Brazil 17 : 到着、第一投

(Brazil 16より続く


船首にすわったガイドのおじさんが指をさす。それを見て後で舵を切っている土人の彼がスピードを落とす。

近づいたようだ。ここまでの疲れ、不安、倦怠はたちまち消える。心が躍ってくる。

深い深い立木の群の奥のそのまた奥、そこに何本もの木々が横たわって沈んでいる。淵である。霧が残っているために何だか怪しげな雰囲気の場所である。そこにそっと近寄り、おもむろに竿を取り出し、ルアーをセットする。雨がしょぼしょぼ降り始めるが、これはむしろ我々にとっては好機。魚というのは、およそ人間が嫌だと思うときに活性化する。朝まずめ夕まずめ、嵐になりかかっている時、海だと更に、潮が急に引き初めて船を同じ所に停めておくのも大変な時。

逆に、魚が目の前で泳いでいるのが見えるような時、晴れ渡った日、凪で泳ぐには最高の時、そんなときにはすべからくダメである。この辺り、何かに通ずるものがある気がするが、まあそんなことは今はどうでも良い。

ガイドのおっさんも、僕も、かみさんも、船頭をやっているハズのお兄ちゃんも、みんな一斉に投げ始める。

うちのかみさんは、生まれて初めての釣り。ここでの経験が一生心に残るに違いない。何か釣れて欲しいものである。しかし、おっさんもお兄ちゃんも、ここまで来るとただのライヴァル。そんなにムキになって投げなくても良いのに。

僕の方はルアーを彼女の竿に付けてやり、投げ方の基本を教え、一振り、二振りやって見せたあとは、まあとにかくあとは実践やで、と自力で取り組ませる。結構筋がよい。子供の頃から、随分多くの野郎共に釣りを教えてきたが、往々にして投げると右の果てに飛んでいったりするものである。がこいつは取りあえずちゃんと前に飛ばしている。少しホッとして自分の釣りに立ち向かう。


釣れない。

もう何十回かありとあらゆる方向に投げたが、ウンともスンとも言わない。そうこうしているうちに水中の木に引っかけ、一つ二つルアーを失う。

移動。なかなか立派なジャングルの前に移る。今度はさっきよりポイントが広い。岸に向かって投げるのではないので少し気が楽である。立木が少ない。ちょっとした池ほどの広がりがある。

一般的に池や湖での釣りでは、立木の周りはポイントとされている。が、こうも立木が多いと、どこがポイントやら分からない。むしろ立木などないところの方が良いのではと思ったりもする。結局の所、魚の心など分からない。取りあえず基礎調査のつもりで、右に左に場所を変え、上に下にたな(深さ)を変え、試すのみだ。ルアーだってどれが当たるかなんてちっとも分からない。おっさんは二十センチほどもある大きな紅白の正月みたいなルアーでやっているが、僕は取りあえずもっと魚に似ているので狙うことにする。色々変えるが効果ナシ。


"マカク"

船頭のお兄ちゃんがつぶやく。ガイドのおっさんの指先の方向を見ると確かに何か動いている。黒い。あそこにも、ここにも、あの茂みにも。

どうも我々の釣りは、サルの群れに見守られているらしい。周囲数十平方キロメートルに人口四人、サル無数。多勢に無勢だが、ここは負けていられない。アマゾンのサルに人間の威厳(君にそんなものあるのかネ、という声が聞こえてきそうだが)を見せねばならぬ。

そう思ってやっているが、やはり釣れない。まあ釣りなんていうのはこんなもんさ。特にルアーはどんなに良くても餌釣りの何分の一しか釣れないもの。これまで何にもつれなくて帰ったことなんていくらでもあるさ、などと自分にうそぶいていてもしょうがない。せっかくこんな秘境としか言いようのないところまで来たのだ。手ぶらでは帰れない。


何投目だろうか。

ルアーに向かって何か大きな白い?魚が体当たりしようとして去っていくのを目撃する。おっさんに言うが、ウンウンと頷くだけ。彼は彼で無心に投げている。いい商売なもんだゼ。本気(マジ)でうらやましくなる。

その何投目後か、同じポイントである。少し沈めて、疲れ気味で巻き初めて間もなく、ギュンと糸が張る。また木かァ、と思って更に少し巻くとグィーンと急に引き始める。!?!!


