From CT to DC (4) : アナポリス

(3)よりつづく

緑青色の屋根、窓枠に彩られた白亜の建物たちの向こう、フットボールフィールドが広がっている。それを取り囲むフェンスの周りに、十七、八ぐらいの女の子達が何人か、その中で練習に励む若者達を見守っている。若者達の年の頃は二十歳前後。楕円形のボールを投げる度に、鍛えぬかれた身体がしなっている。普通の若者より一回りは大きな身体。華奢な日本人の若者より二周りは大きい。全身から生気と覇気を発する彼らはまぶしい。こんながたいが良く、背筋の通った連中と戦っても勝てない、そんなことが頭をよぎる。

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Annapolis(アナポリス)には米海軍士官学校がある。将来のアメリカの国防の中枢を担う若者が集い、完全な寮生活の中で、朝六時から夕方八時までの訓練を受けている。ここはWestpoint(米陸軍士官学校)と共に、アメリカで最も「厳しい」高等教育機関である。頭脳明晰だというだけでここに入学を許可されることはない。強いリーダーシップ、頑健な肉体、健やかな精神、明快な判断力、それらのすべてが伴って初めて、入学の検討ラインに立つことが出来る。真のエリートとしての要件をここでは求められる。

門を入ったときから、空気が違う。実に清涼な、すがすがしい、気持ちの良い空気がそこには広がっている。所々歩いている学生達は、いずれも背筋が伸び、笑顔が美しく、自信と自律をまとっている。不思議と惹きつけられ、辿り着いたここには、まるで三島由紀夫が望んだような力強い世界が広がっていた。人だけではない。建物も、白亜と緑青色で統一され、一つ一つがとても美しく、毅然としている。そこには、覇気とdisciplineが満ちている。知らず心が洗われる。


Contax T2, 38m Sonnar F2.8 @United States Naval Academy, Annapolis


もう二年以上、日本を見ていない。

最後に訪れたとき、渋谷で見た若者達を思い浮かべる。アメリカに来る度に、この国の女の子からskinny*1と陰で言われている日本の若者達。紙は金髪かもしれないが、目が淀み、動物のようなぎすぎすした顔をした若者達。背だけはそこそこだが、二周りも小さな身体をした若者達。つまらぬ試験での一点だけを競い、関われば関わるほど、それら以外の価値の意味を見失っていっている、そしてそのことに気付いていない若者達。いずれは社会を担わなければならないという気持ちなどどこにもなく、何の保証もないのに、大学に入れば入ったで、あたかも将来が保証されたのかのごとく、ただ遊びほうけている日本の若者達。自分の立つところは何か、徹底的に悩むこともなく、かといって快楽におぼれるわけでもなく、恋愛に命を懸けることもなければ、夢もない若者達。

このアナポリスの若者を見れば見るほど、彼らが脳裏に浮かんでは消えていく。


僕が大学生の頃、社会はバブルだった。タカビー、インビー、ゾンビーなどといわれる、金と、中身のない"ステイタス"ばかりに目がくらみ、男たちを、足や、財布として平然と使い、ブランド品に身を包んでいた女達。そういう女達を何とかものにしようと、やっきにその価値の世界において、「力」を身につけようとしていた男達。地上げをしながら、いくらでも金を借りてきては他の土地を転がしているおっさん達、そして「財テク」というなの中身のない(=バブル)投資をし続けた会社達。世の中はそんな阿呆な連中に飲み込まれていた。いずれバブルがはじけたとき、その女達の価値観とスタイルは下におり(彼女たちは今一体どうなっているのだろうか?)、高校生、中学生に移っていった。コギャルの始まりである。貢がせる男などいるわけなどない彼らは、かつてのバブルで遊び損ねたその上の層のオヤジ達にまつわり、世界に名だたる援助交際という名の巨大ブラック・マーケットを作り上げた。狂気を失った男達は、裸の王様である。

この間、久しぶりに『落日燃ゆ』を読む。どれほどABCD包囲網などで追い込まれたにせよ、大東亜戦争、そして太平洋戦争中、どうして軍部、そして日本国があそこまで暴走してしまったのか、以前読んだときと同じく、やはり再び解せなかったのだが、今こうやってアナポリスの風景を見ているうちに、バブルの時、社会そのものが果たした役割が戦時中と全く同じであることに思い当たる。日本の社会には、自己規制能力がない。自己倫理というものが存在しない。口では悪いと言いながら、平然とその同じ構成員が、その問題に加担する。エリートといわれた官僚がそうだった。銀行がそうだった。日本の産業構造の頂点に立っていたはずの興銀も、長銀も事実上破綻した(自力更正が出来ないというのはまさにそういうことである)。そして国民の多くが狂騒した。そういう意味で、バブルは、日本にとっての三度目の世界大戦だったのかもしれない。巨額の負債を残したところも似ている。一度更地にもどして、すべてを整理し、考え直すべき時が来ているのかもしれない。


心に太陽を持て
唇に歌を持て
他人のために言葉を持て


そんな、戦前の小学校教科書にのっていたというラテン語の詩が、ふと心に思い浮かぶ。


(April 2001)

(5)へ続く
kaz-ataka.hatenablog.com

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kaz-ataka.hatenablog.com

*1:(直訳)骨が見えそうなほどやせている。様々な女の子に聞き続けた結果、これは男ではない、といっているに等しい言葉とのこと。