From CT to DC (1) : フィラデルフィア(米国東海岸縦走記 )

Hello!

みなさんすてきな週末をお過ごしのことと思います。

このままでは教育サイトになってしまいそうなので(笑)、最近記事を書く時間もままならぬこともあり、2001年(まだテロ戦争の始まる前です!)に、当時住んでいたコネティカット*1からワシントンDCまで旅に出た時の記録を少し載せていけたらと思います。(元々書いていた、夏のアメリカ横断記も書けるところでまた続きを書くつもりですが、それはそれとして。)

Brazil - ブラジル旅行、探検記 (←都会の喧噪、日常の閉塞から脱出したい人にオススメ!)と同様、当時、友人にメールで送っていたものです。日本に対しては、画像添付が問題になっているようなネット環境であったことが、当時のやり取りから見えてちょっと隔世の感があります*2。当時、僕はアメリカの大学の中という、ギガビット土管そのものの上にいたので、ホントその辺の日本の事情について不感症気味でした。そういえば。(当時迷惑を賭けた方々、申し訳なし!)

ではでは! Hope you will enjoy it!

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Advisor(指導教官)のVincentがフロリダに里帰りするというので、急遽、鬼の居ぬ間に僕もどこかに出かけることにする。11月に買った新車があるので、車で出かけられる場所がいい。医者をやってる高校の友人がいるモントリオール(Canada)まで行こうかと思ったが、まだこちらも寒いことを考え、南下することにする。狙いは国都Washington DC、そして最初の国都PhiladelphiaNew Englandの中や、New York, New Jerseyまでは割と気軽にふらふらしているが、この二つの都市には、どちらもまだ行ったことがない。途中、出来たら、その他、気にかかる町に訪れることにする。

初代大統領の名と、ヨーロッパ人にとってのアメリカ大陸発見者の名の両方を冠したWashington DC (District of Columbia) は西海岸にあるワシントン州(シアトルのある場所)と区別するために、ただDCと言われることが多い。我々と先祖を同じくする民族が、数万年以上も前に、命を懸けてベーリング海峡を伝って、文字通り未知の世界に移り渡ってきた、その驚くべき冒険心と、勇気を考えると、僕には到底、コロンバス(Columbiaはスペイン語読み)をアメリカ大陸発見者とは呼べない。彼は、黄金の国ジパング(すなわちマルコポーロの描いた日本)からの略奪を求めて、ぎらぎらした虚栄心と共に、国王からの援助と共にやってきた人である。

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さて、
まず寄ったのは、Philadelphia。独立宣言、合衆国憲法の草案が書かれ、イギリスからの独立後、最初に合衆国政府が置かれた町である。ここに午後着き、その日と翌朝、大学、そして町を見て回る。

綜じた印象は滅びた都市。Phillyと呼ばれるこの町の荒廃は激しく、かつて自由の鐘が鳴らされ、まず最初の首都であった栄光は彼方。DCへの首都移転以来、ずっと衰退を続けて来たのではないか。City Hallと呼ばれる町の中心に立つ建物が百数十年前に建てられるとき、この建物は世界一の高さになる予定だった。が、しかしこの建物が完成したときには、他にいくつもこれ以上の高さの建物が建っていたという。ふと耳にしたこんな話に、この町のおかれた悲しい流れを感じる。

ハイウェイの上からざっと見たところ、町の全域の半分はスラムに近い。それらのエリアの大半では、二間ほどの幅で、階に一つしか窓のない、アメリカらしからぬ痛々しいほど小さな家が立ち並ぶ。中心部に入っても、町の中の道は、古い町であるためか、最初の町の設計ミスからか、それともその後の開発の失敗からか、やたら狭く、駐車スペースもない。古い町で車を停める場所がないのはボストンも同じだが、この町には、ボストンのやさしさがない。車はタクシーでなくとも、むやみにホーンを鳴らす。Mean(卑)である。

U Pennこと、ペンシルヴェニア大学を訪れ、更にショックを受ける。科学者でもあり、建国の立て役者の一人でもあるベンジャミン・フランクリン*3によって設立されたこの大学は、二百年以上の歴史を誇る、合衆国で最も古い大学の一つであり、Harvard(創立後約350年)、Yale(同300年)、Princeton(同250年)などと並び、八校あるIvy leagueの一つに並び称される。その歴史を誇るCollege(学部機能)に加え、最古のビジネススクールの一つであるウォートン校が有名である。

それほどの大学であるはずなのだが、この大学には、活気も投資している様子も感じられない*4。Medical School, Collegeなども歩いてみたが、立ち登るものを感じない。こんな荒れたIvy schoolがあるのだろうか、と正直驚く。古いキャンパスの中心の方はそれほどでもないのだけれど、全体としてみると引きつけるものと生気に全く欠ける。さすが上述のWharton Business Schoolの中だけは、妙に覇気があったが、ここは正直異空間であった*5



Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @U Penn, Philadelphia


この町を訪れ良かったのは、独立宣言、合衆国憲法などを議論し、制定された、最初の合衆国議会の部屋を見、感じ、考えることの出来たこと。その横で、合衆国の独立が認められた時、すなわち建国の際にまず打ち鳴らされたLiberty Bell(自由の鐘)を見ることが出来たのも良かった。気分の少し洗われたところで、更に南に向かう。


(March 2001)


Independence Hall, Philadelphia


Liberty Bell, Philadelphia

(2)へつづく
kaz-ataka.hatenablog.com

*1:東海岸に詳しくない方のために多少付け加えておくと、コネティカットは、ニューヨーク市の右上にあり、ニューイングランド地方の最南端。長らく全米一豊かな州として知られている。マンハッタンに働く豊かな人たち、例えばlaw firm(法律、弁護士事務所)のパートナーであるとか、有名な映画俳優などの多くが、南端の町や海岸沿いの高級住宅地域に居を構える。GE、ゼロックスなどの本社があるのに加え、全米の保険会社の大半がその州都ハートフォードに本社を持っていることでも知られる。

*2:例えば、写真くっつけてメール送んないでくれとかなんとか。今から考えるとちょっと笑ってしまいますが、当時のみなさんは結構マジです。

*3:そうあの雷の実験で有名な人です!めったにみない100ドル札の表紙の顔でもあります。

*4:建物はいずれもさすがに立派である

*5:これも含めいずれも当時の私の感想、印象であり、もちろんno offenseです!期待が大きくて気落ちした部分もあると思って差し引いてお読み頂ければ幸いです。

この国はどのような人間を育てようとしているのか?