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1. マカクの見守る森

Brazil 18へ続く

(July 2000)

Brazil 16:海原のような湖

(Brazil 15より続く)


この湖は大きい。しばらく船に乗って走り続けているとそれがひしひしと伝わってくる。もう何十分乗っているが、変わらず大海原の真ん中である。こんな小さな船でこんなところでひっくり返ったら、大変だぞ。泳げるのかナ。そもそもピラーニャに襲われてひとたまりもないんじゃないか。それはいやだナ。いやまあそれも悪い人生の最後じゃないかな。にしても、かなり怖いナ。などと心の中で呟いているが、かまわず船はかなりのスピードで走る。霧が上がり始め、遠くに燃やされた、あるいは枯れた立木の群が見えてくる。あの辺りが岸かな、と思っているうちに船はその立木の群に入る。がその立木の群も延々と、そこまでの距離を遙かに越えて続く。湖に来て、着いた、と思ったのは大きな間違いだった。ここはブラジルだ。アマゾンである。何もかも巨大なのだ。釣りと聞いて、知らず昔の記憶に引きずられていたことに気付く。何事も先入見を持ってはいけない、特にこの国に来てから、そう頭ではいつも思っているはずなのに、心は自然、慣性に引きずられていることを思い知らされる。

ガイドの彼によると、この湖は水力発電のためのダム建造に伴って出来た人造湖である。アマゾンに流れ込む支流のそのまた支流の一つを堰止めて作ったという。道も何も通じていなかったためにその必要物資は全て飛行機を使って運び込んだらしい。それだけの多大な苦労と恐らく目が飛び出るような金を投下して作ったこの湖を評して、彼は大きな間違い(ミステイク)だった、大きな間違いだった、と繰り返す。曰く、このダムはマナウスで必要な電力を100%供給するはずだった。なのに、実際にはいつもタービンのいくつかが壊れていて60%しか供給できない。曰く、この湖はこんなに大きくなる予定ではなかった。沈む予定の場所は森を燃やしたが、アマゾンの土地があまりにも平坦であるために、その水は大きく溢れ出て、洪水を引き起こし、その何十倍もの森を水に沈めてしまった。曰く、その洪水のために、森にいた数え切れない程のマカク(猿)やオンサ(ジャグアー:豹)、その他諸々の動物たちは死んでしまった。曰く、唐突に沈んだ木々は立ち枯れ、その膨大な葉っぱのために水が酸性になり、その本来の目的のタービンをダメにしてしまった。、、、、It was a big mistake, big mistake. 彼は繰り返す。

平坦であったことなど始めから分かっているはずだったのじゃないか。何故こうなることは予想できなかったのか。と僕は思うが消えてしまった森はもう帰ってこない。ブラジル人は周囲に広がる空間が巨大なせいか、数値的な感覚があまりない。彼に、じゃあこの湖はどのぐらいでかいんだ、と聞くと、しばらく考えて、笑顔で"VERY big"と言う。それは僕も分かってる。が思わずつられて笑う。あとで帰ってから地図で見ると、この湖は奥行きが200 km、幅が40~70 kmぐらいもある途方もなく大きなものであることが分かる。森の破壊などしていないはずの都市の存在自体が、牧場などより桁違いに大きな自然の殺戮をしていることに愕然とする。みなさんの住んでいる場所でこの湖がどれだけの広さを水に沈めるか想像して欲しい。ちなみに新宿から亀戸辺りが約15 kmである。アマゾン破壊の問題は、そして人間がこの地球上にいることの業の深さは、想像以上に根深い。この湖が出来て喜んでいるのは、釣り師だけ、なのかもしれない。


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1. 湖のはるか果てに沈んだ森が見える。

2. 沈んだ森。広い。

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補足、

この間、読者の方から「土人」という言葉は差別用語ではないか、というご指摘を頂きました。これは以前どこかで少し書いたとおり、日系人の中で世代、教育などに全く関わらず使われている普通の言葉です。おそらく土着の人という意味で移民の人たちが名付けたのだと思います。ここには、人類学的な分類語である原住民、のような文化的に劣等である、未開であるという響きは特にないと思います。

