『立ち上がる』年に


GXR with 35/1.4 Nokton Classic @気仙沼 (Dec 24, 2011)


みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

個人的には、一年前はいきなり誤診のためにインフルエンザをこじらせ、頭痛、咳及び関節痛に苦しみつつ、肺炎の一歩手前まで行くと言う猛烈な年始だったのですが、今年は驚くほど平穏で、田舎で三泊し、昨夜帰ってきました。:)

社会的にも、個人的にも、現実味がないほど激しい2011年は終わったということで、それだけでもうれしい。今年は前向きに色々取り組んで行きたいと思っています。

年末に、気仙沼陸前高田の二つの被災地を巡り、完膚無き状態、という言葉が比喩ではない現実を目の当たりにしました。陸前高田は見渡す限り、建物の基礎を残して何もなくなっており、気仙沼も、湾の入り口は同じ感じで広大な土地が「ペロッと」*1はぎ取られたままでした。


GXR with 35/1.4 Nokton Classic @陸前高田 (Dec 24, 2011)


@気仙沼 (Dec 24, 2011)

9ヶ月経った今も、電車すらちゃんと通じていない。JR大船渡線は、終点、大船渡(おおふなと)には届かず、気仙沼で停止。日本でも指折りの漁港、気仙沼の漁船の8−9割は失われたまま。波でさらわれた冷蔵庫、加工工場も大半が、再建、回復のめどすら立っていない。多くの土地は、沈降し、潮をかぶったままで、そもそも建築自体に制限がかかっている。

東京にいると、まるでもうとっくに話が落ち着いているかと思っていがちな自分の考えそのものが全く間違っていました。三月に書いた震災課題に関するエントリーでいうと、「止血」にケリがついたかどうかという段階。ようやく仮設住宅に人がおおむね入ったという状況で、生活基盤の作り直し(=「治療」フェーズ)はこれからだったのです。

先日、不思議なご縁があり、対談させて頂いた糸井重里さんからのお話*2で、今月13日に、東北復興緊急ギャザリングというのに出ることになり、その絡みで、一度はこの目でしっかりみて、色んな人と話さないとと思って行ってきたのですが、これが僕の背筋をぐっと伸ばしてくれた気がします。*3

上の写真のような現実を目前にしていると、ただ言葉を失うのですが、行ってみて得たものは全く別でした。そこで出会った方々のパワーと、生きる力に大きく打たれ、何を今まで僕はやってきたんだとガツンと殴られたようなショックを受けたのです。こんな中にあって、僕の直接お話しした20人ほどの人、町の人のどのひとりも打ちひしがれた姿など見せることなく、どのように現実に立て直して行くかに取り組み、それを明るく立ち上げて行こうとしている。


@気仙沼 アンカーコーヒー本店 開店当日

丘の上にあったために、大量の被災者をうけいれ、陸前高田の復興の中心の一つとして取り組んでこられた高田自動車学校では、まばゆいほどのの未来の絵を地図写真の上に描きながら、ものすごい現状をものともせず、未来に向けた話をユーモアたっぷりに語る、田村社長。


@高田自動車学校 被災前の陸前高田の航空写真

一瞬にして港に望む本店が波をさらわれた被災の経験にも関わらず、それを「ピンチをチャンスに」と明るく語る、気仙沼の顔の一つと言うべき「アンカーコーヒー」の紀子さん。

そのアンカーコーヒーはなんと訪問した12月23日に新立地の仮設店舗にて再開店。「何を言ってるんだ、俺たちはここで生きて行くんだ」といいながら、「店を出したついでにスペインにいた頃を思い出し夜はバルまではじめちゃった」と実に楽しそうに、新品のイベリコ豚の生ハムに最初のナイフを入れるアンカーコーヒーの小野寺専務。

次々と現実的な知恵を出しながら、力強く(陸前)高田、気仙沼の人をつなぎつつ、工場が流された自分の会社では工場を借り、素晴らしい醤油を作り続ける八木澤商店社長の河野さん。この困難の中で、人も切らず、売りを元の六割まで戻されたそうです。ただ感嘆。帰りに送って頂いたクルマの中で聞いた、「人間はしぶといです」という言葉が頭から離れません。

こんな状態で、これほどの力を自分に出せるのかと自分自身に問いかけるとともに、お会いしたたくさんの方々の輝きがただまぶしい訪問でした。

帰ってくる前から沸々と一つの言葉が自分にわき上がってきました。『立ち上がる』です。

現実の激しさ、強さに目を背けることなく、目の前のことも含めて、一歩一歩進んで行きたい。雑多な理由で昨年、ほとんど書けなかったブログも、身の回りのことも含めて、出来るだけ書いていけたらと思っています。

