつだが、奴との距離も近くなってくる。水面近くまで来て、躰を返すのが見える。どう見ても四十センチ近くある。

ピラーニャ!おっさんが叫ぶ。じわりじわり相手は近寄ってくる。船に上げる射程範囲に入る。途端に暴れ出す。よくあることだ。ここで慌ててはいけない。少し空気を吸わせて直ぐに垂直に自ら思い切ってあげることにする。十二ポンドラインだ。少し心配だが、切れることはあるまい。しかし、相手はピラーニャ。しかも大きい。青白く見えるがこれは間違いなくプレタだ。歓喜が糸を巻く右腕に沸き上がってくる一方、ピラーニャへの恐怖が竿を持つ左腕に浸透してくる。何しろ十分で牛一頭を白骨化する魚なのだ。が、上げないことには釣り師のホラ吹きになってしまう。ホラを吹くのも釣り師の楽しみの一つだが、ここは何としても上げたい。どうやって上げるか考えてもしょうがない。とにかく噛みつかれない程度に離れた船の底に落とすことにする。

揚げる。奴はめちゃめちゃに暴れている。お前らなんだ、人の家の庭に来て住人を追い出す奴がいるか、そんな感じである。ルアーを外さねばならないが、僕には手で持つ勇気などない。困っていると、土人のお兄ちゃんが竿の先から出ている糸をつかんで、持ち上げる。どうするのかと見ていると、その右手のプライヤーでそのプレタの頭の後を叩く。カンといい音がする。暴れがおさまる。このジャカレ(鰐)すら恐れるというアマゾンのギャング、ピラーニャにも弱点が一つあった。後頭部である。奴は失神した。

呆気にとられていると、彼はプライヤーでそのプレタの下顎をつかみ、ルアーを外しにかかる。プレタは存在の凄まじさの割におつむが小さいのか、少し目を覚まして何とかのがれようとするが、あのコンの影響が効いて、さすがに弱々しい。思わず笑いがこぼれる。

来た、見た、勝った。苦戦ではあったが、最初にしては上出来である。何より一番乗りであるということがうれしい。相手も大きい。しかもプレタである。凝縮の一瞬が全身を満たしにかかる。これで来た目的の半分は果たしたことになる。そう思って、見渡すと、もうおっさんは、よし今だとばかりに釣りに励んでいる。お兄ちゃんも投げ始めている。うちのかみさんだけが、その仰々しいプレタを眺めている。


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写真説明(クリックすると大きくなります)

1. プレタを船の脇から上げようとしている瞬間

2. 上げたところ。プレタが激昂している。


Brazil 19へ続く

(July 2000)