ブラジルの日系人現代日本とは日本語のやりとりは殆どなく、基本的にブラジルに存在する日本語は古い日本語です。当然、日本に存在する言語の世代感覚もありません。結果、一般的な現代の日本人の言語感覚とは違うところも多くあります。たとえば、「たしか」ということばは「たぶん」という意味で使われているとか、ボワチこと売春宿はそのまま「女郎屋」とよばれているなど。ソープランドなどとわけの分からない呼び方をするより明快、そして素朴かつ率直であるとも言えます。まあ時代劇的かもしれません。

という訳で、女郎屋はともかく、僕は土人という言葉は差別用語だとは考えていません。素朴で、相手への愛着を持った言葉だと思って使っています。ご理解いただけたら幸いです。


Brazil 17へ続く


(July 2000)

Brazil 15:アマゾンの夜明け

(Brazil 14より続く)


明日の朝は早い。'The Little Prince'(「星の王子様」)を読んでいるうちに眠りに落ちる。この徹底的な静けさの中にいると、王子様が降りてきて、僕に話しかけてくるのが聞こえて来るような気がしてくる。「本当に大切なことは目に見えないんだよ。、、、君はまだ大丈夫だよね。、、、数字だとか名前を聞かないと何も分かった気がしない、そんな大人に君はなってないよね?、、、」

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六月二十三日

朝四時、起床後シャワーを浴び、部屋を出る。人気のないロビーで待っていると、緑色の目をし、良く日に灼けた、そして人なつっこそうな顔をした小柄な男の人がトコトコやってくる。帽子をかぶっている。釣り師だ。ガイドである。握手を交わす。"So, you are going to fishing. Today, we are going to catch big fishes." (オーケー、それじゃあこれから釣りに行くわけだ。今日、僕らは大きな魚を釣る。)両手を肩幅ぐらい広げてそういいながら、ニコニコ笑う。期待と不安が錯綜する。僕が、テーブルの上の竿とタックルボックスを指さし、持ってきたんだ、と言うと、うんうん、"Just in case"(念のため)、そういってその竿も持って運転手のおじさんが待つ車に乗り込む。車には何本も竿が入っている。その先には随分大きなルアー。頭が真っ赤で身体が白いものと、青い大きなプラグ(魚の形をしたルアー)。出発する。

外は暗い。町は眠っている。街灯の下をくぐり抜け、マナウスの町を出、ひたすら北に向かう。トタンのバラックがしばらくまばらに見えていたが、間もなく森に変わる。すれ違う車など何もない。ところどころで犬が路上で寝ている。気付かないのか、動かない。よける。そうこうしているうちに、うとうとして、頭を上げると、目の前に豪奢な輝きが広がっている。紫が、赤が、青が、それらが一斉に解き放たれている。一日が開けようとしている。

桃源郷に通じる道なのか、魔境に通じる道なのか、辺りは霧に包まれている。路上で動物が寝ているのは相変わらずだが、犬ではなく牛に変わる。ところどころ森が大きく開き、草原状になっている。そこにはきっと燃やされた森の立木が残っている。牧場である。といっても柵も何もない。ただ空間が広がり、ジャングルが来たらそこで終わり、という明快さである。これが現れたり消えたりという風景が随分長い間続くが、それもいつの間にか消える。右にも左にも真正の熱帯雨林に包まれるようになる。あるのは前後に通じるこのか細い道のみ。ところどころ、冗談なのか、本気なのか、制限速度の標識が出る。80 km。ふと和まされる。


スピードが落ちる。まどろみから目を覚ます。どうやら着いたようだ。よたよたと車から降りる。長い間揺られて足が若干おぼつかない。湖の畔。霧に包まれて大きさが全く分からない。小さな駐車場の前に船着き場がある。左右に水の上に立った小屋。インディオ、カボクロ達が見える。カボクロはインディオと黒人の混血。モーター付きカヌーが何台か岸に停めてある。エンジンはヤマハ。こんな所に来ても当然のごとく存在する日本製品に目を開かされる。

土人の男の子が待つカヌーの一台に、竿だとか、クーラーだとかを下ろす。彼がどうも船頭だ。小さいけれど釣りがしやすいように椅子がある。乗り込む。出発だ。


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1. アマゾンの朝焼け。絢爛が惜しみなく繰り広げられる。