2012年が日本にとって、読者諸兄姉、そして被災した多くの土地の皆様にとって、素晴らしい年となることを願いつつ。


amzn.to

*1:by 「アンカーコーヒー」の紀子さん

*2:12日から、糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞で、対談が載る予定とお聞きしています。よろしければご覧頂ければ幸いです。下が、糸井さんからのそのご案内。…“@itoi_shigesato: つまり、「今、本当に答えを出すべき問題であり、かつ答えを出せる問題=イシュー」は、僕らが問題だと思う対象全体の1%ほどに過ぎない。(抜)ーー『イシューからはじめよ』p73より ⇒「ほぼ日」でそのうちはじまる安宅和人さんとの対談連載より”

*3:恐縮ながら、僕もこの間まで存じ上げなかったのですが、糸井さんは本腰を入れて、被災地復興に取り組まれている数少ない著名人の一人です。まだホヤホヤの気仙沼事務所にもおじゃましました。

人生の短さについて


Leica M7, 50mm C-Sonnar F1.5, RDPIII @ London, England


僕の意思とは別に出版社が選んだ(笑)、年末に出た拙著*1の表紙の帯にある言葉と違って、僕は人生が短いなんて思ったことはあまりない。

僕が、はたちを過ぎた頃から、繰り返し読んできた本の一つに、セネカの『人生の短さについて』(岩波文庫)がある。そこにある通り、

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

「われわれは短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている、、、(中略)、、、何ゆえにわれわれは自然に対して不平を言うのか。自然は好意を持って振る舞ってくれている。人生は使い方を知れば長い」

、、、そう思う。

若い頃、よく聞いて、今も時折聞く言葉に、歳を取ると時間の過ぎ方が速くなる、というのがある。ホントかな、と思う。

子供のころの一日も確かに長かった。海のすぐそばで育った僕は、毎日早起きして、釣りに行き、そのあと、飼っていたニワトリと、虫と、インコの世話をして、ついでに廊下の掃除をしてから、ご飯を食べて、学校で遊び、また放課後、釣りに行き、友達とビー玉や、コマや、色んなことをして遊んだ。高学年になってからは毎日毎日サッカーに明け暮れ、夕方の遊びが、球蹴りに変わった。

でもあの頃を思い出して、一ヶ月がそんなに長かったかな、と思う。とても楽しくて、すぐに過ぎ去って、夏休みが終わる時の悲しさは言葉でいえないほどのものがあったのは確かだけれども、ひと月はある種あっという間だった。

で、大人になってからはと言うと、少なくとも大学院に入り、また仕事をするようになってからは、ひと月ひと月がとても濃厚で、一ヶ月経って、ひと月前のことを思い出すと、あれが本当にひと月前のこととはとても思えない、そう思うことが日常茶飯だ。

ビジネスの世界では、三月(みつき)もあれば、相当にまとまった仕事ができる。混迷に満ちた状態のプロジェクトも方向性が定まるし、少なくとも次に何をやるべきかぐらいはハッキリする。半年もあれば、大きなディールもかなり進展するし、一年もあれば、大型の商品だって外に出すことが出来ることが多い。

で、区切りになると、本当にあれが、半年前の話だなんて、とても実感ないですねー、ずっと遠くの話に感じますね、、、なんていうことをよく言い合う。

僕らが体感的に感じる時間というのは、おそらく僕らがどれほど新しいことをやろうとしているか、そしてそれを越えた実感があるか、それによって決まるのではないかと思う。

そういう視点では、次から次へと新しいことを実際の世界でトライし、その結果をたとえ苦痛が伴おうと、実感し、それをもとに更に次に向かうことが出来る大人の世界の方が、遥かに時間は長く感じるものではないかナ。

そして、それは沢山のことを実は産み出しうる、ということでもあり、より新しいことを体験しうる、ということでもあるのではないかと思う。ということは、ちゃんと正面から自分の人生を生きてきたのであれば、実は歳を取るほど時間は実は長くなっているはずであり、世の中の常識は実は違うのではないかと思う。

逆に、自分の時間が過ぎるのが速くなってきたなと感じたら、それはある種の危険信号で、自分がちゃんと正しく、自分自身にチャレンジしていないということを示している可能性があるのではないかな、、そんなことを思う。

というのも、年始にTwitterにはちょっと書いたのだけれど、年末にたちの悪いインフルエンザ(恐らく新型)にかかり、それが風邪と誤診されたために悪化し、気管支炎になり、肺炎にもなりかかった。これがさらにこじれ、ゼンソク体質ではないはずなのだが、ゼンソク様の症状になって、一月はずっとなれないクスリを飲んで、時折点滴を打ったりして、ぼーっと過ごしてしまったからだ。

結果、一月はほとんど僕にはあまり生きていた記憶がなく、頭を使わないTweetを眺めたりしていたことぐらいしか心に残っていない。そういう意味では、この一、二年で最も忙しくない(忙しく出来ない)時の時間のスピードが、僕には最も速かった、ということだ。

