渡米して最初に思ったこと(5) - 夢の大切さ

先週まで載せていた11年前のメモの続きです。このシリーズ、間もなく終了です。



Leica M7, 50mm Summicron F2.0, Fortia SP @目黒、東京


アメリカに来てから、こちらのスポーツ選手のインタビューを聞くと、いつも彼らが例外なく自分の考えを持って自分の足で立っていることが分かる。やはり人間として自立しているんだと思う。誰か(コーチとか)になだめすかされてやっているんではなくて、自分の意志で選んだ道を自分の内面から自分を押す力でやっているから、当然「自分を支える考え」というのを持っているんだと思う。


また、アメリカでは、「医者になるわけでもなく、弁護士になるわけでもない、そんな夢を子供達に与えよう」というようなポスターまでいっぱい貼って、スポーツ選手が色んなところに積極的に子供に夢を与えるための活動をしている。これは彼らの本心だと思う。日本の清原のように小金を持ってしまったために自分を見失い、銀座で姉ちゃんを引っかけているような奴には出来ないだろう。初心をもっと大切にして欲しい。なぜ清原にみんな希望を持つかというと、彼が高校を出てドラフトの結果、巨人に入れなかったときのあの涙があるからなのに。あいつはわかっていない*1


夢を与えていかないと、アメリカではまともに成長出来ない子どもが多くいるからだ、というねじれた見方もある。しかし、本来人間は目指す方向に向かって歩こうとする生命であって、これは非常にまともなことであると思う。更にいえば、アメリカは一人一人独立した個人の社会だから、どんなに恵まれた人でも、自分の意志と生きたい方向(夢)がなくなると生きていけないことがクリアになる。


かたや、「子どもに夢を与える」なんて言葉、日本であんまり聞かない。それほど日本の子供は恵まれた環境にいるという人もいるかも知れない。しかし、本当にそうか?ある意味で日本ほど夢のない国はない。ほとんどの人が、そこそこの人生しか送らない*2。野望は国の規制に打ち砕かれ、外圧のみが変え得るようなそんながんじがらめの社会。異常に画一的な目標しか子供にはなく(東大に行く、医者になる、官僚になるなど)*3、覇気のない大人が大手町を歩いている。アメリカで Harvard college, Yale college卒というのは確かにエリートの象徴ではあるけれど、みんなそれを目指しているわけでは全然ない*4。J.D. (law school出), M.D. (medical school出)というのも同じ。


日本では夢を持っている人がいなさすぎるから、誰も語らないのが実態ではないか?誰も自分の生きたかったように生きようとしていない。自分の夢に自分の人生を賭けない。夢があるかどうかすら分からない。


日本では誰もエキサイティングな人生を望んでいないのかもしれない。20歳そこそこの人間が「やりたいことがないからとりあえず商社にいく。」と言ったり、人生の目標で「東京郊外の一戸建て」をあげるのは非常に気持が悪いし異常なこと。ブルーハーツの詩のように「生まれたからには生きてやる。」という考えがない。これは、悲しい。生きてきたからにはうきうきしていたい。生きてきたという実感のない毎日なんてつまんない、そうは思わないのだろうか。


なんていうかパワーがなくなってしまうと、悲しい。いわゆる生き生きしているという顔があるけれど、ぼくはいつもああいうvividな人でありたいと思っている。人間らしく、悲しんで、楽しんで、痛がって、気持ちよくなって、、、そういう生きている自分でありたい。



(Summer 1997)

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*1:この辺り1997年という時代を表しています。:)ちなみに僕は清原と同学年で、桑田も含めて特別な思いがあります。

*2:この状況は、この数年後におこるネットバブルによって多少変わったようだ。

*3:この辺りはこのメモを書いた当時10代であった現在の20代の人に話を聞いてみたい

*4:但し、大統領を目指すのであれば、どん底からの叩き上げ(=アメリカンドリームの体現者)でなければ、このいずれかの大学に undergraduateか、law school辺りでからんでおいた方が良い。ビル・クリントンはこの両方を満たす稀な事例。