2. 野焼きの後。いずれ牧場となる。



Brazil 16へ続く

(July 2000)

Brazil 14:音楽、人種、リズム

(Brazil 13より続く)


計画にめどが付くと途端に腹が減ってくる。バッフェに入る。

奇怪な物体が皿の上に寝ている。どうも魚らしい。馬を上から叩きつぶしたような顔をしている。口は掃除機の吸い込み口そっくり。何だこれは?と聞くとただ一言、スルビン、と言われる。とにかくとって食べろ、と身振りで言っている。食べる。!!?!この魚の身は、魚のそれではなく、鶏のそれである。確かな歯ごたえである。美味である。この魚を後日、メルカード(市場)で見ることになるが、身体はまさに虎。中国の古代の怪獣、麒麟のような奇魚である。麒麟は、確か聖人の出る前に現れ、生きた草を踏まず、他の動物を食べることもないとされていたと思うが、このアマゾンの麒麟、スルビンは、僕のような俗人の前にも平然と現れ、アマゾン中の小魚をそのヴァキュウムのような口で食い漁っているという。結果、こうやって猛獣中の猛獣、人間に食べられる。因果というモノは恐ろしい。

その後、アマゾンのエビをふんだんに使ったピラフも食べ、素朴で率直な幸せに膨張し、ホテルの中を浮遊する。到着時、玄関辺りで、案内をもらっていたのを思い出し、サンバを見に向かう。太鼓のようなお腹をした大きく、そして暖かい笑顔をした紺Tシャツの男の人が立って、十人ぐらいの男達と音合わせをしている。その横に座って、昂揚しては沈む、沈んでは昂揚する、そんなリズムに浸かっているうちに身体が熱くなってくる。これからショーをやると言うより、地元の祭りでこれから楽しむ前の練習、そんな様子である。誰にも気取りはない。普通のTシャツにパンツ姿。みんな実にいい顔をしている。ステージの脇では、小さな黒人の女の子が、白いパンツをはいて、踊る練習をしている。本番にも出るのか、それともお父さんに付いてきただけなのか。かわいく、いじらしい。踊り子のお姉さん達もその脇で腰を振っている。音があると自然に身体が動くようだ。褐色もいれば、黒いのもいる。そこにブラジルの生み出した様々な人種のスペクトラムを見る。

ブラジルで生粋の黒人を見ることは少ない。黒人も、土人ことインディオも、日系人も、ヨーロッパ人も、混ざり合うだけ混ざり合って、今の人たちを作っている。ここは本物の人種の坩堝(るつぼ)である。人種間の隔たりがない。みんな自然に生き、自然に関わり合っている。とても人と人の関係が素直だ。アメリカにいるときのような緊張感がない。アメリカが人種の坩堝というのは全くの嘘だ。白人は白人、黒人は黒人、中国人は中国人、ユダヤ人はユダヤ人、ヒスパニックはヒスパニック、それらの中だけでずっと生きているのが殆どである。住居地域は明確に分かれ、文化的にも混ざり合うことなく、互いに緊張しながら付き合っている。大学のカフェテリアの中ですら分かれている。ヤマカを被った連中(ユダヤ人)、真っ黒の人たち、白人、アジア人。結果、アメリカの黒人は、アフリカから来たと言われても何の違和感もないほど純粋な黒人が多い。一方ブラジルには、そういう人は少ない。例えいてもみんな溶け合っている。これがきっと町を歩くときに、疲れない理由なのだろう。実際、人種の混ざり具合によって、この国には二十数種もの呼び名があるそうだ。ちょっとでも黒人の血が入っていればBlackと言われ、ハーフであっても、クォーターであってもアジア系アメリカ人と言われ続けるアメリカとは大違いである。これだけでもいかに人種的な偏見のない社会であるかがよく分かる。

アメリカでもこの国でも、少なくとも黒人は奴隷として連れてこられた。しかし、結果はこんなにも異なる。この差はアマゾンを含めた風土によるものなのか、ポルトガル人とイギリス人の狭量さの違いによるものなのか、ラテン系とアングロサクソン系の文化の違いのせいなのか、あるいはプロテスタントカソリックの違いによるものなのか、それともアメリカ・インディアンとインディオの違いによるものなのか、僕には全くもって定かではないが、何かとても深いものを示唆しているように思われる。いずれにしても、この人種のあり方にせよ、食の豊かさ、うまさにせよ、とても民度の高い国である。そして気取りや傲りのない国である。このような国を甘く見ていると、きっと自分たちに跳ね返って来ると、心に刻む。