さあ、もう二月も終わる。

僕が大好きな冬から春に変わるこのタイミングがはじまる。

じっくり、そしてしっかり、がっちりと人生に向かい合って、大きくなにかに掴み掛かって、また何か変化を産み出していければと思う。

読者諸兄姉にとってもこの春の始まりが、素晴らしいものとなりますことを願いつつ。


ps. 上で触れた拙著についての参考リンク

ps2. twitterでのアカウント、2年以上ほとんど止まっていましたが、徐々に使い始めました。ハテナと同じハンドル名です(@kaz_ataka)。よろしければご笑覧ください。

*1:

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

純粋に好きなものを繰り返し読む


Leica M7, 50mm C-Sonnar F1.5, RDPIII @Lake district, England, UK

本を無心に読むって本当に素敵なことだと思う。

川本裕子さんの、「親子読書のすすめ」を読んで久しぶりに子どもの頃の、純粋に本を読むよろこびを思い出した。

本に没頭できると本当に幸せだけれど、ちょっとだけすれっからしになった今は、そう簡単に時間が忘れられるほど、なにか読み物に没入できることがあまりない。

ぼくはもとより音楽のように気が向いたときに自分のすきな本の一節だとか、その周りだけとかを読むことが多い。何冊も、ほんの少しだけ、読みたいところだけを読むこともある。

けれど、その「すすめ」を読み、ただ無心に面白すぎて何かを読む、それをまた最初から読み始める、というのが、このところなくなっているかも、、そんなことをふと思った。

自分が子どもの頃、家族の図書カードも使って、図書館から借りられるだけの本を借りてきて読み、恍惚とした、あのよろこびからほど遠いな、とも思った。

お小遣いも限られた子供のころは、釣りのえさだとか、ビー玉とか、コマとか、あるいはサッカー道具とか、色んな遊び道具を買ったらお金なんてなくなってしまって、本はほぼ全て町外れの図書館で借りていた。一度に6冊とか借りて、それを一気に読む、本当に面白い時は、また同じ本を借りて、またその本を読む、、、確かにそういう読み方をしていたな、ということを、思い出した。

きっとこのブログを読まれている人にも何人かいらっしゃると思うが、僕は、今はやりの本というのがあまり得意でなく、人の目につく前か、人が大騒ぎしていない本を見つけてきてそれを自分のペースで読むのが好きだ。そうしないと、自分の心から来る小さな声に耳が傾けられない気がするからだ。

それってどこから来ていたんだろう、と思うと、おそらくそんな「子供のころ、自分がどうやって本と向かい合う時間があったのか、それから来ているんじゃないかな?」、、この本を見て、今回、そうふと思った。id:aurelianoさんの「もしドラ」も同じハテナでブログを書くもののよしみ(?)で、ちょっと心理的に身近に感じ、買ってきたが、もうすこし場が冷えてから読みたいな、と思っている。

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この川本さんの本に戻ると、この本には懐かしいのやら、名前しか知らないのやら、聞いたことのないけれど、子供のころの心にかえれそうな本が随分沢山紹介されている。

川本さんは、僕が仕事を始めた頃からのおねえさんのような人で、とても朗らかで、ステキな人だが、最近はすっかりスターエコノミストとして活躍されており、結果、ちょっとお近づきがたく感じたりもしていた。(笑)が、これを読んで、昔と変わらぬ川本さんがいてほっとした。: )

この本をふと手に取って買ってきたのは、そんな、知っている人の書いた本だからというより、多分、上にあるような、自分にとって大切な時間を思い出そうと思ったからかナ、と思う。(そもそも通常、直接、知っている人の本はあまり読まないし、なぜだか読みたいとあまり思わない、、。)

紹介されている本の中には、僕がどうしても欲しくて、買ってもらい、今でも大切に持っている本もあったりして、それもとても楽しい。みなさんも、そういう本がないか、のぞかれてみるだけでも楽しいのでは?

仕事も大変だったし、プライベートでも色々あった。そんな1年をこうやって一度時間をリセットする感じで振り返る、そんな気持ちになりたい人にはおすすめです。


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能力主義とメリトクラシー


Leica M7, 90mm Tele-Elmarit F2.8, RDP III @ Grand Canyon National Park (Mooseと並ぶ、北米最大のシカ、Elkです。)


能力主義という言葉がある。

このように不景気になり、沢山の若い人がちゃんと仕事に就けない状態が続くと、若い人たちのコミュニティに熱望されているのではないかと思う。一方で、歳を取って、守るものが多い人たち、多くの場合、その仕事を始めようとしている人たちの親の世代では、しかるべきポジションについている人ですら、あまりやり過ぎは良くないと考えているだろう。何しろ、自分の家族や子供をどうやって養っていけば良いか分からなくなるからだ。

