Leica M7, Summilux 50/1.4, RDPIII @Montepulciano, Tuscany, Italy
中年ってなんだろうってことをちょっと前まで思っていた。
自分が中学や高校生の頃は、30過ぎの大人は全て中年だと思っていたが、いざ自分が社会人になってみると、その時は既に20代も半ばで、30になった時は、Ph.D. studentという、生活費と学費を支給される身分とはいえ、学生だった。周りが若かったせいもあるが、明らかに中年にはほど遠く、完全に他人事(ひとごと)だった。
2001年にテロがあり、日本に30をとうに過ぎて戻って来たとき、どう考えても自分の感覚としてはただの青年ぐらいで、中年の話をされてもまったく心の中で整合する部分がなかった。そもそも四年以上、スーツもネクタイも縁のない生活をしていたのだから、中年以前に、日本的な意味での社会人という意識すら薄かった。
しばらくしてマネージャーになったが、それでも中年という意識はなかった。特殊な仕事をしていたせいで、お会いして話をする方々は、当然のように日々、大企業の取締役とか社長という人が多くなったが、だからといって自分が中年という意識はなかった。お会いしている方々がそう言うシニアマネジメントの方々であるのは、あくまでロール(自分の仕事人としての役割)の問題であることを良く分かっていたのだろう。
いずれいくつもチームを持つようになり、何人ものマネージャーの人が自分と一緒に働くようになった時も、中年という意識はなかった。どうも自分のポジションがシニアじゃないとかそう言うことでもないらしかった。
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これがある時、突然自分が中年になったんだなと思う瞬間があった。それは本当に不思議なのだが、40歳になったときだった。
ああ人生の折り返し点に来たんだなと、唐突に思ったのだ。三十前から自分は明らかにgood shapeとは言えない体型をしていたし、下腹の柔らかい状態になって久しかったが、それでもずっとそんなことは思わなかった。しかし、突然それは自分にやって来た。それもジワジワ、ジーンという感じで。
自分が人生の半分まで来てしまったということを考えると、これを中年、ミドルエイジと言わないというのはあり得ないなと思ったのだ。
多くの人が一体自分を中年と思うというのはどういう時なのか、僕は知らない。でも自分にとって人生の折り返し地点をすぎた(可能性が高い)という事実は重く、それに気付いた時、終わりに向けた後の人生をどうしようと言うことを初めて考えた。
これは自分が20歳だとか25歳の時に、5年後や、30歳、35歳にはこうありたいなと思っていたのとはかなり違う感覚で、終点を意識したということで革命的に異なる感覚だった。
仕事を挟んだことに加え、何度も大学に行ったために、教育を終えたのが遅く、そこから中年を意識するまでに10年もなかったことになる。
これはちょっとした驚きで、上の気付きから何年もたった今も正直なところ、未だに整理はつかない。
そう考えると、自分が10代、20代の若かった頃に、「この世の中をこんな風にしたのはあんたたちの世代の責任だ(笑)」と思っていたその世代になってしまったこともふと思いやられ、それは何とも言えず、頭をかきむしりたくなるような感覚でもあり、でもどうしようもないことはどうしようもないよね、的な諦観が混ざり合った不思議な感覚でもある。
周りのまだ30代の連中と話をしてみると、自分と近しい人たちなので同類項的なのだろうが、彼らも誰も自分が中年と言う意識はないようだ。
あと何年かして、彼らが自分も中年だと思うようになりました、と言い出した時、それはやってくるのか来ないのか分からないが、是非彼らともこの件について話し合ってみたい。それと共に、これまでこういうテーマでなかなか話せなかった僕の尊敬する先輩の何人かとも、どこかで話をしてみたいと思う。
きっとこのブログをご覧になっている人は若い人が主なんじゃないかと思うが、この辺について皆さんはどのように思われているのだろうか。
そういうことも素朴に聞いてみてもいいんじゃないか、そういうことを思うような歳になったということかなとも思う。
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今考えると、上の意識の変化がなかったら、きっと自分が本をまとめるということもなかったと思う。丁度その頃、大きな仕事を終えたばかりで、生まれて初めてストレス性と思われる症状で病院に行ったことが実はあった。ブログ読者の方々の後押しに加え、その頃、まだ幼かった子供のことを考えても、何か残しておこうと思ったというのは大きかったと思う。
昨日か一昨日に書いたエントリに関して、そんな受け取るタイミングによって毒にもなりうるようなことを良く本として書くな的なコメントも頂いたりしたが、そんなことは百も承知で書いたので、言い訳はしない。ただ書き味が相当に自分としても不思議なものであったことは事実だと言うことはここで白状しておきたい。
こんな多くの人にとって毒になってもおかしくないことを世に問うことが本当に正しいのか、ということは何度も繰り返し自分の中で問うたが、答えは出せなかった。沢山の人が信頼できる解説を待っていると思えたこと、僕が本来想定していたような知的生産に携わる人はせいぜい人口の1%もいないことも明らかだったが、そこに大切な投げ込みをしておかないと後悔するのではないかと思ったこと、今残さなかったら、世に出すタイミングは失われてしまうのかもしれないと思ったこと、これらと、上に書いたようなリスクを天秤にかけ、答えが出せないが、えいやと思い切って出したというのが正直なところだ。
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なんてことも、自分が中年になったと思わなければ思わなかったり、本も出なかったりするわけで、本当に人生って面白いなと思う。
よーし、あと何年自分の人生があるのか分からないが、毎日を大切に、やっておかなければ後悔することをどんどんやっておこう。
ゴールデンウィーク中の今は、まずはダイエット、かな。笑
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(参考)その中年になったので世に出た問題の本