From CT to DC (7) : 同胞

Leica M7, 35mm Biogon F2.0, RDPIII @Grand Canyon National Park


随分長い間、どこまで続いているのか分からない列を待っている。誰かに肩をたたかれる。Asian(エイジアン:アジア人)の男の子である。(入場)チケットをくれるという。一人四枚もらえるらしいのだが、こんなに要らないから、と。「ありがとう」、思わずそう答える。一緒にずっと待ってきた前後の(いわゆる)外人連中には申し訳ないが、ここはありがたく受け取り、列を出ることにする。


この国に来てから、同胞ということで、こうやってアジア人からの親切を受けることは多い。特に中国、韓国から来ている人は、我々と顔の作りもさして変わらず、本当に世界の中で見れば同胞なんだ、ということを実感する。ヨーロッパ人だけではない。黒人、インド人、アラブ人、トルコ人、ヒスパニック、みんなそれぞれ全く異なる顔をし、身体のつくりも違う。その近さの実感が深いのは、白人率八十パーセントという州に住んでいるからかもしれない。インド人、アラブ人ですらお互い近く感じ、すぐに仲良くなる。アジアの「血」である。


ここで、その「血」の引き起こした惨劇を見る。


Holocaust Museum(ホロコースト博物館)。




(April 2001)


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米国横断フォトエッセイ12:荒野のコンビニ

名もなき荒野を、ずっと走り続けていると何十マイルかに一度、お店があったりする。



Leica M7, 35mm Biogon F2.0, RDPIII


↑こんなカフェもある。


孤独に立つその姿が心に残る。




Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII


これは、コンビニ兼、ガソリンスタンド。

ガソリンは水と並んでクリティカルだ。僕もいつスタンドがなくなるか分からないと思って、チャンスがあれば入れていた。



またこの名前が冴えている。


7-2-11 (セブン・トゥー・イレブン)

、、、文字通り、朝7時から夜11時までの営業ということだろう。



Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII


セブンイレブンのコピーなのかどうかすら分からない。堂々とそびえ立つその姿が美しかった。


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From CT to DC (6) : 合衆国の神々

(5)より続く

広く晴れ晴れとしたDCはどこかさみしい町でもある。リンカーン・メモリアル、ジェファソン・メモリアル、ワシントン・モニュメント、数多くのスミスソニアン国立博物館ホロコースト博物館、、、見るものはたくさんあるが、それらのどれも「今」ではなく、「過去」を称えるもの、「過去」を閉じ入れたものばかりである。確かに政府はここにあるかもしれないが、政府というのは元々何かを生み出す人の活動の整理とインフラを作るためのもの。そういう意味で、この町で生み出されているものは何もない。そう思うと、この町全体が大きな墓場のように見えてくる。


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Lincoln Memorial, DC

真ん中にそそり立つWashington*1 monumentを今の人類が滅びたあと、誰かが見つければ、きっと誰かえらい人間の墓であると思われるだろう。実際に骨はないだろうけれど、その機能は確かに墓。Lincoln*2, Jefferson*3 memorialsも、そこに自ら"National Shrine"(国にとっての神殿)と書いていた通り(非常に非アメリカ的な言葉がアメリカの魂のような場所で現れる)、参る場所であり、墓のようなもの。確かに、ジェファソン、リンカーンの言葉は何度読んでも新しく、それらに打たれはするが、そこを一歩出ると、町には生み出す生気がない。


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Jefferson Memorial, DC

多くの官庁のビルも、やたら巨大で、周りを少し歩いただけで疲れてしまう。ニューヨークや、ブラジルの町に張りつめるような生気や、活気、緊張感がそこには全くない。生み出すもののない町は、当然のことながら荒れている。ホワイトハウスを抜けた辺りから道も急に悪くなる。いかにも治安が悪そうなのだが、ポリスを見ることも少ない。あとで聞くところでは、DCの殺人発生率は全米一だということらしい。そういう意味で、この町は生きながらにして、死んでしまった町、なのかもしれない。日本も遷都だ何だなんて騒いで久しいが、いざ政府をどこかに移してみると、結局その町はこんな風になって、その残された土地を与えられた東京だけが大はしゃぎ、なんてことになるんじゃないかナ。