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Greenwich, CT


昨日とても考えさせられるディナーがあった。

友人の一人が、Yale College*1を卒業後、New York Cityのある有名な投資グループで働いているのだが*2、ここのところ、日本での事業の立ち上げで東京と往復する生活をしている。

また何ヶ月ぶりかで日本に1−2週間かいるというので、ほかのYale関連の日本の知り合いも含めて集まって、飲んだ。僕が先週ずっと風邪を引いていて病み上がりだったということもあり、西麻布辺りでおでんを食べた。

とある顕著な構造不況にある業種の友人もいたので、その辺の不況話もしたのだが、そのニューヨークからの彼とした話で最も心に残ったのは、日本からのYale College applicant(応募生)の質の低さの話だった。

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アメリカで名のある大学は、書類、エッセイや試験の結果、成績、推薦状だけで人をとるなどということはしない。必ず人を通し、人柄、人としての将来的なポテンシャル、人間としてのマチュリティ、志、夢、希望、展望などを総合的に判断する。長らく大統領、Senatorなど社会のリーダー層のかなりを生み出してきた、Yale, Harvardの二校*3、とりわけ、自分たちに課している要求とその果たすべき役割への意識がクリアで、将来の世界のリーダーを養成することを明確な目標としている。

たとえば、昨年President Levin(現Yale総長)から我々卒業生たちにきたメールにはこうある。

The mission of Yale College is to seek exceptionally promising students of all backgrounds from across the nation and around the world and to educate them, through mental discipline and social experience, to develop their intellectual, moral, civic and creative capacities. The aim of this education is the cultivation of citizens with a rich awareness of our heritage to lead and serve in every sphere of human activity. . .

(Yale Collegeのミッションは、突出して将来のポテンシャルの高い学生たちを、アメリカ全土、そして世界の隅々のすべてのバックグラウンドの中から「探し出し」、精神的な鍛錬と、人の交わりの中の経験を通じ「教育し」*4、知的な、倫理的な、社会に生きる市民としての、そして創造的なキャパシティを「育成する」ことにある。この教育の狙いは、人類の行うあらゆる広がりの活動をリードし、それらの活動に仕えるための、我々の受け継いできたものに対する豊かな見識を持つ市民を養成することである。、、、)

若干余談になるが、Yaleのundergraduateたちで、これに違和感を感じる学生は恐らくいないだろう。日々の教育現場での取り組み、また随時仕込まれるおおきなイニシアチブ、結果としての卒業生たちの活躍などを継続的に、目撃し、体験しているからだ。たしかにそういうinstitution(教育機関)だという理解で、たしかにそういうところだから、やってきたという学生がすべてだと思う。はったりでもなんでもなく、真顔でLevin総長は語っている。

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三億人を超す人口の国で、1割ほどのinternational studentを入れてもわずか1300人の学生(日本の人口規模であれば500人程度の大学*5)しか採れないということもあり、その選考はかなり厳しい。当然かなりmatureな人格、自分の足で考える力、バランスのとれた判断力、自分なりの考えの上での判断が期待される。

で、応募者のうち、ある程度以上に見込みのあるものについては、インタビューになるわけだが、数が数なので、これは信頼でき、まともな卒業生が初期段階を行っていることがそれなりにある。そのニューヨークからの友人はまさにそれをこの所、一部やっているのだ。

で、彼曰く、日本の応募者のクオリティが、もう考えられないほど低いというのだ。そもそも、世界でも指折りの倍率の中から、わざわざ大学が採る必然性を感じなければならない場にあって、自分が何をどう漠然としてでも目指したいのか、だから、その中でYaleがどう位置づけられているのか、なぜ、あえてそのようなcompetitiveで、世界中から優秀な人間が集まる大学に行かないといけないと思うのか、そのぐらいは、本当に行きたいと思っているのであればすらすら答えられないといけない。だが、彼がいままでやってみたところ、例外なく、どれほど助け舟を出してもできない、と言う。単に英語の問題ではない。International schoolや、American schoolの学生でもそうだというのだから。

箸にも棒にもかからないという人間ではないということぐらいは、書類で見ているはずなので、単なるIQの問題ではないだろう。人間としての自立性、自分で考える能力、マインドセットの問題なのだ。付け焼き刃であれば、ちょっとたたけばすぐに分かる。これは僕もこれまで、かなりの数の大学生、院生の採用インタビューをしてきたのでよくわかる*6。そして彼が指摘する問題は、その学卒以上のレイヤでも僕もいやになるほど見てきたので実に共感できるのだ。今回の新しいのは、それが大学以前にも根ざした問題だということにある。

インターだとかアメリカンスクールの学生が主のようだと聞いて、僕はある種、絶望的な気分を感じている。後々の、実際の人生で求められるリーダシップや決断力、判断力の視点から見れば、明らかにどうでもよい1点や5点の差だけが意味のある普通の日本の教育を受けてきて、こうだというのであれば多少わからないでもないのだが、そうではない。これは日本人の心性がこのような子供たちを育てているということを示しているのかもしれないと思うのだ。

僕の前の職場のプロフェッショナルファームでは、どちらかというと中学、高校ではドロップアウト的に、ある種自分なりの自我を持って好きに生きてきた人間が、実に多かった(実は僕もそうだった。笑)。自立的に判断できてものを考え、実際に行動してきた人間(要は「大人」)が欲しいと思うと、ついそういうタイプの人の濃度が上がったりしたのだと思う。

この社会そのものが、全体としてそのような自立性、maturityを認めない、育てようとしない、ということが癖として、あるいは習慣としてあるのだとすれば、これは大きなハンデキャップとなる。

