『立ち上がる』年に


GXR with 35/1.4 Nokton Classic @気仙沼 (Dec 24, 2011)


みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

個人的には、一年前はいきなり誤診のためにインフルエンザをこじらせ、頭痛、咳及び関節痛に苦しみつつ、肺炎の一歩手前まで行くと言う猛烈な年始だったのですが、今年は驚くほど平穏で、田舎で三泊し、昨夜帰ってきました。:)

社会的にも、個人的にも、現実味がないほど激しい2011年は終わったということで、それだけでもうれしい。今年は前向きに色々取り組んで行きたいと思っています。

年末に、気仙沼陸前高田の二つの被災地を巡り、完膚無き状態、という言葉が比喩ではない現実を目の当たりにしました。陸前高田は見渡す限り、建物の基礎を残して何もなくなっており、気仙沼も、湾の入り口は同じ感じで広大な土地が「ペロッと」*1はぎ取られたままでした。


GXR with 35/1.4 Nokton Classic @陸前高田 (Dec 24, 2011)


@気仙沼 (Dec 24, 2011)

9ヶ月経った今も、電車すらちゃんと通じていない。JR大船渡線は、終点、大船渡(おおふなと)には届かず、気仙沼で停止。日本でも指折りの漁港、気仙沼の漁船の8−9割は失われたまま。波でさらわれた冷蔵庫、加工工場も大半が、再建、回復のめどすら立っていない。多くの土地は、沈降し、潮をかぶったままで、そもそも建築自体に制限がかかっている。

東京にいると、まるでもうとっくに話が落ち着いているかと思っていがちな自分の考えそのものが全く間違っていました。三月に書いた震災課題に関するエントリーでいうと、「止血」にケリがついたかどうかという段階。ようやく仮設住宅に人がおおむね入ったという状況で、生活基盤の作り直し(=「治療」フェーズ)はこれからだったのです。

先日、不思議なご縁があり、対談させて頂いた糸井重里さんからのお話*2で、今月13日に、東北復興緊急ギャザリングというのに出ることになり、その絡みで、一度はこの目でしっかりみて、色んな人と話さないとと思って行ってきたのですが、これが僕の背筋をぐっと伸ばしてくれた気がします。*3

上の写真のような現実を目前にしていると、ただ言葉を失うのですが、行ってみて得たものは全く別でした。そこで出会った方々のパワーと、生きる力に大きく打たれ、何を今まで僕はやってきたんだとガツンと殴られたようなショックを受けたのです。こんな中にあって、僕の直接お話しした20人ほどの人、町の人のどのひとりも打ちひしがれた姿など見せることなく、どのように現実に立て直して行くかに取り組み、それを明るく立ち上げて行こうとしている。


@気仙沼 アンカーコーヒー本店 開店当日

丘の上にあったために、大量の被災者をうけいれ、陸前高田の復興の中心の一つとして取り組んでこられた高田自動車学校では、まばゆいほどのの未来の絵を地図写真の上に描きながら、ものすごい現状をものともせず、未来に向けた話をユーモアたっぷりに語る、田村社長。


@高田自動車学校 被災前の陸前高田の航空写真

一瞬にして港に望む本店が波をさらわれた被災の経験にも関わらず、それを「ピンチをチャンスに」と明るく語る、気仙沼の顔の一つと言うべき「アンカーコーヒー」の紀子さん。

そのアンカーコーヒーはなんと訪問した12月23日に新立地の仮設店舗にて再開店。「何を言ってるんだ、俺たちはここで生きて行くんだ」といいながら、「店を出したついでにスペインにいた頃を思い出し夜はバルまではじめちゃった」と実に楽しそうに、新品のイベリコ豚の生ハムに最初のナイフを入れるアンカーコーヒーの小野寺専務。

次々と現実的な知恵を出しながら、力強く(陸前)高田、気仙沼の人をつなぎつつ、工場が流された自分の会社では工場を借り、素晴らしい醤油を作り続ける八木澤商店社長の河野さん。この困難の中で、人も切らず、売りを元の六割まで戻されたそうです。ただ感嘆。帰りに送って頂いたクルマの中で聞いた、「人間はしぶといです」という言葉が頭から離れません。

こんな状態で、これほどの力を自分に出せるのかと自分自身に問いかけるとともに、お会いしたたくさんの方々の輝きがただまぶしい訪問でした。

帰ってくる前から沸々と一つの言葉が自分にわき上がってきました。『立ち上がる』です。

現実の激しさ、強さに目を背けることなく、目の前のことも含めて、一歩一歩進んで行きたい。雑多な理由で昨年、ほとんど書けなかったブログも、身の回りのことも含めて、出来るだけ書いていけたらと思っています。

2012年が日本にとって、読者諸兄姉、そして被災した多くの土地の皆様にとって、素晴らしい年となることを願いつつ。


amzn.to

*1:by 「アンカーコーヒー」の紀子さん

*2:12日から、糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞で、対談が載る予定とお聞きしています。よろしければご覧頂ければ幸いです。下が、糸井さんからのそのご案内。…“@itoi_shigesato: つまり、「今、本当に答えを出すべき問題であり、かつ答えを出せる問題=イシュー」は、僕らが問題だと思う対象全体の1%ほどに過ぎない。(抜)ーー『イシューからはじめよ』p73より ⇒「ほぼ日」でそのうちはじまる安宅和人さんとの対談連載より”

*3:恐縮ながら、僕もこの間まで存じ上げなかったのですが、糸井さんは本腰を入れて、被災地復興に取り組まれている数少ない著名人の一人です。まだホヤホヤの気仙沼事務所にもおじゃましました。