青空の中で、そんなことをふと思う。


(April 2001)


(7)に続く
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*1:George Washington:1732年生まれ。米国初代大統領。彼の人格と強い信念、行動力なしに、コロニー(植民地群)の集まりを一つの連邦として束ねるのは不可能であったとされている。

*2:Abraham Lincoln:1809年生まれ。米国第十六代大統領。南北戦争後解決されずにいた最大の問題に立ち向かい、命を賭して奴隷解放を行う。当時のフロンティア、ケンタッキーの非常に貧しい家に生まれ、八歳の時ヴァージニアに移り、十歳で母を失う。農場で働き、フェンスのレイルを割るなどの仕事をしながら、文字通りすべて自力で読み書き、その他すべてを身につける。1865年、南部に加担したという逆の真実を信じる男により暗殺される。彼は何か問題に当たったとき、常にジェファソンの書いた独立宣言に立ち戻って考えたという

*3:Thomas Jefferson:1743年生まれ。米国第三代大統領。33という若さにして独立宣言を起草する。ヴァージニア憲法の起草者、名門ヴァージニア大学の創設者でもある。彼の独立宣言の中にある、We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal, . . .(我々は以下なる真実を自明のものとして持っている。すべての人は創造主によって平等に創られている、、、) の言葉はあまりにも有名。アメリカという国で最も大切とされる信念の一つである。

From CT to DC (5) : DC

(4)より続く

アナポリスの町はとても小さいけれど、とても愛らしく、人も優しい。港のそばの、二百年以上もやっている食事屋で(!)、店オリジナルのパスタを食べる。ケイジャン*1に香ばしくいためた帆立の貝柱とカリッとなるまで外を炭火で焼き上げたエビを、甘口の深みのあるソースに絡めてパスタと共に食べる。辛さと香ばしさ、そして独特の甘みが口の中で対立し、調和していく。絶品である。アメリカといえども二百年はだてじゃない、そんなことを考えながら、ほうほう頬張る。あんまり外の夕陽が美しく、町が優しいので、宿をDCにとったことを後悔する。こんな修学旅行みたいな旅行じゃなくて、この町のような美しいところで、ただヴァケーションをしゃれ込んだ方が良かったかなあ、なんて思ったりもする。移動する度に、日本のことを考えてしまうのにも疲れてきた。あとの旅行はただ「目」に徹することにする。「目」にも心があるにはあるのだが、、、。

-

DCは広い。

面積的には高々十マイル(約十六キロ)四方に過ぎないのだが、キャピトル(国会議事堂)、ホワイトハウス、上院(セネート)、下院(ハウス)、財務省国務省リンカーン・メモリアル、などの連邦政府機関が取り囲むエリアは異様に広い。ざっと見に幅0.5キロ、奥行き五キロメートルぐらいか。これだけの見晴らしの空間を都市のど真ん中で見たことはこれまでない。今後もブラジリアを除けば、見ることなどないのではないか。ホワイトハウス裏から、空にそびえ立つ槍のようなワシントン・モニュメント(初代大統領を祭ってある)まで歩き始める。が、目の前に見えるにも関わらず、いつまでたっても近づいている気がしない。更に近づいてようやくそれが巨大さによる錯覚であったことに気付く。その塔の周りにいる人が蟻のように見える。