現実には、そのようなグローバル大学は、世界の各地で才能の発掘にあたり、グローバルな企業も同じように発掘にあたる。そのときに求めるものは当然、人として自立しており、知的にも自立していることが何よりの基本だ。「頭が良くなること」に対してfanaticな執着を持つ多くの日本人には申し訳ないが、ちょっと普通より頭が良いというのは、これはある種コモディティで、それほどたいしたことはない。IQなど単なる偏差の問題なので、賢いだけの人間などいくらでもいるのだ。むしろ独創的な発想を、自分の感性なり、経験、考え方から生み出し、それを多くの場合、鍵となる周りの人を巻き込みつつ、実際の形にできるかどうかが本当の意味での才能だ。自分が人を採る立場になればあまりにも自明のことだが、そういうものが、上に述べた基本としての人間性に加わって初めて、これは際立って面白いやつだ、未来のあるやつだ、ということになる。

どうもこの国は、かなり本質的な体質変化が必要なのではないだろうか。なかなか頭の痛い問題である。私の勘違いであればよいのだが、、、。

また、これが本当であるとすれば、国家機密的に隠したい問題でもある。このようなグローバルな世界では、上の事例のようなことがあるので、リーダー層から瞬く間に本当のことが広がっていくのが常であるのだが、その広がり以上のスピードで対応するのは恐らく無理。すくなくとも実際にこれが悪さをおおっぴらにし始める前に(実は、私の周りではもう悪影響が出始めている)、なんとかしたいものだ。

皆さんどう思われますか?


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*1:Yaleのundergraduateのこと。Harvardもそうだが、Ivy schoolを筆頭に、多くのアメリカの大学は、学部教育のことをcollegeと呼び、その部分のみのDean [校長] をmedical school、law schoolなどと同様に置いている。

*2:日経新聞を読んでいる人であれば日本人でもだいたい分かるようなところ

*3:たとえば1989-2009までの大統領はすべてYale出身

*4:原則として、Ivy schoolはOxbridgeに習い、いずれも全寮制である

*5:少子化効果、外人比率を考慮していないのでかなり過大評価した値。実際には20歳前後で4倍以上の人口があるので、そこも補正すれば日本にあれば定員300人ほどの大学ということになるだろう。

*6:10年以上にわたり、これまで会ってきた数は、1000人は下らないのではと思う

アメリカのPh.D.はどこに行くのか


Nikon F2, 50mm Planar F1.4 @Tokyo

これはmasa346さんのご質問に対するエントリです。

アメリカではPh.D.の人の未来はかなり自由です。エンジニアリングスクールであればマスター出は結構いますが、純粋サイエンスでは、修士課程がないので、まあ、日本とはちょっと違うフレーバーですが、大学院卒として待ちに待った感じで、フレッシュに世に出て行きます。(もちろんさっさと見切りを付けて、マスター出、学卒として世に出る人、別の専門の学校に入り直す人もそれなりにいます。)

ポスドクを始めるのがそれなりに当然います。が、結局、そのうちファカルティポジションを取って残るのは、トッププログラムでも半分いるかな、ぐらいかなと思います。まあ、そこでの海外からのポスドク組も含めたcompetitionで、世界に冠たるアメリカの科学の質が保たれている訳です。

ポスドクでの研究テーマは、独り立ちするときのテーマそのものになることが普通なので*1、そのときのテーマを見越した新たな弟子入り先は、dissertation workを始めた頃から考え始めている人が多いです。ポジション探し、売り込みは、ポスターで発表するようなことが出てきたらすぐに始まります。発表の場でも売り込むし、そうでなくてもコネがあろうが、なかろうがどんどん行くのが普通です。そんなに躊躇しない。ちょっとやり取りして、実績も含めまともそうであれば、よほどの大御所じゃない限り、会うぐらいはそれほど困難ではないと思います。また大きなプログラムであれば、なんやかやで、つながりのあるファカルティは、普通は探せば周りにいるものです。

一つ明らかにいえるのは、彼らはもっと伸びやかに考えているということです。

アカデミア*2を出ようと考える人間もそれなりにいます。というか、それを考えるのはかなり普通です。多彩な才能がある人であるほど、サイエンスで一生やっていくかどうかと、それ以外のオポチュニティをあるところまで、天秤にかけていると思います。何らかの専門性を持って、それをベースに自分なりのユニークな価値を生み出そうと思うという訳です。人に習うというより、自分でキャリア設計していると言った方が良いでしょう。むしろ最大の財産の一つである「若さ」「時間」の巨大な投資をするので、学生のうちから色々考えていると言った方が良いかもしれません。

トップスクールであれば、私のいたようなプロフェッショナルファームに行く人間もたまにいます。例えば私のいたのは、かなり名の通ったファームだったので、行けることであれば行きたいと思っている人はそれなりにいました。私は、例外的にそのようなバックグラウンドを持っていた学生だったので、undergraduateだけでなく、まわりのPh.D.学生から随分相談を受けました。で、インタビューを受ける人はそれなりにいるのですが、ほとんど実際には通らないので、行く人もいる、という感じです。

また、そこから更にメディカルスクール、ロースクール、あるいはビジネススクールに行く人間もいます。多くの大きな大学では、joint-degree program (MBA-Ph.D., J.D.-Ph.D.など)も盛んです。私の10人の同級生の一人も、Ph.D.をとったあと、medical scientistになるためにmedical schoolに行きました*3。サイエンスの専門性をもったpatent lawyerなどは、うまくやると、かなり花形かつ儲かる仕事なので(本質的に賢いこと、対人折衝がうまいことが前提)、そのような道を歩む人もいます。

Ph.D.の経験、知恵、ネットワークをめいいっぱい、テコとして使って、IntelYahoo!、最近であればGoogleの創業者たちのように、自分で何かを始める人間もそれなりにいます*4CaltechでのPh.D. studentのうちに、Harvard Business Schoolのビジネスアイデアコンテストのようなものに応募して入賞した友人もいます。当然そうなれば、事業開始のファンディングにはとりあえず困りません。

若干低めのリスクで、人にとりあえずは雇われようと思ったとしても、Ph.D.が求められるポジションというのは、専門にもよりますが、普通はそれなりにあるので、まあちゃんとした学校の出身で、それなりの人柄であれば、何とかなるという感じだと思います。また、アメリカでは「天は自らを助くるものを助く」というのが、すべての基本にあるので、募集をしてようがしていなかろうが、やりたいことがあれば、自分はどういう人間か、何をしたいのか、どうして自分を採ることが意味があるのかなど、自分を売り込みにいきます。必要があれば、周りの人だとか良く知っている教授などに推薦してもらう。これはこれで立派なことです。

大学であれば、プログラムディレクターであるとか、私立学校や、しかるべき政府のポジションというのもあるでしょう。

より詳しいイメージを持ちたければ、米国のjob searchサイトをご覧になってはいかがでしょうか。たとえば、http://www.careerbuilder.com/

Ph.D.と入れて、ちょっと叩けば、

Dean of the Division of Social Sciences (これなどは典型的なPh.D.が必要なポジション、、、大学のマネジメントというのは一つのキャリアパスです。)
Job type: Full-Time Employee
...Counseling, Sociology, Psychology and Public Administration. In addition, the City University of New York Ph.D. programs in ...