演奏が始まる。ダン、ダン、ダン、ダッダ、ダ、ダダダ、、、ダン、ダン、ダン、ダッダ、ダ、ダダダ、、、


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1. 音合わせの最中

2. 太鼓叩きの人たち。心から楽しんでやっているのがよく分かる。

3. 女の子。五、六歳だと思うが、見事に踊る。



Brazil 15へ続く

(July 2000)



上の文章に出てくるリズムは、このアルバムに入っているNotes From The Undergroundのイントロで聞けます。もうちょっと明るい感じで聞いていたんですが、このニューヨーク風の味付けも大都市で聞くにはナイスです。
amzn.to

Brazil 13:釣行に向けて

(Brazil 12より続く)


マナウス到着当日、夕方。

河に圧倒されたまま、部屋に戻り、マナウスでの計画を練る。具体的には、アメリカから担いできたラフガイドなるブラジル案内本を開き、英語の通じると思われるツアー会社に片っ端から電話をかける。目的は、とにもかくにもアマゾン、そしてジャングルを堪能すること、裸の知覚を徹底的に呼び起こすこと、そしてアマゾンの怪魚ピラーニャ、そしてできれば名魚トクナレを釣ることである。その柔軟性のために、明日のホテルの予約は取っていない。しかし、かけていく内に、この辺りの川やジャングルを回るのはよいとして、現在、釣りに出るのはなかなか困難であると言うことが分かってくる。現在、まだ雨期のため、水量がほとんど最大値に近く、魚が広大な海の中に散らばりきっているようなのだ。特にトクナレ釣りは非常にムズカシそうである。

トクナレは、アマゾンを代表するゲームフィッシュである。恐らくアメリカの湖沼にいるラージマウスバス(ブラックバス)と類縁だと思われるが、その美しさ、闘争心は類例を見ないとされている。大きな金色の線で縁取られた黒い斑点がどの魚の尾にもあり、そのためクジャクの羽を持つ魚としてピーコック・バスと英語では呼ばれる。分類学的には、四つの亜種があるとされているが、その生態、生育領域は重なり合っている。大体五十センチぐらいまで成長する。

ピラーニャは開高氏曰く、さながら神のように、空気のように、水のように遍在する、ということなのでそれほど心配していない。実際、どの旅行社もピラーニャだったら、特に小さいのだったら間違いなく釣れるという。恐らく知らない人が多いと思うので、付け加えておくと、一口でピラーニャといっても、実に二十種以上が存在する。赤いもの、黄色いもの、パープルに輝くもの、そして真っ黒で巨大なもの、etc., etc.このうち、真っ黒で巨大なものはピラーニャ・プレタと呼ばれ、ピラーニャの中でも別格である。サイズもほとんどの種が二十センチかそこらで成長が止まるのに対し、このプレタ(黒)は、四十センチ以上に成長する。また釣れた場合も他とは比較にならないほどよく闘うとされている。旅行社の言ってることを翻訳すると、プレタは釣れないが、他のあまたの小さいのだったらよく釣れると言うことである。しかし、それではつまらない。どうせピラーニャを釣るなら、プレタをとずっと思い詰めてきたのだ。しかし、季節・水量という何ともならないものを前にし、釣り師独特の悲観的現実的楽観主義に落ち込む。

そう言えば、サンパウロで山根先生と食事をしていたとき、先生がふと呟いていた不吉な話を思い出す。先生は、現在マナウスにブタンタン研究所分館の建設、設立準備をしているのだが、先週その見学から帰ってくる途中、同乗の飛行機に日系人のグループがいたという。あまりにも暗くお通夜のようなので、先生がどうしたのかと話しかけたところ、彼らはいずれもサンパウロ周辺の狂の付く釣り師達で、マナウスからの釣りの帰りだった。その腕自慢達が、三日も攻めてほとんど全くの丸坊主だった、というのである。なお、釣りに疎い人のために付け加えると、坊主というのは釣りに行って何も釣れないことを言う。験(ゲン)担ぎに、薬用不老林などを持っていく人がいたりするのはその為である。だから、あなたが釣り師のタックルボックスに毛生え薬を見たとしても、ああ、この人は禿を気にしているんだななどとはゆめゆめ思ってはいけない。

