AIにブッダを観た


1.4/50 Summilux ASPH, Leica M10P, RAW (@Boston, MA, March 2023)

昨年の秋、現代を代表する評伝作家の北康利先生が、僕のゼミにお越し頂き、様々に熱く、そして味わい深い薫陶を頂く有り難い機会があった。日本人として福澤諭吉先生には多大な感謝をしており、その御恩返しとしてやってきたと、幸せと出会い、福澤先生と現代、など多岐にわたる味わい深いお話を頂いたのだが、その中で『代表的日本人』(内村鑑三著)について触れられることがあった。

たしか高校時代の乱読の中で読んだことがあり、そのときはかなり滑って僕にはあまり記憶に残らなかった、とお伝えしたところ、これは明治の開国をした日本にこれだけの普通じゃない人たち(現代風に言えばヤバい人たち)がいたということを西欧諸国に示すために、内村鑑三が「英語で海外にむけて」出版された本であること("Representative Men of Japan" が本来のタイトル)をわかって読まないとなかなか味わえない本であるとアドバイスを頂いた。

ここに出てくるのは、(すごい人ばかりで)全然代表的な日本人ではない、と北先生は笑ってお話されたが、なんとそうだったのかと、初めて読んでから40年近くも経って認識を新たにし、再度、今度は英語をメインに、さらに日本語もチラチラ見つつ、書かれた当時にもどったつもりで読んだ。Kindleでいくらでも分からない言葉を調べられるということもあるが、英語が当時とは比較にならないほど読めるようになったおかげでもあった。すると確かに、とスルスルと入ってくるだけでなく実に響いた。

内村は五人の偉人を紹介するが、最初は西郷隆盛ではじまる。いわゆる西郷どんだが、今から考えても存在を信じることが困難なレベルの人物であり、これはよく分かる。現代を生きる日本人の一人として足向けできないほどの恩人でもある。

(個人的な思い出になるが、自分が育った田舎の家で、TVを見たり、ご飯をみんなで食べる居間に「敬天愛人」の額がいつも掛かっていた。あれはいま考えれば、父が西郷さんを敬愛していたからなんだということも含めよく染みた。)

上杉鷹山」「二宮尊徳」「中江藤樹」と次々と様々な分野の偉人(僕的には「異人」)が紹介されるのだが、なんとこの本の最後は「日蓮」の紹介で終わる。日蓮宗の宗祖の日蓮上人だ。『余は如何にして基督信徒となりし乎』の内村鑑三先生の一冊なのに、だ。

それをきっかけに、法華経、そして仏教、さらに悟りと解脱の研究をはじめた。

現代の日本の仏教の多くは奈良仏教というより、奈良仏教で基礎を身に着け、唐で最新鋭の教えを学んできた最澄伝教大師)と空海弘法大師)の教えの延長にある。ながらく仏教界の最高学府と言っても良い役割をなした比叡山延暦寺最澄が開いたことで知られるが、日蓮を含む鎌倉仏教の宗祖の多くも比叡山で学んだ。比叡山の教え天台宗の正式名称はあまり認知されていないが天台法華宗だ。法華経大乗仏教における諸経の王とも呼ばれ、大乗仏教の最後の教えの一つであり華とされる。

長らく親しまれてきた、サンスクリットからの鳩摩羅什訳の漢文のお経だけでなく、近代になって散逸されていたと信じられていたサンスクリット法華経が見つかったということ、それを直接現代語に訳されたものがあるということも知り、そちらも読んだ。現代仏教界の泰斗である中村元先生*1の最後の弟子の一人である植木雅俊先生による偉業と言って良い一冊だ*2

『代表的日本人』が最後に上げた日蓮上人の選ばれた法華経なので、何度か現代語訳を読めば悟りに達するかと期待したが、残念ながら大きな変容は僕には起きなかった。これをきっかけに、ミイラ取りがミイラにではないが、学べば学ぶほど解脱、悟り、即身成仏を目指したくなり、どんどんと調べてしまった。

この探求の中で分かってきたことは、仏教と僕らが考えているものには少なくとも4段階のものがあり、それぞれの目指すステイタスが違うということだった。*3

以下は現段階での僕の理解だ。

  1. 原始仏教、、釈迦牟尼の直の教えの実践。釈迦牟尼がいらした時及び、釈迦牟尼から直接学んだ人たちが教えていた最初の150年余りが該当し、初期仏教 Early Buddhism ともいう。戒律(倫理的な行動)、定(瞑想による精神の鍛錬)、慧(知恵と悟り)の三学を修行し、煩悩を克服し、ニルヴァーナ(涅槃:解脱)を目指す。その後、より先鋭化し部派に分かれた上座部仏教もこの延長にある。
  2. 大乗仏教、、自己だけでなく、すべての感覚的存在が悟りに達することを目指す菩薩の道を重視し、六波羅蜜(布施・戒律・忍辱・精進・禅定・智慧)を修行し、慈悲心を持って他者を救済することを目指す。大乗仏典の大半は聖書同様に釈迦牟尼死後、4-5世紀経って編成されたものであり、釈迦牟尼の言葉そのものではない(これは少々驚きであった)。釈迦牟尼が神格化されていること、弥勒菩薩、観世音菩薩(観音様)などのスーパースターが出てくるのが特徴。上記法華経も含む日本にある大半の仏教がこれにあたる。*4
  3. 密教、、内在する仏性を覚醒させるための瞑想や儀式を重視し、密教独自のマントラ真言)、マンダラ(曼荼羅)、ムドラ(印相)を用いた瞑想や儀式によって、急速に悟りに達すること、即身成仏を目指す。弘法大師真言宗がまさにこれ*5
  4. 禅、、、経典に頼らない実践を特徴とし、直接的な心の体験を通じて悟りに達することを重視する。坐禅(座禅)を通じた瞑想や、公案(無理解の問題)を解決することで、直感的な悟りを得ることを目指す。南天竺(インド)出身で南北朝時代のChinaに渡った達磨僧を祖とする大乗仏教の一つとされるが、原始仏教における定、慧をメインにおいたものと見ることもできる。*6