実は、僕は一度もいわゆる年功序列的な仕事をしたことがない。もともと科学者にずっとなりたいと思っていたから、ということもあるが、少なからず、歳を取った人たちにアービトラージ、日本語のえげつない表現で言えば、「さやを抜かれる」のがいやだなと思っていたからでもあると思う。もともとお金を儲けようと思って仕事を始めた訳ではないけれど、いわゆるサラリーマンに夢を抱くことが出来なかったことも大きな理由だったと思う。僕が大学四年だったバブル全盛、バブル最後の年(1990〜1991年)で、生涯賃金が、最も高いといわれた興銀(日本興業銀行*1)でもうろ覚えだけれど確か5億だとかで(殆どの大手企業は当時3億円以下だった)、かたや自分が腰を痛めて診てもらっていた接骨院の親父が「このあいだも株で1500万円もうけた」なんて言っていて、最大稼げる企業に運良く入り、全ての夢を捨てて、身を粉にしてもこんなものかと思うと、なんだかバカらしくなったこともある。もう少しリスクをとって、今風(?*2)に言えば確変モードを狙いにいきたいと思っていたのかもしれない。

で、能力主義なのだが、当時はあまり何も思っていなかった言葉だけれど、今さんざんビジネスの現場で変革に携わり、実際に結果につながることに携わってきた結果、かなりくせ者ではないかと思っている。

「力」があれば重用されるべきなのかと言えば、正直クエスチョンだからだ。

事業、事業体というのは英語の会計用語でgoing concernということから分かる通り、常々変化に対応して、成長していく、少なくとも生き延びて先々に向けて投資していくというのが役割だと思う。

能力主義のいうところの「力」というのが実際に変革を起こす力であるとか、結果を産み出す力ということであれば良いのだが、往々にして世の中的には、あの人はこういう資格を持っているとか、こういうことをやらせれば出来るとか、経理に詳しいとか、あの分野に付いて良く知っているとか、しまいにはあの人は高い教育を受けているみたいなことばかりを「能力」と捉えがちだ。で、結果、英語学校ブームとか、資格とりましょう〇〇キャンみたいな、話がまき散らされることになる。*3

仕事を始めるぐらいの本当に若いうちはそれでもいいだろう。自力で引き起こした結果が何もないのが殆どのケースなのだから、そういう代替指標でもないと、多くの場合判断のしようがないだろうことはある程度しかたないと考えられる。

ただ、実際に仕事を何年も行えば、必ずその人の人生の後に何が残っているのかが、明確になる。

どのような変化を起こし、実際に今いる組織でどのような動きを引き起こし、それがどのような結果につながっているのか。その中で、どれだけの人を育て、どれだけの組織をまとめ、どれだけの希望と力を産み出したのか、だ。つまりgoing concernとしての組織にどれだけポジティブな効果を産み出したのか、そして産み出しているのか、が形になる。

決して、一発屋的な発明とか、大きな商談を一つとりましたという話ではない。問題はあくまで継続的に、あるいはシステマティックにそのような望ましい変化を産み出すことが出来ているのか、ということだ。

そう言う視点で考えると、多くの会社にかなりの数でいる「あの人はなかなかあの領域に詳しい」「あの人はこの分野ですでに何十年だ」という人は、組織にとっての価値は本当のところかなり怪しい。望ましい効果を産み出す人は、単に技能や知識があるだけでなく、それを使って結果を産み出せる人だからだ。心の問題が一つであり、大半の場合であれば、リーダーシップの問題でもある。人を一つの方向にまとめあげ、それに沿って結果を産み出せる人でなければ、ある程度以上のインパクトを産み出すことが事実上不可能に近いからだ。またそれが、会社や大学、研究所というものが人の集まりであることの意味でもある。


非常にシンプルで古典的な枠組みにSkill & Willマトリックスというのがある。

素朴な枠組みなのだが、人だとか自分がどこにいるのかを考える上で大変参考になる。組織を動かそうとする時に、組織の現状を考え、どこをレバーにして動かしていくのかを考える際にも、大変深い示唆を与えてくれる。

当然、どの組織にとっても宝になるのは、右上の象限の人であって、これはもう「人材」ではなく、「人財」というべき人だ。通常、大組織であれば5%とかそのぐらいしかいない。このような人たちを腐らせているようではその組織に未来はなく、どんどん任せていくべきだ。そして人の上に立つ人であれば、まずここに入ることを目指す必要がある。

縦軸は単にやる気として捉えられていることが多いが、これは本来は気持ちの心構え、心の素地というべきもので、右に行けば行くほど、その力に見合ったその結果のリーダーシップ、人望、牽引力が含まれる。付いて行こうとする者(follower)がいなければ、リーダー(leader、つまり牽引する者)とは言えない、と英語の世界ではよく言うが、まさにこれだ。

問題は、多くの組織において、能力主義で重用されたり、若い人が目指している領域が、右下にあることで、これらの人たちが大量にたまっている組織はかなり不健康だ。上のマトリックスでは暫定的に、左上と右下で人材1、人材2としたが、右下の人たちは僕は人材だとは思わない。

