Leica M7, 50mm Planar F2.0 @Meguro, Tokyo
長らく懸案だった、ニコン用のカールツァイスを入手した。標準派の僕なので、当然のように50mm Planar F1.4をゲット。当然中古である。マップ(カメラ)にいけば新同品(新品同様の品)が、二割(=一万円)引きなんだから、もう当たり前のようにこれを店頭で指差す。(笑)
その場で、もしカメラをお持ちでしたらどうぞお付けください、といつもの科白。では、とおもむろにカバンより持ち出す。「おっ、F2ですね」と言われ、まんざらでもない僕。(バカですねぇ)
私が小学生になったぐらいのときに生まれたこのカメラ(F2:1974年製)を入手して以来、10本は撮ったと思うが、明らかに今までサブのサブのような扱いだった。ライカのように軽快ではないということもあるが、入手したときについていたニッコール(レンズ)のデザインが僕的に刺さらなかったというのもある。なんというか究極のメカニカルニコン*1であるF2の風格にどうもこのレンズが付いていっていない、と本能的に思っていた部分もある。
もともとコンタックスで写真を始めたということもあり、ツァイスのレンズの独特のこってりとした色乗りが好き。初めてニコンマウントのツァイスが出るというニュースを、アサヒカメラか、カメラマガジンで見て以来、とても付けてみたいと一方で思っていた。
それが遂にかなった。久しぶりにカメラとかレンズを買って高揚してしまった。そのような時は毎度枕元において、サワサワしながら、眠る。この日も同様。子供ですねぇ、とか言われそうだが、男の趣味など、どんなに金がかかろうが基本的に子供の頃の遊びの延長である。(、、、この辺り女性読者のためにちょっと力説!笑)
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お店の場面に戻る。
で、付けてみると、これがもうすごいのだ。ニッコールの時に感じていた違和感が一瞬で吹っ飛ぶ。このレンズはこのカメラのために生まれて来た。いや、このカメラはこのレンズと出会うために生まれて来たのではないかと思うほどの、一体感なのだ。金属製アルマイトの吸い付くような質感。ヘリコイドを動かす、リングの刻みの美しさ。距離目盛りのところの赤字、、、全てが調和して、一瞬で恋におちた二人にまいり、そのまま支払って出てくる。NikonとCarl Zeissという、冷戦時代の東西間の恋のような、何とも言えずやばい出会いであるが、まあこういうのが健全で財布の中で完結する辺り、すてきな出会いと言えよう。:)
なぜこれがこんなに美しく一体化しているのかと、なかば怪訝に思い、なかば恍惚を感じ、ヘリコイドをまわしながら階段を下りる。階段の途中で、下から上がってくるお客とすれ違う。当たり前のようにこの組み合わせに向けて、メタボな私の手にあるこの二人(F2+ 50mm Planar)にちらっと、しかし確かに力強く向けられた視線を感じ、また何とも言えず、心の中でニヤニヤ、いや、ホンワカ、そして恍惚。
この連休、紅葉でも見に、東北の方でも行こうかと思っていたが、会津若松の辺りで天気予報を見たときの気温が二度!というのに恐れをなし、やめてしまったので、まあ僕としては外に出るお金が浮いたので、その別投資という感じ。(という言い訳。)
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店を出てから、酩酊状態のまま帰宅。
休み中、とりあえず、子供を中心に2本ほど撮る。仕上がりが楽しみだ。
このF2、ピント位置のクセが今ひとつ読み切れていないので、ちゃんと撮れているか気がかりだが、構えているととりあえず何かすごいものが撮れる感じがしてしまうのが、名機の名機たる所以(ゆえん)。何か上がって来たところで、またこのブログでシェアしたいと思う。(久々のカメラバカ記事になってしまいましたね!)
ps.あまりにも幸せ感が高いので、せっかく予約を入れた5D MarkIIを買うかどうかかなり怪しくなってきました。恐らく上の新真打ちの写りを見て、決まるのではないかと思います。
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