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Washington DC


空が大きい。至る所で、子供達が、凧を揚げている。

懐かしい。子供の頃、二百メーターの特製凧糸なんて使って、良く裏の海で揚げていたのを思い出す。ゲイラカイトが上陸したときはあんまり簡単に上がるので驚きだった。でも結局、奥深い和凧に戻って、しっぽの長さを調節しながら、幼なじみと良く揚げたものだった。独楽(コマ)やビー玉と並んで、子供の頃の、本当に楽しい思い出である。そんなことを思いながら歩いていると、黒人の小さな男女の兄弟が、凧を揚げようとしてうまく出来ないでいるのが目に入る。お姉ちゃんらしい女の子が凧を持ち、弟らしい男の子が糸(巻き)を持っているのだが、一緒に走るので上がらない。女の子の方に、なるべくじっと持っていること、そして男の子の方に、一気に走るんだ、と教える。

瞬く間に揚がり始める。

無邪気な笑顔が広がっている。


Washington DC


(April 2001)


(6)へ続く
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*1:Cajun, 南部、特にニューオリンズ周辺のスパイシーな味付け。

From CT to DC (4) : アナポリス

(3)よりつづく

緑青色の屋根、窓枠に彩られた白亜の建物たちの向こう、フットボールフィールドが広がっている。それを取り囲むフェンスの周りに、十七、八ぐらいの女の子達が何人か、その中で練習に励む若者達を見守っている。若者達の年の頃は二十歳前後。楕円形のボールを投げる度に、鍛えぬかれた身体がしなっている。普通の若者より一回りは大きな身体。華奢な日本人の若者より二周りは大きい。全身から生気と覇気を発する彼らはまぶしい。こんながたいが良く、背筋の通った連中と戦っても勝てない、そんなことが頭をよぎる。

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Annapolis(アナポリス)には米海軍士官学校がある。将来のアメリカの国防の中枢を担う若者が集い、完全な寮生活の中で、朝六時から夕方八時までの訓練を受けている。ここはWestpoint(米陸軍士官学校)と共に、アメリカで最も「厳しい」高等教育機関である。頭脳明晰だというだけでここに入学を許可されることはない。強いリーダーシップ、頑健な肉体、健やかな精神、明快な判断力、それらのすべてが伴って初めて、入学の検討ラインに立つことが出来る。真のエリートとしての要件をここでは求められる。

門を入ったときから、空気が違う。実に清涼な、すがすがしい、気持ちの良い空気がそこには広がっている。所々歩いている学生達は、いずれも背筋が伸び、笑顔が美しく、自信と自律をまとっている。不思議と惹きつけられ、辿り着いたここには、まるで三島由紀夫が望んだような力強い世界が広がっていた。人だけではない。建物も、白亜と緑青色で統一され、一つ一つがとても美しく、毅然としている。そこには、覇気とdisciplineが満ちている。知らず心が洗われる。


Contax T2, 38m Sonnar F2.8 @United States Naval Academy, Annapolis


もう二年以上、日本を見ていない。

最後に訪れたとき、渋谷で見た若者達を思い浮かべる。アメリカに来る度に、この国の女の子からskinny*1と陰で言われている日本の若者達。紙は金髪かもしれないが、目が淀み、動物のようなぎすぎすした顔をした若者達。背だけはそこそこだが、二周りも小さな身体をした若者達。つまらぬ試験での一点だけを競い、関われば関わるほど、それら以外の価値の意味を見失っていっている、そしてそのことに気付いていない若者達。いずれは社会を担わなければならないという気持ちなどどこにもなく、何の保証もないのに、大学に入れば入ったで、あたかも将来が保証されたのかのごとく、ただ遊びほうけている日本の若者達。自分の立つところは何か、徹底的に悩むこともなく、かといって快楽におぼれるわけでもなく、恋愛に命を懸けることもなければ、夢もない若者達。