こういう人たちが、ああだこうだと文句ばかり言って、多くの場合、深い問題意識をもつこともなく、変革をくじく。そして、裏でぎゃーぎゃー言う。変に組織に長くいたりするので、影響力もあったりして、dark forceになりがちだ。なので、僕は能力主義というのは危険だなと思うのだ。

一方、左上の人たちは、多くの場合、未来への希望だ。この人たちこそ、鉄は熱いうちに打てで、どんどんとチャレンジさせないといけない。思い切りストレッチしてようやく出来るかどうかというチャンスをどんどん与える。もちろん、ただ任せるだけであれば無茶であり、無責任としか言いようがないが、ここは任せつつ、成長とトラブルがないかを近づきすぎずに見守る。信じて任せられ、思い切りがんばることなしに、人が大きく伸びることはあまりないのではないのかなと、僕自身の経験からも思う。

これまでそれなりの数の企業や組織を見てきたが、比較的能力主義と言われる中途の人が多い職場で右下な人たちを随分大量に見た。ちゃんと一緒に働いた人の声を聞くなどという基本チェックも含めた、十分にjob marketが発達してこなかったためかもしれない。これらの人たちは、何かを比較的つつがなくまわすことは出来ても、環境の変化に応じて、色々なことを仕掛け、その新しい試み、変化、イノベーションのために関係するお客様や沢山の人たちを動かすなんてことはしない。そして何か分かったようなことだけを言う。それは組織にとっての本当の力にはならない。

逆に良く練れた年功序列の組織の方が、帰属的な愛のある組織であれば、却って上の方の人たちは役割を担おうとしていくことがあっても全然おかしくない。

そう言う意味で、右上の度合いこそを組織は大切にするべきではないかと思う。これが会社にとってのmeritによる評価であり、これをmeritocracyという。なぜか、自分の元いた組織以外で日本語では聞いたことがないが、能力主義という言葉の底の浅さと、問題がこれだけ多くの組織で露呈してきている現在、メスを入れるべき、改善の方向性ではないかと思っている。

今、Wikipediaで検索してみたが、英語であれば、リンクのようにかなり徹底的に説明してあり、次に見る多くの言語での説明がある。が、日本語ではやはりないようだ。

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このコラムがある種の一石を投じることになればよいなと願っている。

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この間、ためにためてあったNHKのプロフェッショナル、仕事の流儀のうち、井上雄彦さんの回を偶然見、その結果、『バガボンド』を読んでいる。まだ20巻までしか読んでいないのですが、なぜか、上のようなことを思った次第です。

Hope you had a great weekend!


ps. このエントリに限らず、写真にもスターなど頂けたりするととてもうれしいです。また、よろしければ下のリンクをクリックして頂けると幸いです。

*1:すでにバブル崩壊の過程でなくなり今はみずほコーポレート銀行の中の母体というべき存在。今から考えれば二重にバカ話かもしれないけれど、トップ官庁を蹴っても行っても良いという人がいたぐらいの日本屈指のエリート企業だった

*2:少なくとも当時はあまり一般的ではなかった言葉だと思う

*3:註:これらを行う事業者に罪はない

マイケルジャクソンの死に想う


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, PN400N @Hiroo, Tokyo


マイケルが死んだ。


それにあおられるようにマイケルのステージが見直され、彼の驚異のステージにまつわる秘密のようなものについても記事が出ている。僕も、それにリンクされているマイケルのステージを見た。


大げさかもしれないけれど、正直、毛が逆立つような感覚がした。彼はここまで仕事を詰めていたんだと、しみじみ感じた。


確か、僕が中学生の時にスリラーが出て、衝撃の2500万枚をたしか一年あまりぐらいの間に売り、ジャクソンファミリーの最年少メンバーから、一躍、世界の頂点に立った。前作のオフザウォールも洋楽ファン(この言葉自体が死語?)、R&Bファンなら誰もが知っている通り、ほんとにいやになるほど売れたが、スリラーは桁違いだった。


Thrillerのビデオこそが今振り返ればMTVの火がついた始まりだったのではないかと思うが、あのような鬼気迫るステージに賭けた人生というのは、実に素晴らしいものだと、上記のリンク先の彼のステージを久しぶりに見て思った。


正直、あの超絶的なステージがもう二度と見れないのだ、自分は生で見ることは出来なかったんだ、と思うこと自体がつらい。


また、彼がわずか50歳であったということもショックであり、彼が既に50歳であったということもショックだ。


自分もあと何年生きられるのかよく分からないが(僕は常に死ぬことだけは忘れないようにしたいと思っている)、目先のくだらないことを越えて、なるべく本質的なことを突き詰めよう、そう固く心に誓った。