Program manager- semiconductor -Ph.D.
Job type: Full-Time Employee | Pay: $125k/year
...learn from pears. Write Proposals, and / or teaks for R&D of aspects of solar cell development. Design and man experiments...

Bioanalysis Research Investigator (Ph.D) 、、、典型的なライフサイエンス業界の研究職(こういうのが大企業、ベンチャー共々ものすごい量である)
Job type: Full-Time Employee
...Biomedical Research (NIBR) is looking for a highly qualified Ph.D. level scientist with emphasis in the area of analytical......
Novartis Institutes for BioMedical Research MA - Cambridge

こんな感じで、確かにPh.D.がないと回らなそうなポスティングが、実に多様にあります(みなさんも興味があればどんどん日本から応募すれば良いと思います)。LinkedInなどに入ればもっともっと無数にあります。もちろん、大学院に行く段階で、どんな分野で学位を取ると最悪どんな仕事に就けそうか、ということぐらいはみんな周りの人に聞いたり、こうやって調べたりして当たりをつけています。Phoneticsみたいな変わった専門を選ばない限りは、それなりの仕事があるのではないでしょうか。(それでも英語学校ぐらいは開けそう。)

(こんなネット時代なので、皆さんですぐに調べられることも多く、エントリを立てるのもどうかとちょっと思ったのですが、何だか、議論が閉塞しているようなので、ちょっと書いておきたいと思います。)

そういう意味では日本の博士課程の学生に欠けているのは、単に求人ポスティングというより、むしろ、健全な想像力、なのかもしれませんね。


関連エントリ

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*1:学位は手堅く取り、ここで新しい技の取得やテーマに取り組む人も多い

*2:academia: ブクマを見ていると、この言葉を使う人をうさん臭いと考える人がいるみたいですが、意味、ニュアンスともに適切な言葉は日本語にないと思います。

*3:なお、一応MD/Ph.D. programという、国から特別なファンドが出ている、特エリートプログラムがアメリカにはあるのですが(いっさい学費がかからず、両方の学位を7−8年で取るプログラム)、これは全米で数百人程度の異常にセレクティブなプログラムで、神がかった成績と、優れた人格、これまでのとんがった実績がないとまず通りません。

*4:例に挙げたのは特別な成功例ですが、そうじゃないが何か始める人も普通にいます。

ポスドク問題について思う2


Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Los Angeles, CA


(これは昨日の呟き編の続きです。ごはんを楽しく食べていたら書くのを忘れてしまってました、、、。昨日のを読まれていない人は、まずそちらをご覧ください。)


wackyhopeさん、いつもコメントありがとうございます。


ふーん、へぇーーーでした。学位を取ろうとする人の集団は、いくら何でも民間企業に働くことを最終目的にした人が主ではないと思うので、あのような検討をしたのですが、まあ要はアカデミアは無理でもやっぱり仕事に就けないということが問題ということで、supply(社会への供給量)とdemand(社会の需要)の問題ということは変わらない訳ですね。


(、、、昨日書いた通り、明らかにアカデミア側のキャパがたりない状況下で、「もし」ですが、自分のトンガリ、売りもないのに、非現実的にアカデミアの道のみを考える人ばかりが大量にいてあぶれていて、それをブツブツ言っているのであれば、それは人としてのimmaturity、空想癖の問題なので、それは人間そのものを大人にしないとどうしようもありません。「自滅」としか言いようがない。)


僕は、Ph.D.、あるいは日本の博士号取得者を労働社会が吸収できるかどうかは、国というより、その社会の、その分野における基礎研究の強さに著しく依存しているので、一般論で議論すること自体にあまり価値はないと思います。たまたまその分野で強ければ沢山吸収できる。


例えば、アメリカの基礎研究の半分ぐらいを占めるlife science(生物系の科学)の場合、民間での最大の吸収先は、当然、アメリカを代表する産業の一つである医薬系ということになります。


ではその規模は、というと次のようなものです。(Wikipediaによる)


2007年度医薬品メーカー売上高ランキング(トップ20)


圧倒的に欧米系、特に米国資本が多く、日本勢はホント悲しいぐらいに小さいことが分かります。このトップ20での事業規模(売上高の総和)は次のようなものです。


アメリカ    196,670 (日本の10.1倍)
ヨーロッパ   204,155 (日本の10.5倍)
日本      19,437

アメリカとヨーロッパが大体20兆円、日本は2兆円)


おおむねR&Dの規模感というのは事業規模に連動しますので*1、ライフサイエンス系Ph.D.の民間吸収余力の指標としては、かなり適切なものでしょう。アメリカは少なくともこのような分野では、我が国(日本)とは圧倒的に吸収余力が違うのです。


また、ヨーロッパ系の開発拠点は世界に散っているとは言うものの、実際には大半がアメリカを本国並み、あるいはメインの開発拠点にしています*2。ですからこの数字以上に、アメリカは吸収余力が大きいと見てまず間違いありません。


ヘルスケアの世界では90年代初頭からはげしい企業合併が繰り返されてきましたが、その最大のドライブは、販路の拡大でも、生産コストの低減でもなく、十分なR&D力の確保でした。一つの大型新薬の開発に800-1000億、しかも上市まで10年ほどもかかるという非常に統計学的なビジネスであり、開発力にある程度の規模がない限り、事業が安定しない。だから、合併の度に事業規模だけでなく、ということで、R&Dのランキングも発表され議論されてきたのは業界の人であれば(日本のメディアは良く分かりませんが)ご案内の通りです。


