人生に影響を与えたコンテンツ


Summilux-M 1:1.4/50 ASPH, Leica M10P, RAW @Hakuba, Nagano, Japan


先日、人生に影響を与えたコンテンツ、特に本や映画、について取材を受けた。クローズドな場に向けたものであったため、そこで話した内容を少しご紹介できたらと思う。

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ここまでの半世紀をざっくりと振り返ると、もともとは分子生物学を学び、脳神経科学の分野に進み米国で学位(PhD)をとったが、ポスドクの最中に911があり、断腸の思いで帰国。

また約30年前からストラテジーマーケティング分野で飲料、小売、商社、ヘルスケア、クルマ、ハイテク機器、ペイメント、半導体、検索、メディア、広告、国の産業戦略、AI戦略、人材育成などなど、B2C/B2B/public、幅広い分野の戦略立案、商品・ブランド開発、立て直し、事業開発に深く関わってきた。

一方、デジタル/データ×AIの世界に様々に関わり、上とも重なるが社会レベルでも仕掛けるようになって約10年。足元の戦略立案やデータ、サイエンス部隊の統合・運営、研究所機能からはじまり、気がついたらDS協会の立ち上げ、数理/DS/AI教育、国のAI戦略、デジタル防災、10兆円基金など随分といろいろなことに携わってきた。

思い起こせば前職で少なくともAPAC(アジア太平洋地域)で最初の本物のビッグデータを利用したDBM (database marketing) のプロジェクトに立て続けに入ったのが1995の春*1、あの年、インターネット人口が20万人と言われた当時の日本で最初の大型ISP立ち上げにも携わったので、そこから考えれば28年近い。

都市集中型社会に対するオルタナティブ検討を「風の谷を創る」運動の仲間たちとはじめてちょうど5年。文化・全体デザイン、空間デザイン、インフラ、食、森、ヘルスケアなど12のサブチームでの研究が進む一方、悪影響が想定されるためあまり正確な土地の名を上げることはできないが、当初予定地とは異なる複数の土地で具体的な検討が立ち上がりつつある。

aworthytomorrow.org


こんなちょっとcomplexity高めに見える自分の人生の中で、自分の価値観の礎につながっているようなコンテンツをいくつかご紹介できたらと思う。

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子供の頃、、自分が育った本当に古くから続く漁村というべき田舎では、当時TVは民放が2つしかなく、友だちと遊ぶ、釣りと絵を描くこと以外は、まさに本こそが生きる喜びだった。文字を覚えたのは早く、中学校に入るぐらいまでは毎週図書館で家族のカードも使って週6冊の本を借り、本とともに生きてきた。自分に影響を与えた本を数えだすと正直きりがない。

  • 多分一番好きだった絵本の一つ。小学校に入るか入らないかの頃、もう数えられないほど読んだ。今から考えれば、風の谷を創る運動の発想の源はこの辺にあると思う。

  • これも小学校低学年の頃、本当に繰り返し、暗記するほど読んだ本の一つ。うわばみが蛇を飲む話、お花を守る話など、本当に好きだった。大学生ぐらいになって読み返すと結構違う印象でびっくりしたのを覚えている。


もともと絵かきかサイエンティストになりたかった自分は*2、小学校の高学年の頃、モジリアーニとゴッホの絵をみてかなり衝撃を受け、どのように自分が成長しても、このような独自の世界に到達しうる感覚が直観的に持てなかったこともあり、絵かきでいくことは諦めた。

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かたや、人との感覚の違いなのか異質性、ズレの感覚が自分から離れることがなかった僕は、「人と人はそれぞれどうして違うのか」に相当長きにわたり興味があり、それはどういうサイエンスであればたどり着けるのだろうかと次に随分と考えた。

人がひとりひとり違うというのはどういうことなのか、については、自分なりに考え続けた結果、確か高1のときに突然悟ることがあり、それはどうも一人ひとりの「知覚」の違いによるものなんだと思うにいたった。この10年余り、随分多くの人に紹介してきたユクスキュルの環世界の話もこの中に入るだろう。知覚とは感覚器から入ってくる様々な周囲の情報を総合して、その意味を理解することとざっくり言うことができ、これが僕の理解では知性の核心にあるものだが、それについてかつて取りまとめた論考も上げておければと思う。


比較文化文化人類学もとても面白かったが、これがサイエンスになるという感覚がうまく持てなかった。レヴィ・ストロース「野生の思考」にでてくるマテ茶にいずれ大学院生になって、人生の師匠であり、今年逝去された日系ブラジル人である山根徹男先生に出会い、ハマることになる。


精神医学については、相手のまとう世界にすっと馴染む体質を持つ僕のような人間、しかも心がいろいろなものに揺さぶられる、感じやすい人間には到底向いているとは思えなかった。きっと患者さんと自分が同化してしまうだろうと思ったといえばわかってもらえるだろうか。

またその世界はいわゆるpractitioner(実践家)の仕事であり、科学的な「知覚の掘り込み」に向かうようなものにはかなり遠そうに思え、こちらも違うなと思うに至った。手先が器用だったので、手術とかは恐らくうまくなる最低限の素養はあるかもと思ったが、僕のように何事にも感じやすい人間が医学を学ぶというのは全く向いているようには思えなかった。

深層心理学フロイトユングの世界も随分と高校の頃、入れ込んだ。とはいえ、フロイトよりも自分の肌にあうとおもったユングの到達した世界は、なかば密教であり、これであれば弘法大師 空海の教えを学んだほうがいいのではないか、であればこれはサイエンスというより、ことなる瞑想の延長のような世界なのでないかと思った。なお、心理学は学習のモデルなどとても興味深かったが、必ずしも証明ができない仮説とモデルがちょっと当時の僕のイメージでは、サイエンスにしては少し多すぎるように感じ、一旦、自分の選択肢から落とした。


青春らしい悩ましさももちろんたくさんあり、随分の本を読んだ。忘れられない一冊を選ぶのは難しいが、フロムといえばまずは恐らくこれ。名著中の名著。イヴァン・イリイチの「脱学校の社会」と合わせて読むのがオススメ。


僕の手元にあるのは白水社串田孫一訳ですが、いつ開いてもしみじみと考えさせられ、元気になる一冊。「薪も燃やさなければ腐る」は不滅の名言。


ボストンの郊外の森に一人一年、一般的な社会から隔絶されて生きた人の考察。奇人変人として生きていいんだと、それこそが曇りのない目で世の中を見ることなんだと勇気をくれた一冊。どこでもいいから開いて見るだけで心が洗われる。


大学生のときに、奥付の発行日前に並んだ出版したばかりの本を立ち読みで72ページも読んでしまい(二段組本なので新書一冊分ぐらい)、到底読み終えることができないと、当時の僕の財布には明らかに高かったけれど、泣く泣く買って、しゃぶるように読んで震えた一冊。教養とはなにか、人の心を育てるとはなにか、についてIvy leagueなどアメリカ東部の名門大学で長年教えてきたブルーム先生の語りがしみる。


随分と長くなったので一旦ここで(続く:おそらく。。)

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続編です(12/25 10:55am 追記)
kaz-ataka.hatenablog.com

*1:基幹系からデータを引き出すのがどえらく大変でした。。

*2:じっくりと事実に向かい合ったり、思索をし、知恵を出すこと、事実の背後の何かを解明すること、そこから意味合いを出し、商売のお役に立つことは好きだが、商売人になること、ビジネスパーソンになることはそもそも自分の血をあまり沸き立たせるものではないことはずいぶん小さいときから自覚していた