年間二千人じゃだめなんですか? — 社会は高度知性をどう使うのか


Numbered, in the storm.
Rusutsu, Japan
Leica M10P, 1.4/50 Summilux ASPH, RAW


2015年春、文部科学省とROIS(情報・システム研究機構)による緊急の集中討議で、ビッグデータ・AI時代の人材育成についての総合検討が行われていた*1

その際、僕は、

  • リテラシーレベル(年間約50万人)
  • 専門レベル(年間5万人) 上の約1割がここに進む
  • トップ人材・リーダー層レベル(年間5000人) そのまた1割がここに到達

という三層構造での人材育成を提案した。

「これは一部の専門家の話ではない」 からであり、裾野の広がりが国としてのその分野の本当の基礎体力、強さになるからだ。明治において、世界の主要国に大きく遅れることなく進めた学制の制定と展開の話に近い*2

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僕があの場で言ったのは、

「法学であれ経済学などの社会科学であれ、はたまた歴史や哲学のような人文系の分野であれ、形態素解析や統計解析、あるいは機械学習を用いて研究を行うことが、いずれ当たり前になる。逆に言えば、こうした素養を持たない人は、知的労働市場で急速に苦しくなる」

そして実際にそうなった。

つまりこれは、新しい専門職を作る話ではなく、社会の基本素養を書き換える話だった*3

ところが、その議論の最中、検討の責任を担っていた文科省側のトップの方から、こんな問いを受けた。

「年間2000人ではだめなんですか? そんなに育てて、社会の受け皿はあるんですか? その責任は誰が取るんですか?」

提案した50万人に対して、2000人。提案の 0.4%以下 である。
その時、僕はこう返した。

「これは専門技能ではなく、新しい時代の“読み書きそろばん”なんです。我々の子や孫たちを路頭に迷わせたくなかったら、専門が何であろうと、やるべきなんです」

結果として、この集中討議は、その後の「数理・データサイエンス・AI教育」の立ち上げや、理研・産総研・NICTによる三つのAIセンター構想へと繋がっていった。だから、議論そのものは決して無駄ではなかった。

ただ、議論の入り口でこの問いが出てきたという事実は、いまも僕の中に残っている。この問いには、日本社会の「知の使い方」そのものが現れていたように思う。

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最近、主要国のPhD(博士号取得者)の分野構成やキャリア構成を眺めていて、改めてそのことを考えさせられた*4

主要国の新規博士号取得者 分野別実数(推定値)

同じ問いは、実は、より「上」のレイヤーでも繰り返し問われてきた。リテラシー層だけでなく、高度抽象知のレイヤーでも、構造的に同じことが起きている。

日本の博士号取得者は年間約1.6万人程度。そのうち4割超が保健・医学系であり、人文・社会科学系は合計でも1割に満たない。

一方、米国や欧州では、理学・工学・社会科学・人文科学が比較的厚く存在している。もちろん単純比較はできない。国ごとに制度も文化も違う。ただ、構成比を見ていると、それぞれの社会が「何を高度知性として重視しているか」が透けて見える。

中国は工学が突出している。国家建設と産業競争力強化への集中投資だろう。 フランスは理学と人文が厚い。理論知や教養知への強いコミットメントを感じる。 日本は保健系が極めて厚い。これは臨床医の学位取得文化とも関係している。

それ自体が悪いわけではない。 だが同時に、日本では社会科学や人文科学のPhD層が、極めて薄い。

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実は、僕は2008年から2009年にかけて、これに近い話をブログで書いている。当時のテーマは「ポスドク問題」だった*5

日本は、人口比でアメリカの2.4分の1しかない。にもかかわらず、主要大学から生み出されるPhDの数はアメリカと遜色ない。一方で、産業側の吸収余力はライフサイエンス系で言えばアメリカの10分の1しかない。「アメリカの10分の1のバケツに、同じ量の水を流し込んでいる」と、当時の僕は書いた。

いま振り返ると、当時の僕は、この問題を「供給過剰」として捉えていた。だが、17年経って気づくのは、問題はそこだけではなかったということだ。
本質は「人数」ではない。バケツとバケツの間に、水が流れる回路があるかどうかだ。
高度抽象知を持つ人材が、社会のどこに流れているのか——本当に重要なのは、そこだ。

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よく誤解されるが、米国でも欧州でも、PhD取得者の大半がテニュア教員になれるわけではない。むしろ逆だ。

米国NSF(国立科学財団)の追跡調査でも、ライフサイエンス系などで最終的にテニュアに到達するのは10〜15%程度とされている*6。理学系・社会科学系全般を見ても、感覚的には1割前後と言っていい。
では残り9割はどうなるのか。 ここに、社会構造の差が現れる。

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欧米では、PhDは「大学教員資格」ではなく、 高度な抽象化能力・構造化能力・問題設定能力を持つ人材 として扱われる。

これも同時期にまとめたが、米国の主要大学のPhDプログラムは、明確に二つの能力育成を目的にしている。「independentな研究のプランニング・遂行能力」と「大学における教育能力」だ*7。研究者の基礎免状であると同時に、教員の基礎免状でもある、という発想が、制度として組み込まれている。

