Brazil 16:海原のような湖

(Brazil 15より続く)


この湖は大きい。しばらく船に乗って走り続けているとそれがひしひしと伝わってくる。もう何十分乗っているが、変わらず大海原の真ん中である。こんな小さな船でこんなところでひっくり返ったら、大変だぞ。泳げるのかナ。そもそもピラーニャに襲われてひとたまりもないんじゃないか。それはいやだナ。いやまあそれも悪い人生の最後じゃないかな。にしても、かなり怖いナ。などと心の中で呟いているが、かまわず船はかなりのスピードで走る。霧が上がり始め、遠くに燃やされた、あるいは枯れた立木の群が見えてくる。あの辺りが岸かな、と思っているうちに船はその立木の群に入る。がその立木の群も延々と、そこまでの距離を遙かに越えて続く。湖に来て、着いた、と思ったのは大きな間違いだった。ここはブラジルだ。アマゾンである。何もかも巨大なのだ。釣りと聞いて、知らず昔の記憶に引きずられていたことに気付く。何事も先入見を持ってはいけない、特にこの国に来てから、そう頭ではいつも思っているはずなのに、心は自然、慣性に引きずられていることを思い知らされる。

ガイドの彼によると、この湖は水力発電のためのダム建造に伴って出来た人造湖である。アマゾンに流れ込む支流のそのまた支流の一つを堰止めて作ったという。道も何も通じていなかったためにその必要物資は全て飛行機を使って運び込んだらしい。それだけの多大な苦労と恐らく目が飛び出るような金を投下して作ったこの湖を評して、彼は大きな間違い(ミステイク)だった、大きな間違いだった、と繰り返す。曰く、このダムはマナウスで必要な電力を100%供給するはずだった。なのに、実際にはいつもタービンのいくつかが壊れていて60%しか供給できない。曰く、この湖はこんなに大きくなる予定ではなかった。沈む予定の場所は森を燃やしたが、アマゾンの土地があまりにも平坦であるために、その水は大きく溢れ出て、洪水を引き起こし、その何十倍もの森を水に沈めてしまった。曰く、その洪水のために、森にいた数え切れない程のマカク(猿)やオンサ(ジャグアー:豹)、その他諸々の動物たちは死んでしまった。曰く、唐突に沈んだ木々は立ち枯れ、その膨大な葉っぱのために水が酸性になり、その本来の目的のタービンをダメにしてしまった。、、、、It was a big mistake, big mistake. 彼は繰り返す。

平坦であったことなど始めから分かっているはずだったのじゃないか。何故こうなることは予想できなかったのか。と僕は思うが消えてしまった森はもう帰ってこない。ブラジル人は周囲に広がる空間が巨大なせいか、数値的な感覚があまりない。彼に、じゃあこの湖はどのぐらいでかいんだ、と聞くと、しばらく考えて、笑顔で"VERY big"と言う。それは僕も分かってる。が思わずつられて笑う。あとで帰ってから地図で見ると、この湖は奥行きが200 km、幅が40~70 kmぐらいもある途方もなく大きなものであることが分かる。森の破壊などしていないはずの都市の存在自体が、牧場などより桁違いに大きな自然の殺戮をしていることに愕然とする。みなさんの住んでいる場所でこの湖がどれだけの広さを水に沈めるか想像して欲しい。ちなみに新宿から亀戸辺りが約15 kmである。アマゾン破壊の問題は、そして人間がこの地球上にいることの業の深さは、想像以上に根深い。この湖が出来て喜んでいるのは、釣り師だけ、なのかもしれない。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1. 湖のはるか果てに沈んだ森が見える。

2. 沈んだ森。広い。

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補足、

この間、読者の方から「土人」という言葉は差別用語ではないか、というご指摘を頂きました。これは以前どこかで少し書いたとおり、日系人の中で世代、教育などに全く関わらず使われている普通の言葉です。おそらく土着の人という意味で移民の人たちが名付けたのだと思います。ここには、人類学的な分類語である原住民、のような文化的に劣等である、未開であるという響きは特にないと思います。

ブラジルの日系人現代日本とは日本語のやりとりは殆どなく、基本的にブラジルに存在する日本語は古い日本語です。当然、日本に存在する言語の世代感覚もありません。結果、一般的な現代の日本人の言語感覚とは違うところも多くあります。たとえば、「たしか」ということばは「たぶん」という意味で使われているとか、ボワチこと売春宿はそのまま「女郎屋」とよばれているなど。ソープランドなどとわけの分からない呼び方をするより明快、そして素朴かつ率直であるとも言えます。まあ時代劇的かもしれません。

という訳で、女郎屋はともかく、僕は土人という言葉は差別用語だとは考えていません。素朴で、相手への愛着を持った言葉だと思って使っています。ご理解いただけたら幸いです。


Brazil 17へ続く


(July 2000)