高峰譲吉博士とノーベル賞

Leica M7, 35mm Biogon F2.0 @Sedona, AZ


先日、といってももう一月ほど前になるが、久しぶりに生の演劇を見た。新宿の紀伊國屋サザンシアターで、高峰譲吉博士の人生を描いたものだった(『サムライ 高峰譲吉』)。私の20年来の大切な友人の一人である串間保君が主演だった。帰国以来、随分バタバタしていて、なかなか見れていなかったのだが、久しぶりの観劇は串間君、他皆様の熱演、好演もあり、なかなか感慨深いものだった。それと共に、これほど志の高くそれを貫き通した日本人がこれほどの昔にいたことに感動を禁じ得なかった。


高峰譲吉、と聞いてこの人は何か、分かる人がいればなかなかの科学通である。


高峰博士は、私もこの劇を見て知ったのだが、今から150年以上前、黒船来航の翌年、嘉永7年(1854年)、明治になる直前に現在の富山県高岡*1で生まれ、金沢で育った。加賀藩御典医の家に生まれ、幼少の頃より神童であったという。長崎に留学し、坂本龍馬や、写真界の草分け上野彦馬らとの出会いが譲吉の目を世界に向けさせる。その後、福沢諭吉が学び、事実上慶応義塾の精神的母体と言っても良い大阪の緒方塾で学ぶ*2。後に工部大学校(現在の東京大学工学部)を首席で卒業(第一期生)。


1880年より官費で三年間英国グラスゴー大学に留学(間違いなく欧米でしっかりと学んだ最初の日本人の一人)。農商務省に入省するが、ニューオリンズでの万国工業博覧会にて出会った米国女性と恋に落ち、そのまま1887年に結婚、永住。時まだ明治20年、実に120年以上前のことである。日本人、特に男性の欧米人との国際結婚の嚆矢でもあった。


ウイスキーの製法に、麦芽モルト化(発芽させること)せずに、米麹を用いて作るという画期的な「高峰式元麹改良法」を発明。但し旧来の製法を守る勢力の妨害があり、これに関するシカゴでの事業は失敗。

苦痛の一方、四年後、この醸造発酵技術の過程で強力な消化酵素「タカジアスターゼ」を発見。世界で最初の科学的な胃腸薬であるこの製品は米国を始め爆発的に売れた*3。日本における商権のみは売却しなかったため、これをベースに三共(現、第一三共)が生まれ、初代社長を務める。


これだけでも驚異的な人生なのだが、彼は数度に渡る生死の境を越えつつ、牛の副腎より、世界で最初のホルモン抽出、結晶化に成功(1900年)。これがアドレナリン。譲吉こそは内分泌学、神経科学の創始的な一人でもあった。この業績がいかに困難かつ、偉大なものかということは生物系で多少なりとも内分泌学に親しみのある人であれば即座に理解して頂けるだろう。ホルモンは実に微量の成分であり、現在の生化学、分子生物学的な手法をもっても、新種のホルモン抽出、精製は相当に難しいからである。


確かに経済的には成功したかもしれないが、これほどの人生、これほどの科学的業績であるのにも関わらず、高峰博士はノーベル賞はおろか世界的なメダルすらもらっていない。その上、恐らく劇を見る前の僕と同じく、現在の日本人の多くにもタカジアスターゼという名前で朧げ(おぼろげ)に知られている程度ではないかと思う。

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かたや、ノーベル賞の授賞式が先日あり、これだけの数の日本人受賞が同時に起きていながら、特に騒がれることもなく、日本でも、世界でも受け入れられている。そして受賞を受けた四人の名前は日本人の頭に刻まれる。


、、、何とも言えず、感慨があった。


今、韓国では一人でもノーベル賞受賞者を生み出そうということで、必死であると、まま聞く。日本も、高峰博士、北里柴三郎先生と歴然とノーベル賞に値する仕事をしても頂くことの出来なかった人が、このように二十世紀とともに始まったノーベル賞創始の頃より*4、連綿と存在する。


日本も遂に本物の大国になったということだろう。感無量であると共に、このことを当たり前のように受け入れてはいけないと思う (We certainly should not take it for granted)。そんなことをこの度しみじみと思った。

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世界に遅れを取らない日本人研究者育成のため、理化学研究所の創設を強く提唱し、実現させたのも高峰博士だった。


一方では、豊田式自動織機の事業化につまづき、失望のどん底にあった豊田佐吉翁を励まし、事業化の情熱を再度焚き付けたのも高峰博士だった。


晩年、「無冠の大使」として、次第に危うくなる日米の親善のために、事業成功で得た富を惜しみなく投じたのも高峰博士だった。その一つ形として残っているのが、あのワシントンDCにおけるポトマックリバー沿いの桜。この3000本に及ぶ寄贈を私費で行ったというのは驚きとしか言いようがない。このことを知っていれば、かつてDCに行ったときの感慨は更に深かったことは間違いない。


高峰譲吉博士の偉大な人生にこのウェブの片隅で乾杯と感謝を捧げたい。


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ps. このエントリに限らず、写真にもスターなど頂けたりするととてもうれしいです。



*1:なんと私も同じ!

*2:この辺りは「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」に詳しい。もしまだであればオススメ

*3:なお、その約10年前に発見されたジアスターゼ(アミラーゼ)そのものは、なんと私も今回知ったのだが、世界で初めて単離された「酵素」であり、譲吉は酵素学の父の一人とも言える。

*4:ノーベル賞は1901年が第一回目