だから、研究そのものだけでなく、構造化された文章を書く力、議論する力、若い人を導く力、プロジェクトを設計しマネジメントする力、といった移植可能なスキルが体系的に育てられる。これらは、研究を離れても通用する。

そして米国ではこの動きが「Alt-Ac(Alternative Academic)」として概念化されており、テニュアを目指しつつ、そうならなかった場合の展開も学位取得の段階から視野に入れるのが、ごく普通の設計になっている。アカデミアの外に出ることは「脱落」ではなく、戦略的な転回(pivot) だ。

だから、大学の外に広い受け皿がある。

テック企業では、心理学・言語学・哲学の博士がUX設計、AI倫理、自然言語処理の評価などに入る。 歴史学の博士が、リサーチやインテリジェンス、政策分析に関わる。 社会科学系PhDが、政府、中央銀行、国際機関、シンクタンクで意思決定を支える。日本の大学関係者から見ると驚かれるだろうが、大学のadministratorがPhD保持者であるのは日常的であり、積極的に求められる。

つまり、社会全体に「知の市場」が存在している。 大学・政府・産業が、高度知性を介して循環している。

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一方、日本では、博士人材、とりわけ文系博士の出口が極めて狭い。

企業側には、「専門しかできない人」「実務に向かない」という固定観念が根強い。 逆に大学側も、「アカデミアに残れない=敗北」という空気をいまだに引きずっている。

加えて、「一度民間に出てから、実務家教員として大学に戻る」という双方向の流動も乏しい。最初からテニュア一本に賭けて敗れる、という極めてハイリスクな構造が温存されている。

結果として、

  • 大学
  • 行政
  • 産業
  • 社会実装

の間で、知が流動しない。 高度抽象知が社会に埋め込まれない。

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だが、AI時代には、この問題はむしろ深刻になる可能性が高い。
なぜなら、実行部分がAIによって急速に圧縮されるからだ*8

コーディング、分析、制作、調査、翻訳、要約、、これらの「実行」過程はAIに代替されていく。

その時、人間側に残る価値は何か。

  • 問いを立てる
  • 構造を読む
  • 意図を設計する
  • 文脈を扱う
  • トレードオフを捉える
  • 何を最適化するかを決める

そうした領域に寄っていく。

以前から「コの字型社会」という言い方をしてきた。スマイルカーブが「両端が高い」形だとすれば、コの字型は「実行という中央が圧縮されきって、両端だけが残る」形だ。人間の価値が、「方向づけ」と「最終判断」に偏っていく構造である。

つまりAI時代は、 「高度抽象知を社会にどう埋め込むか」 が競争力そのものになる。

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2015年当時、「そんなに育てて受け皿はあるのか?」という問いは、ある意味では自然だったのだと思う。
当時、多くの人には、データサイエンスやAIはまだ「特殊技能」に見えていた。

だが実際に起きたのは、特殊技能化ではなく、 "読み書きそろばん化" だった。

そして今、同じことが、より広い意味での「高度知性」全体に起き始めているように見える。

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本当に問われているのは 「PhDを何人育てるか」 ではない。

むしろ、社会は高度知性をどう循環させるのか、だ。

*1:https://www.rois.ac.jp/open/pdf/bd_houkokusho.pdf https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu23/002/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2015/11/19/1364662_002.pdf

*2:kaz-ataka.hatenablog.com

*3:これらの数理データサイエンスAIスキルはこれからの時代の読み書きそろばんであるということは2013年春のDS協会設立の直後から言い続けてきたが、ついに定着したように思う。

*4:本数値は、文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)「科学技術指標2024」および各国の公的教育統計(米国NSF、中国教育部等)の2020〜2021年前後の実績値を基に、分野別の構成比から算出・概算。各国の学術体系の違いにより、細部の分類(例:心理学の帰属先など)に差異があるが、全体的な構造比較(日本の保健系偏重や中国の工学重視、欧米の社会科学層の厚みなど)を可視化するために再集計を行っている。

*5:kaz-ataka.hatenablog.com kaz-ataka.hatenablog.com

*6:米国国立科学財団(NSF)の「学位取得者追跡調査(SDR)」および米国国立衛生研究所(NIH)の諮問委員会報告書(2012年)に基づく。1970年代以前は取得者の過半数がアカデミアに残る構造であったが、近年の供給過多とポストの固定化により、バイオ医学や理学系を中心に、学位取得後5〜6年時点でのテニュアトラック到達率は15%を下回る水準まで低下している(Science誌掲載のP. Stephan教授らによるマクロ分析等でも「1割台」が定説となっている)。米国国立科学財団 (NSF) SDR調査: https://ncses.nsf.gov/surveys/doctorate-recipients ; NIH 若手研究者キャリア報告書: Biomedical Research Workforce Working Group Report

*7:kaz-ataka.hatenablog.com

*8:kaz-ataka.hatenablog.com