Brazil 9:河の上のみやげ屋

(Brazil 8より続く)


リオ・ネグロことネグロ河は本当に黒い。船の水流に揉まれている水を見ていると、まるでコーラの原液をかき回しているように見える。しかし、この上流には何にも産業らしい産業はなく、ひたすらジャングルが広がっているだけである。大体こんな巨大な河の水を真っ黒にするというのは、いくら何でも人の手では難しい。読者諸兄姉(みなさん)、どうしてだか見当が付きますか。

答はジャングル。熱帯雨林から落ちる木の葉や、そのかけらが分解し、それらが目に見えないほどの細かい粒子となり、流れているというのだ。しかし、この永遠感覚に襲われる河を、水量を目の前にすると、それを全て真っ黒にするほどの葉っぱというのは何なのだろうかと、にわかには信じがたい。が、こう聞かされている以外に、他に思い当たる理由など何もなく、またもオパ、というしかない。

そのネグロ河をホテルの前から出、十キロか二十キロか下ったところに、アマゾン川本流との合流地点が存在する。アマゾン河自体は、黄色いお汁粉のような河で、これが真っ黒のリオ・ネグロにまじわるところは、まるで巨大なコーヒーに注ぐ、ミルクのようである。その境界線が、延々と果てしなく続く。その領域を越え、更に奥に入り、水上に浮かぶドアも壁も何もない土産屋に寄る。インディオ(日系移民の言葉で言えば土人)達が、自分で釣ったピラニアを剥製にしたり、ピラルクーの鱗(うろこ)、舌などを売っている。

ピラルクーのうろこ?

鱗と言われて見慣れた鰺(アジ)や平目のうろこを想像していただいては困る。何しろ五メートルになんなんとする魚のうろこなのである。乾いた状態で、幅が四センチ、長さが六センチ。現実にこのうろこは非常に丈夫で靴べらに使われていたり、表面で爪磨きに使われていたりする。強調しておきたいが、ピラルクーは川魚である。子供のころ、近所の小川で釣っていた結構な型(大きさ)のフナがこの三、四倍の大きさしかなかったことを思い起こすと、その巨大さがひしひしと迫ってくる。どんなに大きな鰺(アジ)のぜいご(鰺科の魚に特有の身体の体側線沿いにある例外的に大きな鱗)でも幅が五ミリから8ミリ。ここまで書けばみなさんに想像が付くだろうか。東京の大きさに驚かないみなさんも、この巨大なうろこには驚かないといけない。

ピラルクーの舌は、これはこれですごいもので、細長いへら状の上に、長さ五ミリほどの固い歯がびっしり並んでいる。これとガラナの棒がセットで、この舌をヤスリ代わりに使ってガラナの粉を削って飲めということらしい。なお、ガラナはブラジルの国民的飲料である。インディオがリキを付けるために飲んでいたのに目を付けたらしい。カフェインがコーヒーの五倍だとかなんとか。どこに行っても、水とコーラに並んでガラナが売っている。今は別に必要を感じないが、何か怪心乱麻を必要としたときのために、こっそりその舌とガラナ棒を売ってもらう。いつか、これが必要に来る日など来ないことを祈りつつ。〆て10リアル(約五百円)。

日本人のいうピラニア、アメリカ人のいうピラーナは、ここではピラーニャと発音される。従って今後現地音主義で、ピラーニャと書くことにする。この小さな(必ずしもそうとは言えないが)怪物は、こうやって剥製を手にとって見ても、依然現実感のない生き物である。口を見ると、どれもこれも、その身体には到底似合わない大きな三角形の歯が隙間なくびっしり詰まっている。その実力は翌日まざまざと見せつけられることになるのだが、ここではしげしげ、こわごわと眺めるだけであった。ふふという店のおばちゃんの声が聞こえてくる。


さて
その水上小屋の裏手で、その土人の子供達が遊んでいる。一緒に写真を撮って、お小遣いの足しに持ってたコインをあげると、それを床にゴツゴツぶつけて遊んでいる。彼女にとっては、お金もきれいなおもちゃにすぎない。ここにいわゆる文明と文明以前の境界を見る。知恵の悲しみという言葉があるが、彼女がいずれお金の意味を知り、その未だ人間に制御できない暴力的な力を感じたとき、一体彼女は何を思うのだろうか。

まもなく、そのそばの水上レストラン、正確には屋根のある大きな筏の上で食事をする。メインディッシュはピラルクーのソテー。そのアマゾンの鱈と呼ばれる美肉を初めて味わう。ふくよかで淡泊、それでいてまろやかさがあり、変な後味が全くない。川魚とは思えない。日本の川魚は、鮎や山女ですら川の匂いがする。しかし、それにしても、うまい。読者諸兄姉も美食家といわれたかったらこれを食べてからにしないといけない。釣友会の会長、つまり釣りキチ・オブ・釣りキチ、を父に持ち(自分もその血をかなり色濃く継いでいる)、富山湾でとれるありとあらゆる魚を最高の鮮度で食べて育った僕ですら食べたことのない味である。このピラルクーもまた乱獲に次ぐ乱獲で、数が激減し、その平均サイズも年々小さくなっていると聞く。実際、後日、珍魚、怪魚、大魚、美魚、あらゆる魚が並ぶマナウスの大きなメルカード(市場)に行ったときも、この魚だけは見ることが出来なかった。ほとんど不幸としかいいようがない味の良さである。何億年も同じ姿のままようやく生き延びてきたこの進化上の奇跡は、法律の制限も何も効かないこのアマゾンで、今途絶えようとしている。あまりの美味におかわりをしながら、心の中で浮上と沈下を繰り返す。

南無アマゾンリヴァー。合掌。


写真説明(クリックすると大きくなります)

1.船にかき回されるネグロ河の水。このまま瓶に詰めてコーラとして売れそうである。

2.リオ・ネグロとアマゾンの合流地点。この世で最も大きなコーヒーカップ

3.水上みやげやの裏にいたインディオの女の子。本物の生無垢。


Brazil 10へ続く

(July 2000)