このアナポリスの若者を見れば見るほど、彼らが脳裏に浮かんでは消えていく。


僕が大学生の頃、社会はバブルだった。タカビー、インビー、ゾンビーなどといわれる、金と、中身のない"ステイタス"ばかりに目がくらみ、男たちを、足や、財布として平然と使い、ブランド品に身を包んでいた女達。そういう女達を何とかものにしようと、やっきにその価値の世界において、「力」を身につけようとしていた男達。地上げをしながら、いくらでも金を借りてきては他の土地を転がしているおっさん達、そして「財テク」というなの中身のない(=バブル)投資をし続けた会社達。世の中はそんな阿呆な連中に飲み込まれていた。いずれバブルがはじけたとき、その女達の価値観とスタイルは下におり(彼女たちは今一体どうなっているのだろうか?)、高校生、中学生に移っていった。コギャルの始まりである。貢がせる男などいるわけなどない彼らは、かつてのバブルで遊び損ねたその上の層のオヤジ達にまつわり、世界に名だたる援助交際という名の巨大ブラック・マーケットを作り上げた。狂気を失った男達は、裸の王様である。

この間、久しぶりに『落日燃ゆ』を読む。どれほどABCD包囲網などで追い込まれたにせよ、大東亜戦争、そして太平洋戦争中、どうして軍部、そして日本国があそこまで暴走してしまったのか、以前読んだときと同じく、やはり再び解せなかったのだが、今こうやってアナポリスの風景を見ているうちに、バブルの時、社会そのものが果たした役割が戦時中と全く同じであることに思い当たる。日本の社会には、自己規制能力がない。自己倫理というものが存在しない。口では悪いと言いながら、平然とその同じ構成員が、その問題に加担する。エリートといわれた官僚がそうだった。銀行がそうだった。日本の産業構造の頂点に立っていたはずの興銀も、長銀も事実上破綻した(自力更正が出来ないというのはまさにそういうことである)。そして国民の多くが狂騒した。そういう意味で、バブルは、日本にとっての三度目の世界大戦だったのかもしれない。巨額の負債を残したところも似ている。一度更地にもどして、すべてを整理し、考え直すべき時が来ているのかもしれない。


心に太陽を持て
唇に歌を持て
他人のために言葉を持て


そんな、戦前の小学校教科書にのっていたというラテン語の詩が、ふと心に思い浮かぶ。


(April 2001)

(5)へ続く
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*1:(直訳)骨が見えそうなほどやせている。様々な女の子に聞き続けた結果、これは男ではない、といっているに等しい言葉とのこと。

From CT to DC (3) : バルチモア

(2)より続く

Baltimoreの港は美しい。沖縄戦朝鮮戦争にまで行った軍艦が、こんな地球の裏側でひっそりと佇んでいたりもする。実用船だけでなく、ヨットや帆船がそこいらに休んでいる。空は青く、風が吹き抜ける。ここは、若い、青年の都市である。


着いてみると、Hopkinsのメディカルスクールは町の高台にある。ガラージ(立体駐車場)からつながった通路を抜けて病院に入ると、受付の黒人のお姉ちゃんに用件や目的などを聞かれる。「なにか約束はあるのか?」「?、ない。」「?、じゃあ何しに来たの?」「いや、ちょっと観光で。」「???」「かのホプキンスをただ一度見てみたいと思って」などとやりとりしている内に、彼女も明らかにどうでもよくなってきて、胸に貼る黄色いシールをくれる。Visitor(訪問者)とある。「まあいいわ、あんたそんな怪しそうな人間でもないし、でも変なところうろつかないでね」、そんな感じである。

この国に来てから僕は着るものに気を付けている。シャツは襟があるものを、ズボンもなるべくジーンズを避けている。言葉も、なるべくニューイングランド風かつ教育を受けた人風の発音と言葉遣いを心がけている(完璧にはほど遠いが)。自由の国アメリカにしては意外と思われるかもしれないが、着るものと英語のアクセント、言葉の使い回しで露骨に人を判断(すなわち差別)する国だからである。例えば大統領。南部の発音と話し方では決してなれない。クリントンは、アーカンソー(Arkansas)というアメリカ人でも正しく州名を発音できるか分からないくらいの南部の田舎の州出身だが*1、彼がニューイングランドまで法律を学びに来て、その訛りの大半をたださなければ、大統領候補にすらなれなかったというのは、どうも本当のことらしい。この国の人にとっては、あまりにも常識的な話らしいので話題にも上らないことが多いが、ときたま、「クリントンのxxxの発音にはまだアクセントがある」(つまり訛っている)なんて話が出るとそういう話になる。