とにかく、よほど遠出が必要である。なおかつ優秀なガイドも必要だ。釣りは一にも二にもポイントである。魚がいなければ、どれ程良い腕を持っていても、どれほど良い時間帯であっても絶対に釣れない。この辺りは、非常にマーケティングに似ている。魚がいて、腹が減っていて、活動的で、そんな状態の所をめがけて、的確なインパクトを与えたときに初めて釣り上げることが出来るのだ。ダメなマーケターは、タレントだ、景品だ、広告投下量だ、といった表面的なインパクトにばかり目が向き、良いマーケターはターゲットの居場所や行動パターンの解明にその才能を傾ける。これと同じように良い釣り師は、何もできない嵐だとか真冬のときは竿やリール、あるいは仕掛けをかまって憂愁をうっちゃっているかもしれないが、いざ釣りとなると魚の居場所探しにエネルギーを注ぐのである。男と女の道に似ているという人もいるが、ここは私の専門外であり、読者諸兄姉の経験と叡知に判断を任せたい。釣りをしない人は、釣り人というのはなんて暇人で、退屈な連中だろうと思っているかもしれないが、釣り師の頭の中は常にフルに回転しているのである。いや、敢えて優秀な釣り人は、と付け加えておく。

そうやってガイドブックを、あるいはサンパウロで聞いてきた番号を見ながら、旅行社という旅行社に片っ端から電話をかけてみる。が、どうもピンとこない。ふとステイしているホテルの旅行会社からつかんできたパンフレットを見てみると、釣りをしたければスピードボートを使った五時間の釣りをアレンジできる、と書いてある。とにかく電話をして話をしてみる。すると、どうもそれとは別に、パンフレットにも何も書いてない特別なツアーがあるらしい。完全なプライベートツアーである。出発は朝四時。これでこそ本物の釣りである。降りていって話をする。そのツアーというのは、本当の釣りバカのためのツアーで、何でもこのホテルから二百キロもひたすらジャングルの中を走り抜けた奥地に行くというものらしい。本当に興味があれば、アレンジする。ガイドは本物の釣りバカ。結果は保証する。この写真を見ろという。壁にはトクナレを掲げた釣り師達の写真がこれでもか、というほど飾ってある。心の中で何かがひらめく。ここに賭けることにする。結局の所、釣りも、人生も何もかも賭だ。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1.ブラジル全土の地図。マナウスがどこで、イグアスの滝がどこか分かりますか?

2.マナウス周辺の地図。マナウスから真上に伸びる道をひたすら北に釣りに行く。



Brazil 14へ続く

(July 2000)

Brazil 12 : 食べることと出すこと

(Brazil 11より続く)


少し、生きることの本質的作業について取り上げたい。食べることと出すことである。

ブラジルに来てから何がうれしいと言って食べ物が本当にうまいことである。何を食べてもうまい。どこで食べてもうまい。これは本当である。空港のレストランすら、アメリカでは見つけるのが困難なほどうまいバッフェを出す。何が違うのかをうまくarticulate(正確に概念化する)ことが出来ないが、旅の一口目からして違う。信じられないことに、日本で言えば全日空日航にあたるヴァリグの機内食すらうまい。ちなみにこれは国内線である。エコノミーである。サンパウロまで乗ってきた、アメリカン航空の一口で食べるのをやめたくなるあの機内食(国際線)を思い起こすと、一体何がどうなったらこんなに違うものが出るのか、哲学的思索に耽りたくなるほどである。ヴァージンなどもなかなかな食事を出した記憶があったが、全くレベルが違う。横綱と幕の内ぐらいの違いがある。ちなみにアメリカンは、番付表にも載せられない。一般的にブラジルの食事はまずい、とされているが、私の経験ではまずこれは間違いである。

