脳は「市場」をどう感じるか (2)

(1)より続く



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Tyrol, Austria


3「理解」におけるポイントについては、まずどういうときに我々が何かを理解したと思うのか考えてみたい。


飲み屋に行くと「分かる分かる」という話が始終聞こえてくる。また、僕らが、ちょっと難しい話を誰かに説明してもらっている時、うまくいくと無意識に深くうなづいていたりする。こんなとき、いったいどういうことが我々の脳の中で起こっているのだろうか?


考えれば考えるほど「分かる」という概念は分かりにくい。「分かる」と漢字で書くからといって、そのものを割ったり、ばらばらにすることが必ずしも必要なわけではない。


では、どういうときに我々は「分かった!」と思うのか、考えてみよう。ここにはいくつかのパタンがある。


1)何らかの共通性を発見するとき

たとえば、日本人に限らず、アメリカでもブラジルでもアフリカでも右利きの人が圧倒的に多い、ということを知ると、これはどうも本質的な偏りだということを知ると共に、何か「分かった!」気がする。このたぐいの「分かった」である。


2)何らかの普遍性のあるルールを発見するとき

例えば消しゴムが紙をきれいにできるのは、紙を削り取るからではなく、紙の上に載っているものをゴムに巻き取ることで紙をきれいにしているのだ、という仕組みを知ったとすると、なるほど「分かった!」と思う。そうすると、ペンやマジックなどインクで色がしみこんでしまうタイプの筆記具では、字が消しゴムで消えないのはどうしようもないことだとこちらについても「分かった」気がする。


3)構造、パタンを発見するとき

一見バラバラの事象が、二次元のグラフでプロットすると、実はある象限にデータが固まっていたりしていること、あるいは二つの線の間にすべてのデータポイントが入ることを発見したりすると(実はso whatが分からなくても)「分かった!」気がする。


この例に挙げた三つのパタンで何が共通か分かるだろうか。賢明な読者諸兄姉のご察しのとおり、それは「二つ以上の異なる既知の情報につながりが発見できる」ということに他ならない。そしてこれは神経系の仕組みを良く見ると確かにその通りなのだ。


これを言うと驚かれることが多いのだが、実は神経系にはコンピュータにおける記憶装置に当たるものがない。メモリにあたるものも、ハードディスクに該当するものも存在しない。では何があるかといえば、神経同士のつながりだけなのだ。Cerebral cortex、すなわち大脳皮質の情報処理の中心となるpyramidal neuron(ピラミッドのような三角形から四方に足が伸びた形をしたニューロン)は近年の神経解剖学者(neuroanatomist)の実に辛抱強い研究より、一つあたり数千から5千程度のシナプス(神経間の接合)を形成していることが分かっている。必ずしもそれぞれのシナプスが異なるニューロン神経細胞のこと)につながっているわけではないが、一つのニューロンがかなりの数のニューロンとつながっていることは明らかだ。


ここで二つ以上の異なる情報を持ったニューロンがあったとき、それぞれが同時に興奮し、それがつながっているところでシンクロしたとき、それは、それが二つ以上の情報がつながったということが出来る。例えば、さっきの消しゴムの例で言うと「消しゴムで消す」という情報を持った神経と、「表面上の巻き取り」という情報を持った神経が同時に興奮していると、その両方を受ける神経、あるいはその二つのつなぎ目で「消しゴムを消すこと=表面上の何かを巻き取ること」という「意味」が残るのだ。


すなわち、脳神経系では「二つ以上の意味が重なりつながったとき」と「理解した時」は本質的に区別することが出来ない。(なんだかちょっとHな響きがあるが、本質的に脳なんてそういうものなのかもしれない。笑)これが第三の原理、すなわち「理解する」とは「情報をつなぐ」こと、ということの意味である。これを噛み締めつつ考えると、どうしてある種の説明は心理的な壁がない場合であっても、理解を得られないのかは容易に分かるだろう。つまり既知の情報とつなぎようのない情報の提供は理解しようがないのだ。



(3)へ続く



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