帰国子女、そしてアジア系アメリカ人の多くが、ヨーロッパ系のアメリカ人以上にネイティブしかしないような発音(つまり外国で育ったあなたには出来ないでしょう的な発音)にこだわるのは、彼らのそういう経験と関わりがないわけではあるまい。発音によって内的に差別化し、社会に同化し、アイデンティティを築こうとしたけなげな努力の結果とも言える。中学校ぐらいで唐突に放り込まれた人などに出会うと、よく頑張ったね、と心の中で声をかけてあげたくなるときもある。きっと何百回も泣きたい思いをしながら身につけたものに違いない。一方、時たま半けつを出したジャージ姿の日本人の若者を町で見たりすると、不安に思うのは僕だけではあるまい。


A statue of medical saint

素晴らしい施設である。なにより空気が澄んでいる。造りが良くて、垢抜けているのは他のuniversity hospitalも同じだが、ここはキャフェテリアなど一つ一つの施設が大きい。まるでショッピングセンターのモールのようである。偉そうな様子は微塵もないが、自信と、強さ、そして清潔さと安らぎがここにはある。こんな病院に来る(いや、来なければならない)と言うことは、よほどの病気なのだ。そんな時ぐらい、人が気持ちよく過ごしたいのが人情である。ふと、何かの用事で行った東大病院を思い起こす。壁紙が所々はげ落ち、ところによって蜘蛛の巣がかかっていたあれは、一体何だったのだろうか。

そうこうして抜けていく内に、正面の玄関に辿り着く。前面に、US News(Time, Newsweekに準ずる全国的な週刊誌)の病院ランキング号の拡大表紙が'91年から十年分並べ、掲げてある。これまで、途切れることなくこの病院が全米一位にランクされてきたことが分かる。

病院の建物を出、辺りを回る。中心部だけ回ることにするが、その建物の数と、大きさ、そして広さに驚く。キャンパスの中心にある、いかにも古くから立っている建物は、爽やかでありながら、落ち着きがある。かたや、そのキャンパスの端で、さらに新しい研究棟を建てようとしているのが目に入る。研究、そして医療の成功が、さらなる投資を呼び込んでいるのが分かる。良循環である。日本の大学医療関係者、大病院の運営者にはまずここを見てほしい。医療は技術だけではない。


Johns Hopkins Medical Center (a historic building)


(March 2001)

(4)へ続く
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*1:彼が大統領になったので状況は改善されたと思われる。

From CT to DC (2) : I-95

(1)より続く

I-95は伸びる。どこまでも伸びる。このボストンからフロリダまでをつなぐ、東海岸の大動脈は、恐ろしいほど強く、逞しい。この上をずっと走っていると、一体自分が走っているのか、それとも道が動いているのか、果たして分からなくなる瞬間がある。これと言って曲がることもなく、前後の車もずっと止まって見える。そこを時速75から80マイル(120-130 km)というスピードで走りすぎる。


An American Highway

この国のハイウェイ、とりわけinterstate(州間)highwayは本当に素晴らしい。I-95のIはinterstateのIである。ニューヨークの周辺など一部例外はあるが、ほぼ常に道は力に満ち、頼もしい。これだけ国土を持つ国家で、これだけのハイウェイ網を維持していくのは容易なことではあるまい。ほとんどすべての主要な町がつながれ、しかも「無料」である。金を取られるとしても大きな橋ぐらいしかない。それもせいぜい三ドルか四ドル。車がなければ、スーパーでの買い物一つ出来ないこの国では、道の保全こそが最大の社会福祉、つまりインフラとなっている。