同じようにアメリカの基幹的な産業である、IT・ハイテク系、航空系においてはアメリカは世界のどの国の追随も許さないレベルの民間R&D規模があります。が、一方、電気的なエンジニアリング、クルマの新型エンジンの開発などに関しては、日本の方が吸収余力は大きいでしょう。ただ、残念なことに、このような分野ではPh.D.はほとんど要求されません。


つまり日本の場合、もっとも吸収余力を持つ分野に集中して、しかし吸収力を勘案しつつ、Ph.D.の育成(生産)を行うべきだが、実際には、そのような分野は少なく、増産は危険である、ということが言えると思います。

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ということで、やはり国の吸収余力がない分野に対して、日本は不必要に学位取得者を生み出しているということは、ほぼ明らかではないかと思います。根にあるのは雇用の柔軟性というよりむしろ、産業構造の問題であり、国としての産業分野の強さの問題なのです。


それに見合った数しか生み出してはいけないのに、それを越えて生み出せば、あふれるに決まっており、昨日のエントリの話と総合すれば、構造的に二重にまちがった増産が行われていることが分かります。


1.大学の吸収力そのものが低い(具体的に検討していませんが、国立研究所、理化学研究所などもほぼ同じでしょう、、、トップ大学に並ぶポジションですから、大学以上に大きい理由がない)


2.産業的な強さを全く反映せずに生み出されている


大量に学位取得者が生み出されたのだから、産業を強くしろ(そして大量に受け入れろ)というのは、ほとんど言っても詮無いことです。武田だって、別に好んでこの規模なのではないのです。全力を尽くしているのですから。上の二つはどちらも明らかに、産業側ではなく、アカデミア、政府の側、そして単純な算数もせずに行ってしまった*3学生の側の問題です。


無理した増産をすれば起こることは、メーカーの経営と同じで、在庫が積み上がる、そして積み上がれば普通は価値が落ちる。在庫処分をすれば、叩き売り、すなわちインフレになります。アメリカの10分の1のバケツに、同じ量の水を流し込めば、どうなるかは言うまでもありません。


もう一つ厄介なことは、欧米とは異なり、同じ日本の大学院が非常に似たスペックで若干安い人を大量に生み出していることです。すなわち、日本ではterminal degreeとして修士を生み出すプログラムが存在し、それが一般化しているために(註:エンジニアリングはともかく、サイエンスの修士課程は少なくともアメリカではほとんど存在しない。最近のエントリ『専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉』を参照)、大学院卒を採るということはマスターを採ることとほとんど同義語化しており、わざわざ歳をとって学位を取得した人を採る意義をあまり感じないということがあるでしょう。つまり身内に敵 (competitor) がいる。これも上と同じく企業側ではなく、大学、政府側の問題です。本来博士課程を増強するなら、修士課程をつぶすべきでした。*4


という需給バランスを無視した供給が起こっていることが、現状の最も本質的な理由*5であり、とにかく増産、そして上のダブり生産をやめることが即効性の高い打ち手になるでしょう。そして適正な量を分野ごとに見直す。増産部分で余剰状況になっている社会の在庫(かわいそうなポスドクたち、、、100年前の政府にだまされて行ったブラジル移民のようなものです)については、社会のサンクコスト*6にならないように、何らかの社会的な打ち手が必要だと思います。


しかし、こんなに経済の基本のようなことが分からない人が教育行政に携わり、それを大学もあまり考えずにやり、学生もほとんど盲目的に進学しているという総思考停止状態を止めないことには、このようなことは繰り返されるのではないかと思います。


学生の人たちへ、、、自分の人生は自分しか守ってくれません。文句を言っている暇があれば、どうやってこのリスクを回避できるか考えましょう!


ではでは。



参考エントリ:

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*1:実際には大きいほどR&D比率は上昇する

*2:これは、このような良質なPh.D.ホルダー取得の容易さの問題であり、言葉の問題でもあり、また世界最先端の研究を行う優れた大学への近さの問題でもあります。つまりアメリカが生み出すPh.D.のグローバルな「市場価値」は少なくともこの分野では世界のどこよりも高いことがここから分かります。

*3:100歩譲って、「計算したけれど、その数字の持つ意味をいざという時に、都合良く忘れているか、受け入れられない」

*4:これは、ビジネス的にはあまりにも基本的な問題でもあります。大切な新商品を出すときに、カニバル [喰い合う] 可能性がある昔の商品を整理するのは、いかなる商売、マーケティングにおいても基本中の基本ですが、それが出来ていない。2008年モデルを引き上げずに、2009年型の新車を店頭で売ることなんてあり得ないですよね。こんなことをすれば、株主総会やIRでボコボコにされるのが落ちです。人類の知の象徴であるはずのアカデミアが、自分のことすらロジカルにモノを考えられないのであれば、もう存在意義があるのか、とすら思います。

*5:昨日書いた、アカデミア以外の道を検討しないという非現実的な行動習性を持つimmatureな人が多いのではないか、という問題は除く

*6:sunk cost: その事業や取り組みをやめても回収できない費用

ポスドク問題について思う


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, RDPIII @Grand Canyon National Park, AZ


休載宣言以来、案の定ほとんど書けていませんが、なんというか日本の学位取得者について考えさせられるメールが来て、ちょっとだけ。


ポスドク*1問題というのが日本ではかなり深刻だという話をたまに聞いたり、見たりするのですが、なんというかちょっと不思議に思っています。


どうも騒がれていることの本質は、学位をとっても研究職、特に大学や公的研究機関に就ける人が少ないということのようです(もし私の理解が間違っていたらごめんなさい。その場合、以下は読む必要ないです)。


しかし、それは本当に問題なのでしょうか。アメリカのトップスクールのようにセレクティブで、どのPh.D.プログラムでも10人ぐらいしかとらないようなところでも(一つのプログラムで学位を取るのはそのうち5-6人/年)*2、最終的に大学のファカルティになるのなんて2割もいるかどうか。それ以外の人は当たり前のように民間に出て行きます。つまりなんでアメリカとは違って、日本ではそれを問題にしているのか、と僕は思う訳です。


まして、日本のように「大量生産」していれば、ファカルティには1割ぐらいしかなれない、適切なポスドク職を探すのも困難なのは当たり前なのではないでしょうか。ほとんどロースクール*3卒業生と同じ問題のように聞こえます。


