From CT to DC (1) : フィラデルフィア(米国東海岸縦走記 )

Hello!

みなさんすてきな週末をお過ごしのことと思います。

このままでは教育サイトになってしまいそうなので(笑)、最近記事を書く時間もままならぬこともあり、2001年(まだテロ戦争の始まる前です!)に、当時住んでいたコネティカット*1からワシントンDCまで旅に出た時の記録を少し載せていけたらと思います。(元々書いていた、夏のアメリカ横断記も書けるところでまた続きを書くつもりですが、それはそれとして。)

Brazil - ブラジル旅行、探検記 (←都会の喧噪、日常の閉塞から脱出したい人にオススメ!)と同様、当時、友人にメールで送っていたものです。日本に対しては、画像添付が問題になっているようなネット環境であったことが、当時のやり取りから見えてちょっと隔世の感があります*2。当時、僕はアメリカの大学の中という、ギガビット土管そのものの上にいたので、ホントその辺の日本の事情について不感症気味でした。そういえば。(当時迷惑を賭けた方々、申し訳なし!)

ではでは! Hope you will enjoy it!

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Advisor(指導教官)のVincentがフロリダに里帰りするというので、急遽、鬼の居ぬ間に僕もどこかに出かけることにする。11月に買った新車があるので、車で出かけられる場所がいい。医者をやってる高校の友人がいるモントリオール(Canada)まで行こうかと思ったが、まだこちらも寒いことを考え、南下することにする。狙いは国都Washington DC、そして最初の国都PhiladelphiaNew Englandの中や、New York, New Jerseyまでは割と気軽にふらふらしているが、この二つの都市には、どちらもまだ行ったことがない。途中、出来たら、その他、気にかかる町に訪れることにする。

初代大統領の名と、ヨーロッパ人にとってのアメリカ大陸発見者の名の両方を冠したWashington DC (District of Columbia) は西海岸にあるワシントン州(シアトルのある場所)と区別するために、ただDCと言われることが多い。我々と先祖を同じくする民族が、数万年以上も前に、命を懸けてベーリング海峡を伝って、文字通り未知の世界に移り渡ってきた、その驚くべき冒険心と、勇気を考えると、僕には到底、コロンバス(Columbiaはスペイン語読み)をアメリカ大陸発見者とは呼べない。彼は、黄金の国ジパング(すなわちマルコポーロの描いた日本)からの略奪を求めて、ぎらぎらした虚栄心と共に、国王からの援助と共にやってきた人である。

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さて、
まず寄ったのは、Philadelphia。独立宣言、合衆国憲法の草案が書かれ、イギリスからの独立後、最初に合衆国政府が置かれた町である。ここに午後着き、その日と翌朝、大学、そして町を見て回る。

綜じた印象は滅びた都市。Phillyと呼ばれるこの町の荒廃は激しく、かつて自由の鐘が鳴らされ、まず最初の首都であった栄光は彼方。DCへの首都移転以来、ずっと衰退を続けて来たのではないか。City Hallと呼ばれる町の中心に立つ建物が百数十年前に建てられるとき、この建物は世界一の高さになる予定だった。が、しかしこの建物が完成したときには、他にいくつもこれ以上の高さの建物が建っていたという。ふと耳にしたこんな話に、この町のおかれた悲しい流れを感じる。

ハイウェイの上からざっと見たところ、町の全域の半分はスラムに近い。それらのエリアの大半では、二間ほどの幅で、階に一つしか窓のない、アメリカらしからぬ痛々しいほど小さな家が立ち並ぶ。中心部に入っても、町の中の道は、古い町であるためか、最初の町の設計ミスからか、それともその後の開発の失敗からか、やたら狭く、駐車スペースもない。古い町で車を停める場所がないのはボストンも同じだが、この町には、ボストンのやさしさがない。車はタクシーでなくとも、むやみにホーンを鳴らす。Mean(卑)である。

U Pennこと、ペンシルヴェニア大学を訪れ、更にショックを受ける。科学者でもあり、建国の立て役者の一人でもあるベンジャミン・フランクリン*3によって設立されたこの大学は、二百年以上の歴史を誇る、合衆国で最も古い大学の一つであり、Harvard(創立後約350年)、Yale(同300年)、Princeton(同250年)などと並び、八校あるIvy leagueの一つに並び称される。その歴史を誇るCollege(学部機能)に加え、最古のビジネススクールの一つであるウォートン校が有名である。

それほどの大学であるはずなのだが、この大学には、活気も投資している様子も感じられない*4。Medical School, Collegeなども歩いてみたが、立ち登るものを感じない。こんな荒れたIvy schoolがあるのだろうか、と正直驚く。古いキャンパスの中心の方はそれほどでもないのだけれど、全体としてみると引きつけるものと生気に全く欠ける。さすが上述のWharton Business Schoolの中だけは、妙に覇気があったが、ここは正直異空間であった*5



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @U Penn, Philadelphia


この町を訪れ良かったのは、独立宣言、合衆国憲法などを議論し、制定された、最初の合衆国議会の部屋を見、感じ、考えることの出来たこと。その横で、合衆国の独立が認められた時、すなわち建国の際にまず打ち鳴らされたLiberty Bell(自由の鐘)を見ることが出来たのも良かった。気分の少し洗われたところで、更に南に向かう。


(March 2001)


Independence Hall, Philadelphia


Liberty Bell, Philadelphia

(2)へつづく
kaz-ataka.hatenablog.com

*1:東海岸に詳しくない方のために多少付け加えておくと、コネティカットは、ニューヨーク市の右上にあり、ニューイングランド地方の最南端。長らく全米一豊かな州として知られている。マンハッタンに働く豊かな人たち、例えばlaw firm(法律、弁護士事務所)のパートナーであるとか、有名な映画俳優などの多くが、南端の町や海岸沿いの高級住宅地域に居を構える。GE、ゼロックスなどの本社があるのに加え、全米の保険会社の大半がその州都ハートフォードに本社を持っていることでも知られる。

*2:例えば、写真くっつけてメール送んないでくれとかなんとか。今から考えるとちょっと笑ってしまいますが、当時のみなさんは結構マジです。

*3:そうあの雷の実験で有名な人です!めったにみない100ドル札の表紙の顔でもあります。

*4:建物はいずれもさすがに立派である

*5:これも含めいずれも当時の私の感想、印象であり、もちろんno offenseです!期待が大きくて気落ちした部分もあると思って差し引いてお読み頂ければ幸いです。