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彼が子供にいたずらをしたということでさんざん騒がれていた話も、今はそれらをプロデュース、仕掛けたした人たちの暴露本が出て、裁判の結果以上に、とんでもないデマだったことが今赤裸々になっている。それが明らかになっただけでも良かったと思うが、そのことが広まっていないことが本当に残念に思う。


マスメディアというのは本当に残酷だ。視聴率、部数さえ取れればこのようにメディアを支えてきた人間すら引きずり落とそうとする。火のないところに金が目当ての人間と、それを真実のように騒ぎ立てたメディアが煙を立てたという意味で、この事件は珍しい。そのことを示す、これほど歴然とした事例も珍しいのではないかと思う。


日本では有名になることは無条件に良いこと、という価値観がどうもあるように思うが、あの価値観から真っ向から逆をいく人をアメリカでは随分たくさん見た。彼の国で、恐らく成功している人のかなりはそうだと思う。名が知れ渡っていることをhigh profileと英語で言うが、「low profileで豊かな暮らし」というのが本当に豊かな生き方なんだなあと、当時つくづく思った。目立ってよいことなどあまり何もなく、出来る限り目立たぬように過ごしているのが本当の豊かな生き方なんだなと。


僕が住んでいたのが、南コネティカットという、米国で一二位を争う豊かな州の最も豊かな一帯だったせいもあり、表札も何もない長く長く続く石塀に囲まれた広大な森の中に住む*1アメリカで際立って豊かな人たちの大半が、高くてもせいぜいレクサスとかBMWの(その中でも上の方ではないクラスの)クルマに乗り、堅実に生きているのを見るたびに学ばされたものだった。正直、城南地区のクルマの方がよっぽど高いモノが多い。*2


中でもグリニッジという英国の天文台がある町にちなんで出来た町がとりわけ豊かな町なのだが(特に上の森の方)、この街のショッピングエリアにいっても、日本のようにLVなんて文字が入っているカバンを持っている人を見たことが殆ど記憶にない。つまり誰もあからさまに富をshow off(みせびらかしたり)しない。けれど、そこにあるSaks Fifth Avenue*3にいくと、たった二階建ての店なのに、数万ドルクラスの毛皮のコートは毎週10枚ぐらいは売れると言う。多分ショーファー(運転手)にリムジンで連れて行ってもらうようなパーティのときなどにはそう言うものを着る。そういうお金の使い方なのだ。


そういう価値観の国において、彼のような純粋なcelebrity*4の道を歩み、突き進むというのはかなり強烈な人生だと思う。それだけリスクをとって生きている人にあのようなことをしてしまうというのは、アメリカにおけるマスメディアの大きな根深い問題を示しているように思う。日本が同根の木を植えていないことを祈る。

          • -


マイケル、、、夏が終わり、年末に近づき、君の子供の頃の、I saw Mammy Kissing Santa Clausを、その天使のような歌声を聞くたびに、僕は君がこの世に運んでくれた沢山の喜びとエンターテイメントに感謝するだろう。


Micheal,

God bless you!


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*1:その一万坪とか軽くありそうな敷地の中に、馬が放し飼いにされていたりする

*2:ある本によると港区はカローラの6倍ベンツがあるそうだ。僕はそんな山手線の内側ではなくて、外側に住んでいるが、近くの一通レベルの路地にマセラッティが三台ぐらい並んでいたりする。あんな光景は米国では見たことがない。

*3:アメリカ屈指の高級百貨店

*4:近年急に使われるようになった日本語のセレブとはかなりニュアンスが違う言葉、、、「有名人」が多分正しい訳

Hello! I am back! (probably)


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, PN400N


気がついたらたいしてモノを書かないまま何ヶ月かが経ってしまいました。登録して頂いていただいてる読者諸兄姉(みなさま)、ゴメンなさい!


最後に書いてから二ヶ月。


色々書き物をしていたのですが(そしてかなり書いていながら、今もまだケリが付いていないのですが)、このまま書かないと、このブログ、書かないままになってしまいそうなので、何か自分のためにも書いていきたいと思います。



思い起こせばブログを書き出してからちょうどこれでほぼ一年。あっという間でした。


最初の二ヶ月ぐらいはあふれんばかりに書きたいことがあって書いていたけれど、これがもう内容がハードコアだったからか全然反響がなくて、さすがにちょっと参ったりした。笑


せっかくなのでちょっと振り返ってみたいと思う。

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去年は自分の人生にとっても結構な節目の年で、長年つとめたプロフェッショナルファームを卒業し、トップマネジメントに対するサポートという意味では、これまでと一見似ているけれど、それがなんというか平行して何十倍もの密度で起こる経営のつなぎ目のような仕事をするようになった。