大量生産、ということについてですが、例えば、アメリカで最大級のPh.D.養成機関の一つであるHarvardで、理系文系など学問分野を問わず生み出されるPh.D.は年間約540人(この資料のp.11)、同じくかなり大きな大学であり、学生一人当たりの運用資金全米一を誇るYaleで360人にすぎません(しかしこれだけ生み出せる大学は数えるほどしかなく、この生み出す数をこの二校は大学の質を証明するアウトプット指標としてとても誇りにしています)。Berkeley, Stanford辺りがPh.D.産出パワーで(笑)ここに並ぶクラスだと思いますが、ほとんどの大学はそれほど大きなプログラムがある訳ではないので、そこまで生み出すことは出来ない。


一方、日本では、東大だけで年間1100人以上(米国には事実上存在しない論文博士180人を含めると約1300人)、京大が年500人強、全国ではちょっと古い資料でも年16000人!、妙に数字が多い保健分野を除いても年9000人も生み出されている。そもそも個々の大学の基礎的な実力、体力*4としてこんなに生み出せるはずがないと思うのに加え*5、総数としても人口比アメリカの2.4分の1しかないことを考えれば、「主力になる大学」が生み出す学位の数が、かなり多いことは自明。


(註:なお、アメリカにおいても主たる大学におけるファカルティは、[日本とは全く違うロジックの結果ですが] かなり名の通った大学の出身者が殆どですから、ここでの比較はある程度、nearly apple to appleの主力の大学同士の生み出す学位取得者で考えています。地方の末端州立大学ぐらいまで含めれば、学位の総数はさすがにアメリカの方がずっと多いでしょう。むしろここからあとの議論の通り日米では受け入れ余力が全然違うにもかかわらず、同じ人口で生み出す学位数に、日米の差がそれほどなさそう、、、つまり作り過ぎに思われることが問題。*6


しかも、アメリカは世界レベルのアウトプットを出す、それなりの研究を行う有力大学だけで数十はあり、それぞれがかなりのラボの数を持ちますから*7、ポジションははるかに多い。なお、日本のような講座制をとっていないので、一度assistantであろうがprofessorになってしまえば、アメリカでは原則PI(principal investigator:ラボの長)です。それでもPh.D.の大多数は結局ファカルティにはならない訳です。


ちゃんと研究を行う大学の数も、大学辺りのラボも少ない日本でこれだけ博士号を生み出せば、より結果が強烈になるのは当たり前なのに、その程度の算数も出来ない人が、日本では大学院に行くのでしょうか?(そして、自分のとったリスクを棚上げにして、文句を言っているのでしょうか?)しかもいくつかのエントリで考察した通り、英語の問題があって、ドイツ人などヨーロッパの学位取得者のようには、自由に海外の研究職も探せないということであれば、もう吸収先がないのは当たり前。


ということで、もし上で私が書いたことが、本当に騒がれていることの中心であるとすると、まったくもって解せません。当然のことを当然だと思えない、ある種のimmaturity課題がそこにはあるのではないかと思うのですが、これは下衆(げす)の勘ぐりなのでしょうか?


大学に行けば、あるいは大学院に行って学位を取れば関連する仕事があると思っているのは、途上国を除けば、日本人だけなのではないかと僕は思います。そう、それは明治、日清、日露戦争時代のスキームなのです。


暴論でしょうか? 僕は、一歩日本を出れば、これが世界標準の考えに近いと思いますが、、、。



追伸:コメントを拝見し、続きのエントリを書きました。そちらもご関心があればどうぞ。

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*1:postdoctoral fellow/associate: 博士号を取得してその後、独り立ちするまで、更に、多くの場合、別のラボに行って研究している人

*2:ファンディングのリソースの大きさと、ファカルティの数によって大体規模は決まります。僕がいたプログラムが典型的なものの一つだと思いますが、学生は毎年10人しかとっていません

*3:法科大学院

*4:金、ファカルティの数、ラボの中の人の数など

*5:例えばなぜ東大はファカルティの層、研究費ともに巨大なあのHarvardの倍以上も生み出せるのだろう?

*6:統計上の総数についてはトラックバックを頂いたnext49さんのエントリでかなり詳しく検討されています。refer多謝。誤解を生んでいたら申し訳なし。ただ、本エントリの後半を読んで頂ければ分かる通り、吸収力を無視して、[人口辺りで] アメリカとたいして変わらない程度に生み出していること自体が過剰だと言うことを問題だと思うという筋は変わりません。また同様に、日本の主要大学がかなり際立った数の学位保持者を生み出していることは認めざるを得ないと思います。

*7:私のプログラムの場合、学生年10人に対し、参加するファカルティ(つまり選択可能なラボ数)が90ほど当時ありましたが、ちょっと日本ではなかなか考えがたいことです

昨日のコメントを受けた追伸、、、若さは才能


Leica M3, 50mm Summicron F2.0, S-800 @お台場、東京


昨日のエントリのコメントを見ていて少し追伸。(まだご覧になっていない人は、文脈が理解できないと思うので、そちらをまずご覧ください。)


まず、以下のエントリはかなり密接に関係したトピックなので、初めてこのブログにいらした人はご覧になって頂ければと思います。

ここではそもそも大学院教育の質として日米でどうちがうのかについて考察しています。、、、正直、欧米(特に米国)の先進的なプログラムを体験もせずに日本でも戦える、ノーベル賞も出ただろ、というのは、なんというか戦前、ニューヨークも見ずに*1鬼畜米英と叫んでいたのとあまり変わりません。戦前であっても北里先生であるとか、高峰譲吉先生であるとか、真に世界的な研究者はいました*2。そういう話ではないのです。


少なくともアメリカは1957年10月のスプートニクショック以降(今をさかのぼること51年あまり前)、国を挙げて国力増強のための科学研究、研究者育成の競争力強化、グローバルな人材取り込みに取り組んできました。日本は言語的にハンデがあるだけでなく、人材育成の仕組みもかなり遅れているのはファクトベースで認めないといけない(→学生のファンディングすら出来ていないのに、この認識がほとんどないのがそもそもの問題)。変に最近ノーベル賞が多かったりして、この改革の機運がむしろ下がっているようにすら感じます。