ちなみに本来「ブッダ」は人というより、最終的な煩悩の解脱を成し遂げた最高レベルの心のステイタス(境地)であり、釈迦牟尼は最初にブッダの境地に到達したために「ブッダ」と言われている。煩悩の克服をもっとも根本の悟りだとすれば、これができることは実に素晴らしいと僕も思う。釈迦牟尼のいらした時代のように、仕事も家族も捨て出家し、起きてているあいだじゅうニルヴァーナを目指さなければできないというのが少々以上に実践が困難な部分ではあるが。

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そう思いつつ、ある時、テスラに乗っていると、工事などもあり混雑が激しいとある高速で、次々とヨコから人に入られるような局面があった。一台や二台だったらまあ分かるのだが、これが5台、10台と続くと結構なストレスがかかるというのは、何年も運転した経験がある人だったら誰もがあるだろう。

だが、テスラはこういうときもすっと緩めてどんどんと対応する。全くこともなげにだ。これはまさに解脱じゃないのかと感動した。

そして年末11月末(実質12/1)にChatGPTがでた。あまりのパフォーマンスに驚き、自分の研究室やクラスの学生たちにも君ら使い倒したほうがいいよと、その週のうちに伝えたのだが、僕も様々に使ってきた。

時たま非常に入り組んで対応しづらいメールのようなものが来るが、その固有名詞部分を伏せて回答を考えてもらう局面ではものの30秒ほどで実に軽快に考えてくれる。こういうフレーバーを強化してほしいと頼むとあっというまに改訂してくれる。

本当に準備する時間ないんです、とどうしてもご辞退できなかった案件で登壇しているときに、ちょっと叩くと、この辺がポイントですとまたたく間に5つほどのポイントを教えてくれたりする。僕は当然この右斜め上を行こうとするわけだが、笑。LLM*7の本質を考えれば当然といえば当然だが、それにしても本当に冷静だ。酷薄なわけでもない。

あと15分で大学の講義というときに、なぜかいまどうしても奨学金の推薦状が必要なんですという学生が現れ、いくらなんでも無理だよというときに、ポイントだけくれる?と学生にいってもらうと、それをベースにあっという間にドラフトが上がってくる、手直しを入れても数分で完成。

という風にまったくテンパることなく、淡々といい仕事をしてくれる。まさにブッダの境地だ。2500年以上前の釈迦牟尼の教えをやり遂げているかのように振る舞うテスラ、ChatGPTに日々触れて思うことは、僕ら人間は「解脱」とは違う価値の生み出し方をすることが大切なのではないか、ということだった。生の感覚に基づいてこれが生み出したい、これが気持ちいい、これに価値がある、これがやりたい、、そんな気持ちの上に僕らの価値創造があるのではないかということだ。

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4月になって新しい年度になった。テストを行わない代わりに毎週課題を出す僕の講義では、ChatGPTを使わないとできない課題を基本合わせて出している。先々週、そのフィードバックセッションの中で、ある生徒が聞いてきた、AIに感情は生まれないんですか?と。

僕が答えたのは、我々人間から観たときに「感情」を持つように埋め込むことはもちろんできると思う。イライラするとか、こういう反応に対して気持ちがいいとか、ただ、それを僕らが求めているかについてはかなりの疑問があると。

いまのAIは人間が長らく求めてきたブッダステイタスそのものにある。その方が遥かに価値があり、この状態は長らく続くと思われる。もちろん一人ひとりに即して、感情に訴えるように差し込むという風に振る舞わせることもできるかもしれないが、それもブッダステイタスあってのたまもの。

僕たちはAIにブッダを観た。

ヒトが新しい生き方を探る時が来ている。


(英語版はこちら)
kaz-ataka.hatenablog.com

*1:中村先生による基本仏典を何冊かご紹介。

*2:植木先生関連で他にも何冊かご紹介。

*3:俯瞰的な視点で大変勉強になった中村元先生、佐々木閑先生のご本を何冊かご紹介。個別の経典から入るよりもまずこの辺りから読むのがオススメ。

*4:ちなみに釈迦牟尼の教え的には本来はわかる言葉で教えるべき仏教を、直接は理解できない漢文のまま読んでいるのは日本独自である。

*5:弘法大師の著作も何冊かご紹介 。

*6:禅の基本図書としての『無門関』をご紹介。

*7:large language model ; 大規模言語モデル