では、その差を生み出す要因は何か。アメリカと比較した場合、それが新鮮さであるとは考えにくい。アメリカ人は新鮮さと清潔さについては恐らく世界一こだわる人間だからである(但し、魚介類を除く)。料理を作る人の感受性、これは当然あるだろう。アメリカは味盲度の高さでは世界有数と思われるアングロ・サクソン系の末裔の作った食文化圏、かたやブラジルは完全なラテン文化圏。飲み、歌い、愛する、即ち、joy of life(生きる喜び)をどれだけ追求するかが、彼らの生である。味盲度はまず非常に低いと考えて良いのではないか。ただ、どう考えても料理の味付けでは説明できない差を感じるのだ。必ずしも食事の洗練でもない。躍動する力というべきか、肩から力を抜いた自然な喜びというか。これは一言で言えば、恐らく生命力というべきものである。料理とはいえないパパイヤの一切れ一切れに、肉汁の滴るクッピンの一切れ一切れにそれは宿っている。

食事に関して、一つ不思議な現象がある。アリとエノケではないが、どうもやたらお腹がぱんぱんになるのである。食っている量とこれはあまり関係がない。非常に腹の皮がつっぱる。確か開高さんはどこかで、これは何にでもイモの粉をかけているからこうなると言っていた気がするが、必ずしもそうとは言えない。イモの粉も何もどう見てもかかっていない食事を食べても、結局こうなるのである。これは解明されるべき謎として、残された。私も科学者の端くれである。いずれ十分にコントロール(対照条件)をとって解明せねばなるまい。ちなみにアメリカに戻って間もなくこの現象は消滅した。


食事がうまく、ふんだんに食べれば、当然出るものは出なければならない。これを「一定量の気体の体積は、温度が一定ならば圧力に反比例する」というボイル氏の偉大な発見を更に押し進め、「食事により体内の体積が増加すれば、圧力が増加し消化物は出口に向かう」という、食事におけるボイル=アタカの法則と名付けたい。

あなたは、そのボイル=アタカの法則の作用の結果、粛々と出口を求めてさまようわけだが、この点において、この美食の国、ブラジルでは特筆すべき、また世界に誇るべきことが一つある。これは決してどんなガイドブックにも書いてないと思われることである。それはその出口がおよそ人のいるところならばどこにでもあることである。およそ立ち寄った店にはきっとある。空港なら十秒歩けば、そこにそれがある。こんなに作って採算が合うのか、など誰も考えてはいない。横にもある。裏にもある。表にもある。

ちなみにトイレという言葉は、この国では決して通じない。レストルームもラヴァトリーもバスルームも何も通じない。腹が減れば手で何かを口にかき込めば通じる。レストランも、正しくはないが結構ブラジル語に近い。しかし、トイレは通じない。実は歩けば五秒の所にあるのに、それがわからず絵文字を書いて煩悶しながら人に尋ねることになる。サニタリオ、この言葉だけは覚えておかないといけない。私はこれで最初泣いた。ポルトガル語は無理として、スペイン語だけでも話せれば別だが、そうでなければ最悪の時のために、みなさんペンだけは常に持ち歩くことをおすすめする。

もう一つ、出口について書き留めておきたいことがある。紙の硬さである。アメリカだったらペーパタオルの材質がそれだと思うことである。ソフトな二重巻きなどに慣れていたら一発である。きっと鮮烈な赤をいずれそのタオルの上に見ることになる。君は自分が生きていることを実感すると共に、生きることは楽しいことばかりではないことを知る。ぐっと痛みをこらえ天井を見ることになる。

この点について、私は全く予想もしていなかった。完全な敗北であった。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1. 奇魚スルビンの丸焼き。口が掃除機、顔が馬、身体が虎、そして身は鶏肉、という化け物。

2. 一本刀背負いのような魚屋のおじさんに、頭を切り落とされたばかりのスルビン。

3. ココの実。頭をなたで割って中のジュースをストローで飲む。ほんのりと甘く、冷えていておいしい。街の中でもジャングルの中の土産屋でもある。


Brazil 13へ続く

(July 2000)

Brazil 11 : 悪魔ののど笛

(Brazil 10より続く)