この数十年のノーベル賞の大半が、受賞者の国籍に関係なくアメリカがらみであったことを良く考えてみれば、結果としてのこのあたりの国家的な研究、研究者育成に関する生産性の違いは自明です。在住人口比で見れば、考えられないほどの差が生まれています。終戦から暫くするまでヨーロッパ勢が主たる勢力であったサイエンスは、60年代以降おどろくほど急速にアメリカに中心が移っていきました。


このリストを見て頂ければ分かる通り、アメリカの生み出した309人(!)のノーベル賞受賞者のうち、分野は混交ですが、237人までが1960年以降の受賞です*3ノーベル賞の単独受賞がほとんどなくなりつつあるとはいえ、この賞が20世紀の開始とともに、1901年に始まっていることを考えれば、戦後、アメリカの生産性が劇的に上がったことはほぼ明らか。本来の出自的には世界の寄せ集めのアメリカとこれだけコンスタントに差がついていることは、かなり何か本質的な「仕組み」の差があると考えるべきでしょう(これが最終的にはスプートニクショックの本質である国力の差につながる)。


その上で次のエントリ

を読んで頂ければ、なぜ欧米で教育を受けた人が何人か日本に帰ってきたぐらいで、教育の仕組みがそう簡単に変わらないのか、ある程度分かって頂けると思います。(私は希望は捨てていませんが、膠 [にかわ] のように固まった『システム』というのは、そう簡単に変わるものではありません。これは日本の大学システムに比べればまだ歴史の浅い、GMの変革の苦労などを見ていれば分かる通りです。)


実際にはチェンジマネジメント(マネジメントの仕組みの変革)にがっぷりと関わった経験がないとこの変革の困難については腑には落ちないと思いますが(正直、自分の過去を振り返っても、特に20代で理解することはかなり難しいと思う)、それに多少関連するのは次のエントリです。それほど浅い話ではありません。

この国の高等教育、研究システムの改革は、十分によい体験を積んだ人の数が高まること、抜本的な変革に向けた危機感が高まること、更にチェンジマネジメントの経験が深い人がある程度そろうこと、の三つがないと恐らく難しい、と僕は踏んでいます。



ということで、才能のある人は、こんな社会システム的な化け物と戦うのはやめて、さっさと利根川先生のように外に出た方が良いのでは、というのが昨日のanonymousなご相談に対するお答えでした。いずれにしても、一本立ちしたときに戦う相手は、そのアメリカを中心とした海外にいるのですから。そしてネットワーク、英語力も含めた研究の基礎体力は若い時ほど身につけやすいことはいうまでもありません。、、、若さは才能ですから。


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*1:今マンハッタンで立っている主たるビルの半分以上は、The Empire State Buildingはもちろん、世界恐慌直後に立ったロックフェラーセンターなども含め戦前から建っている

*2:とは言うものの、この二人とも欧米で研究!

*3:ちなみに日本は同期間中に15人です。実数にして15.8倍。人口差はせいぜい2.4倍なので、人口比6.6倍。

専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, 400VC-3

ブログ、全面再開できる状態にはほど遠いのですが、時たま、読者のかたから進学関連の悩み相談のようなメールを受けることがあり、今週もかなりまじめなものを受け取ったりしたものですからちょっと書いてみたいと思います*1

大体、受けるご相談は、以下の三つのどれかで

  1. 今のまま日本で大学院教育を受け続けるので良いのか
  2. ポスドクになってから外国に行くのでは遅いか
  3. やりたいことがあるが、仕事も忙しく踏ん切りが付かない

こんな感じです。

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これを他人事(ひとごと)として読まれるとなんでそんなことに、と思われる人もいるかもしれませんが、それは毎度大変深刻、あるいは真剣なご相談で、だからこそ僕のような直接あったこともない人にまでご相談が来るのではないかと思うのです。こうやって何人かの人のご相談がやってくるということは、かなりの数の人が実は同様の悩みを持たれているのではないかと思うので、そういう悩みのかたのために、ちょっとだけ書いておけたらと思います。(いつかチャンスがあればもうすこし腰を据えて書いてみたいと思います。)


いずれにおいても、あまり僕としては悩むことはないと実は思っていて、僕の考えは結論から言うとこうです。

  1. サイエンスで生きようと思うのであれば、修士なんか日本でとってる暇があればアメリカ、もしくはヨーロッパの優良大学で学位を取るべき(出来る限り英語圏
  2. 遅いかどうかは分からないがかなりのハンデになりうる
  3. やりたいことがあるのであればやる

これだけでは何が何だか分からないと思うので、暴論に聞こえるかもしれませんが、なぜそう思うのかを書きます。


1について

第一に科学の世界は僕の知りうる限り、本質的に英語がdominateしている世界であり、がたがた言っても英語の論文を書き、英語で話し、英語の研究者の信頼できる友達や教授のネットワークをどれだけ作れるかがかなりの勝負を握ります。従って、出来ることであれば全ての専門教育を英語で受ける方が圧倒的に有利であり、そもそも自分が習う人やそこに学ぶ友人たちと友達を広げること自体が意味がある。

第二に、もし学位(Ph.D.)をアメリカでとるのであれば、日本でやっていたマスターの二年間もそのお金も完全に無駄になる。少なくともアメリカのresearch universityでは、自然科学系の修士課程(マスターをとることを目標としたプログラム)というものは事実上存在していない(要はすべてがPh.D. program)ため、もう一度、アメリカ中の有名大学からピンに近い成績でやってきた新卒たちとゼロからコースワーク(専門の基礎教育)をやり直すことになる。

第三に、マスターを持っていても研究者の世界ではほぼ何の足しにもならないし、たいした尊敬は得られない。これは知る人ぞ知るだと思いますが、アメリカにおけるMSというのは、優秀な学生であれば、実は大学四年間の間に、卒業と一緒にもらう程度のものであり(例えばYaleのようなトップスクールでは、当たり前とはいいませんが、大学卒業と一緒にとる連中は結構ゴロゴロいます)、もしくはPh.D. programを1年程度ちゃんと在学して、ドロップアウトしたときにかわいそうなので学校がくれる学位という位置づけにすぎない。

だから、多くのアメリカ人研究者はマスターを持っていない、もしくはPh.D.授与のときに一応一緒にもらってもそのことはCVのどこにも現れない。この二番目、三番目はほとんど知られていない事実なので、結構衝撃的かもしれません。