それまで(前職)でも、三つ四つぐらいは常にon-goingのプロジェクトを持っていたので、ある程度以上の仕事のcomplexityにはなれているつもりだったけれど、平行して、クリアにケリが付かない、そしてつけることが必ずしも正しい訳ではないことが大量にあると言う状況に最初は面食らった。正直、知恵熱のようなものが出たし、当初、体調もすばらしくは良くなかった。今も必ずしもベスト順応している訳ではないけれど、それが望ましい訳でも、期待されている訳でもなく、ある種の平衡状態に変化しつつも来ている気がする。


同じく昨年、子供も学校に入り、すくすくと育ってくれていてとてもうれしい反面、三つ、四つの時のような無邪気さがだんだんと大人びてきてさみしかったりもする。ただ、やっぱり疲れて帰ってくると、当然のようにもう寝ていたりするけれど、顔を見ると本当にほっとする。そして、時たま親にしみじみ感謝する。


このバタバタしているタイミングに平行して、40になって、世の中平均的には人生の半分が過ぎたんだなと思って、自分はどれだけのことを残せたのだろうと思うこともある。ただ、いくつかの歴史に残るようなヒット商品や事業を産み出す過程に直接的にかなりディープに関わることが出来たことなどを考えると、仕事という面ではそれなりに充実していて、毎回ギリギリだったりしたけれど、そうして命を削りながら、限界に挑んできたので、それほど悔いはないなと思う。今死んじゃうと遺産らしい遺産が何もないのが、家族に申し訳ないとは思うが、、それはそれで、ここから先少しでもなんとか前に進んで、あとで振り返ったとき、あの頃も本当に楽しかったと、家族や周りの人に思い出が残るとそれでうれしいなと思う。


実ははたちの頃、一度だけ肺炎にかかって一週間近く入院したことがあって、毎日39度9分とかという体験したことのないような熱が連日でて、点滴を毎日四本だとか六本だとか打たれてふらふらだった。小中高無欠席というような健康体で育った僕は、39度以上の熱に記憶する限りそのとき初めてかかり、普通の人から見たらばかな話だけれど、ホント死ぬかと思って、看護婦さんに「僕はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ」(まだなにもやっていなくて死ねないから。笑)、、、なんて本気で叫んだりしたのが懐かしい。あれから20年あまりが過ぎ、それなりによくがんばったよな、と思う一方、沢山のすばらしい人たちに出会い、助けてもらってきたこと、際どい時に天に助けられたなと思ったことが何度となくあったことを本当に有り難く思う。

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このブログのタイトルの通り、サイエンスとマーケティングを行き来する生活を送ってきて、今はマーケティング、そしてその延長のマネジメント側にかなりどっぷり浸かっている。僕の専門のニューロサイエンスは、若干怪しげな脳科学と言う言葉とともにかなりメジャーになって、とりあえず人権が生まれたカナ、という感じで、これはちょうど僕が高校から大学に行く辺り(=25年ほど前)の分子生物学ブームに近い状況なのかなと思う。


ただあの頃の分子生物学ブームと大きく違うのは、ニューロサイエンスは、まだそれほどの成熟段階にはない。分子生物学は当時、DNA, RNA, proteinの絡み合いとそこから生まれる遺伝情報の連なり、ダイナミズム、それらが使われて細胞が専門化し、成熟化していく過程の大筋が固まって、分子生物学から、細胞生物学、あるいはガン遺伝学などなどに一気に向かおうという次のフェーズに明らかに突入した段階にあったからだ。


門外漢の人には信じてもらえないかもしれないが、領域個別の機能や興奮、情報伝達パタンは愚か、神経一つのレベルの神経伝達の現状すら未だによく分かっていないことが多い。例えば神経の多くは大量に分岐しているけれど*1、それに全て信号が流れる訳ではないということだけ分かっていて*2、それを正しく説明するロジックは我々にはまだない。つまり脳のモデル化以前に、たった一つの神経のシミュレーションすらまだ我々には出来ない。


ホジキンとハクスリーの偉大な成果から飛躍的な成長は出来たと言えば出来ているが、第一段階の最も深い質問にはかなりの部分、まだ答えられていない。むしろ相対性理論量子力学の初期時点で、その中身が物理学者も理解しきれていない段階で大騒ぎしていたのに近いのではないかと思う。人間、いつも謎だとか、ターゲットとすべきゴールがないとダメになってしまうというか中だるみしてしまうので、そう言う意味で分けの分からない物の筆頭の一つとして我々の脳、神経系についての関心が高まっているのであれば、それは素直で素敵なことだとは思う。


マーケティングについては、この国は少なくともまだまだだと思う。マーケティングサイエンスの専門ジャーナルはそれなりに欧米に存在しているが、その中に日本人の研究者の論文を見ることは少ない。ブランドの構造をどう作るかというような、なじみ深い問題一つを取ってみても、アナリティカル(分析的)にその課題を切り分け、議論できる人がほとんどいない。その上で、それを同じく分析的に意思決定しましょうと言っても、そのアプローチのアイデアすら湧かない人が第一線の人でも大多数だ。だから、ファクトとロジックがないために、すぐに宗教間の戦いみたいになってしまう。これは若い人に取っては大きなチャンスフィールドですね。間違いなく。