雪がどれだけ降っても翌朝には完全に除雪される、そのパワーは眼前にしないと信じがたいものがある。雪国から来ただけに、僕にはその大変さと、それを事も無げにやってみせるこの国の力が身に染みてよく分かる。そして同時に、税金を湯水のように使い、それでも尚、平然と随分な利用料を巻き上げる日本という国の高速網(いや、低速網と言うべきか)と、その運営者たちの問題意識の欠落に唖然とせざるを得ない。官僚得意の言い訳は百も万もあるだろうが、国土の広さの違いを考えれば十分フェアな議論のはずである。言い訳する前に、その兆単位の税金を得るために、僕が今飲んでいるダイエット・コークだったら何本、今使っているラップトップなら何台、国民が生産し、売らなければならないか、そしてそれがどれほど大変なことか、その連中はまず考えるべきである。

さて、ニューヨークの町中にでも住んでいれば話は別だが、少しでもこの国の持つ選択肢の広さを満喫するには、(そして国土の広大さと豊かさを実感するには)どうしてもクルマがないといけない。スーパーだけではない。服も買えない。靴も買えない。例えニューヨークに住んでいたとしても、税金をかけずに買い物しよう、あるいはアウトレットで手頃な値段で買いたいなどと思えば、最低でもバス、といったなんらかのクルマがないとどうしようもない(この国の電車は役に立たない)。ニュージャージーに行けば、服も、鞄も無税。アウトレットに行けば、世界的ブランドも三割、五割引は当たり前、方や川向こうのマンハッタンでは高額の税金を取られしかも定価。町中には、アイキア(IKEA : 家具*1)も、トイザラス(玩具)もベビーザラス(赤ちゃん用品)もない。そういう国なのである。ゆめゆめ、マンハッタンやLAなどの大都市の中心部だけで消費し、アメリカを理解、そして経験したなどと思ってはいけない。

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そうこうしている内に、ペンシルヴェニアの州境を越え、Baltimore(バルティモア)に着く。BaltimoreはMaryland(メリランド州)最大の都市。七十万以上の人が住むという。アメリカの町としてはかなり大きい。全米で十何番目とのこと。牡蠣の養殖で有名なチェサピーク湾沿いにある。

お目当てはJohns Hopkinsジョンズ・ホプキンス大学)。ここには、全米一のメディカル・スクールがある。医学教育の場として卓越しているなだけでなく、そのbiomedical scienceにおける研究力は驚嘆すべきものがある。DNA解析の元締めである制限酵素はここで発見された。Blue babyと呼ばれる、心臓に欠陥のある赤子の治療はここで開発された。ここで発見された、あるいは始まったものを書いていくだけで、20世紀の生物学、そして医学の歴史のアウトラインが掴めるほどだ。

歴史は百数十年と短いが、collegeばかりに権威があり、医学教育は付け足しだった時代に、厳しい入学基準とカリキュラムをいち早く設けたところに、この成功の礎があるらしい。とにかく、いつも論文で目にしているこの一大研究センターを目にしようと、そこに向かう。アメリカの主要大学ではありがちなことであるが、ここでもメディカル・キャンパスと、それ以外のメイン・キャンパスは分かれている。後で知ったことであるが、国際関係の専門家養成で名高いSAIS (School of Advanced International Studies) は更に分かれ、DCにあるらしい。


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資料1: 北に大きなニューヨーク州。僕の住むコネティカット州、すなわち出発点が右下に見える。マンハッタンを含むニューヨーク・シティ(地図の南の黄色い辺り)はその隣である。

資料2: ニュージャージー州。南の張り出しを避けて隣のペンシルヴェニアに向かう。

資料3: ペンシルヴェニア州。エンパイアステート、ニューヨーク州と並んで、かなり巨大フィラデルフィアを含む主要都市が海岸沿いに集中する。

資料4: メリランド州。湾と町だけとってそれ以外の山とかは他にあげた、そう見える。左下にあるのが、首府DC。メリランドとヴァージニアからの割譲により出来た町。

(3)へつづく
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(March 2001)

*1:最近日本にも上陸。日本ではイケア