2について

これは前に書いた大学院教育のエントリも一緒にご覧頂けたらと思います。日本の大学院教育しか受けないで、日本からアメリカにポスドクに来るとどういうことが起こるのかというのを随分傍目に見ていたのですが、それを見ていた結論としてかなり上のように確信しています。

ポスドクで渡米して来るような人は、TOEFLで満点近いスコアをとり、GREでもかなり高いスコアをとって入ってきたようなinternational graduate studentとは違って*2、大体が英語の基礎体力そのものが弱い。また実は正直、英語圏で研究するとか、いや授業を受けるという段階で、TOEFLがほとんど正解でした程度の英語では付いていけませんし、あまり何だかなぐらいなのです。実は。ですから非常なハンデを背負ってやってくることになります。年齢的にも実験技術以外の基礎的なスキル的にも(前述のエントリ参照)。また年齢的なこと、変なプライドも、下記の誤った行動パタンもあって、英語もあまり伸びないケースが大半。

ということで、結果、何が起こるのかというと多くの場合は、日本人のポスドクの中で群れて、だべり、ラボに戻ると事実上Tech(technitian:実験をただする助手というのがアメリカの多くのラボには1−2名いる)として扱われ、いいように使われて終わる。生産性の高いラボであれば、一緒にペーパーに名前も載るし、2−3年いればいいジャーナルにtop authorで一本ぐらいは出させてもらえるかもしれないが、そこまでsurviveする人は少なく、実はここには全然至らずに帰るケースが多い。特に僕のいたようなmedical schoolでは、日本の大学の医局から金とともに送り込まれているような人が多く、なんというかバケーションのように楽しむだけという感じになるケースも随分見ました。

ということで、本当にサイエンスで飯を食おうという人には全く勧めないオプションです。むしろgrad studentとしていきなり来れない場合、本当は色々なベネフィットの多い、テクニシャンとして潜り込むのがベストなのですが、これは外国人には困難かもしれないです。まあとにかく入ってしまえば、一年がんばればマスターを上述のようにくれるので、最後まで残るのは仮に5割だとしても、後述の通り、お金もかからないし、非常に良いオプションではないかと思うのです。


3について

言うまでもないです。人生は短く、やりたいことは多い。そしてどの一つをやるにしてもかなりの時間がかかる。だからやりたいことが見えている人はそれをまずやるべき。それに尽きます。

忙しいとか金がないとかそう言う言い訳をしない。研究の場合は特にそうです。なぜなら、このキャリアパスを考えた人であればよくご案内の通り、米国のPh.D.プログラムは自然科学系の場合、100%大学が学費と生活費を出してくれるのです*3。すなわち、日本でマスターをとる方がアメリカでPh.D.を取るよりはるかにお金がかかるのです。何しろもらいながら学生をやるのと、払いながら学生をやるのの違いですから。

また、時間がないとかというのはとんでもないいい訳だと思います。僕は恐らく通常の人の基準で言えばかなり逸脱した生活を送るような過酷な仕事をしていましたが、それでも隙間と休みの時間を縫って準備をして、むしろその特異な経験のこともあって、無事なんとか当時、全米で自分の専門分野のトップ5に入っているような学校にadmitしてもらうことが出来ました。むしろ時間がないからこそ工夫するし、がんばるのが人というものではないかと思うのです。

しかももらう学位のパワーがいざ一歩日本を出たときに全く違う(普通欧米の主要大学間では、主たる研究者同士は顔通しが出来ておりレターや一言推薦してもらうことの力が非常に強い。これも学位の力のうち)。僕はマスターを日本でとり、幸い師匠に恵まれいい思いも、素晴らしい経験もしましたが、学位(博士号)を取らなくて本当に良かったと今になって思っています。それはあれ以上の借金を背負う必要がなかったこともそうですし*4、そういう残る経験、残る学位の力もあります。ということで、もし採ってくれるのであればno regretだと思う訳です。

幸い日本の場合、多くの人が日本の大学院に私の若かったときのようにそのまま残ってしまいますから、日本の競争相手は少ないことが多く、ある種、下駄を履く部分もある。通常、international applicant間の競争は、外人に使える教育グラントがほとんどないために100倍をはるかに越える熾烈なものではあるのですが(!)、少なくとも中国やロシアからの留学生よりははるかにまし、、、。彼らの場合、まず第一にアメリカの大学に留学することが大学に入ったときからの目標ですから、ものすごいpeer competitionが働きます。ということで、僕は自分が人生をやり直すなら、大学を卒業した段階で、アメリカに移ることをプランしますね、まず間違いなく。

という感じです。

最後に補足になりますが、アメリカの大学院生活は成績が悪ければ一発で追い出される恐怖がありますが*5、とても楽しいです!これは付け加えておきたい。学生なのでリスクフリーな部分も多いです。社会の違いをまじまじ見るいい機会でもあります。

以上です。かなり若い人、それも男の子ばっかりが読んでいるブログのようなので(ログールデータによると5割が20代、ほぼ100%男性です!)、ご参考になれば幸いです。


もし僕のような年代の人で、日本の大学院に若き日の僕のように行ってしまった人は、ごめんなさい。No offenseです。僕もここまで強い考えをかけらもその頃は持っていませんでした。


Hope above encouraging and inspiring enough, and helpful!

Good luck, guys!!


ps. このエントリのコメントを見て、追伸的なエントリを書いたので、そちらも良かったらご覧ください。


関連エントリ

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*1:原則受けられませんので、今後はご遠慮ください。

*2:ちなみにアメリカ人の同級生はほとんどGRE自体が専門科目も含めて、ほぼ満点で入ってくる

*3:ちゃんとしたresearch universityの場合。タダだと言うと驚く人が妙に多いのですが、ネットですぐに情報が手に入るこの時代に、このぐらい知らなくて関心があったというのはありえない。余談的には、このようなfinancial support自体が、アメリカのgraduate program強化の結果と言える。奨学金と称してローンしか組めない日本との根本的な違いの一つ。

*4:米国では総計20万ドルを越える投資を僕の教育のためにしてもらいました。このことに対して、僕は母校Yaleとアメリカの寛大に本当に感謝しています。

*5:Ph.D.studentは通常オールAかそれに準ずるコースワークの成績を求められるので、外国人学生にとってはかなりの負担です