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ブログの話に戻ると、秋になって書いた研究の本質的な流れに関する話と、そのあとぐらいかな書いていたアカデミア関連の話にそれなり以上の反響があり、この辺り、はてなの読者層がたまたまそういうのに刺さりやすいということがあるかと思うけれど(例えば、アメブロとかヤフーブログでヒットしたとは到底思えない。笑)、それに加えてやっぱり自分がこういう自分が若かった時だったら知っておきたかったと思うようなことを伝える意志を持って書いていたことが大きかったのだろうと思う。


休載中に書いた大学の経済的なストラクチャーの話など、ホント長年、誰に話しても知らない、聞いたことも自力で調べたこともない(留学経験者も含めて)ということが続いてきたので、書けてよかったなと思う。これで啓蒙が進んでどこかに誰かなにかを書く際には、このブログが引用されたりすればとてもうれしいと思う。



で、今後ですが、春先はアカデミア関連でかなり問題意識が先鋭化していたのですが、今の瞬間はそれほどでもなく、ニューロ関連になるのか、マーケ関連になるのか、はたまた草なぎ君みたいな社会観察系になるのかよく分かりませんが、何かピンと来たら書いていきたいと思います。


本エントリのタイトルを書いた時は、「明確にこれを発信したい!」と思うほどの意志がない状態でここから先続けられるかな、と思いが立って書きましたが、なんとか書いていけそうな気がしてきました。


今後ともヨロシクです。今日はまだ入院開け患者みたいな状況ですが(笑)、徐々に出来る範囲でパワーアップしていきます。


何かこんな感じのことでどう思いますか、とか、こういうことについて書いてほしい、的なことがあれば、お気軽にコメントなど頂ければ幸いです。出来る範囲で出来るペースで対応します。


それではまた!


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*1:何もかも調べたことのある人がいる訳ではないので、大まかだが、脳の中の多くの神経だと1000〜5000程度の枝があることになっている

*2:生理学をやっていない人はプロのニューロサイエンティストでも知らない人がいる

傷心の草なぎ君に贈る言葉


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @ Navajo Nation, AZ


Experience is a hard teacher because she gives the test first, the lesson afterwards.

— Vernon Sanders Law


経験というのは厳しい先生だ、、、試験が最初で、学びはそのあとなのだから。

— ヴァーノン・サンダース・ロー

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Being vulnerable doesn’t have to be threatening. Just have the courage to be sincere, open and honest. This opens the door to deeper communication all around. It creates self-empowerment and the kind of connections with others we all want in life. Speaking from the heart frees us from the secrets that burden us. These secrets are what make us sick or fearful. Speaking truth helps you get clarity on your real heart directives.

— Sarah Paddison


自分が傷つきやすいということは、それほど脅威に感ずべきことじゃない。誠実に、オープンに、そして正直でいるという勇気を持てば良い。そうすれば、君の身の回りとの深い意思のつながり合いがはじまる。これが君自身に力を与え、私たちすべてが求める他人とのつながりをあたえてくれる。心から話すことで、重荷となる秘密から私たちを解き放ってくれる。それらの秘密が私たちを不健康に、あるいは怯えやすくしてしまうのだから。本当のことを話すことが、あなたの心が本当に向かうところを明瞭にしてくれる

— サラ・パディソン


(→ 草なぎ君、、、これは君が会見でやったことそのものだ。密かに今深い心のつながりが広まりつつある。)

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I’ve learned that people will forget what you said, people will forget what you did, but people will never forget how you made them feel.

— Maya Angelou


私がこれまで学んできたのは、人はあなたの話した内容など忘れてしまうこと、人はあなたのしたことなど忘れてしまうということ、しかし、あなたがどのような気持ちを彼らに引き起こしたのか、だけは忘れないということだ。

— マイア・アンジェロー


(→ そう恐らく、このたびの事件というより、このたびの事件を通じて、草なぎ君、君がどう思われたかが、むしろ深く記憶されるだろう。だからそんなに心配する必要はない。昨日書いた通り、きみは十分社会を和ませ、幸せにしたのだから。)

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“Nothing is permanent in this wicked world - not even our troubles.”

— Charlie Chaplin


このヘンテコな世界の中では、どんなものだって永遠ではない、、、我々に起こるトラブルさえも。

チャーリー・チャップリン

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Life is very interesting… in the end, some of your greatest pains, become your greatest strengths.

— Drew Barrymore


人生というのは面白いもの、、、最後になって振り返ってみると、あなたの持つ最大の痛みのいくつかが、あなたの最大の強さになっているのだから。

ドリュー・バリモア

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また何か思いついたり、気付いたらここに載せます。

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