合流地点に達する前、甲板の上をうろついているうちに、ロンドンからの三人組と仲良くなる。二人がブラジル人、一人がイラン人。遊び仲間でヴァケーションのようだ。珍しく英語を話す人に会い、お互いうれしくなって盛り上がる。とても愉快な連中だ。どの男もブラジルに来てから食べまくって、お腹がぽんぽん、ぱんぱん。俺は二ヶ月、おまえは四ヶ月、あいつは(隣の椅子で腹を抱いているのを指さして)もうすぐ六ヶ月だ、なんて言い合っている。じゃあ俺は三ヶ月半だな、なんて言って笑い合う。イラン人のアリは、地元マナウスのサッカーチームのユニフォームを着ている。俺はあんまりブラジルが好きになったから、ブラジル人になろうとしているんだ、そんなことを言って、エノケに笑われる。漫才のような二人である。

ひとしきり話したあと、じゃあまああとでと席に戻る。すると、それまで晴れていた空から唐突に突風が吹いてくる。その瞬間、横殴りの滝のような雨が身体を打ち付ける。全員が逃げまどう。ガイドや船の乗員があわてて、船の屋根の所に巻き上げてあるプラスティック製のおおいを下ろす。二階の最前列などという所に座っていた僕たちは直撃を受ける。とにかく、かみさんを階下に下ろす。カメラを隠す。ようやくガイドと必死になっておおいを下ろし終わってから後を振り返ると、他の乗客が思わず僕を見て笑う。気が付くと僕は、まるでたらいで水を被ったようにずぶぬれになっていた。どうもこれが、いわゆるスコールである。

てんやわんやの結果、取りあえず雨は船内にあまり入ってこなくなり、階下に降りて相棒を捜す。誰も彼もびしょぬれ。なのにみんな楽しそうである。体制をようやく取り直したガイドのおっさんはどこからかマイクをとってきて、実はこのスコールもツアーに含まれていたんだ、といって笑いを誘う。アマゾンに来たんだからこのぐらいの目には遭わないと、と。文字通り強烈な洗礼である。

こうやって濡れていると、マナウスの直前に寄った、Foz de Iguacu、あるいはCataratas del Iguazuこと、イグアスの滝のことが、目の前によみがえってくる。イグアスの滝は、水量、全長共に世界最大の滝。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ三国の国境に位置する。この滝が他の滝に負けるのは落差しかない。とは言うものの、かなりの落差である。大きな段差、時には二段で落ちる、ここから流れ出すイグアス川の水が、いずれパラナ川となり、日本の1.5倍にも達する世界最大の湿原、パンタナルを潤すことになる。

山根先生の好意で、僕らはイグアス国立公園の中にある唯一のホテルに滞在していた。コロナ(植民地)時代の提督の屋敷のような建物。ホテルの前がいきなり崖。全面に滝が広がっている。崖のこちら側がブラジル側、向こう側がアルゼンチン側。そして河はどこかパラグアイの方へ流れて行っているようだ。とてつもないスケールである。歩けども歩けども眼前に滝が続く。ブラジル側を何十分か歩くと、滝と言うより世界中の水をみんなここに持ってきて今落としています、という感じのかなり近寄るのも無茶な感じのところにたどり着く。最深部である。Garganta del Diablo、悪魔の喉笛である。確かに不気味な音が響いている。そこの売店ではフィルムより何より合羽を売っている。そんなところで頑張って「対象に肉薄」などと叫びつつ、写真を何回か撮ると、我々は二人ともどこに行ってきたんだというくらい濡れていた。その後、ガイドのお兄さんを雇って、アルゼンチン側にも行くが、あれほどの目には遭わずに帰る。全長2.5km、ここに比べれば、ナイアガラは子供、華厳の滝はその子供の涙と言うところか。世界最強のスプラッシュ・マウンテン。但し、心臓の弱い人、冷え性の人にはあまり勧められない。

そういったことを思いだしつつ、同じくびしょぬれの妻と顔を見合わせる。嵐はまたたく間に収まる。何事もなかったかのように、空には青空が見えてくる。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1. スコールに直撃された直後。
(すいません写真ファイルを喪失しました。見つかり次第アップします。)

2.「対象に肉薄」と叫びつつ撮ったDiablo(悪魔)の喉元。雨でもないのに凄まじい霧に包まれている。

3.アルゼンチン側に行って上側から見た喉笛。咆哮の中に全ての声が吸い込まれる。


Brazil 12へ続く

(July 2000)