GXR, 35/1.4 Nokton Classic, 気仙沼の避難所生活を送る子供達の有志が自発的に作り、多くの人を励まし支えた、ファイト新聞編集部の看板 (歴史的遺産として保存が決定)
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昨日、一昨日と、箱根駅伝があった。ご覧になった方も多いのではないかと思う。
去年の柏原の走りがあまりにも鮮烈だったため、駅伝そのものにはさして造詣のない僕もご多分に漏れず見た。すると、最初の最初から東洋大が強い。あまりにも強い姿に圧倒されたまま、ゲームセット。
東洋大の圧勝、見事というほかはない。データ放送のおかげで、過去と比べてもどれだけ異様なスピードで走っているかはリアルタイムでよく分かった。
今振り返って、記録を丁寧に見てみると、第一回の大正9年は15時間という悠長な時代。何しろ優勝校が東京高等師範学校(東京高師)だ。
8回目(昭和2年)までは14時間台の戦いが続き、それ以降は13時間台の競争。で、徐々に早くなるものの、私が生まれるまだ前の昭和35年(第36回)にようやく11時間台の戦いに突入。そこから40年以上に渡り、駅伝は11時間台、という時代が続く。
この11時間の壁をこれまで打ち破ったのは、わずかに二回。平成六年(70回)の山梨学院大10時間59分13秒と、昨年(87回)の早稲田10時間59分51秒だけだ。*1
それを大幅に上回った、今回の記録、目で見て実感してみようと思い、上のリンクのサイトからデータを頂き、プロットしてみた。
これがなかなか面白い。
圧倒的な改善があったのは、昭和の初め。2時間近く詰まっている。ここで何があったのだろうか、と考えるのはなかなか面白い。モボ、モガの直後の時代、支那事変が昭和12年なので、この段階では日本はまだいい時代だったのだろう。そういえば、今の朝の連続テレビ小説のカーネーションの舞台が平和だった初めの時代がこの頃だ。
明らかに悪化するのが、昭和18年から24年までの開催が何度も取りやめられている戦争末期*2、そして終戦直後の時代。どれだけ栄養状態が悪かったのかよく分かる。当時幼少期だった、自分の親の世代が、我々の世代より明らかに背が低いことからもわかっていたことだが、この数字を見てもしみじみと実感する。
戦前並みの12時間半に戻るのが、朝鮮戦争勃発の昭和25年(1950年、26回)。我が国の復興が、隣国の災難のタイミングでシンクロしていることが、こんな数字からも分かる。
その後、経済の発展、高度成長、結果としての栄養状態の改善を反映するかのごとく、継続的にタイムは改善。中でも二度の大きなタイムのレベルが変わったタイミングがあることに気付く。
昭和39-41年(40-42回)と、昭和58-59年(59-60回)だ。
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昭和39年と言っても多くの方は、ピンとこないかもしれない。これは1964年、東京オリンピックの年だ。先進国の仲間入りを果たすこの平和の式典に向け、数年前から、激しくスポーツの発揚、国内でのシューズやウェアなどの改善が大きく行われていたことは容易に想像がつく。年始に行われるこの駅伝がおそらくオリンピックの長距離やマラソンの選考会もかねていたのではないかと推測する。
昭和58-59年となると僕の中高時代であるが、ユーミンがダンデライオン、達郎が高気圧ガールをうたっていたこの時代、スポーツで記憶にあるのは正直、1984年(昭和59年)のロス五輪ぐらいしかない。確かに楽しい時代の楽しい祭典だったが*3、ここで20分以上タイムが縮まったのはどうしてなのだろう?よく分からない。
このあたり、今回も箱根の解説をしていた瀬古さん*4や宗兄弟がマラソンで大活躍していたと記憶するが、駅伝でこれだけの改善があると言うのはちょっと??だ。だれか陸上に詳しい人、是非教えてほしいなー。と思ってもう一度詳細を見てみると、58年はあの谷口浩美が日体大のエースとして出て区間新を出している!
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ただ、上のグラフで明らかな通り、これ以降は、日本人の栄養状態も、体型的にも改善が止まり、記録はほとんど横ばいに入る。そんな中で、たとえ昨年の21秒差の準優勝がどれだけ悔しかったとしても、8分15秒も記録を縮めた今回の東洋大チームは本当に称賛に値する。
中でも福島出身で「僕が苦しいのはたったの一時間ちょっと。福島の皆さんに比べれば、全然きつくはありません」と言い切った柏原竜二の言葉には、思わず涙した。選手達、一人一人におめでとうの言葉とともに、我々に力強い新年をくれてありがとうと、ウェブの隅っこから伝えたい。
なんとも日本的なスポーツであるが故に、大変な注目を集める駅伝。…今回は、リアルタイムで、色々なデータを見ることで、ちょっと新しい気づきを得、テレビもようやくデジタルなんだな、を実感。
冒頭のファイト新聞の子供達が、大きくなり、この駅伝の話を聞く時、何をどう思うだろう?
そんな彼らに少しでも、意味のある未来を残せたらと思う。
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