巨人サンガー逝去


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII
Cambridge, UK

タンパク質のアミノ酸配列を世界で初めて決定し、DNAの配列決定法を発明、更にRNAの配列決定法も産み出したフレデリック・サンガー(Frederick Sanger)

ノーベル化学賞を二度受賞した唯一の人物。サイエンスをはじめた頃からずっと僕のヒーローの一人だった。

その彼が19日火曜、イギリスのケンブリッジで亡くなった。

享年95歳。

彼がケンブリッジのラボの片隅で、テクニシャンとたった二人で10年間こつこつと仕事を行い、人類が世界で初めてタンパク質の配列を決定した仕事は現代の伝説であり、サイエンティストの目指す一つの夢だ。

身体の最も大切な構成要素の一つであるタンパク質(protein)が、22のアミノ酸がチェーン状に組み合わさって出来ているものとしか分かっていなかった当時、この巨大分子の1次構造を本当に紐解けると考え、インシュリンを題材にやり遂げたのは彼一人だった。

しかも、それは巨大チームとはほど遠い、小さな小さなチームの放った大きな一撃だった。このアプローチがその後のいくつものタンパクの一次構造決定の引き金になる。この仕事がどれほど多くのインスピレーションを世界の科学者に与えてきたのか、その影響は計り知れない。

明らかに解くべき問題があり、それを解けると考え、人の判断に左右されずに自分のジャッジを基に、取り組みを行う、そのことの大切さをサンガーの人生は教えてくれる。

ちなみに、彼の最初のノーベル賞はこのたった5本の、しかし、人類にとって計り知れないほどの価値を持つ論文からなる仕事のわずか4年後に与えられた。どれほどのインパクトのある仕事だったか、この事実だけからも分かるだろう。

最初のノーベルを40歳でとった後も、彼はラボからでることなく、コツコツと自分のベンチ(実験台)の前から離れることはなかった。「自分は人のために実験を考えることは得意じゃない、人を管理したり、教える才能がない」*1、彼はそう言って、自ら手を動かし続けた。

本当にサイエンスが、そして研究が好きな人にしか出来ないことだ。PI(principal investigator: ラボのヘッド)になったとたんにふんぞり返り、実験は若い学生、研究者に任せる、多くの研究者とは対照的だ。しかしそのほとんどの人は、サンガーには遥かに劣る衝撃しか世の中に与えない。

僕の知る限り、多くの実験科学者は、手を動かすことは労働ぐらいにしか思っていない。ただ、中にはほんの少し、それ自体に喜びと専門家としての矜持を持ち、その前後の中で多くのインスピレーションを得ていく人がいる。そのことの大切さをしみじみ感じさせてくれるのもサンガーだ。

静かな研究生活の中から、彼は、我々の遺伝情報を運ぶ物質の画期的な配列決定法を開発する。基本となる要素はわずか四つと、タンパクよりも格段に少ないが、タンパクとは比較できないほど長大で、手の付けられなかったDNAが相手だった。誰もが大切と分かっていながら手の付けようがなかった超巨大分子、DNAの配列決定。その後、サンガー法と呼ばれるようになる。これが彼の二つ目のノーベル賞となる。

同時期に産み出され、利根川さんののちのノーベル賞につながる免疫系の仕事で一緒に仕事をしたギルバートによる手法は、今はほぼ使われていない。高速な配列決定法(シークエンシングと呼ぶ)も現在は多く存在するが、その大半の原理的な部分はサンガー法だ。この事実上のデファクト的な手法によって、ヒトゲノムも配列が決定された。この世を根底まで揺さぶる仕事だ。

英国人で2つのノーベル賞を得た唯一の人物であるにも関わらず、サンガーはKnightの称号を受け取らなかった。Sirと呼ばれることを好まなかったからだという。*2

研究をやめて久しくたった今も、彼の生き方を考えるたびに、僕は自分の生き方と意味を考える。

今、本当に自分は大切な問題に立ち向かっているのか、自分は今やっている仕事を心から楽しんでやっているのか、指先から立ち上る、そして分析の現場から生まれる、そんなひらめきと考えをちゃんと大切にしているのか、と。

遠い極東の片隅から、サンガー博士のご冥福を祈る。

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TTTCGCGAAGAT
AGCGCGAACGGCGAACGC *3

*1:I am not particularly adept at coming up with experiments for others to do and have little aptitude for administration or teaching

*2:サイエンスで二度受賞した人は、他に二人しかいない。キューリー婦人こと、Marie Curie (Physics in 1903 and Chemistry in 1911) とJohn Bardeen (Physics in 1956 and 1972) だ。

*3:http://phenomena.nationalgeographic.com/2013/11/20/cgcattccgtttcgcgaagatagcgcgaacggcgaacgc/